やや矢野屋の棚上げ棚卸し

アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログ
「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

「マイマイ新子と千年の魔法」まとめレビューその1

2009年12月06日 03時56分00秒 | マイマイ新子と千年の魔法
エントリーが多ければ、少しでも多くの人の目に触れるのではないかと思い、今日も「マイマイ新子」で更新です。
ネタ自体は使い回しでごめんなさい。
今まで書いた文章を少しまとめて、相互リンクさせていただいてる「M19981-KOBE」様の「Cinema Deck」に投稿いたしましたので、その記録をこちらにも残しておこうかと。
以下、その文章です。




練り込まれ緻密に構成された物語空間と画面の中を、伸びやかな手足の子供達が駆けていく。
喜びも悲しみも人の世の不条理さえも、彼らはそれぞれに受け止めてまっすぐに歩いていく。
彼らの声の中に、いつしか観客は劇中のふたつの時間と自分自身の現在・過去、幾層もの時空間を行き来する。

KOBEクルーの皆さんは、作中で描かれる昭和30年代から約15~20年ほど経過した頃に子供時代を過ごされた方が多いのではないだろうか。
ラジオよりもテレビの方が身近な娯楽となり、冷蔵庫は既に電化製品。
友達の家に遊びに行くにしても、徒歩で駆け回るより自転車で移動することが多かったかもしれない。
だが、子供同士の人間関係や、周囲の大人との関わりは、この映画の時代とそんなに変わりはなかったのではないかと思う。
小川を堰き止めてダムを造ったり、洞窟を探検したり、お菓子のオマケを集めたり……新子達に通じる原体験をお持ちの方も、きっと多いのではないだろうか。
また、同世代・同性の友達を求めながらも得られずに一人遊びに興じる諾子(清少納言の少女期)の切なさにも、覚えがあるかもしれない。

埋め立て地を前にした新子が「昔はここから海だったんだ」と千年前の風景を想像する場面があるが、現代の観客である私達からすれば、新子達が駆け回る麦畑や桑畑といった光景が既に過去のものである。
新子と貴伊子が千年の時を超えていにしえの波打ち際を見はるかす時、私たち観客は失われた麦畑や小川へと歩を進めていく。
新子達の「今」は観客にとっての「過去」であり、一方で新子と平安時代の諾子を結びつける「子供時代」という共通項は、観客である私達をも「ふたつの過去」に重ね合わせる。
つまり、観客自身の体験と視点が動き出す仕掛けが、映画の中に既に組み込まれているのだ。

あとは、映画の魔法に身を委ねるだけである。
驚くほど豊饒で濃密な世界が、そこに広がっている。

この作品は、是非とも映画館で公開中にご覧になっていただきたい。
常に光源の種類と位置がわかるほどに繊細な「明るさと暗さ」の表現は、映画館の暗闇と大きなスクリーンでこそ味わえる。
朝夕だけでなく、午前と午後でも色を変える屋内外の景色。
明かりが消えた瞬間に天と地の光量が逆転する夏の夜。
時間や季節の変化を伝える光線の描写がとにかく素晴らしい。





ちょっと言葉が固くなってしまったような気もしますが、あちらに書き込みするのは初めてなので緊張してしまったのかも。
できれば、同世代のアニメファンに観てもらいたいんです。
「アニメ映画はここまで来たんですよー!」と教えてさしあげたい。
昔からアニメを観ている人ほど、「マイマイ新子」の画面の繊細さと豊かさに目を見張るんではないかと思います。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿