やや矢野屋の棚上げ棚卸し

アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログ
「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

頬杖、物思いの横顔 〔古代守・真田志郎 2202年〕

2009年11月15日 05時25分00秒 | 二次創作小説
宇宙戦艦ヤマトの二次創作短編小説です。
二次創作を苦手となさる方はお読みにならないようにお願いいたします。
 勤務の合間に防衛軍本部の参謀執務室を訪れたのは、サーシャの生育の件でひとつ確認しておきたい事柄が生じたからだった。内容が内容だけに、直接古代と話がしたかった。
 もちろん、いまは二人ともこうして地球にいるのだから、勤務時間が終わればいくらでも会話の機会はある。だが、それを待つことができずにここへやってきたのは、俺自身、イカルス行きが近づいてきたことで感傷的になっていたのかもしれない。できれば、少しでも機会を捉えて古代の顔を見ていたい―――正直に言うと、そんな気分だった。


 計り知れないほどの苦しみと負い目を抱えて、古代は地球へと帰ってきた。そして―――非難、批判、皮肉の言葉や眼差しを実際にその身に浴びながら、自分が引き寄せた(と、あいつは思っているのだが)禍つ事への備えを、可能な限り行おうとしている。
 あいつの真摯な態度と持って生まれた資質とが印象を和らげてはいたが、就任からまだ間もないというのに防衛軍の戦力再編・配備に関する数々の提言を行い、実行に移すその姿は「苛烈」と言ってもよかった。数ヶ月もしないうちに、あいつは誰の目にも明らかな形で「藤堂長官の懐刀」として認識されることだろう。
 だが―――


 ―――皮肉なことに、自ら望む望まないに関わらず、人目を惹き人に愛される古代の資質は、あいつに認められず、その意を向けられなかった者からの激しい妬みや恨みを買いかねない。古代が真摯であればあるほど、相手の負の感情も強くなる。いっそ、俺のように誰からも近寄りがたく思われている方が、質の悪い敵を作らないでいられるんじゃないか―――そう思ってしまうくらいだ。
 理不尽な話だ。現状は、あいつ自身の望みなどひとっ欠片も反映しちゃいないのに。あいつはただ、イスカンダルを襲った災禍が地球に及ばないように、自分の力の全てを注いでいるだけなのだ。だが、感情というヤツはどこまでも度し難く、かつ、人はいともたやすく感情の奴婢と成り果てる。


 昏い思いに囚われながら訪れた執務室に、しかし、古代はいなかった。今日最後の会議の前に外の空気を吸ってくると言い置き、階下へ降りていったのだという。その場所に心当てがあった俺は、取り次ぎの者に礼を言うと、来た道を引き返し裏庭へと向かった。
 きれいに刈り込まれた植え込みの間を足早に歩いた先には、一応芝を敷いてはいるものの、たいした手入れもなく雑草がちらほら伸びているスペースがある。防衛軍本部全体の敷地を区切る高いフェンスはさらに向こうにあるが、隣接する施設との間を隔てる、やや低い柵がここに設けられている。
 人の胸くらいまでの、その柵に凭れる形で―――俺の求める男の後ろ姿が、そこにあった。


 手前にある植え込みを避けて近づけば、その柵に沿うようにして斜め後ろから古代の顔を捉えることになる。なんとなく声をかけそびれた俺に、あいつはまだ気づいていない。
 右手に白いカップを持ったその唇が、微かに動いている―――そう思ったのと同時に、古代の低い歌声が俺の耳に届いた。


 切なく胸を締め付ける短調の旋律。だが、けっしてか細くもか弱くもない節回し。そして、僅かに聞き取った部分だけでも十二分に俺の心を揺さぶった、その歌の詞は―――
 ―――何と形容したらいいのだろう―――
 人として生まれ、誰のものでもない自分自身の運命を生きる者が、生涯のどこかで必ず辿り着く孤独。底知れぬその寂寥に耐えながら、その身を先へと歩ましむ為の、ささやかないたわりの言葉。
 それを、この男が口ずさんでいる。


 ―――胸を突かれて、俺は動けなくなった。左手で頬杖を付いた古代の横顔を見つめたまま……


 気配に気づいたのか、ふと、古代がこちらを見た。途端にバツの悪そうな顔をして歌いやむ。
「……おい、人が悪いぞ。ずっと聴いてたのか?」
「ああ、いや…そんなに、長い時間じゃない。すまん、声を…かけそびれて……」
 俺は、自分でも訳がわからない動悸を抑えかねていた。おそらく、聴かれた古代よりも動揺しているのではないか。
「今の、歌は…?初めて聴くな。」
「ああ、ずいぶん古い歌らしい。親父がよく歌っていたんだよ。」
 ここに来たそもそもの用件でさえすぐには切り出せず、つまらないことを尋ねてしまった俺に、古代はちょっと苦笑いしながら説明してくれた。
「何となく、一人になった時に出てくるんだ、この歌。誰もいない時にしか歌ってなかったんだけどな……あーあ、聴かれちまったか。笑うなよ。」
 照れ隠しのようにそう言って顔を背け、頭を掻いた男のことを、俺は、笑うどころか―――


 胸が、騒ぐ。締め付けられる。


 古代―――古代。


 何かが、お前を突き動かしている。俺にもお前にもどうすることもできない、まるで熱い大気が塊となっているような掴み所のない流れに呑みこまれて、それでも自分の進むべき途を選び取ろうと、お前は―――
 だが、どうか、急ぐな。急がないでくれ。
 そうやって、ささやかな歌に心を慰める時間を捨てないでくれ。
 俺がお前の奥底にある傷に辿り着くまで。癒せないまでも、せめて、そっと覆えるようになるまで。
 お前が、俺にしてくれたように―――古代、どうか―――


 日差しが―――午後の波長を強めている。
 小さな秘密が晒されたあどけない時間が破れ、日常の時間が流れ出すまでの、永遠の刹那。
 宙に浮かんだ泡のようにきれいに閉じた円環の中で、俺はただそれだけを念じていた。  










【あとがき】

これもタイトルは「パーツフェチへ15題」から。
前2作からずいぶん時が流れ、「新たなる旅立ち」と「ヤマトよ永遠に」の間のエピソードとなります。
作中で守さんが歌っているのは、塚田茂作詞・宮川泰作曲の「銀色の道」です。
  http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/ginirono_michi.htm
宮川先生が亡くなられ、いくつかの追悼番組が放送された中でこの曲を聴き、その時の感動から生まれた話がこれなんです。
古代武夫さんならきっとこの歌を知っているに違いない!(何せ未来の昭和人・笑)
長かった「一人っ子」時代、たとえば家族での山歩きに疲れておんぶされた時などに、守さんはお父さんの背中でこの歌を聴いていたのではないかと想像しています。

真田さんって何班?

2009年11月12日 04時02分00秒 | レビュー
戦闘班・生活班・通信班。
この三班については、それぞれのトップが「戦闘班長」「生活班長」等と呼ばれているし、他の呼称もなかったので、確定しているといっていい。
「航海長」と称されることが多い島大介も、第一作において「航海班長」と呼ばれたことがあり、「航海班」の呼称に異論が出ることもないだろう。
ところが、機関長の徳川さんと工場長(「さらば」以降は技師長となるが)の真田さんについては、何班の長であるのか、今ひとつはっきりしない。
「航海長-航海班」の例に倣えば「機関長-機関班」となるのだろうが、これは少々語呂が悪い。
また、本編で徳川さん本人は「機関部門のチーフリーダーを務める徳川」と名乗っており、そこから「機関部」という言い方ができるのではないかという気もする。
ただ、ヤマトの編成から言えば、矢印の色が他班と違う機関部門はあくまで独立した班であるのだから、如何に語呂が悪くとも「機関班」と呼ぶべきなのかもしれない。

さて、表題について。
いちばん頭を悩ませたのが、「真田さんの管轄する班を何と呼ぶべきか」ということである。
「工場長-工場班」とするのが、他班との統一を考えた際に最も齟齬が少ないのであろうが、真田さん本人は自班を「科学班」(第一作)「技術班」(ヤマト2)と呼んでいるのだ。
その上、自分自身のことを「工場長」から「技師長」に呼び変えたりするのだから、受け取り手の混乱も無理のないことと思っていただけよう。

沖田艦長は、艦体補修にあたる乗組員を一度「工作班」と呼んでいるが、別の時には「作業班」と呼ぶこともあり、これが艦内組織としての班名なのかという点には疑問が残る。
むしろ「補修を行う人員グループを指す一般的呼称」としてこの二つを使ったようにも思える。
これらの呼称はそれぞれ一度ずつしか出ていないため、どれが優位であるのかという判断がつきかねるのだ。
そうすると、真田さん本人が名乗った呼称に一番妥当性があるような気がしてくる。
自分が属するグループのことを一般的名称で呼ぶことは、まず無いだろうからだ。

「ヤマト科学班長として断言する」という台詞は、第一作23話「逐に来た! マゼラン星雲波高し!! 」にて発言されている。
羅針盤の不可解な動きについてコメントした際の言葉であるが、「科学」とはあまりに範疇が大きく、艦内組織の名称としては相応しくない気がする。
この場面で班名を述べる必要が出てきたため、咄嗟に填めこまれた言葉ではないかと思う。
そうすると、ヤマト2・6話「激戦!空間騎兵隊」にて斉藤隊長をはじめとする空間騎兵隊に名乗った「ヤマト技術班長」という呼称の方が妥当に思えてくる。
何より、組織に属する者が外部者に対して曖昧な一般呼称を使うことなど有り得ない。
というわけで、私は自分自身で真田さんの班名を述べる必要がある時には「技術班」という呼称を使うようにしている。
「続編に出てきた言葉を遡って過去作に充てるべきではない」という論も、理解はできるのだが。

そんなことをだいぶ前から考えていたのだが、実写版ヤマトのキャスト表を見て驚いた。
真田さんの役職名が「技術班班長」となっているのだ。
実写版制作スタッフも同じようなことを考えたのか、それとも別に根拠があるのか。




追伸。
メールの送信が滞っているのに、こんなものを書いてしまってゴメンナサイー(汗)
今書いておかないと忘れちゃいそうだったんですorz

宇宙船サジタリウス

2009年11月08日 14時21分00秒 | レビュー
ぬわー、11月16日からフジテレビTWOで「宇宙船サジタリウス」の放送が始まるーー!

http://www.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200292.html

残念ながら私は視聴環境が整ってないので観られませんが、もしスカパーやケーブルに入っている方いらっしゃいましたら、騙されたと思ってご覧になって下さい。
これ、ホンットに面白いですよ!
宇宙を舞台にしたアニメの中では、ヤマトやガンダムに勝るとも劣らない大傑作です。

「宇宙船サジタリウス」とは、宇宙輸送の中小企業・宇宙便利舎が所有する貨物船サジタリウス号を舞台に、倒産・失職の危機と戦い、生活の安定と友情を天秤にかけつつ(汗)愛ある人生を選び取っていく大人達の物語です。
なんといっても、主人公トッピー(これが唯一のアニメ主役?島田敏さん)が初めてパパになる30代というのが凄い。
こんなアニメ、他にないですよ。
脇を固めるのは大家族を抱えるパイロットのラナ・40代(緒方賢一さんの大熱演)と、うだつの上がらない考古学者ジラフ・20代(新境地を開いた塩屋翼さん)。
放映当時はジラフやアン教授に近い世代だった私ですが(汗笑)、今観たらラナや奥さんのナラに一番感情移入してしまいそうです。
話の内容も、文化人類学的アプローチを絡めた政治風刺に文明批判と、見応え充分のアニメでした。

いまでも懐かしがる人の多いエンディング「夢光年」は、宇宙のロマンを歌ったものとして、個人的に「真っ赤なスカーフ」と双璧をなす名曲だと思っています。
JASRACの許諾をとって歌詞を紹介しているサイトさん(http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/)に掲載されていましたので、リンクを張っておきます。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/sajitarius/yume.html
作詞はヤマトと同じ阿久悠さん。
主題歌の「スターダストボーイズ」には「ちょっとヤマトを意識してるんじゃないかな?」と思われる一節もあります。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/sajitarius/star.html
阿久悠さんではないですが、挿入歌の歌詞もいいんですよ。
ついでですのでご紹介。
シビップ役の堀江美都子さんが歌う「愛が心にこだまする」
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/sajitarius/ai.html
主題歌・エンディングと同じく影山ヒロノブさんの歌う「ソウルブラザー」
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/u/sajitarius/soul.html



DVD-BOXは出るたびすぐに品切れになっちゃってますが、来年再販されるんですね!
ただいま予約受付中。うわあどうしよう、買いたくなってしまう……
ヤマト復活篇でだいぶ散財しちゃってるからヤバいよなあ。

【追記】
結局買えずにいたら、すでに中古しか引っかからない状況になってました…orz



 【中古】【DVD】宇宙船サジタリウス DVD-BOX 1 <初回生産限定版>映像アニメ




音楽集はまだ買えるかも。






「イデオン」雑感

2009年11月06日 21時35分00秒 | レビュー
前回はキャラクターデザインについて述べたので、今度はその他の要素について。


放映当初より、「嫌味なキャラに救いのないストーリー」との評判が高い作品だった(汗)
味方、というか、同じ船に乗り合わせた者同士がこれだけ互いを非難して角つき合わせるアニメもなかったのではないか。
ただ、当時視聴者だった私はなぜか、その「角つき合わせる姿」に共感し、宇宙規模で破滅していく二つの人類の物語にカタルシスを得ていた。
おそらくそれは、この物語が単なる「無理解と不寛容」を描いたのではなく、「魂の受容と共感」を形にしているからではないかと思う。
悪の組織や侵略者ではなく、地球人とまったく同じ欲望や怨念に突き動かされる存在としての敵異星人・バッフクランとの不幸な接触を通じ、相互理解の可能性や、それを潰えさせるものが何かを確かめていく。
それが、「イデオン」というドラマを体験することの意味だった。
大きな運命の流れの中で、あるいはささやかな生活の中で、人は次第に人を受け入れていく。さらに、そうした個々の人間のささやかな営みを押し潰していく、人間の「業」というもの。
それらが視聴者の眼前に繰り広げられていく「イデオン」は、まさに脂ののっている時期の富野由悠季監督が渾身の力を注いで作り上げた、見事な群像劇である。


さて、「イデオン」登場キャラには、全アニメの中でも一、二を争う「私的ベストカップル」が存在する。
ソロシップのリーダー、ジョーダン・ベスのあとにイデオンBメカのパイロットとなるファトム・モエラと、ソロシップの看護婦ファム・ラポーである。
モエラは一応正規の軍人であるが、本人曰く「(パイロットといっても)オレは補欠だったんだよ!」(主人公のコスモに「自慢になるかね」と返されていた・汗)
また、これも本人談だが、小さい頃はメソメソグズグズした子供だったらしい。
顔つきはどこから見ても純然たるモンゴロイド、きっと中国内陸部の少数民族で口減らしのために軍隊に入ったんじゃないか……とか、いろいろと想像をかき立てるキャラである(汗笑)
そのパッとしない彼が、やはり地味キャラながら自分の職務をしっかり務め、なおかつ小さな子供達に理解と受容の精神(ラポート、これが名前の由来かな?)で接するラポーと交流を持ち、「オレの人生捨てたもんじゃないかも?!」と希望を抱くのだが……その直後に戦死してしまうのが「イデオン」という物語(泣)
「特別な人との出逢いは、特別な人間にだけ訪れるのではない、誰だって、自分なりに大切にしたい人に出会い、関係を育てていくことができるんだ」―――そんなことを感じさせてくれるエピソードは、それまでのテレビアニメの中では、なかなかお目にかかれなかったように思う。
「イデオン」は、モエラとラポーのエピソード以外にも、作中でこうした「人としての感情の営み」をきちんと描いていた。
だからこそ、彼らが織りなす悲劇を我が事のように受け止められたのだろう。
思春期前期に「ヤマト」に出会ったことと同じくらい、思春期の終わりという時期に「イデオン」を鑑賞できたのは、作品の「キモ」の部分を理解する上で、たいへん幸運だったのだと思う。


続いては「イデオン」の音楽について。
作曲のすぎやまこういち氏をメインに、あかのたちお・神山純一両氏が(劇場版では小六禮次郎氏も)一部編曲を手がけている。
特にTVシリーズのサントラ1枚目は非常にハイレベルであり、個人的にはヤマト第一作と並んで「TVアニメ音楽の両横綱」だと思っている。
サントラの一曲目に収録されているエンディングテーマ「コスモスに君と」は様々な論評がなされているが、歌詞については「タブーに踏み込んでるな」とは思うものの、それほど深いとは思わない。
むしろ、「トミノ節」が強すぎて、かえって浅い気がしないでもない。
ただ、厭世観やニヒリズムに首を突っ込んだ若いモンの「気分」を掬い取るのは巧いよなあ、と。
「じゃあ嫌いなのか」というと、好きなんです、実は(汗笑)
この「イカニモ物がわかったような青クサい感じ」がいいんですよ!エライ人にはそれがワカランの(略)
しかし、その青クサさを包み込むかのような滋味に満ちたメロディーには、ただ胸を打たれるばかり。
戸田恵子さんの歌唱も、バックの演奏もすばらしい。
羽田氏のピアノはさすがにエモーショナルであり、またドラムも弦も非常に演奏力が高い。
アレンジがまた3コーラスの世界をきっちり構築していて、何度聴いても飽きることがない。


劇伴音楽も、宮川泰氏のヤマトとは好対照。
ヤマトに「勇壮なマイナーコード」の印象があるとしたら、イデオンは「哀切なメジャーコード」。
ヤマトがロマン派ならば、イデオンは印象派。
ヤマトに良質のジャズテイストがあれば、イデオンにはロックのドライブ感。
アンサンブルやセッションの妙で聴かせる音楽が多いのも、イデオンBGMの特徴であろう。
ソロシップ船内の日常描写シーンでよく使われた「チルドレン」という曲は、途中のパートにザイロフォンやバイオリンが挿入される以外、ほぼ全曲がクラリネットやフルート、ファゴット等の木管楽器で演奏される。
これがまさに「人の息遣い」といった感じでとてもいい。
「発動」や「デス・ファイト」といったアップテンポの曲では、羽田氏のピアノがとにかく凄い。
とてつもない躍動感があり、唯一無二の音色と超絶なテクニックを遺憾なく発揮している。


すぎやま氏の作曲について述べるならば、何よりも「音によって一つの世界を顕現しようという意志」が溢れている。
音楽によって、誰も見たことのない世界を、誰も到達したことのない物語を示そうという意志が。
劇場版「発動編」のラスト近く、バッフクランの最終兵器・ガンドロワがその全貌を顕わにするシーンに流れる「コスモスへ」を聴いた時には、「ああ、とうとうこんなところにまで来てしまったんだ…」というショックを感じた。
とても静かで情感に満ちた曲であり、巨大兵器のイメージにはそぐわないのだが、そのことが逆説的にガンドロワの恐ろしさ、それを作らしめた人間の業の深さに思いを至らせる。
迫力ある映像に迫力ある音楽を付けるのは簡単だが(暴言スミマセン)、イデオンが凄いのはこういうところではないかと。
すぎやま氏の曲も素晴らしいが、富野監督のセンスも大変なものだった。
発動編終曲の「カンタータ・オルビス」は、羽田健太郎氏の「交響曲宇宙戦艦ヤマト」と並んで、アニメ音楽の一つの到達点であると思う。


最後になってしまったが、主題歌「復活のイデオン」。
水木一郎氏に代表される「ド迫力絶叫系」が多いロボットアニメの中にあっては、かなり地味なテーマソングである。
アニソンとしての評価もさほど高くないのではないか(たぶん)。
が。一度、一人っきりになれる場所で思う存分歌ってみることをお勧めする。
すんごいキモチイーです、この歌。
「ここで声を響かせたい!」とか「音を伸ばしたい!」と思うところで、何とも気持ちよく声が出せる。
まあ、多少はキーを変えないといけないが、無理な発声する必要がまるで無い。
起伏とニュアンスに富んだメロディーラインといい、メジャー→マイナー→メジャーというよく考えたら非常にトリッキーなコード進行といい、やはりすぎやま氏はスゴイ!としか。


「イデオン」の音楽集は、1枚目のサントラ以外のCDが長らく絶版状態にあり、名曲にもかかわらず手に入れにくい状態であったが、今年8月に4枚組ボックスの「総音楽集」として再販された。
まさに「快挙」である。
これだけ充実した収録内容でこの値段は格安でもあり、是非とも御一聴をお勧めする。





1枚目サントラ。こちらも名盤。





DVDは在庫切れらしい………中古がいくつかあるみたいですが。






湖川絵の魅力

2009年11月05日 02時34分00秒 | 湖川友謙
「さらば宇宙戦艦ヤマト」の作画監督が湖川さんだということを知ったのは、長いファン歴において比較的最近のことだ。
ヤマトにドップリと浸かっていた頃は、アニメの絵を誰が描いているかということにさほど興味を持ってはいなかった。
せいぜい「さらば」のポスターにあった古代と雪のイラストは誰が描いたのか、知りたかったくらいだ。
(あれが安彦良和さんの手になるものだと知ったのも、ずいぶん後になってからだった)
やがて、ガンダムブームを経てアニメ誌を定期購読するようになり、制作スタッフに対する興味関心が高まったちょうどその頃、「伝説巨神イデオン」の放映が始まった。

アニメ誌の新作情報でキャラシートを初めて見たときから、今までのアニメにない人物造形に惹かれ、これは絶対に観なければと心に決めた覚えがある。
敵異星人バッフ・クランの髪・眉の色トレスや瞳の表現、独特の髪型やコスチュームは、今見ても斬新だ。
地球人側のキャラも、人種や年齢が反映されたリアリティと美しさ・格好良さのバランスが絶妙だった。

個人的には、この作品にゲストとして登場した「キッチ・キッチン」がアニメ史上最高の美少女ではないかと思う。
「ガンダム」のセイラさんももちろん美しいのだが、安彦良和さんのキャラはなぜか「同じ作品の他キャラと比べて水際立った美しさがある」という感じを受けない。
セイラさんが綺麗ならマチルダさんも綺麗だし、フラウ・ボゥも可愛いし。
だが、湖川さんの女性キャラは「ああ、この世界の美人のランクってこういう感じなんだな」というのが手に取るようにわかる。
キッチンの印象的な眼と、成長の過程にある少女らしい身体つきは、それまでのアニメにはなかった「美少女の佇まい」を醸し出していた。

その一方で、トータルでは美人とは言い難いキャラが、ふとした折りに見せる表情が非常に魅力的だった。
例えば、敵であるバッフクランの女性司令官ハルル・アジバと、地球側の女性科学者フォルモッサ・シェリル。
この二人のアクの強さときたらスゴイものだったが、作中でとても可愛らしかったり、美しかったりする瞬間がある。
その辺りに、アニメキャラを記号で終わらせずに複雑な人間性を含ませる「湖川式キャラデザインの真髄」を見る思いがした。

とにかく、どのキャラも見飽きない魅力を持っていて、何度も模写してはこの魅力を自分でも表現しようと頑張っていたものだ。
(しかし、描いても描いてもあの線のニュアンスが出ないんですよ(´・ω・`)まるで永遠に辿り着けない蜃気楼のようだったなあ…いやまあ目標値が高すぎるんだということはわかってましたがorz)