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Let’s Challenge!!

人生で大切なことは、失敗してもいい、チャレンジすること!! 楽しみながら・・・
 Let’s Challenge!!

突然の出来事

2010年08月22日 | 驚いたこと
義父が本日22日、突然亡くなりました
いつものように夕食を食べ、いつものように床につきました
深夜1時ころ、動悸がするということで義母を起こし、血圧を測り
自分でニトログリセリンを舌の下に入れ、再度5分経過した頃もう一錠を口に入れた直後に意識がなくなりました
すぐに救急車を呼び心臓マッサージを続けましたが、二度と心臓が動くことはありませんでした
急性の心筋梗塞でした

白内障の手術が終わり、明るい視界で見ることができるようになった矢先
そして18日に退院し、すでに新しい眼鏡も購入した矢先のことでした

しばらくブログの更新、訪問を控えさせていただきます

いろいろなことがあります!

2010年07月08日 | 驚いたこと
鬱陶しい梅雨・・・などと呑気なことを言っていられないような状況が全国でもたくさんでているようです
ありがたいことに産まれてこのかた天災には遭遇したことがない
台風の被害など毎年やってくる災害に遭遇されている所もたくさんある
今のこの環境に感謝をしなければいけないと思う

ところが“産まれてこのかた”と書いたのですが、実家の方でもまれにみる大雨で被害が出ているとのこと
田畑が水浸しになったり、床上浸水の家などもあるという
妹が丹精込めて作っている野菜の畑も水浸しになり、いつも夏には粒ぞろいのジャガイモ、
そして晩秋には柔らかくて美味しい長葱も全滅かも?と
そして私が小さい頃からあったアカシアの大木が3本も倒れてしまったとのこと
妹も、そのアカシアの木が倒れたことはかなりショックだったようだ

ショックと言えば、また息子が入院してしまいました
昨年の秋に交通事故で入院したばかり
土曜日の夕食を作ろうと思っていた頃メールが届いた
「心配掛けると思って知らせないようにしようかと思ったけど・・・」と
やはり息子も「また入院」ということを気にしているようでそんな書き出しだった
両足首がパンパンに腫れてしまい痛みで歩くこともできなくなり勤務先から救急車で運ばれたようです
傷口から入った細菌で腫れたようなのですが、月末の集計など2日ほど徹夜していたようで
免疫力が低下してこんな状態になったのではないかとお医者さんがおっしゃったようです
息子は、26歳
4年は働いている
もう少しうまい働き方ができないのか
こんなことを聞くと、今の体の状態よりもその方が心配でたまらない

とりあえず日曜日は夫と病院に駆け付けた
「言わないつもり」だったというように、勤務先の人や友人がすべて入院の準備をしてくれたようで
すべて揃っていた
その日も社長や勤務先の方々が来てくれたり・・・ありがたいと思う
両足はぐるぐるの包帯で、その上からも腫れているのはわかる
そして熱もあるので水枕をしていた
まだ歩くところまではいかないけれど、いい休息になったようで元気そうでした
枕元には、“ただ休ませない”?  友人が仕事に関係する書物をたくさん持ってきていました
親としたら、そんな周りの方々に囲まれていることにホッとしたり感謝したり・・・
そんなことで3時間ほど病院にいました                              写真はすべてマウスオンでご覧下さい                       
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目黒川沿いのこの病院、病室も8階の窓際で、目黒川の桜並木の美しい風景が目に入る
こんなことではなく桜の時期に一度来てみたいと思いました

午前中買い物をしたり義父母の食事のことも準備したり忙しい時間をやりくりしたら病院からただ帰るのはもったいない
夫が予てから行きたいと言っていた“スカイツリー”を見に行くことにしました
ちょっと呑気な親ですが・・・
でも時間はすでに5時になっています
そこで“スカイツリー”の所まで行かないで浅草からそれを眺めることに
“スカイツリー”を眺めるスポットはいくつかあるようですが・・・
たくさんの見物客でにぎわっていました
ビールジョッキに見立てたアサヒ本社ビールのタワー
筋斗雲のようなモニュメント、スーパードライホール
初めて高速から見た時は驚いたもの                         
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吾妻橋から隅田公園に入り隅田川、首都高越しに“スカイツリー”を見ることに
晴天だったら、ゴールドに輝く派手なアサヒビール本社ビルに映った“スカイツリー”がゴールドに輝く・・・はず
まさしく“ゴールドスカイツリー”と呼ばれているようです
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雨が激しく降り出しました                             
一つしかない小さめな晴雨兼用の傘で雨の当らない所まで走りました
日も暮れかかっていたのですが、雷門に向かいました
アーケードの中を歩くとこんなレトロなお店がありました
洋酒バーの“神谷バー”、人気のお店らしく店内は混み合っていました
夫は興味をそそられたようで、「こんな所で食事をしてもいいよね」と
でも、今日は“うなぎ”を食べると決めてきたので却下
隣にはその売店が
こちらも昭和の雰囲気を持った洋酒バーのおじさんがいい雰囲気です
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こちらは、創業明治23年の人形焼きの老舗
いつもはお土産として仲見世で買うだけでしたが、老舗の味はどんなものかと買ってみました
写真では比較するものがなくてわからないと思いますが少し大き目でぎっしりとあんこが入っています
黒いアンと白いアンの二色を買ってきました
カステラ部分がしっとりと柔らかくて美味しい
でも私はアンが少し甘くて一つで十分という感じでした
仲見世に入ると店仕舞いの前だからなのか、10個で200円!と叫んでいるのが聞こえてきました
先程買った人形焼きは1個100円!!なのに・・・
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雷門はライトアップされて、シャッターは次から次と閉められています
シャッターにもこんな絵巻物風の絵が描かれています
シャッターが閉められた後も歩く人がいるのなら、うれしい心配り
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仲見世通りから浅草中央通りに入り食事のできるお店を探す
浅草に行くと言ったら息子が何故か「うなぎでも食べたら」と言うので、病院からうなぎを食べると決めてきた
全く調べてきていないのでお店はわからない
雨の中しばらく歩くと、“うなぎ”ののぼりを発見
小さいですが小奇麗なお店です
入ってみてわかったのですが、新宿ヒルトンと玉川高島屋に入っているお店で、浅草店がオープンしたようです
今日は珍しく二人とも同じもの《ひつまぶし》をたのみました
その後、こんなお薦めメニューに目が釘付けに・・・“うなぎハム”
ハムもたのみました
ボイルするらしいのですが、蒲焼よりもうなぎ独特の味がします
美味しかったです
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《ひつまぶし》を頂きました
食べ方は好きなようでいいと思いますが、まずはそのままそして、薬味をのせて
そして最後はお茶漬けでいただきました
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心配でも、もう大人になっている子供のことはどうすることもできない
気持ちを浅草で切り替えて家路に向かいました




旬・・・シュン

2009年10月15日 | 驚いたこと
新聞で“○○で○○が見ごろ!”などと旬な話で記事が載っていると、夫が見に行こうと言う
これは、子供たちが一人立ちしたころからのこと
夫は物静かで外に出かけることよりも家で読書をしたり音楽を聴いたり将棋や囲碁、
はたまた数独などを静かにやっていることをこよなく愛しているような人
居ても居なくてもわからないような・・・

一昨年は、袋田の滝へ
昨年はポピーの咲いている鷲宮鴻巣 へ行ってきました


今回も埼玉県鴻巣市(吹上)の荒川の河川敷に広がる“コスモス畑”の記事を見つけて、急きょ出かけることにしました
最近のいろいろな出来事ですっかり季節感をなくして、この2週間ほどは周りの景色は全く目に入りませんでした
そうです! 気づけば、コスモスの季節の到来です

荒川の河川敷は、サクラソウ畑(浦和)も有名です
昨年の“ポピー畑”は本当に見事でした                                          マウスオン   
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そして同じくポピー畑の近くにあった“麦なでしこ畑”
初めて知った魅力的な“麦なでしこ”の花                                         マウスオン
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ということで、期待して出かけました
ところが・・・
隣接するコスモスアリーナの駐車場に到着はしたものの
どこを見ても、コスモスは? ない???
実は、先日の台風の被害を受けて、コスモスのほとんどが倒れてしまいました


牧歌的な風景の荒川の河川敷
素晴らしいコスモスの群生を見ることができると期待していただけにがっかりしました  シュン
落ち込んでも回復の早いのも私の特技?です
この気持ちのいい河川敷を、のんびり散歩をすることにしました                            マウスオン
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事務局では、このようなパンフレットを配布していました
やはり新聞に載っていたように、例年だとこんな感じの見事な“コスモス畑”のようです               マウスオン
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コスモスがなかったためか一番先に目に入ったのはこの≪荒川水管橋
全長1、100mで日本最長だそうです
日本一ということは、東洋一なのだそうです
これは、水道用水供給のための施設だそうです
こんな幾何学的な規則正しい造形物は個人的に好きです
その隣の芝の上ではパターゴルフを楽しんでいる人たちも見えました                         マウスオン
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近づくと、コスモス畑はこんな悲惨な状態でした
まだまだ蕾がたくさんありました
ここは≪荒川花街道≫と名付けられ、約4、5kmにも及ぶ散歩道です                        マウスオン
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台風で全部倒れてしまったコスモスの花
それでもこんなかわいい写真を撮ることができました
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久しぶりに気持ちのいい空気を吸って、コスモスが見られなかったことだけが残念でした
ここまで来たのだから、もう少し何かを見たいと思っていたところ
パンフレットに、≪花のオアシス≫という場所に2万株のサルビアが咲いているとか
11月1日まで“サルビア祭り”が開催されているという
サルビアの赤い種類はボンファイアー種、青い種類はビクトリアブルー種
マリーゴールドはサファリ種、日本一の出荷量を誇っているそうです

ただ残念なことは、こちらも台風の影響を受けてしまっていることだと聞きました
被害にあってしまったサルビアはベゴニアに植えかえられていました
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  気持ちのいい秋の一日をのんびりと過ごすと、家族全員が元気でいることの幸せに思わず感謝してしまいます




9.27事件 幻の巾着田

2009年10月10日 | 驚いたこと
9月27日 先週の日曜日、何回も下見をして楽しみにしていた“久四会”
ずぼらな私たち夫婦も、今回は案内しなければならない立場なので当日まで周到に準備を重ねたつもりです

昼食は巾着田の模擬店で済ます予定なので果物と漬物くらいは欲しくなりそうだと思いつき、
寝ていても様々なことを考え始めると眠れなくなってしまい、とうとう早く起きてしまいました

天候もそこそこいい感じです
珍しくその日は夫の運転で久しぶりに風景を見ながらのドライブを楽しんでいました

すると、私の携帯に着信が・・・
仕事上でも転送電話が入るのでそんなことだと、いつものように出ようとしたところ
03-○○・・・???
誰からなのか出てみると『広尾の日赤医療センターです。HIROYUKIさんが交通事故で・・・すぐに来てください』
『どんな状態ですか?』『命には別条はありませんが、頭を打っています』
そんな会話をしたような気がします

もうすでに川越に入っていました
どんな方法で病院まで行くのか全くわからない
確か≪広尾≫は≪恵比寿≫の近く?程度の知識です
家に帰ってパソコンで調べたり、お金は?印鑑も?入院の支度は?・・・etc.
それより一刻も早く病院に行かなければ・・・
頭の中がごちゃごちゃの状態のまま整理もできない状態で、とりあえず私一人川越駅で降ろしてもらいました
看護師さんとの電話で私の携帯のバッテリーは、残りわずかの量になってしまいました
川越駅からとりあえず(東京)大宮方面に向かい、江戸川区に住んでいる弟夫婦にメールをして
日赤医療センターまでのルートを教えてもらいました
バッテリーの残りが少ないことも伝えて
義妹から、適切な3つのルートを教えてもらい病院に直行することにし、埼京線で渋谷駅まで行きました

この時ばかりはとても東京が遠く感じられました
救急病棟に入ると、顔の血をふき取ってもらった感じで横たわって目を閉じている息子の頬に手を当てると
目を少し開きました
『大丈夫?』というと『ごめん、大丈夫・・・どこかに行っていた?』
『今日は久四会で、川越に行ってたよ』 『あぁ、ごめん』と悪そうに強く目をつぶりました

かなり痛い様子で、私は体を治してあげることも、触ることもできない状態
医師の話だと、顔と頭を中心に強く打っているとのこと
パソコンで頭部CTの画像を見ながら、説明をしてくれました
2か所怪しいところはあるものの、その範囲の出血なら大丈夫だということ
口と鼻から多くの出血があったことなども説明された
そして今の状態は、手足の動きも神経にも異常はないこと
少し安心です

病室に戻っても、痛い様子の息子を目の前に何もするすべはない
熱がどんどん上がっていきました
看護師さんが氷枕を二つ用意してきても、首がかなり痛いようで、自分でうまく頭の下に入れるしかない

息子は左端を自転車で走行中、後ろから来た車に当て逃げされたらしい
その瞬間から何も分からなくなり、通りかかった女性の『大丈夫ですか?』『救急車を呼びます』の言葉に
『お願いします』と答えたのを覚えているだけで、また気がついたのは救急車が来た時だったということです

それでも薄れゆく記憶の中でそんなことと、自分で買った大切な自転車の鍵を掛けて欲しいということは
警察官にお願いしたようです

痛くて、ベッドの上でどうにか寝返りを打ったり頭を移動したりしていると
目を開き、『自転車はどこにあるかわかる?』と
『知らないけど・・・』というと 『調べて欲しい』とそんなかわいそうな息子から言われたら捜すしかない

まずは病院でどこの救急車か教えてもらい、そこで警察の連絡先も教えてもらい
事故現場とその状況を教えてもらい、そして自転車は現場に鍵をかけたまま置いてあることも判明
息子に伝えると、『やっぱりそうなんだ・・・』と答え
『自転車の部品を持ち去られてしまう可能性があるので自転車を持ちに行って欲しい』と
もう疲れ果てていた私は『明日じゃダメ?』 『できれば今日がうれしい・・・』と弱々しく言われたらもうやるしかない

息子は上体も起こせないでいるのに、手探りで自分のカバンからiPhoneを取り出し
地図で現場までの説明を、方向音痴の私に始めた
iPhoneを操作する息子の軽快な指の動きと説明に見惚れていただけで、何が何だかよくわからなかった
渋谷の街自体がわからないのに、そんな小さな地図でしかも動く地図じゃ全然わかりません!!
息子がかわいそうだったので、『わかった』と言って病室を出ました

今日は頭を使う日だな なんて思いながらどうしようか考えた
仕方なくタクシーに乗り、自分で通過する信号機に表示されている名前やめぼしい建物などの名前をメモしながら
自分で帰り方がわかる地図を作りました
丁度タクシーを降りた頃に、息子から≪水色の自転車ですぐわかると思う≫とメールが入る
息子も必死のようだ

警察から聞いた所を探すと、遠目でも水色で目立つ感じの自転車が止めてある
帰りは自転車に乗って帰ればいいと気楽に考えていた私は唖然とした
息子は180㎝の長身、サドルの高さが私のウエストの位置くらい高い
サドルを一番下にしても全く足は届かない さらに極細のタイヤ
チャレンジしたけれども、今度は私が転んで怪我をしそうなので乗って帰るのは断念

自転車を押して病院までの道のりは険しかった
陸橋や地下道の3か所は自転車を担いで渡り、約5K近く歩きました
都内の交差点は、なぜスロープがないのか
これは今考えても相当きつかったと思う

病院に着きホッとする間もなく、今度は《病院の駐輪場に置いても持っていかれてしまうのではないか》と思いついてしまった
受付で、そのスリムな自転車を見せて、『病室に入れてください』と懇願した
『自転車はダメです』 『今日だけでも』・・・・・・(今となっては)大変恥ずかしくて書けない問答を病院側とした
息子の為にがんばったつもりの母・・・
何とか息子の元に自転車を運び、思うようにならない身ながらサドルを取り、いろいろなアクセサリーも外し、
タイヤも取られないように何かをしていたような・・・冷静な息子の行動に恥ずかしくなりました
がっちりと2か所のロックのしかたも教わり、駐輪場に置きに行きました
この時ばかりは大きな仕事をしたような、“偉い!”と自分を褒めてしまいました

看護師さんが、今日のところは帰ってもいいというので帰ることにしました
とてもなが~~~い、疲れて歩けないかと思う一日でした
渋谷駅からは、直通電車がちょうどあり、しかもがんばった私の為に?、電車の席も空いていました


何度も息子の具合を心配して連絡があり、大丈夫だということは知らせてあった夫から
食事会に合流できるかのメールが入った
急きょ、池袋から東上線に乗り換えて川越に向かいました
2台の車に分乗して乗っている7人が迎えてくれました
そこからは、息子のことは少し忘れて ゴメン
一年ぶりの再会を楽しみました

二次会?三次会くらいになるのでしょうか?
いも膳 で慰労会です

今日の料理は、【今日懐石】・・・京懐石だと思っていました
はじめに出てきたのは、【虫かご】
目の前に運ばれた虫かごに目が釘付けに
かごの上には、ポップコーンならぬポップライスとイナゴが                            マウスオン
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かごの蓋を取ると、目にも美味しい秋の風情満点のお料理がぎゅうぎゅうに詰まっていました
どれも美味しそうです
キャンセルしないでいてくれた夫に感謝です                                        マウスオン
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さつま芋のビールに、カニ三昧
このカニは本当においしかった                                                マウスオン
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次から次へと美味しい料理が運ばれてきます
 ☆大間のまぐろの握り寿司
 ☆さつま芋だけでとろみをつけた野菜スープ
 ☆秋茄子・鰊・生麩に里芋の炊き寄せ
 ☆さつま芋のおそば
 ☆デザートもやっぱりお芋
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料理が運ばれるたびに、歓声があがります
春にも飲み会をしたので約半年振りの再会です
朝からそんなことがあり、息子を心配してくれてすべてを少しづつ早めに切り上げてくれたようですが
私が合流できたことで、皆さんもホッとして楽しんでくれたように思います
美味しい料理を肴にして楽しい会話が弾みました
心配をかけてしまいましたが、滞りなく終了しました
彼岸花を見ることはできず残念でしたが、それはまたいつか


息子は、痛いながらも順調に日に日に回復していると言いますが、
顔が浮腫んできたり、紫色に変ってきたり、黄色になったり・・・
3日目には2回目の頭部CTを撮った結果、医師から退院の許可が下りました
打撲の後の痛みはあるのですが、一週間で退院できることになりました
10月3日、土曜日に退院です

退院が明日という金曜日の夕飯の支度の時に、今度は義母が『しゃべりにくくて・・・』と言う
『入れ歯の調子?』と聞くと違うと言う
左手もおかしいと・・・医学的な知識がなくとも『もしかしたら』と思う

それでも、病院には行かずに様子を見ると・・・
翌朝6時頃に義父が呼びに来て、病院に連れて行って欲しいという
義母の様子は、昨日よりも悪くなっているようにも思うが元気そうで自分ですでに入院の用意を始めている
救急車は嫌だと言うので、受け入れてくれる病院を探し始める
義父は自分が行っている病院にして欲しいということで連絡すると受け入れてくれるとのこと
義父と私は残り夫が義母を病院に連れて行った
到着するとすぐにCTの検査が行われ、≪今のところ異常なし≫ということで、義母も安心したようです
『HIRO君の退院の日にごめんね』とおばあちゃん
こちらの方が『こんな時にごめんね』と言わなければならない

脊柱管狭窄症になってから全く外に出ることがなくなった義父は、やっと伝い歩きで歩ける状態
義父の昼食を用意して、今度は息子の病院に向かいました

息子もおばあちゃんのことを心配しつつも早く退院したくて首を長くして待っていたようです
退院して直行したところは、おばあちゃんの病院
二人とも大事に至らなくて良かった

退院できてホッとしていたところ、夜中に大変なことが起こりました
12時近くに『鼻血が出た』と自分の部屋から出てきて1時間、2時間とその鼻血は留まる様子がない
その間、日赤医療センターに連絡したり、パソコンで止血の方法を探したりしましたが
効果はなく、3時間後に救急車を呼ぶことになりました

日赤医療センターでは、耳鼻咽喉科がないのでそちらで見てもらってくださいというだけ
『今日退院した』と言っても取り合ってもくれなかった
それに耳鼻咽喉科なの?かも
一人の看護師さんの判断に疑問を感じずにはいられません

救急車は受け入れ病院を一生懸命探してくれました
耳鼻咽喉科のある病院を探しているようです
出血がひどかったため頭痛と吐き気が翌日まで続きました
それでも朝の6時過ぎには家に帰されてしまいました
月曜日に再度診察を受け、鼻の中をスコープで検査した結果、事故による大きな傷から出血したようです
止血の仕方や対応を医師から教わりました
でも、安心して帰ったわけではありません
医療に携わる人にとって、今回のことは“軽いケース”だったのかもしれませんが患者の身になって応えてくれた人はいなかったような感じがして
残念で仕方がありません

義母は、入院当時のCTでは発見できなかった脳梗塞がその後のMRI検査で発見されて
血液をサラサラにするなどの治療を受け、顔のマヒも手のマヒも回復しました
そして、本日10日、午前中に退院することができました

息子はその後は何事もなくやはり本日、午後家に送り届けました
二人とも元気になってホッとしました

ご心配をおかけしました
本当にありがとうございました
皆さんからいただきました温かい励ましに心から感謝いたします

本当に疲れた2週間でした
仕事をしながらの看病、義父の世話は大変でした
2日間寝ることができなかったこともありました
そんなことを夫と話しながら息子のアパートから帰りました
そして≪パンくんママさんの結婚記念日の記事≫を見て、
今日は私たちも30回目の結婚記念日だったことを思い出しました





アイデアで勝負 (@_@)

2009年01月14日 | 驚いたこと
ワンパターンになりがちな、休日の昼食はちょっと頭が痛い
そんなことをいつも感じている時に、おもしろいものをみつけました
おばあちゃん曰く「どこでみつけるの?」といつも半ばあきれた感じで言う
使えそうだと思うと、すぐに試してみたくなって買ってしまう性格
休日はスタートが遅いので、朝食の片付け、家事などを済ませているとあっという間に昼食になってしまう
なんとか余裕を作ろうと思いいろいろと工夫して、次の、あるいはその次までの下準備を一緒にしたり
とにかく簡単に、効率よく・・・理想なんですがなかなかうまくいきません
昨年の秋に サンドイッチ のことを書いたのですが・・・
ワンパターンなので、目先を変え素材を変えたり少しは努力をしているつもり

日曜日に作った昼食です
こんなサンドイッチを最近よく見かけます


このサンドイッチが家で作れるとは思ってもいなかったのですが、みつけました
とても簡単な仕組み、できたてのモチモチしたパンどうしを圧着するだけでした
挟むものは簡単なものだけ用意して準備完了!
8枚切りの食パンを買ってきて、具を入れて周りを圧着する
(サンドイッチ用のパンは不可)

おばあちゃんが、私のいない昼でも一人でできるように説明しながら作っていたら2斤全部サンドしてしまいました
その日の昼食は4人だけ
子供がままごとをするかのように楽しんでやっていたら全部サンドしたという感じです

おばあちゃんたちは、歳とともに柔らかいものを好むようになりこのサンドウィッチをよく買ってきます
こんなに簡単にできるのであれば、いつでも作れるので良かったと思うのですが・・・
新しいものも比較的受け入れてくれるおばあちゃんですが、ちょっと力がなさすぎるかもしれません
背の低いおばあちゃんには我が家の台所の調理台は高過ぎて力を入れることが難しいのです
でも、相手はパンなので何とか作れるか

8枚切りの食パン2斤のパンのミミが残りました
揚げたら食べてくれるか心配でしたが、ことのほか喜んで義父母たちも食べてくれました
グラニュー糖とハチミツをかけたもの2種類を用意しました
おばあちゃんたちには、ハチミツの方がしっとり柔らくて好評のようでした





世の中には便利なものがたくさんあります
レタスを洗って収納できる レタスキーパー だったり
我が家の駐車場はレンガを敷き詰めたもの
その間からたくさんの雑草が出てくる、それを抜くのが大変でした
そんな時に見つけたものは、その雑草を根元からきれいにかりとることができる専用の道具、雑草ブラシだったり・・・
白髪ねぎを簡単に作れる道具だったり・・・
白髪ねぎは自分で切った方が良いと思ったのですが、とにかく簡単にできる道具がたくさんあります


 このバター容器もその一つ
 おばあちゃんから教えてもらうお料理は、すべて計量するため
 このバター容器はとても便利
 容器の切れ目に合わせて包丁を入れるだけで、
 5gと10gのバターを取り出せます
 そして、バターを切るたびに洗わなければいけなかった包丁も
 泡う必要がない
 もうそれだけでうれしいかも






お正月用の食器などを片づけるついでに物置の整理をしました
物置は家の東側にあって、その北側には隣接している家との境に紅葉と椿の木があります
その下にある竜のヒゲの間からとてもきれいな実が覗いていました
そこは北側で日も当たらずめったに行くこともなく目にもしない場所
そんなところにこんなにかわいいコバルトブルーの実をつけていたのです
南側の庭にある竜のヒゲは花は付けますが実を見たことは一度もありませんでした
その美しさに、ちょっと感動してしまいました  光っていて美しい




こちらのバラも、日中のわずかの間しか日が当たらなくなってしまったのですが、健気に咲いています






お台場さんぽ

2008年11月07日 | 驚いたこと
何年ぶりになるのでしょう
お台場に行ってきました
ゆりかもめにも何年ぶりに乗ったことでしょう
駅が増えて、景色がずいぶんと違っています
夫の会社が、この近くにできた時はとても目立っていたのに開発が進み
今では高層のビル群の中の一つになってしまいました

台場駅に降り立つと、水上バスに乗った時、一度は絶対に泊まってみたいと思っていた優しいピンク色のホテル日航東京
横浜に住む妹たちと埼玉に住む私たちの中間点ということで、十数年前に義父母の金婚式のお祝いに宿泊したホテルグランパシフィック メリディアン
二つのホテルもずいぶん古びてしまった感じはしますが、懐かしく思い出されました

台場の自由の女神この自由の女神像は日本におけるフランス年事業の一環として98年から2年間だけこのお台場に設置されたものだそうです
この事業が好評を博したため、フランス政府公認のレプリカ「台場の女神」として、お台場の絶好の撮影スポットなど親しまれているのだとか
高さ11メートル、重さ9トンのブロンズ像でレインボーブリッジや東京タワーを背にこの場所に永久に展示されるということです

初めてのご対面でした
98年ということは、もう10年もお台場には行ったことがなかったのかとあらためて驚きました

自由の女神はお台場だけではなく青森のおいらせ町にもあるのだとか・・・
昨年、奥入瀬に行ったのですが、まったく知りませんでした

おなじみのレインボーブリッジ
夫の実家が神奈川県の逗子にあった頃は年に何度もここを通りました
できたばかりの頃、この橋の上で記念写真を撮ることができたり・・・
遠い昔の話

ライトアップされた海とビル群の夜景
今度夜に行ってみたいと思う
レインボーブリッジ
水上バス水上バスからの眺めも最高
ゆったりと海からのレインボーブリッジや
ビル群など楽しめる
アニメ界の巨匠・松本零士氏がデザインした宇宙船のような“ヒミコ”
≪子供たちが乗ってみたいと思ってくれる船≫をデザインしたのだそう
船内では「銀河鉄道999」のキャラクターたちを船内放送に起用して、星野鉄郎、メーテル、車掌さんと一緒に旅しているような体験を楽しめる
ヒミコ
キラキラお台場も久しぶりの晴天とか
晴天だと海の色の青がさえて素敵に輝く
キラキラと光る海を撮ってみたつもりなんですが・・・
暖かい秋の一日、家族づれが楽しんでいました
人気のお台場を代表する商業スポット
ヨーロピアンなイメージ
お台場全体が日本ではないような錯覚にさえ陥ってしまう
アクアシティ
順番を待つ子供たち順番を待つ子供たち
ワイヤー入りのかわいいスカートとくつ
同じお化粧をしてお揃いの髪飾り
日陰の肌寒い場所で前のお姉さんたちの踊りを真剣な眼差しで見ています
春には桜の名所
今は誰も見る人はいない
もうすぐ全部の葉が落ちてしまう
青空に秋の木の葉・・・でも私は大好き
秋色の桜の葉



先週の金曜日
夫が会社の帰りに珍しくお土産を買ってきてくれた
新宿に勤務している時も、デパート(巡りが好きなようす)から美味しいそうなケーキなどを買ってきてくれることがあったが
大手町になってからは全くなかった
今日は東京駅近くで仕事ということで、大丸で行列をなしていたという
キース・マンハッタン(名古屋)の秋らしくマロンロールケーキを買ってきてくれた
しっとりとしていてとても美味しい
今まで食べた中で最高 じゃないかと思ってしまいました
でも我が家は5人家族
もう少し食べたかったと思ったのはきっと食いしん坊の私だけではないと思います
またよろしく



生垣のレッドロビン(西洋カナメモチ)が、今とても鮮やかに真赤に輝いています
とても好きな光景です







三渓園にて

2008年04月15日 | 驚いたこと
日曜日、町田市にある【武相荘】 の次に向かったのは、横浜市にある 【三渓園】

【三渓園】 は生糸貿易で財を成した横浜の実業家 原三渓 の元邸宅
この土地に、京都や鎌倉などから歴史的価値のある建築物を移築して
1906年に 【三渓園】 として一般公開したもの
約53,000坪の園内には、10棟の重要文化財と7棟の古建築物が四季折々の自然の景観の中に
たくみに配置されています                         (パンフレットより抜粋)



  
 ランドマークとなっている三重塔もこの広大な庭にはしっくりと映えます
                  (クリックすると大きな画像で見ることができます)









【三渓園全景】
花を楽しむ外苑と古建物で構成された瀟洒な庭のつくりが楽しめるところ
三渓園全景
鶴翔閣【鶴翔閣】
延床面積950㎡にも及ぶ広大な建物
原家の旧宅
【臨春閣】
紀州徳川家初代・頼宣が建てた数奇屋風書院作りの別荘建築
臨春閣
月華殿【月華殿】
徳川家康時代の京都伏見城内にあった大名伺候の際の控え所
【聴秋閣】
京都二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築
聴秋閣
旧東慶寺仏殿【旧東慶寺仏殿】
縁切り寺の名で知られる鎌倉東慶寺にあった禅宗様の建物
【合掌造】
岐阜県白川郷にあった江戸時代の庄屋の家を移築したもの。
園内唯一内部を公開している建物
屋内には飛騨高山地方の民具が展示されている
【合掌造】
旧燈明寺本堂【旧燈明寺本堂】
三重塔と同じ京都燈明寺からの移築
室町時代初期の建物
【御門】
京都東山の西方寺のあった薬医門
御門
臨春閣【臨春閣を臨む】
臨春閣の後方遊歩道からのショット
右側に池にかかる橋の中央に亭榭が見えます





竜のような枝がおもしろい【臥竜梅】  ここにも“たけのこ”が・・・  こんな竹のトンネルをくぐって三重塔へ
          


    枝垂桜が可憐です          松ぼっくりの赤ちゃん      もうすぐ藤とあやめが咲き乱れます
          

雨模様の天気に、しかも花の咲く時期を考えもせず訪れてしまい反省しました
もうすぐ、藤・あやめ・すいれん・アジサイが咲き始めます
珍しく、夫がまた花の時期に来ようか・・・と





武相荘にて

2008年04月13日 | 驚いたこと
日曜日、夜半から雨が降ってきました
昨年から行ってみたいと思っていた芝桜見物に行くことにしていたのに・・・
でも、雨ではどうしょうか・・・朝食をとりながらずいぶん悩んだんですが・・・
調べてみると、そこでは、芝桜以外にも興味をそそられるものがあったりするので
晴天の日に行くことにして、せっかくおばあちゃんに出かけることを
宣言してあるのにもったいない ということで、
少し前にdanceinlondonさんが書いていらっしゃった 白州邸 に行ってみました


町田市でも今では、茅葺の屋根は見ることもない
様変わりしたその中にひっそりと静かな佇まいを見せている
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<武相荘 正面
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                     今日のタイトル【武相荘にて】をクリックするとMaus Onします

白州邸は白州次郎・正子夫妻が終戦間じかに食糧難を予測して農家を探し、
茅葺の農家が点在するのどかな町田の地に家を求めたという
蔵と 模の境にあるこの地に因んで、さらにご主人の一捻りしたい気持ちから“無愛想”をかけて
名づけたというエピソードも・・・
そして、“武相荘” と名づけられ60年の永きに渡り住んでいたところです
しかも、武相荘とそれを取りまく環境はまったく変えずに・・・

このご夫妻の偉業も “武相荘” の中で紹介しています
二人とも上流階級に生まれ育ち、桁外れに恵まれた人生をおくられました
展示されている数々の写真からもそのことをうかがい知ることができました
公開されている母屋を見せてもらうことに
古い農家を、自分たちの住みやすいように何度となく間取りは目的に応じた改装を加えたという
しかし、佇まいは元のままに、心豊かに暮らしていた様子がわかります

  

  

  

桁外れた裕福な環境とは、そのいくつかをご紹介すると・・・
ケンブリッジ大学に留学中、所有していた車はベントレーとレーシングカーのブガッティ(レースに熱中していたという)
新婚旅行には、父親から結婚祝いにもらったイタリア車ランチア・ラムダでハネムーンツーリングとか・・・
この車、サラリーマンの年収の25年分だという

でも一番の贅沢は、この家であり、庭であるこの豊かな環境だと思います
お金を使った贅沢も知っている上での、本当の贅沢なんだと思う
妻の正子は、当代一の目利き“ほんもの”を知る唯一の人といわれている

私も、いつの日かこんなところで静かに暮らしてみたい気がする





鍛えなければ・・・

2008年02月17日 | 驚いたこと
けがをしてしまった
といっても骨折とかの大けがではない、ただの擦り傷
それでも、傷は思ったより深くずきずきと痛み、何も手につかなかった
友人に見せると一様に『病院に行ったの?』と聞かれたが頭に浮かびもしなかった
具合が悪くても、病院に行ったり薬を飲んだりすることもあまり考えず原始的というのか
自然に直してしまう
治癒力に優れていることが原始的なのかもしれない

数日は常識的な手当てをしていたが、絆創膏などを買いに行ったところ
薬剤師さんが、『これは優れものですよ』と薦めてくれたものを購入してきた
  

この絆創膏の直すメカニズムは・・・(抜粋してみました)
先端医療テクノロジーから生まれたハイドロコロイド素材のバッドが、体内から集まる“傷を治す成分”をゲル状にして傷口に保持
傷が治る為の最適な環境をつくり、皮膚の自然治癒力を高めて、痛みをやわらげながら傷を早く治します・・・と
もう、読んだだけで治ったような気がしてくる単純な人
早速、貼ってみることに

 昨日貼ったテープを見ると面白いように体液が傷口を覆い白く見える
 この傷口から出る体液が傷を治してくれるので、
 最高5日間は貼ったままの方がいいということ
       (汚い傷をお見せしてごめんなさい


やはり、科学の力は“凄い”と感心しました
この絆創膏をはがす日がとても待ち遠しく思います


なぜ、このけがをしたかというと少し急なスロープに足をかけたところ
そのまま下まで落ちてしまいました
セーターを2枚も重ねて着ていたのですが、壁に擦ってこんな傷をつけてしまいました
そして、お尻にも軽いあざと擦りむいた痕が・・・


さらに、数日前仕事中、しゃがんでいたところ後ろにひっくり返ってしまいました
あまりの恥ずかしさに驚くほどの速さで立ち上がりました

これは、正しく老化現象
日常的には、かなり動いていると自負しているのですが
きっと使っていない筋肉がたくさんあるのだということに気づかされました


気も引き締め、体も鍛えなければ・・・と深く深く反省しました





最後のお別れ・・・

2007年12月23日 | 驚いたこと
東京の叔父が亡くなった
心筋梗塞だったそうです

今年は、おじいちゃんが心筋梗塞で入院したり
私も、不整脈があることがわかったり・・・

自分の体をよく知り精進して付き合うしかない歳になってきた


久しぶりにあう叔父、叔母、従兄弟たち・・・
故人を偲びつつ、近況報告会になる
20年振りにあった人も・・・
自己紹介されないと全くわからない人も

父も母も7人兄弟
今年の春に伯母を亡くし
今回も、参列できない伯父たちの名代として従兄弟たちが参加
こんな寂しい便りを聞くことも多くなること、覚悟しなければ

叔父の葬儀は故人の希望で友人葬で執り行われた



とても、驚いたことが・・・

新宿の落合斎場で行われた
落合斎場は、住宅の中にある
それは、そんなに驚くことではなかったのだが・・・
式が滞りなく終了に近づき火葬のお知らせが・・・
道を隔てた建物へと導かれた
そこは、ホテルのロビーのようだった
実は、そこが火葬場だったことに驚いた
この火葬場が併設された斎場が、住宅街の中にあったこと
当たり前のように火葬場のすぐ横にも住宅が・・・

まるで、ベルトコンベアに乗っているかのような感じで
一つ一つの式がすすんでいく


実家の火葬場は、霧が峰の上にある
車列を組んで山道を登っていく
人里離れて・・・そんな感じが普通だと思っていた
山の上の天国に近いところで
最後のお別れをしていたから・・・