「学び方の上手い人・下手な人」

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「期待されているから」

2006年04月30日 05時56分05秒 | Weblog
「期待されているから」


毎週日曜日は、妻に付き合って乗馬クラブに行きます。
娘達と遊びながら、乗馬を見学します。

良く見ていると、面白いことに気づきます。


先生達は、あるタイプの人たちには、「やさしく」教えています。
初心者や、あまり上手でない方々です。


それに対して、ある人たちには、「厳しく」教えています。
きっと、期待されている人たちなのでしょう。


言われている本人は、もしかしたら気づいていないのかもしれません。

傍から見ていると、わかるものですね。


2 コメント

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期待されているから。 (西 義光様)
2006-05-07 04:09:55
関根様



私の歩いてきた道を振り返ってみると人を育てる、子供を

育てるというのは音楽や絵画と同じく一種の芸術のようなものだと

さえ感ずるのです。



丁度楽器の音を出すのに優しい音と激しい音、絵の筆さばきや色遣いの

優しさ厳しさを交えて行くように、あるときは優しく、あるときは厳しく、

時と場合によって強弱を切り替えてメリハリを待たせて行かねばなりません。



人は階段を登るように一段一段上に上がって視野を広めていきます。

上に上がればもっと視野が広くなり今まで余り目立たなかった

こともはっきり見えるようになります。



従って教えるほうは何時も同じ目線で見ているのでなく、時には

一つ上の高い目線で見ることも求められます。



厳しく指導されるようになることはそれだけの進歩があったから

注意点もそれだけ高次元になったと捉えるのがよいのではないでしょうか。



目線を何時も同じに保っているということはある意味で友達の

関係にあるということで、教育の場に合っては指導者や両親、

特に母親の目線はあるときは同じ目線で、又あるときは指導者として

高い目線に切り替えていかねばなりません。今の優しさを

となえる日本の教育にはこの切り替えにメリハリが見られません。



其のとき何故厳しくするのかを相手の心に伝えることが出来れば

相手もそれだけ進歩した御蔭だなと自分が期待されていると

感じ、励みにもなると思います。其の段階に来たら、教えられるほうも、

教えるほうも良い軌道に乗ったと考えられないでしょうか。



人間は動物と同じに癖の塊です。教えるということは人の中に良い癖を

育てて悪いものを追い払うという一つのプロセスのようにも

見えるのです。外側の癖だけでなく心の癖も人生における大きな

問題になります。私も沢山の厳しい指導者にめぐり合ひ、何故私だけが

とひがんだこともありました。でも段々階段を上がっていくうちに

厳しさの意図することを納得し、今は多くの厳しい師匠に恵まれたことを

心から感謝しています。





西
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ありがとうございます! (関根雅泰)
2006-05-07 04:10:49
西さま



メールありがとうございます。関根です。





貴重なご意見ありがとうございます!





>あるときは優しく、あるときは厳しく、

>時と場合によって強弱を切り替えて

>メリハリを待たせて行かねばなりません。



はい!



>厳しく指導されるようになることはそれだけの進歩があったから

>注意点もそれだけ高次元になったと捉えるのがよいのではないでしょうか。



なるほど!確かにそのとおりですね。





>其のとき何故厳しくするのかを相手の心に伝えることが出来れば



きっとこれが大切なんでしょうね。



これが伝わらず、つぶれてしまった相手も多いかもしれませんね。





「厳しさの意図」



これを、



学ぶ側が理解する、

教える側が伝える



ことが大事なのかもしれませんね。





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