プラマイゼロ±

 某美少女戦士の内部戦士を中心に、原作、アニメ、実写、ミュージカル等問わず好き勝手にやってる創作、日記ブログです。

Womanizer

2009-09-21 16:59:01 | 企画もの




 欲しいものは高いところにあると言うのはこの世の鉄則なのだろうか、と土萠ほたるは思う。それは少し背伸びすれば届くものであったり、全く手の届きそうにないものであったりするけれど。
 ほたるはとある本屋の一角で腕を組み眉を顰めていた。目線の先は、天井に触れてしまいそうなほど高い本棚の最上段に並べられた、縁が金属で補強された百科事典並みの厚さを持つ大判本。一般の本屋にあるには珍しいその厳しい外見はもとより、一冊だけ背表紙に何も書かれていないのが気になったのだ。
 家にある本は既に読みつくしているので、彼女の知的好奇心を満たすためには本屋や図書館に行くのが有効ではあるが、彼女のニーズに応える本は往々として本棚の上段にあるのだった。無論、これは小柄な少女が読む為に想定された本ではないと世間が判断しているからに他ならないのだが。

「うーん・・・」

 一応辺りを見回してみるが、踏み台らしきものは見当たらないし、店員も忙しなく接客に追われている。値段によっては買えないかもしれないので、周りの見知らぬ大人に声をかけるのは気が引けた。

「(よし、今度はるかパパかせつなママと一緒にきて取ってもらおう)」

 簡単に自分の中で解決策を見つけると、せめて代わりになる本はないかと目線をぐるりと彷徨わせる。すると、通路の先に見覚えのある姿が目に入った。

「(・・・あ)」

 心の中で思わず呟いていた。
 その声は聞こえるはずもないのに、偶然なのかその彼女もこちらを向いた。そして一度きょとんと目を見開くと、瞼を数回瞬かせ微笑みながら向かってくる。
 ほたるも思わずつられて笑った。

「こんにちは、ほたるちゃん」
「こんにちは、亜美さん。偶然ですね」
「ええ、ほたるちゃんも学校の帰りの寄り道ってところかしら?」

 も、と言うことは亜美もそうなのだろう。成程制服姿だとほたるは一人納得する。ほたる自身、背中にはランドセルがある。 

「はい。ここ、たまに来るんですけど」
「ほたるちゃんは本が好きなのね。私も本好きなんだけど、ほたるちゃんはどんな本を読むの?」
「えーと・・・」

 ほたるは先ほどの本をちらりと横目で見る。すると亜美はそれで全てを悟ったように、ほたるの横をすり抜けて本棚の前に立ち、目を細めて最上段を見つめた。
 横を通るとき、どこかみちるを思わせる水の匂いが鼻をついた。

「そうね・・・私もたまに来るんだけど、ここ、面白い本が結構揃ってて気に入っているのだけど、高いところまで本を置いているのに踏み台がないのよね」
「・・・・・・・・・・・・・・」

 聡い人だ、とほたるは思う。知性の戦士だからかもしれないが、それでも物色するように本棚を見つめている姿に、正直舌を巻いた。
 どこか何でも知っているような佇まいは、少しだけせつなを連想させる。

「で、どれかしら?」
「・・・え?」
「背伸びすれば私でもぎりぎり一番上に指が届くかもしれないから・・・」
「あっ・・・あの、一つだけ背表紙に何も書いてないやつです!」

 亜美は大柄な方ではない。背は決して低くないが、華奢なので小柄に見えるくらいだ。ましてやほたるの家族は、はるかやせつなは女性にしてはかなりの長身、みちるだって二人よりはやや低いが、それでも平均的な女性にしては高い方なので、ほたるには益々亜美が小さく見えてしまうのは仕方ないことだった。
 それでも、亜美のさも当然と言うような口ぶりに、ほたるは遠慮も否定も出来ず思わず正直に告げていた。亜美は肯定の代わりに一瞬だけ笑顔を見せると、一度本棚を確認して踵を浮かせ腕を伸ばす。

「・・・っく」

 ほたるはその様子を見守っていたが、やはり、亜美の手はぎりぎり本棚の最上段の本の帯部分を掠める程度だった。ましてや大判本だ。普通に取るにも充分重いのに、この体勢では―

「あのっ・・・!やっぱり、いいです・・・今度パパかママに・・・」
「・・・大丈夫、届くから」

 そこから先の亜美は驚くほどに器用だった。辛うじて届く指先を駆使して、うまいぐあいに本の隙間から引っ張り出している。ゆっくりではあるが確実に本棚からはみ出ていく大判本は、表紙を少しずつ覗かせる。
 ある程度顔を出した本の背表紙を、亜美は少し余裕を持って引っ張った。一拍の後、亜美は何事もなかったかのようにほたるに向きあい、ゆったりと笑む。 

「はい、これで良かったかしら?」

 差し出される本は間違いない。ほたるは亜美と本を交互に見比べその後本を手に取る。酷くずっしりした感覚が腕にきた。

「―あ、りがとう・・・ございます。すごいですね・・・こんな重い本を」
「どういたしまして。まあ、私も昔から高いところにある本には結構苦労させられてたから・・・慣れかしら。無理に見えても届きそうになくても、少し頑張れば届くことだってあるのよ。ところでそれ、一体何の本なの?」
「あ、いや、それが分からないから気になって・・・」
「そういえばそうね。よく見れば表紙にも何も書いてないし」
「あ、そ、そのっ・・・でも、読みたかったのはホントです。折角取ってもらったんだしっ・・・」
「あ、ほたるちゃん、このあとちょっと時間、大丈夫かしら?」

 無駄な徒労をさせたと思われなくて必死で取り繕おうとしたほたるに、亜美は気付いてないのか唐突に提案した。
 今度はほたるが目を瞬かせる。

「・・・え?え、ええ・・・別に・・・これと言った予定はありませんけど」
「じゃあ、その本、私が買うわ。私も読みたくなっちゃったから、二人で読みましょ」
「え!?」
「大丈夫、私は一回読ませてもらえればいいから」

 繋がらない言葉に、俄かに混乱する。

「で、でもっ、亜美さん、何の本かも分からないんですよ!?それに高そうだし・・・」
「何の本も分からないなんて、面白そうじゃない?それに、高そうな本なら尚更年下の女の子にお金を出させるわけにはいかないわ。持って歩くにも重そうだし」
「そ、それは関係ありません!これは私が・・・」
「今度パパかママとわざわざ来るより手間が省けるでしょ?」

 亜美はやすやすとほたるから本を奪うと、そのままレジの方に向かって歩き始める。ほたるはしばし戸惑ったが、ようやく覚悟を決めたように亜美を追いかけた。

「あ、亜美さんっ・・・」
「なぁに?」
「・・・・・・・・・・ありがとう・・・ございます・・・」
「どういたしまして」


 会計の際は案の定、店員が露骨に目を丸くしていた。亜美でこれなら自分だと尚更余計なこと思われるかもしれないと思うと、ほたるは再び亜美の先見の明に舌を巻く。
 レジは、とてもほたるには間に合わない金額を表示していた。




「強引に誘って、ごめんなさいね」

 そう言って亜美がようやく本を差し出してくれたのは、喫茶店のクラウンで、ほたるの頼んだアイスティーと亜美の頼んだカフェオレが揃ったときである。無論、ここに連れてきたのは亜美だ。伝票は届いた途端亜美が自分の方に引き寄せたので、ここも亜美が払う気だとほたるは悟る。

「あ・・・あのっ・・・」
「あ、ここ、パフェやケーキも美味しいのよ?折角来たんだから、何か食べない?」
「い、いえっ・・・そこまでしてもらうわけには・・・そ、それに本だって・・・」
「ああ、本。それ、結局何の本なのかしら?」
「あ・・・いえ、その前に・・・質問に答えてくれますか」
「何かしら?」

 亜美は湯気が立ち上るカフェオレをそろそろと啜る。その何気ない仕草を、ほたるは真っ直ぐ見つめて言う。
 
「・・・私に、何か・・・言いたいことでもあるんですか?」
「・・・え?」

 亜美の動きが止まる。それは心底意外そうな表情で。それと同時にほたるのアイスティーの氷がからんと音を立てた。
 聡い亜美のこと、ここまで自分に構うのは何か理由があるんだろう、ほたるはそう思ったのだが、亜美は困ったように笑いながらソーサーにカップを置くだけだった。

「私、ほたるちゃんとゆっくり喋ってみたかったのだけど」
「・・・え?」
「私の周り、あまり本を読まない人が多いのよ。うさぎちゃんや美奈子ちゃんやレイちゃんは漫画ばかりだし、まこちゃんは好きって言うけど独り暮らしで家事とかあるからあまりじっくりは読めないみたいで。だからほたるちゃんと本の話とか、色々してみたくて。駄目かしら?」
「・・・それだけですか?」
「他に何か?」
「・・・いえ」

 何だか肩透かしを食らったような気がして、ほたるは慌ててストローに口を付ける。ミルクもガムシロップも入ってないので、少し渋みが強い。
 きょとんとした表情で再びカップを手に取る亜美は、ほたるの知る誰かに似ている。戦士としての性質から連想させたみちるやせつなではない。先ほどからずっと思っていた、言動から姿かたちまで、何もかもはっきり違うと分かっているのに、何故か似ている。
 ほたるの口は自然に動いていた。

「―亜美さん」
「何?」
「私、実は亜美さんのこと男の人だと思ってた時期があるんです」

 そこで亜美は目を見開いて固まった。唐突な上失礼な発言過ぎたとほたるは思ったが、言ってしまった言葉は取り消せない。
 初めて亜美は眉を顰める。その表情は怒りではなく、明らかな困惑だった。

「・・・私、そんなに男っぽいかしら」
「・・・いえ。そういう意味じゃなくて・・・これははるかパパのせいです」 
「・・・はるかさん?」
「パパは女の人なのにパパなんで、何でなのかって考えたら髪が短いからかなって。髪の短い人は女の人の体でも男の人なんだって、凄く小さい頃はそう勘違いしてたんです」
「それで私も男だと?」
「はい。思ってました」
「うーん・・・確かにそう思っちゃうかもしれないわね・・・小さい頃は私も結構勘違いが多かったし。あ、でも、私はちゃんと女だから」
「あ、それは流石にもう分かってます。でも・・・」
「でも?」

 ほたるはそこで亜美から渡された本を開く。タイトルは―とそこでほたるは成程、と妙に納得してしまった。
 全く、偶然にしては出来すぎだ。

「色々思ったけど、亜美さんは―」

 そこで二人の表情は一転する。戦士の本能が、禍々しいものを感じ取ったためだ。
 すぐに、近くに、何か―

「ほたるちゃんはそこにいて!」
「いえ、私も―」

 亜美とほたるは同時に立ち上がるが、亜美はほたるを腕で制す。一瞬ほたるは戦力外通知を受けたのかとも思ったが、知性の戦士ゆえ敢えて自分を残すと判断したとも考えられる―と戸惑う。
 しかし亜美の言葉はどちらの予想も外れだった。

「二人とも出て行ったら食い逃げになるでしょ!?」
「・・・・・・・・・・・そ、そういうものですか」
「大丈夫、すぐ帰ってくるから!あ、ほたるちゃんなら大丈夫だと思うけど、変なおじさんに声をかけられてもついて行っちゃ駄目よ!?ここを動かないでね」
「・・・は、はい。じゃあ待ってます」

 この期に及んで至極真っ当な理由で、ほたるはその場に居残る羽目になった。そして言葉から判断するに、亜美はここに戻って再びお茶の続きをするつもりなのだろうか。既に亜美は目の前にはいないが、本当に言葉通り捉えていいものか。戦士の中枢たる彼女がばかな真似をすることはないと思うが、どうにも何を考えているのか図りかねる人だとほたるは思う。

「(兎も角―私はここにいたほうがいいのよね。確かにそれほど大きい気配じゃなかったし・・・大丈夫だとは思うけど・・・)」

 マーキュリーはウラヌスさえ認めているブレーンだ。地力の差はあれ自分より遥かにくぐってきた死線も多い。気配から察するにはぐれ妖魔の類だろうし、こういう時は一人でうまくやってくれるだろう、そう結論付けたほたるは、戸惑いつつも再びストローに口を付け、本に目を落とす。

「(―それにしても)」

 読んだことはある話だが、このタイミングとは出来すぎではないのか、そうほたるが首を傾げたところで、再び何かを感じた。妖魔とは別のものだ。
 少しずつ霞んでいく視界。体感して気温が下がっていく空気。これは―

「マーキュリーの・・・ぐっ・・・!」

 技、と思ったところで後ろから誰かに拘束され口を塞がれる。一瞬の不意を付かれ抵抗も出来ず抱き込まれた。気配は全く感じなかった。
 既に視界は真っ白で、湿った空気に周囲の客が異変を騒ぎ出す声が遠く聞こえる。誰もほたるに気付かない。

「(マーキュリーに何かあった!?)」

 頭の中で必死に現状を把握する。心臓が早鐘のように鳴っている。自分の体の自由さえ奪われている状態だが、マーキュリーの技の中で妖魔の気配は朧に感じた。妖魔はクラウンの中にいる。そしてクラウン内に及ぼされるマーキュリーの技―
 ほたるは自分の口を抑える手を外そうともがいて、気付いた。耳元で囁かれる声が、彼女のものだったから。
 
「・・・ほたるちゃん」
「(・・・マーキュリー!?)」

 声は相当に潜められている。だがそれは安心と同時に、何故か更なる動悸をほたるにもたらした。

「・・・静かに聞いて」
「・・・・・・・・・」
「たいした妖魔ではないけど、外に放ったままだと逃がしてしまう可能性があるから、だから何か起こす前にここにおびき寄せた―あなたのいるここに。大丈夫、シャボンスプレーは相手の力を削ぐから、ここにいる限りしばらくは足止めできる」

 ほたるはそこで理解する。亜美の「ここを動くな」と言う言葉の意味。すると、あの時点で亜美はこの策を完成させていたことになる。

「ただ、単純に温度も下がる今、あまり長い間ここでシャボンスプレーを放ちっぱなしでいるわけには行かないわ。誰にも影響がないうちに、何も見えないうちに、何も気付かないうちに」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 
「出来るだけ静かに変身して」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ほたるは無言のまま、サターンにその身を変える。マーキュリーへの絶対の信頼感が、肯定の言葉さえ出させなかった。
 ただ、心臓だけは静かにはなってくれなかったが。

「・・・サターン、私がこの言葉を言い終わった3秒後に前方右斜め25度、3メートル先にサイレンスウォールをお願い。私が技を放つのにその壁を利用すれば、妖魔を倒せて、周りにも被害を出さない筈だから・・・今!」

 サターンの拘束が解かれる。1秒。
 客の声に混じってマーキュリーのブーツが地面を叩く音。2秒。
 サイレンスグレイブが構えられる。3秒―

「サイレンスウォール!」
「シャインアクアイリュージョン!」

 白い霧取り巻く中、サターンは微弱な妖魔の気配が完全に消えていくのを感じた。姿さえ見ないうちに、マーキュリーが倒してしまったことになる。
 サターンが呆然とその余韻を感じていると、今度は前から肩を叩かれた―マーキュリーだ。

「サターン、ありがとう。霧が晴れたらまたお茶にしましょうか。すぐ晴れるし、異臭なんかではないからお客さんもさほど不審には思わないと思うわ―あ、でもカフェオレ冷めちゃったかしら・・・」 

 霞む視界の中マーキュリーの声は明るくて、まるで今の戦いなどなかったかのような態度だ。
 サターンの心がささくれたつ。

「っ!?」

 サターンはマーキュリーの鼻先にサイレンスグレイブを突きつける。マーキュリーの表情は俄かに曇るが、それは刃物を突きつけられている状況でなく、サターンの行為そのものに対する困惑だろう。
 霧中でも、サターンにはマーキュリーの姿が今度ははっきり見えた。

「―サターン、どうし・・・」
「答えて下さい。何故あんな真似を?」
「・・・どういうことかしら」
「私をここに置いておいたのも、妖魔をここにおびき寄せたのも、脆い策ではありませんか?妖魔をここにおびき寄せられなかったら?私が変身ペンを持ってなかったら?一般人に気付かれたら?何か一つでも欠けたら全てが駄目になったはず」
「・・・・・・それは」
「運がよかっただけではありませんか。あなたはそれでも知性の戦士ですか」

 出来る限り冷酷な口調でサターンは言い放つ。しかしマーキュリーは完全な困惑から、少しはにかんだ表情になった。
 それがサターンには理解できない。

「・・・あなたが私と同時に立った時点で、変身ペンを持ってるのは分かってたわ。そして、私が一人で戦って、弱い妖魔であると判断したからこそ、ここに連れ込んだ。私たちにとっては弱い存在であるかもしれないけれど、戦う術のない人たちには脅威だから、屋外で不特定多数の人を守りながら戦うより、ここにいる人たちを守るほうがまだ安全だわ―それでシャボンスプレーの力が最も発揮される室内、そして最も近くにいる戦士であるあなたのいるここに」
「―それでも、一人で出て行ったのは愚策です。もし妖魔があなた一人の手に負えないほど強かったらどうするつもりだったんです。気配だけでこの策を確信するにはあまりに危険だったのではないですか」
「仮に敵が強ければ、尚更、あなたをここに置いて正解だったと思うわ」
「何故?」
「ほたるちゃんを危険な目に合わせるわけにはいかないもの」
「・・・っ」

 その問答は最後以外は理屈が通っていた。全てはマーキュリーの思惑通りで、結果サターンはそれに寸分違わず動いていたことになる。こんな戦い方もあるのだ。
 サターンは己の胸に去来する複雑な思いに唇を噛む。マーキュリーへのブレーンとしての能力への尊敬の念と、うまい具合に操られた理不尽な悔しさが少し、そして―最後の言葉に胸が締め付けられた。

「・・・パパも言ってました、ネヘレニア戦であなたと一緒になって・・・あなたは最高のブレーンだと。確かにそうです。でも、私があなたを心配するとか考えないんですか」
「あ・・・そ、それはごめんなさい。でも・・・」
「あなたに後ろから抱きつかれたとき、自分のことよりもあなたに何かあってこんなことになってるんじゃないかって本気で心配したんですよ。結果オーライだったからいいようなものの」
「・・・ごめんなさい。あれはあなたを驚かしてしまって・・・」

 マーキュリーの言葉に、分かってないな、とサターンは思う。そこでようやくマーキュリーの内が見えてきた気がした。聡いわりに素でこういう人なのだ。
 その姿はどこかはるかに似ている。何もかも似ていないのに、何故か似ている。
 さらっと心の中に入ってくる態度。しかもはるかと違って素でやってるから、尚更読めなくて厄介だ。

「お詫びに、ケーキおごらせてもらえないかしら?」

 ―この人に口で勝つのは無理だ。頭で勝つのも無理だ。どこか諦めにも似た感情に、サターンのサイレンスグレイブを持つ手が下がった。
 ―だったら、もういらないことを考えるのはやめる。

「・・・はい、でも、その前に」
「?霧が晴れる前に変身をとかないと・・・」


 ―欲しいものは、いつだって高いところにある。今だって、すぐそこに。
 でも、無理に見えても届きそうになくても、少し頑張れば届くことだってある。
 それは、亜美が言っていたことだ。


「マーキュリー、ちょっと」
「・・・え?」

 マーキュリーは何の疑問もなく頭を下げ、ほたるの目線に合わせる。先ほどと違い酷く無防備な様子だ。
 踵を上げて、唇を開いて。
 もう目の前に届いている―

「・・・っ!」

 次の刹那、マーキュリーは弾けるようにサターンから離れる。その勢いで派手に受身も取らずに尻餅をついた。それでも目はサターンから逸らせていない。
 本当に微かに唇が触れただけなのに、真っ赤になってひっくり返っているその姿は、とても知性の戦士には見えない、とサターンは心の内で思う。
 サターンの口の端が歪んだのは、果たして自虐か余裕か。

「マーキュリー、スカートの中丸見えです」
「なっ・・・何を・・・サターン・・・!?」
「そのまんまの意味です。あなたはやっぱりパパに似てる。しかもパパじゃない分尚更たちが悪いんです」
「ど、どういうことか分からないわ・・・」
「知性の戦士でしょう。自分で考えてください」

 サターンはそんなマーキュリーを尻目にゆっくり変身をとく。ケーキをおごってもらうのだから、もうしばらくは亜美と一緒にいられるのだろう。自分は本を読んでいればいい。その間にこの知性の戦士が答えを出せるのかは、分からないけど。

「早く変身といたほうがいいですよ、マーキュリー」

 未だ呆然としているマーキュリーに見せ付けるように本を開く。表題は―『ドン・ジョバンニ』とある女たらしの物語だ。
 これで気づくだろうか―?そう思ったところでほたるは考えるのをやめる。この知性の戦士の考えることを考えるのは徒労なのだ。

「(・・・ショートケーキにしようかな)」



 晴れていく霧の中、ゆっくり取り戻されていく日常の中、冷め切ったカフェオレに並ぶアイスティーの中の氷が、再びからんと音を立てた。






      **********************


 あえての戦士で、と言うことだったので戦闘シーンを入れたんですが、無理あるかなぁと反省しきりです。でも書いてて凄く新鮮で楽しかったです。リクエストありがとうございました、こんなのでよろしければお受け取りくださいませ。
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