いつだって金属のにおいがまとわりついていた自分。
それでも一番古く残っている記憶は、金属のにおいに顔をほころばせていた自分だった。
金属のにおいに顔をしかめる。肉体を血に似たにおいのものが侵していく感覚。苦痛なはずなのに、それがないと生きていくことすらできない自分を嫌悪して。だけど、自分を生かそうとしてくれている父を止めることも出来ない。
こうまでして生きる意味を見いだせなかったけど、死ぬことに救済を感じることも出来なかったから。
呪いのようにまとわりつく発作。肌を見せないように、誰とも知れない視線から逃れるように生きてきて、少しでも金属のにおいを感じると自分が普通の命ではないことを思い知らされてまた生を嫌悪する。
それでも、金属のにおいそのものは好きだった。それがいったいなぜなのかは思い出せない。
「ほたる」
「せつなママ」
「あなたに渡すものがものがあります」
それはいつのことだったのだろう。あまりに小さいころだったのか、それとも思い出せないくらい遥か昔だったのか。
においは人の記憶を最も呼び覚ますもの、というものが自分にも適応されるとは思わなかった。だが、ほたるは思い出す。素直に、懐かしい、と思える金属のにおい。
それは滅びに向かうミレニアムで累々と高く積み上げられた死体から漂うものか、自らが高く掲げた鎌の刃から漂うものなのか。それとも、幼いころ父と母に、目線を合わせて、とても大切なものだよ、と言われてから手のひらに握らされたものなのか。記憶は混濁していたが、ただ、はっきりしていることはひとつ。
「なぁに、これ・・・?」
「とても、とても大切なものです」
金属のにおいがまつわりつく中、自分は笑っていた。
「たいせつなもの?」
「これは、あなたを受け入れ、守り、導くものですよ。だから、あなたに渡すのです」
初めてそれを受け取った時の記憶がおぼろげにシンクロする。手のひらにある金属の塊から、人の命のにおいがする。もう、自分から、ではない。かつて体を金属にむしばまれ、ひどく嫌悪したにおい。
それでも、確かに自らを迎え入れてくれたものを、今、目の前の彼女が。
「しかし、これを手に持つことは、大いなる責任が伴います」
「せきにん・・・」
「安易に扱えば、あなた自身にも、あなたの大切な人に危機を及ぼします。破滅に導くことさえあるでしょう」
「そんなに、こわいもの?」
「それでも、私は、愛するあなたを信頼して、あなたを守り、人として認め、受け入れ導いていきたいのです。そして、あなたがこれを使って私の大切な人を危険に陥れることがないと信じているのです。ほたる、約束できますか」
それは、とてもとてもうれしいことだった。ほたるは金属片を握りしめ、顔をいっぱいにほころばせた。
サターンは口の中いっぱいに広がる血の味に顔をほころばせる。目前の強大な敵の存在やそれにもたらされた傷よりも、懐かしい金属のにおいに表情が歪むのを隠しきれない。だが笑うのはあまりにも子供じみていると思えて、慌てて表情を作り直す。
「サターン、笑っているんですか?」
「プルート」
懐かしい名だった。平和になってからその名で呼ばれることも久しくなかった。
やはり彼女には見抜かれてしまったようだ。戦中において不謹慎な表情であるだろう。しかし咎めるような口調でないのは、プルートはサターンの本心を見抜いているからかもしれない。
かつて、避けようのない終焉の時にだけ目覚めた戦士であった、死屍累々の中振り下ろす鎌の、金属のにおいとは違う。生を嫌悪し、自らから漂う生を否定するような金属のにおいとも違う。戦士の一員として、戦うことによってできた傷が、それにより口いっぱいに色がる血の味が懐かしく、そして新しく今生きている命の証のようであったから。
「ごめんなさい」
「笑っている暇はありませんよ」
「そうだね。実は明日、学校でグループ発表があるんだ」
「明日?準備は済んでいるんですか」
「準備は終わってるけど、グループのみんなに迷惑かけないように練習しておきたいし。あとでチェックしてくれる?」
「なら、笑っていないで早く帰れるように努力しましょう。級友に迷惑をかけるようなことがあってはいけません」
「うん」
明日には、日常が待っている。だから早く帰らなくちゃ。
敵の気配は強力で、破滅のにおいはあまりにも濃厚なのに、サターンをほころばせているのはもうそれではない。滅びの時にだけひとり目覚める自分ではなくなったのだから。だからこうやって、日常を守るため慣れないさまで戦っている。
サターンは鎌を構えなおすとともに、そっと、セーラーの下に下げている金属片に触れる。まだ急成長を遂げる前、まだ幼い自分にせつなが膝をついて目線を合わせ、重大な責任とともに握らせてくれた金属片。安易に使えば人を破滅に導くこともあるけれど、守ることも出来る、大切な信頼と帰る場所の証。かつて父と母が渡してくれて、金属のにおいにその記憶がシンクロして、とても誇らしかった。
「そうだね。だから」
家の鍵。なんのこともない冷たくてありふれた金属片。それでもそれは、ほたるにとってはとても尊いものだった。それは彼女にとっても同じであるだろうから。
鍵と言えば、時空の鍵を想像する。そして今もプルートの腰に下がっている。だからこそ、戦士とは違う、ともに現世の姿で帰る場所を守れることに、同じ場所に帰ることができるこの鍵とこの時代が、とてもいとしい。あのとき渡してくれた金属のにおいに、どうしても顔がほころぶことが止められない。
「だから?」
「せつなさん、一緒にうちに帰ろう」
自分よりずっと長く生きてきた彼女と同じ場所に帰ることができる。さりげなく自分より前に出てくれるプルートの背中を見て、サターンは彼女の名を今の名で呼ぶ。鍵を握りしめる。グローブ越しの尖った金属片の感覚に、生きている実感をする。巡り巡った記憶が目の前の背中にたどり着いて、サターンは今度こそ表情を隠さずに笑んだ。
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ほたるちゃんおめでとうございます!遅くなった上にあんまり誕生日っぽくないですが・・・
鍵というツールが持つ形状とか物語性とかいろいろ好きです。
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