昭和十六年十二月八日、ハワイ真珠湾攻撃で幕を開けた太平洋戦争は予想以上の成功のうちに進められました。
海軍はアメリカ太平洋艦隊、イギリス東洋艦隊を撃破し、新聞には連日のように「撃沈」、「轟沈」といった威勢のいい活字が躍りました。陸軍もフィリピンのバターン半島攻略に手間取ったくらいで、香港、マニラ、シンガポールの要衝を相次いで占領しましたし、戦争には欠かせない石油も、落下傘部隊の奇襲攻撃でボルネオ、スマトラの油田地帯をほとんど破壊されることもなく確保出来ました。
何しろ半年足らずの間に、西はビルマからマレー半島、ジャワ、スマトラを経て、ニューギニア東方のソロモン諸島に至る広大な地域を占領下に収めたのです。連合軍の捕虜二十五万人、撃沈した軍艦は百五隻を数え大中破九十一隻。日本の損害は戦死約七千人、艦船二十七隻でしたが、巡洋艦以上の大型艦は一隻もありません。
国内は連戦連勝に沸き立ち、何となくもう戦争が終わってしまったような、そんな安堵感に包まれた半年間だったのです。
(歴史講座より引用)
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1942年(昭和17年)冬になりました。凄いですね、この快進撃。 連日のように「撃沈」、「轟沈」と国民全体が沸きたっていたのですから、水商売?の雪乃だって黙ってなんかいられなかったでしょう。戦地にいけない女性たちは、銃後の守りと言って、後方支援に回ったのです。かよもしっかり婦人会の仕事をしていましたね。それにしても婦人会同士の小競り合いには笑ってしまいました。今も昔も変わらないな…。
こんな中、醍醐さんは、それでは満足できなかったようです。宇田川先生にすっかり感化され、戦地に赴くというのです。戦地がどんなに悲惨なものか、想像できなかったでしょうね、この時点では。
戦争とは人が人を殺すこと…。お嬢様の醍醐さんに勤まるのでしょうか。
そして、皆とは全く反対の方向を向いている宮本龍一も、ひっそりと旅立っていきます。戦争を早く終わらせるための行動とは、いったい何を企てているのでしょう。
今が昭和17年、終戦まで後3年です。スコットさんが残していってくれた"Anne of Green Gables”はどのような運命を辿るのでしょうか…。