くたばれ!! HAWKS
南海時代からのホークスコレクションを紹介。
 




南海ファンになるキッカケになったのが、この'73年型深緑のユニフォーム。実際に見たのは、'73年初観戦の太平洋クラブライオンズ戦と阪急ブレーブスとのプレーオフ第2戦の二試合だけでしたが、それはそれは印象深いユニフォームでした。そして'74年、ホークス子供の会に入会し、喜び勇んで見に行ったのが4月7日の開幕第2戦・第3戦の近鉄バファローズとのダブルヘッダー。大阪球場の薄暗い階段を上がってグランドを見渡すと・・・・あれ?・・・どこのチーム?
楽しみにしていた深緑のユニフォームがいないじゃありませんか。練習している選手をよ~くみると胸には確かにホークスの文字が・・・。しかし、どうみてもカッコの悪いユニフォームに変わっていたのです。

明るいグリーンの帽子に黄色のアンダーシャツ。
しかもヘルメットは深緑って・・・バランス悪すぎ・・・。

確か試合が始まってもしばらくの間、なんでこのユニフォーム!?
と繰り返しつぶやいていたことを思い出します。
試合の中身は全然覚えていませんが、野村監督がホーム上のクロスプレーかデッドボールかなにかで負傷退場したことだけ記憶に残っています。
開幕第1戦に登板し、上がりで観戦していた江本投手を見つけ、サインが欲しいけれど恥ずかしくてなかなか声をかけられず、やっとの思いでもらったのが、このサインです。

結局このユニフォーム、誰がみても不評だったらしく、すぐになくなりました。かわりにシーズン途中から'73年型深緑のマイナーチェンジバージョンと明るいグリーンでアンダーシャツまで統一されたユニフォームの2パターンに変わったのです。
子供心にめちゃめちゃカッコ悪いと思ったユニフォームでしたが、その後南海ホークスを語る時に、ほとんど全く登場しないことを考えると、実は結構貴重なもの見ていたんだなぁと実感します。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )





【'74南海ホークス子供の会の会員証】
高島屋で優勝記念写真展とファンの集いがあった時に入会したものです。
確かこの会員証のような、ひさしが黄色の帽子をもらった記憶があります。案内のチラシをみてみると、会長は野村監督になっています。

更にみていくと、
1.趣旨・・・南海ホークスを愛する少年ファン相互の親睦と野球を通じて心身の鍛練をすることにあります。
2.資格・・・小・中学生
3.会費・・・500円
特典としてオープン戦・公式戦の内・外野席無料入場(年間15試合)
となっています。
記憶では、兄と2人で入会したと思うんですが、
なぜか会員証は3枚あります。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





「'74~'75南海ホークスカレンダー」250円
数あるホークスコレクションの中で初めて自分で買ったのがこのカレンダー。B4サイズの少し小さめで、公式戦の開幕に合わせたように4月から始まって翌年の3月までになっています。ちなみにこの形は’77年まで続き、1月から始まるカレンダーは’78年のものからになっています。

2ヶ月ごとの6枚綴りで、もちろん4月5月は野村克也監督。
その他江本・門田・島野・山内新・桜井という前年の優勝に貢献したメンバー構成になっています。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





もちろん!愛情がたっぷり詰まった表現です。
南海ホークスとの出会いは1973年8月5日。
大阪球場での太平洋クラブライオンズ戦、1塁側ボックス席でみた試合です。南海の投手は当時のエース江本。 太平洋は・・・記憶にありません。太平洋の助っ人R・レポーズがホームランを打ったのをかすかに覚えています。試合の方は0-2で南海の負け。どちらを応援するというわけでもなかったんですが、とにかく深緑の南海ホークスのユニホームの印象が鮮明に残っています。理由はただ単に緑が好きだっただけなんですが・・・。


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »