小学校受験 ママのモヤモヤ飛んでけー!

お受験という造語の中で揺れるママ達。小学校受験指導、20余年間の経験から、ズバリ!悩めるママ達に真のアドバイスを。

小学校受験 受験結果、悲嘆にくれる未熟な親

2009年01月12日 | お受験ママへのアドバイス
受験終了から約2ヶ月。新しい年を迎えて、本来ならば、来るべき春に親子で胸を膨らませ、進学先の学校に、ワクワクした気持ちで向かっているべきこの時期・・・
 世の中には、子どもの反応、我が子への心配り、気遣いなど全くすることなく、ひたすら自分の思い描いた通りにならなかった受験結果を受け入れられず、悶々としている未熟な親がいる・・・それがこの時期でもあります。中には、鬱状態になって、医師のカウンセリングや投薬治療を必要とする親までいるのが残念な現状です。

 一人の親が、我が子のことで、そういう辛い状態にいる、という事実だけを取り上げてみれば、それは本当に気の毒で悲しいことです・・・
 しかし、実際には、考えてみてください!
悲嘆にくれる原因のほうに目を向けてみたら、果たして、そういう状態にいる親は、親としての自分の立場や役割を認識し、その義務を果たしていると言えるでしょうか?

 本来。親とは、我が子を守り、そんな状況下でも我が子を支え、慈しみ、育てていく義務があります。それは、義務であり、同時に責任でしょう。そして、一動物としての本能でもあるはず、です。
 しかし現実には、小学校受験の結果を受け入れることができず、一人で(両親で)いつまでも悲嘆にくれ、嘆き、悲しみ、叶わなかった夢に思いを馳せ、涙する・・・そうしている間、我が子がどんな思いでその親の姿を見ているか?ということはお構いなしに・・・

 私は、受験準備の教室で、16年間受験家庭をサポートしてきたという立場を越え、むしろ、一人の母親、一人の人間として、そういう未熟で、我が子を慈しむことのできない無責任な親に、大きな憤りを感じます。

 あらためて言いますが。
あなたが、時々ニュースに登場するような、幼い子どもをほったらかして、頻繁にゲームセンターやパチンコに興じるような呆れた親であれば、私は何も言いません。
 しかし。
一応、我が子の教育に対して意識が高く、ご自身もそれなりの教育を受け、日頃は立派な親として(立派とまではいかなくても、立派であろうと日々精進として)生活をしている親であれば・・・それが、たとえ不本意と思える結果であったにせよ、我が子の小学校受験の結果を甘受もできず、一人で悲劇のヒロインになって、「ああ、どうして○○校に合格できなかったのだろう・・・」と、いつまでもいつまでも、考えてもどうにもならないことを考え続けて、育児を放棄している親は、親として、万死に値する!私はそう思います。

 親が、そういう状態にいる間、愛する我が子は、「孤児」になっているのです。受験孤児、と私は秘かに呼んでいます。
毎日、毎日、悲しむ親の姿を見て、子どもは幼いながらに、確かに「何か」を感じているはずです。悲しむ親の姿を見ながら、その原因を作ったのは自分である、と感じているのです。
 「ぼくが・・・わたしが・・・○○校から招待状が来なかったから、ママは(パパは)悲しんでいるんだね・・・ぼくは(わたしは)がんばったんだけどなあ・・・どうして、招待状はこなかったんだろう?○○校から招待状が来なかったから、ママは(パパは)あんなに悲しみ、辛い思いをしているんだよね・・・ぼくが(わたしが)いけない子だから、ダメな子だから、今、パパやママはあんなに悲しいんだよね・・・」
 子どもは、そう感じているのですよ。

 私の教室には、そんな未熟な、万死に値するようなご両親はおいでにはなりません。
 本当の意味で愛情深く、真っ当な考えを持って小学校受験に向かい、しっかりと親としての意識を持って受験に臨まれる方ばかりです。そして、何より私は、受験準備を始められるにあたり、小学校受験の本質と説き、子どもの受験準備をするだけでなく、そういう正しい愛情と意識を持って、親子で受験に臨んでいただけるよう、サポートをしていくことをむねとしています。
 けれど。16年という長い年月の間には、受験結果を上手く受け止められず、ほんの一時、我が子のことを思うよりも、悲しみに打ちひしがれる・・・という親御さんもなかったとは言えません。そんな時、悲嘆にくれるご両親の子どもは、私に言うのです。
 「まどか先生・・・パパや、ママが悲しんでるのは、ぼくが○○校に行けなかったからでしょう?ぼくは、△△校に行くんだよね。でもね、パパやママが行って欲しいって思っていた学校は○○校だったんだよね。でも、ぼくには△△校からしか、招待状が来なかったからでしょう?ぼく・・・パパや、ママに、ごめんねって言ったの・・・でも、やっぱり、パパやママは、ずっと悲しいんだよね・・・」
 あなたは、愛する我が子に、こんなことを言わせたいでしょうか?この子は、一番愛して欲しいと願っている親ではなく、他人であり、第三者である私に、悲しい顔でこう打ち明けなければならなかった・・・たった5歳の子どもが、です。

 志望校を選んだのは、親です。志望校は、あくまで志望校であって、進学校ではありません。ところが、多くの親は、準備を進めていくうちに、あまりに志望校への思いが強く、深くなり、いつのまにか、春には間違いなくその学校の入学式に行くのだと、錯覚してしまう・・・「そうではないのですよ!志望校とは、あくまで受験をする学校であって、進学先になるとは限らない!真っ当に努力をするご家庭の前には、必ず正しい道が拓けます。本当に、縁のある学校に、親子で幸せになる学校に、自然に道は決まっていくものなんです!」と、決して詭弁ではなく、私が心を込めて真実を語り続け、常に親の勝手な意識が暴走していかないように受験家庭の手綱を締め、「志望校=進学先」という錯覚や妄想に走ってしまわないようにする責任が私にはあります。
 本来、受験準備の教室の先生方には、こういう大きな責任があるはずです。

 それでも、です。
乱暴な言い方をすれば、親が勝手に志望校や自分の母校に思い入れを持ち、夢を描き、子どもに準備をさせ、結果が自分の思いとおりにならなかったらから、と悲嘆にくれる・・・
 どうですか?こんな、馬鹿げたことはないでしょう!

 一生懸命に準備をしてきたのは子どもです。確かに、親は時間と労力とお金をかけてサポートしたでしょうが、それは親としての義務であり、当然のことです。
受験の準備中、子どもは訳もわからず、一生懸命に準備にがんばってきたのです。にも関わらず、時には親に「あなたは出来ない、あなたは遅い・・・」などと露骨に嫌な顔をされ、未熟な親の一喜一憂の的となり、それでもがんばってきた・・・それが真実です。そして、もっと尊い真実は、受験準備と称する学習によって、確実に子どもの「さまざまな力」は伸びたのです。
ただ、たった一つ違ったことは、親が思い描いた結果にならなかった、ということだけ・・・
 それは、我が子がいけなかったから、でしょうか?誰かが、いけなかったから?いえ、違いますよ。誰も、いけなかった人はいないのです。
 ただ、思い描いた夢は、実際には現実にはならない夢であった、というだけで、学校の判断は、「あなた方のご家庭は、とても素敵なご家庭ですよ。でも、あなた方には、我が校ではなく、もっと別の学校のほうが向いていて、もっとお幸せになりますよ!」ということだった。

 もし、これを読んでくださっているお父様、お母様が、これから小学校受験を考えるご家庭であったとしたら、どうぞ、あらためて考え、そしてその上で真実をしっかり理解していてください。

 私立小学校への進学は、愛する我が子のことを思い、決断したことですか?それとも、ご自分の見栄や虚栄心を満たすため、思い立たれたことですか?
 それが試験である以上、合否の結果は避けられません。中学受験以降の入試では、合否の判断は非常にわかりやすく、その学校の合格基準に達していたか、いなっかたか?試験で高得点が採れたら、採れなかったか?それで合否の判断が下されます。
 しかし、小学校受験の場合は、決してそれだけではありません。「能力」という面だけで、判断をされているわけではありません。学校とご家庭やご両親との相性、そのご両親の雰囲気や考え方が、伝統ある学校の教育方針にフィットするかどうか、そういうことも大きな意味を持っています。そして、その判断は、あくまで学校側に委ねられているのです。そういうこともわかっていなければなりません。

 こういうことを十分に認識、理解した上で、ご家族で小学校受験に臨まれるべきです。そして、数多ある受験家庭の中から「幸いにも」ご家族の前に道が拓けた時には、天命とも言うべきその拓けた道を信じ、両手を広げてご家族を招きいれてくれる学校に感謝し、 進んでいってください。

 どんなに幼くても、我が子は、自分の分身でも、持ち物でもありません。
彼らは、小学校という教育環境に入って以降は、子ども達自身の、それぞれの道を、「しっかりと」歩いていくのです。
 そこに親として悪意がなかったとしても、親の邪念で、その道のスタートを切る大切な時点で、我が子が進んでいくこれからの道を、汚してはいけません!