南海ホークス野村監督から頂いた昭和49年の年賀状です・・・もちろん父にですが。水島新司のオリジナルイラストがとても印象的で、正月にこの年賀状を見つけた時、かなりドキドキしたのを覚えています。野村監督、前夫人、そして息子さんが一筆入れています。
昭和51年の年賀状です。しかし写真を見ると、監督でもない、キャッチャーでもない、4番バッターでもない。野村監督には一番縁遠いと思われる走塁の姿です。ある意味かなり珍しいというか、多分野村監督のことなので、何かを意図しているのでしょうね。
野村監督の南海ホークス最後の年、昭和52年の年賀状です。このシンプルで鮮やかなグリーンのユニフォーム、当時は何か物足りなくて正直高校野球っぽいなぁと感じていましたが、いま改めて見るとやはりカッコよろしいですな。
昭和53年ロッテに移籍した年の年賀状と昭和55年現役最終年、西武時代の年賀状です。イラストは水島新司が改めて描いていますが、先のイラストとはかなり印象が違いますね。この2枚は南海から出て行った野村克也には興味がない時代だったので、残念ながら、その当時の印象はほとんどありません。
昭和51年の年賀状です。しかし写真を見ると、監督でもない、キャッチャーでもない、4番バッターでもない。野村監督には一番縁遠いと思われる走塁の姿です。ある意味かなり珍しいというか、多分野村監督のことなので、何かを意図しているのでしょうね。
野村監督の南海ホークス最後の年、昭和52年の年賀状です。このシンプルで鮮やかなグリーンのユニフォーム、当時は何か物足りなくて正直高校野球っぽいなぁと感じていましたが、いま改めて見るとやはりカッコよろしいですな。
昭和53年ロッテに移籍した年の年賀状と昭和55年現役最終年、西武時代の年賀状です。イラストは水島新司が改めて描いていますが、先のイラストとはかなり印象が違いますね。この2枚は南海から出て行った野村克也には興味がない時代だったので、残念ながら、その当時の印象はほとんどありません。