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新規登録として、ブログを再開しました。このブログでは、日常の出来事や環境関連の話題を提供します。

今日のニュースで

2015-01-23 10:11:02 | 日記
産経新聞が、中国の虐殺を取り上げています。



中国が南京事件犠牲者「30万人」に固執している。中国のこの言い分はおそらく変わることがあるまい。習近平国家主席自身が、昨年3月のベルリンでの演説や同12月の南京事件の追悼式典でこの数字を挙げた。日本政府はこの数字を「適切でない」と中国に申し入れていたが、中国外務省の洪磊副報道局長はこのほど、「動かぬ証拠があり、結論は出ている」「南京大虐殺は日本軍国主義が侵略戦争下で犯した残忍な犯罪」などとするコメントを出した。主席自身がいうのだから、この数字に異を唱える声が中国国内で出てくるとは思えない。

『肛門に焼いた鉄、獣姦、零下40度で水牢、胎児を引っ張り出す…』文化大革命という大虐殺

 当欄ですでに何度か触れたが、この数字はあまりにも過大なものだ。事件当時(昭和12=1937年)の人口が20万-30万人とみられる南京で、その全員を殺害することなどありえない。しかし現在の中国で実証主義による歴史は成立しない。党の公式見解が優先されるのが中国である。

 「30万人」という数字に中国は今後も固執するだろうから、ここで中国現代史のもう一つの「30万人」を見ておこう。

 「内モンゴル自治区政府幹部で、ジェリム盟出身のアムルリングイは、地面に押さえつけられて、真っ赤に焼いた鉄棒を肛門に入れられ、鉄釘を頭に打ち込まれました」

 「あるモンゴル人は、マイナス四〇度まで下がるモンゴル高原の冬に、膝まで水を満たした『水牢』に入れられ、その足は水とともに凍ってしまいました」

 「ブタやロバとの性行為を強制する、燃えている棍棒(こんぼう)を陰部に入れるなど、中国人たちはおよそ人とは思えない残虐な行為を行っていました」

 「妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を引っ張り出すという凄惨(せいさん)な犯罪も行われ、中国人たちは、これを『芯を抉(えぐ)り出す』と呼んでいました」

モンゴル人ジェノサイド…善なる『革命行為』

 の著書から引いた。楊氏は内モンゴル自治区出身で、自らを「亡国の知識人」とみなしている。

 これら引用文が示す事例の、なんと残忍なことか。これらは1966年から中国で吹き荒れた文化大革命で、モンゴル人に対してなされたとされる事例である。主導したのは漢族。被害者数について楊氏はいくつかの数字を挙げている。欧米の研究者の数字として、拘束されたモンゴル人約50万人、うち殺害された者10万人。内モンゴル自治区のジャーナリストや研究者の数字として、殺害された者と釈放され自宅に戻ってから亡くなった人の合計は「30万人」。楊氏も、これは妥当な数字だとしている。

 楊氏の編集による大部の本の一部を見たことがあるが、内部資料などを丹念に集め、モンゴル人の被害の実態を明らかにしている。基底には楊氏の、同胞が味わった苦しみへの怒りと、モンゴルへの愛情があるのはいうまでもあるまいが、姿勢は大変に実証的である。

 氏は「狂暴国家 中国の正体」で、モンゴル人にとって文化大革命はジェノサイド=民族抹消行為だったとしている。「毛沢東と、人民の味方たる共産党の首長が断罪した『民族分裂主義者』たちを殺害することは、躊躇(ちゅうちょ)ない善なる『革命行為』に発展していった」と。内モンゴル自治区のモンゴル人が「民族分裂主義者」と断罪されたとき、中国人(漢族)は「善」として虐殺をなしたというのである。

 中国はこのようなことを認めようとしない。文化大革命全体の実態も闇に沈んでいるのである。そのような国が南京事件「30万人」を言い募っているということは、南京事件のこの数字が過大なものであると国際社会にアピールする際、紳士的に付記しておいてよいと思う。

辻褄合わせたいから「30万人」…親中派・媚中派の「左傾」人士は鑑とせよ

 楊氏の「狂暴国家 中国の正体」については、きちんと紹介しておくのが公平な姿勢だろう。本稿は「30万人」という数の偶然の一致から南京事件に関して同書を引用させてもらったが、同書は別に南京事件を扱ったものではない。中国による民族抑圧の実態とその背景にある中国の思考法を、抑圧される民族の側の視点で描いた著書である。

 モンゴル問題に限らずウイグル問題もチベットのそれも、同じ視点で取り上げられていく。中国という異形の国の実態を浮き彫りにする好著であり、日本人に複眼的な視点を与えてくれるものだ。日本人は日本人の立場で中国について考えることに終始しがちだが、ユーラシア大陸で中国に苦しんできた民族の側から中国を見る目を教えてくれるのである。

 楊氏の提言に学べるところは大きい。日本はモンゴルをはじめユーラシア外交にもっと目を向けるべきだという提言もそうだし、あるいは集団的自衛権をめぐる日本国内の議論について述べた次のようなくだり。「自衛権のない国家は去勢された男のような存在です」。泰平の平和のなかで集団的自衛権反対を叫ぶ左傾人士は、これをなんと読むか。

 あるいは能天気に日中友好を説く日本人への、次のような文章。「ぜひ、『日中友好論者』たちにも中国共産党支配下の内モンゴル自治区や『反テロの前線』たる新疆ウイグル自治区、焼身自殺による抗議活動が続いているチベットにも足を運んでほしいものです」。

 媚中派、親中派、さらに「南京大虐殺」説を日本であおる人士たちにも、よく読んでほしいものである。   (大阪正論室長)



早いもので

2015-01-23 09:39:41 | 日記

新年を迎えたかと思うと、もう1月も終わりです。

できれば、今月中に、新年度4月以降の「経営セミナー」予定を完了したいと思っていますが、

経営に携わる皆さんが「今やってほしいセミナー・勉強会」などあれば、お聞かせください。

可能なものはとりこんでゆきたいと思います。

ベリーダンス(イスタンブール)



マックの評価は地に落ちた!

2015-01-21 10:29:21 | 日記


ビジネスジャーナルに掲載された一部です。



青森のケースでは異物が混入したナゲットを店員が紛失するなど失態を演じ、福島のケースでも商品をつくる機械の一部が欠損し、
そのプラスチック片で購入者の5歳の子供が口をけがしているという。

 それでもマクドナルドサイドはまるで他人事。会見に臨んだ青木岳彦上席執行役員は「保健所、お客様に対する対応は適切だった。
そうした案件を公表する必要はなかった」と開き直っている。




お客様目線に立ったトップの対応が全くなされていない状態の企業は、必ずと言っていいほど衰退します。
事業継続マネジメントの重要課題として取り上げることが大事でしょうね。

日本のトップ

2015-01-21 08:49:29 | 日記
 危機管理の意識が薄弱なことを露呈しました。

昨日の昼にニュース報道された阿部首相のエルサレム訪問(ホロコースト会館)で、イスラム風俗で
祈りをささげる総理が映し出されました。
中東のような宗教のむじな地域で、ヨルダンやパレスチナ、イスラエルなどを同じ期間に歴訪するなんて
やってはいけないと感じ、首相の危機管理不足を指摘しましたが、案の定イスラム国に敵対する行動と
とられる支援を発表し、その直後に日本人二人の命と2億ドルを引き換えにするというイスラム国の
声明が出されました。

外務省もさることながら、不注意な首相の行動により、このような事態を招いたことを大いに反省して
ほしいものです。

次回の「タカジンのそこまで言って委員会」で格好のターゲットとなりますね!!



2014年イタリア・ジェノヴァでの世界会議

もう20年たちましたか

2015-01-19 15:03:22 | 日記
阪神・淡路大震災から20年も経過し、とても20年前とは思えない気持ちです。
震災発生当日、災害救助犬・富山の緊急連絡網で招集がかかりました。
翌朝、一路神戸に向けて出発し、途中の情報で道路の混雑状況を知り、急きょ大津サービスエリヤで
給油中の愛知県消防レスキュー合同部隊に頼み込み、神戸ほど近くまで隊列の間に入れてもらい、
夕方5:00過ぎに神戸に到着しました。
翌日から、大阪や他府県のレスキュー部隊とともに救助活動を行い、主として東灘区周辺で活動しました。

残念ながら、活動開始が遅れたため、発見できた皆さんはすべて亡くなられた人たちでした。
初動の速さが生命の生存を決める...そんな思いを確かにしました。

神戸市役所旧建物横にある公園の隅でテントを張って宿泊したり、活動中の余震の大きさと音にびっくりしたり
なかなか味わえぬ経験をいたしました。
わずか5日間の探索活動でしたが、災害救助犬が本当に役立つものであると実感しました。

先日のTVでもドラマで放映されていましたが、通常死者を発見するという訓練は行えないので、反応した犬が
ご遺体の匂いを嗅ぎだしぐるぐるその場で回り始めるなども、初めての経験でした。

現場にいなければこのような壮絶な体験はできません。
被災された皆さんは、そんな中で毎日を恐怖とストレスに包まれ生活しなければいけなかったことを考えると
本当に大変だったと思います。

地元に戻る途中の高速道路運転中、無線で「おい、蛇行運転してるぞ」と告げられ、急きょ用賀サービスエリヤで
休憩・入浴し、先導隊より遅れて富山に戻りました。

地元の商工会議所青年部の集まりで、「どんな支援を行えばよいか」という課題に、真っ先に「自転車を贈ろう」と
提案し、まとまった数の自転車を贈りました。

20年前の遠い出来事ですが、決して忘れることのできない経験の一つです。

東日本大震災の時も同様な被害、それに加えて津波被害で多くの尊い命が犠牲になりました。
もうすぐ4年を数えますが、ちゃんと動いてくれない行政にへきえきしている方もまだ多くいるかと思います。
被災地は地獄....。自分の身に降りかからなければわからないでしょうね。