我が恩師の入院先を訪ねた。
3月には車いすでふーちゃんと語らい、喜ぶ顔に嬉しく思えた。
再び訪ねると退院したという。
同じ関連の大きな病院へ・ということで、車を飛ばしましたが
ここには入院していないという。
肺炎を起し暫くの入院だったらしい。
運よく先生の行く先がわかった
その足で訪ねたが、面会出来ないとのこと。
これまで、数回ご自宅の郵便受けに書き置きをしても返事はなく・・・
やっと初めての電話が入り
息子さんの許可で、ご自宅に近い、
関連のリハビリテーションで、先生に会うことが出来た。
鼻からの酸素吸入・チューブでの流動食
左手には手袋を被され
先生の変わり様に、何だが堪らなく悲しくなった。
「先生、ふーちゃんです・分かりますか?」
言葉も話せないながら、顔中がこみ上げるばかりの喜びと涙顔で・・・
手袋の手で目を拭こうとする。
ティシュで涙を軽く拭いてあげる。
先生は、首を縦に振り解ってくれました。
フォークダンスの話をすると、想い出したのでしょう
肩を振るわせながら泣くのである。
大きな男先生である。御年90歳近くでしょうか?
鹿児島県にフォークダンスを普及させた先駆者であります。
あのハツラツと指導された先生が・・・
でも先生は懸命に頑張っています。
私達生徒は、決して先生のご恩を忘れてはならないと思います。
平成27年4月23日
木曜日のフォークダンスの仲間たち
最後になる会食後、先生を囲んで・・・
ふーちゃんは後ろから左2番目。
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・・・ひと言・・・うつに悩む方へ
毎日をどう過ごしたらよいのでしょう。
楽しかったり 悲しかったり 嬉しかったり 時には寂しくもあり
人生は 山もあり谷もあり
行ったり来たりの 長い道のりでもあります。
この状態から抜け出しましょう。
周りの愛に感謝し 何よりも自分の力で!
原因を見つけ 抜け出しましょう。
許してあげられることは 許してあげましょう。
様子良くわかります 義母の姿と重なります
後先のお返事にごめんなさい、
お義母さまがお元気だったころ
大事にされたことなど
思い出されますね。
大きな病気もせず、80才後半で元気過ぎて、走って転んで、
骨を2度程骨折しましたが、完全復活で今もサッサと歩けます。
寝込まず逝って欲しいと思ってますが、本人もそう希望してます。
できれば100まで生きて居て欲しいものです(^^)
先生、ふーちゃんのお見舞い、喜んでくれたみたいですね。
遅くなりました。
骨折された時は、心配でしたねぇ。
ベルさんのお母様
お元気でいて欲しいです。😆
ふーちゃんの事
両親が生きていたら
喜ばれる事も出来たのにと
思ったりします。😅
よるのでしょうね。
お世話になった人は多々いますが、一生懸命一つのことに
つぎ込んだこともないので恩師と呼べる人はいません。
ただ、今まで生きてきた中でお世話になった方々は多々おられます、一部の方にはせめて年賀をしていますが、それさえ出来ずに思い出しては今はどうされているかと思ったりしています。
恩師と言えるということは
その人次第と言えそうですね。
病気になった当時は
会いに行ったりしますが
だんだん日が経つのつれ
遠退いて行く傾向にあるようです。
そうならないように努めて
顔を出して行きたいものだと思います。(*^_^*)
ダンスの恩師‥‥ ですかぁ~
高齢と言う事ですが
もう少し、元気で居て欲しかったですね!
良いことをされ素晴らしいことです。
その場面が浮かんできますよ。
でも気持ちなども含めて大変でしたね。頑張りましたね。
ありがとうございます。
先生は入院中で
頑張っておられます。
フォークダンスを懐かしむ先生がいました。
またお見舞いへ行きます。
ありがとうございました。
やはり年老いていくということ
考えさせられました。
飲み物などは
再び訪れた時、退院とは知らず!
(それが肺炎で・・・別の・・・)
冷たいものと思い持って行きましたが
アイスクリームはドロドロ・・・
家に持ち帰ったものです。
ガッカリして、撮影・車中で・・・
又先生に喜んで戴きたいです。