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勉強と頭の整理のための備忘録として

続き(家パソが使えんので携帯から)

2005-12-15 23:54:47 | うだうだ
昨日、何だかんだ言って2時間ぐらいしか寝なかったのでかなり睡魔と戦いながらの朝食となった。

葬式は昼からだったので午前中は片付けしたり喋ってたりしてのんびりしてた。

電報なんかも予想以上に来てたらしくて父や叔父はバタバタしてたみたいですが

葬式が始まって勤行唱題をあげている間は場違いな事(自分と学会の距離について祖母の場合と照らし合わせてどうするのがベストなんだろう、とか)考えたりもしてた。



式の最後、出棺前に花を棺の中に入れるんやけど、

急に来た

涙が止まらなくなって声を出して泣いてた

奇しくも父の誕生日に逝ってしまった祖母
結婚相手どころか成人式の晴れ姿すら見せてあげられなかった自分
高校を卒業してから自分の都合でほとんど実家には帰らなかった
祖母はうわ言で「真樹はどこいったん?喜樹はどこいったん?」と言ってたらしい

「おばあちゃんありがとう…おばあちゃんごめんな…」

本当に涙が止まらなかった


一度泣いたら少し落ち着いて火葬場では素直に別れを告げることができた


その後初七日も行うということで家に戻ってバタバタしてた。
7時になって近所の人を中心に家の仏壇で初七日の供養をした。
唱題をあげている間に2回目の波が来た

この家にもうおばあちゃんはいない…
これだけ多くの人がうちに集まって学会員の人もそうでない人もおばあちゃんの冥福を祈ってる

でももうおばあちゃんがここに帰って来ることは無い


恥ずかしながら又しても声を上げて泣いてしまい唱題が出来ない…


とにかく明日からはまた普通の生活に戻ることは出来るだろう


しばらくムックとDir en greyは聴けないがね…

昨日の朝6時

2005-12-15 22:53:49 | うだうだ
携帯が鳴った。
すぐに目が覚めた。
実家からというのは見なくても分かったし、話の内容も分かってた。
でもやっぱり怖くて出ることが出来なかった。

留守電に録音してる母の声を聞きながら現実を受け入れたくない思いで頭はいっぱいだった

「今朝4時10分におばあちゃんが亡くなりました。連絡ください」

1時間後、2度目の電話があったときは何とか出ることは出来た。
母から簡単な事情を聞いてすぐにスーツと着替えだけを持って出発した。

新幹線の中ではハロウィンの曲を聴きながら事実を事実として受け入れられず、悶々としていた

通夜があるから駅からタクシーを拾って直接葬儀場に来てくれと言われていたけど時間も早かったので天気もいいし、と思い駅から歩くことにした。
夏休みに帰ったときはあんなに元気だったのにもう既に死んでいるというその事実が何回考えてもイメージできなかった


祖母は僕の父が長男ということで生まれたときから一緒に暮らしていた。
小さいころから叱られたりした記憶があるが、幼稚園の頃、箸の持ち方から勤行、唱題のやり方からすべて祖母にしつけられて育った
中学に入って朝が早くなったり父の会社が倒産したり、何かあると日ごろああだこうだうるさく言わない祖母が家族のために力となってくれた
おばあちゃんっ子だったとは思わないが、今まで多くの面で甘えさせてもらった。
祖母にとっても僕らは自慢の孫だったらしく本当に可愛がってもらった。

葬儀場について初めて祖母の亡骸に対面したときでもまだしばらくしたら起き上がってきそうな気がして…
通夜の前に体を綺麗にするとかで父と2人で祖母を運んだとき、その軽さにびっくりした。確か祖母の体重を抜いたのは小6のときだったと思う。いつの間にこんなに軽くなってたんだろう
ここにきて初めて悲しいと思った。

体を洗ってもらい薄化粧をしてもらった祖母を棺に入れて蓋をして、小窓から顔を覗いたとき、何ともいえない感情になったのは祖母の死を少し受け入れることが出来たからだったのだろうか。

通夜の後、父が出席者全員の前で挨拶をしたのだけれど、そこで号泣してる父を見て初めて涙が出た。おばあちゃんはもう死んだんだ、帰ってこないんだ、と