プラマイゼロ±

 某美少女戦士の内部戦士を中心に、原作、アニメ、実写、ミュージカル等問わず好き勝手にやってる創作、日記ブログです。

2016-02-07 23:59:55 | SS








 呼吸をすることを思い出して目を覚ました。

 しんしんと水音が耳に染む。鼓膜から脳に体に水が染みわたっていく感覚を、意識を取り戻して思い出した。冷たくて清浄な水の中、なにも身につけず身体を投げ出し沈んでいくと、身も心も清廉になれるような気がして、マーキュリーはこの瞬間が好きだった。嵐の前の空のように、心身ともに凪ぐ。

「・・・は」

 そこはただの自室の浴槽にすぎなかった。せいぜい体を沈めるだけの箱。だが、マーキュリーにとっては、誰にも侵されることない聖域だった。
 マーキュリーはひとりで無防備に水に体を浸すことができるこの時間と場所がとても好きだった。そして、そこから出たとき、澄み渡った思考回路で戦士としての闘衣を纏うのだ。

 それなのに、この場に侵入者がいる。恐ろしいことにマーキュリーは、水面から顔を出して目を開けて、それを視覚で理解した。仮にも戦士なのに、視覚ではじめて他人を認識するなどありえないのに。ましてや、自分だけの世界のはずだったのに。

「・・・ああ」

 それでもマーキュリーは凪いでいる。だが、ここは地獄か、と思った。
 肉体を水を張った箱に沈める、マーキュリーの戦闘前の禊。全身を水に浸し、体を開き精神を集中させ、意識を限界まで水に沈める。呼吸ができなくなって意識が肉体に戻ると、生まれ変わったような心地を持って、そして戦いに挑むのだ。

 しかしそれが果たせない。水面に浮かび呼吸を思い出したマーキュリーの目に、花が降っているのが映る。戻ってきた意識に入り込む、雪が散るように舞い降りる花びらがあまりにも美しすぎて、思わずマーキュリーはここが地獄だと思うのだ。

「こんばんは、マーキュリー」

 その声を聞いてしまうと、自分の首が動いて水面を揺らす音さえ聞こえない。いち守護神の私室の、ましてや浴室といういかなる侵入者も許さないはずのこの場所に、笑顔で彼女はマーキュリーを見つめている。とてもとても、とても穏やかな笑顔。

 呼吸するために、意識を生きる意思を取り戻したはずなのに、息をするのを忘れるほどの美しさ。花びらを散らし佇む姿はまるで薔薇のよう。そして、聖域であるはずのこの場所は牢獄と化した。





 花びらが散る、世界。ゆらゆらと舞い踊るもので視覚がおぼつかない中、マーキュリーは無防備な姿でジュピターと対峙している。対峙しているというよりは、その姿を確認しても水から這い出る意志さえ湧かなかったマーキュリーを引きずり出したのは、ジュピターだった。
 長いまつ毛に溜まった水が、浴槽から出ても、マーキュリーのおぼつかない視界をさらにおぼつかないものにしている。

「動くな」

 言葉だけは乱暴で、でもその口調はとてもやさしくて。そんなジュピターの姿がマーキュリーにはよく見えない。目を開けることにきちんと意識は行っているはずなのに、おぼろげにしか見えない。

 ただ、マーキュリーの肉体を、這いずって拘束してくる得体のしれないものがある。
 マーキュリーを引っ張り出したものは、ジュピターのいつものやさしい腕ではない。ジュピターがこの部屋に気配もなく侵入したみたいに、それは水の中からマーキュリーの肉体に侵入してきていた。
 細く長くつるりとしたまるで植物の蔓のようなものが、足先から、足の指を割って、足の甲、足首に絡みつき、マーキュリーを拘束しジュピターの足元に這わせたのである。さらにその蔓はふくらはぎ、膝の裏へと舐めるようにマーキュリーの体を這い回る。
 その感覚は痛みよりこそばゆさを連想させた。それが、さらに腿を伝い、胴、胸、腕、喉に達したところでマーキュリーの肉体をジュピターに晒すように持ち上げた。水に濡れたその触手はしなやかさを増し、さらにマーキュリーを包むようにジュピターの前に突き出している。

 腕を伸ばせばかろうじてジュピターに届くかもしれない距離で、あられもない姿を隠せもせず、マーキュリーは立たされている。自分の意志ではない。体に絡みつく蔓がまるで操り人形のようにそうさせているのだ。
 侵入からずっとジュピターの気配を感じられないほど鈍っている精神とはうらはらに、マーキュリーの肉体の感覚はひどく鋭敏になっている。マーキュリーは自分の肉体の状態を、目だけを動かして確認する。どうしても朧な視界で、自分の体から棘が生えている、と思った。だがそれは蔓から出ていると思い直した。

 まるでいばらだ。いばらが、自分の体を覆い這い回っているのだ。

 なぜこんなことになっているのか、マーキュリーは考える。

 散らされている花びらは視界を塞ぐためだけでなく、ひとひらひとひらに電気が纏ってあるとなぜかマーキュリーは知っている。触れれば痛みが伴うことも。それでいて、自分を拘束しているのがいばらで、激しく抵抗すればその棘が皮膚を破り散らすことも理解した。ジュピターの動くなという言葉はそういう意味なのかもしれない。

 だがそんなことは問題ではない。

 ジュピターの前に立っている姿勢で、マ―キュリーはいる。だがそこにマーキュリーの意志と力は介入していない。侵食していくいばらをどうすることもできず、なすがままに身を任せているだけだ。そんな自分が解せなかった。
 ジュピターは花吹雪の中、そんなマーキュリーを見てただ佇んでいる。向き合っていつものように立っている。

 マーキュリーはただ考える。なぜ自分がこのいばらを払えないのか考える。
 不意を突かれたせいか、不可侵と思っていた場所に侵入されたせいか、水の世界で花びらを散らされ彼女の世界に塗り替えられ、闘衣をまとわない自分にできることはないと知っているのか。
 それでも知性の戦士なら、頭脳を使いこの状況を打開すべきだ。

 こんなものはただ邪魔なだけなのに。早くこの拘束から抜け出して、ジュピターに触れなければならない。

 なぜならジュピターがとても悲しそうだから。大切な彼女にそんな思いをさせていることにただ心が痛んだから。浴槽で見たときは笑顔で、今引き上げられてよく見えないはずなのにマーキュリーはジュピターがそんな風でいることを知っている。なのに手を伸ばせない。

 手に触れて声をかけてあげたい。許されるのなら抱きしめたい。なのにいばらは払えない。

 花びらの舞は吹雪のように激しさを増し、マーキュリーの視界はさらに混濁していく。考えてもわからないまま、体を這いずり回る蔓。脇に、腿の内側に、乳房に、柔い部分にずるずるといばらは侵入する。どんどん膝や肘の関節の動きを制限されていく。皮膚に、筋肉に、骨に、内臓に、神経に締めつけられている感触が染む。マーキュリーを捉えて、しかしジュピターに手を伸ばさせない残酷ないばら。

 お願い、邪魔をしないで。

 それでも、どうしてもいばらが払えない。なら、なぜこんなことになっているのか、と思った。
 ジュピターの技でこんなものは見たことなかったが、単に知らないだけだと思った。長く共に戦う仲間であって、知性の戦士である自分が知らないことにショックなど感じなかった。いつだってマーキュリーにジュピターの心は見えなかったから、マーキュリーはジュピターのことをなにも知らない。いまさら知らないものに直面したところで揺れる心などない。マーキュリーは凪いでいる。最初から。揺れない。乱れない。

 ジュピターがマーキュリーを閉じ込めている現実。動くことすら許されないでいる状況。そんなことはどうでもいい。

 そこでマーキュリーは、いばらの棘がすべて外側を向いていることに気づいた。
 マーキュリーの肉に棘が食い込むことはない、やさしいいばら。それでも痛いのは、マーキュリーがジュピターの表情を知っているからだ。絞めつけられて苦しいのは、マーキュリーが呼吸をしていないからだ。

 マーキュリーは、最初から、息をしていない。

 なんの抵抗もできないマーキュリーの肉体を這い終わった触手の先端が、足の間から槍のようにマーキュリーの中枢を穿つ。だがそれはマーキュリーの息の根を止めるものではない。だってマーキュリーは息をそもそもしていない。

 呼吸することを思い出して意識を浮上させたはずなのに。それに気づいた瞬間マーキュリーの視界は花吹雪に染まる。電磁の檻だったそれはマーキュリーに触れてももはや痛みをもたらさない。それよりもマーキュリーを包むそれはぞっとするほど冷たくて、マーキュリーはいばらだと思っていたものが氷の塊だと気づいた。体を這い回るのも、マーキュリーの動きを止めているのも。最初から、最後まで、ずっと。

 皮膚に、筋肉に、骨に、内臓に、神経に食い込んでくる痛み。呼吸できない苦しさ。それはすべて、ぞっとするような冷たさから来ていた。足の間から体の内側に入り込んだそれは子宮を破り、心臓を伝い、マーキュリーを中からぶくぶくと凍りつかせていく。
 皮膚の下で凍った血管がふくれ、浮き上がり、まるで得体のしれない触手に抱かれているような様相を見せる。もう、いばらなどどこにもないのに。そもそも、あるのは最初から氷だけ。最初から最後まで、氷に抱かれていただけ。

 棘が外側にしかなかったのは、侵入しやすくそして内側から引き抜けないようになっているからだ。動けなかったのも、ジュピターに悲しい顔をさせていたのも、なにもかも自分のせいだ。ジュピターのいばらだと思い、やさしさだと錯覚していただけ。そうしないとジュピターの前に立つこともできなかったくせに。

「さよなら、マーキュリー」

 花が意識に浸食したのか、単にマーキュリーの意識が限界だったのか、それすらわからない。ただ、すっとよく見えなかったのは、最初からマーキュリーはずっと泣いていたからだ。呼吸する意思を放棄していたくせに涙だけは立派に流していて、でもその涙ももう凍り付いてようやく見えた。

 マーキュリーが最後に捉えたジュピターの姿は、とても穏やかな笑顔。すべて受け入れている覚悟と、顔を向ける相手に対しすべてを突き放した、とてもとても、とても残酷な笑顔。

 凍ったからだの中身が膨張して、マーキュリーは内側からびりびりにやぶれて砕け散った。氷の欠片は舞う花びらに混じることなく、ただ、ばらばらと落ちていくだけ。





「・・・マーキュリー」
「ぷは」

 あまりにも長い潜水から、ようやく呼吸することを思い出したようだった。水音など立てずマーキュリーは水面を割った。
 マーズの呼びかけが果たして聞こえていたのか、それでも首を水から出したマーキュリーは瞼の中身をごろりとマーズの方に動かす。扉の位置と浴槽の位置、少し離れた距離からでも、不出来なからくり人形の眼球がまぶたの皮膚を押し破りそうな動きをしているように見えて、マーズは怖気を感じた。

 マーキュリーが自室の浴槽に沈むことで精神統一をするのは知っていたが、マーズが実際にその場に居合わせたのは二度目だった。どちらもマーズの望まない事態でだ。今回は死んでいないかを確認しに来た。そして前回は生きているのか確認しに来た。

「こんばんは、マーズ」

 呼吸の乱れがないマーキュリーの声は浴室にこだまする。しんしんと水音のように耳に染む。

「呼びに来てくれたの」

 マーキュリーの言葉の語尾は上がっていない。口には出したものの、返事を求めているわけではなさそうだ。マーキュリーはマーズの言葉を待たずに浴槽から体を出した。特に体を隠す様子もなく水を引きずって、マーズと同じ高さにまっすぐ立つ。
 頭のてっぺんからつま先まで、太い筋をいくつも作って体に水を滴らせるさまは、距離があるせいか、おかしなことになにか植物の蔓のようなものがマーキュリーにまとわりついているようにも見えるのだ。

 一度目にマーズがここに来た時もそうだった。
 それはどうしても避けられない戦いだった。誰も悪くないはずなのに、そこに至ることが避けられなかったマーキュリーはひどく自責の念を感じていた。そしてその感情を持ち前の頭脳と理屈で武装してヴィーナスを説き伏せ、自ら戦いに出向くと決めた。そして、身を清めるため水に沈んでいた。そして―そこに、ジュピターがやってきた。

 ジュピターがやってきて、そこでなにをしたかをマーズは知らない。ただ、マーズは悪いものを感じて、マーキュリーの聖域であったはずの場所に、礼儀など考えずに飛び込んだ。
 そこで見たのは、水に浮かぶマーキュリーの姿。水に沈んでいるはずの彼女が顔を水面に出して浮かんでいた。生きて沈んでいるはずの彼女が浮かんでいるのは、まるで死んでいるみたいだった。

 マーキュリーは呼吸も瞬きも身じろぎもせずいる。マーズの訪問にいかなる反応も見せず、ただぼんやり虚空を見つめている。マーズの頭には、実際に見たことないはずの水葬というものが浮かんだ。なぜならばその浴室に、マーキュリーの体や顔に、弔うように花びらが浮かんでいたから。

 ジュピターのフラワーハリケーンだとわかった。ご丁寧に電磁の力を纏ったそれは、攻撃よりも中の者を閉じ込める意図を感じさせた。ジュピターの痕跡がそこかしこにあった。だけど、ジュピターはどこにもいなかった。

 マーキュリーから生気を感じない。檻の中でよほど激しく抵抗したのか、もはや呼吸すらしていない。だがマーキュリーは生きている、と思った。それはここにいないジュピターがマーキュリーの息の根を止めるなんて真似をするわけがないという信頼と、生きる意志すら放棄して人形のようになったマーキュリーが、それでも壊れた蛇口のようにとめどなく涙を流していたからだ。

 水に浮かびながら、水面すら揺らさない停滞した場所で、音もなく涙は滴り落ちた。

 ぺたぺたと足音を立てマーキュリーはマーズに、もとい出口に歩み寄る。マーズはその音と気配で、追憶から現実に意識が戻る。
 すでに花びらの痕跡さえなく、ここは水の世界。マーキュリーは死んでいない。これから、今度こそ戦いに挑みに行く。かつて理屈で戦いに行くと決めたマーキュリーは、ジュピターのいない今理屈を用いなかった。ただ、戦士然とした姿で、当たり前のように戦闘に出向くと言った彼女を、もう誰も止められなかった。
 
 水は滴る。それなのに、水の筋が消えるように見えない。マーキュリーは出口に近づく。自分の意志でここを出る。
 すれ違うマーズは、それまで水の筋だと思っていたものが、マーキュリーの皮膚の内側から浮いているものだと気づいた。それは血管のようだが、あまりにもくっきり形作って浮いているため、遠くから見れば植物の蔓が巻きついているように見えていたのだ。
 だがいざ近くで見ると、皮膚の下で植物の蔓のようなものがうごめいているように見える。下腹部から全身に伸びるのは、根を張り茎を伸ばすなにかの種のようで。

「―ああ」

 マーズは目を閉じる。マーキュリーの内側にうごめく蔓が、いつかマーキュリー本人を食い破るヴィジョンが見えたからだ。ここにいないジュピターはいったいなにをマーキュリーに孕ませたのだろう。
 狂気や憎悪など、そんなわかりやすいものではない気がした。そんな、人格や性格によって型作られたものを元に形成される感情ではない。もっと原始的で、野蛮で、生まれたままのもの。

「さよなら、マーズ」

 それはとてもシンプルな、戦う意思。
 守りたいから、使命だから、命に代えても、というおためごかしをかぶらないもっと深いところから戦う意思が漲って、内側から爆発しそうになっている。そして、マーキュリーを殺すのはきっとそれだ。彼女ひとりの命でどうにかできないほど命のやり取りをせねばならないから、死ぬまで戦うしかない。マーキュリーはジュピターと同じ言葉をマーズに残し、静かに消えていく。

 マーズは止めない。もう自分の未来も王国の未来も見えないのに、マーキュリーを止める術などもうない。ジュピターが一度は止めたが、もうそのジュピターは帰ってこない。


 マーキュリーに笑顔と花びらと、おそらく彼女は望まなかったであろう『種』を残し、マーキュリーの心を引きちぎったままジュピターの行方は永遠に知れない。









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 「ジュピターさんが触手で鬼畜責めする話」というお題でした。

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