2l99は、オリジナルの宇宙戦艦ヤマトとは全く違う物語である。
当たり前と言えば当たり前のことなのだけど、それが誰の目にもはっきりわかるようになった第4章でした。
オリジナルヤマトが「鋼鉄で出来た男の船」ならば、2l99ヤマトは「SFガジェットが随所にちりばめられた女神の船」。
オリジナルには超能力やオカルトの要素は無く、物理法則の範囲内で物語が推移するが、2l99はテレパシーによる攻撃やそれを打ち破る特異な力を持つ精神、生き霊の憑依(と呼ぶしかない…)等、オカルティックな要素が物語を動かしている。
(この場合「オリジナル」とはテレビシリーズ第一作26話のことを指し、「永遠のジュラ」は入っていません。発表年の隔たり、アニメと漫画というメディアの違いもありますが、第一作とはあまりにも作風が異なっていますので、喩えて言えば「石津嵐版小説」のような異説として認識しています)
しかし、何よりも大きかったのは、「戦端を開いたのは地球側だった」「しかも沖田十三は提督としてその場に居り、先制攻撃を躊躇したために即時解任されていた」という変更です。
そこで思い起こされるのは、2l99第1章、冥王星会戦(って言わないんだっけ、メ号作戦だっけ)から帰還する沖田の独白、「見ておれ悪魔め、儂は命ある限り戦うぞ!決して 絶望はしない。たとえ最後の一人になっても儂は絶望しない!」 という言葉。
……「悪魔」って、ダレ?
……「最後の一人になっても」って、そもそもそういう事態を引き起こしたのはドナタ?
「いや、奴は大変なものを落としていきましたッ!」という台詞が納谷悟郎さんのお声で響き渡る脳内。
以下、例によってTwitterのまとめです。
どうしても気になっていることを書く。タグは付けずにおく。最後まで読んでもらえたら、けっして一方的な否定でないことは分かっていただけるとは思う。
posted at 20:22:14
遊星爆弾によるガミラスの攻撃は、単に「戦争」で片がつくものではない。ジェノサイドである。そして、沖田十三が開戦時の事実を知る以上、沖田にも責任の一端はある。
posted at 20:24:39
「間違った命令には従わない勇気」、結構。しかし、「間違っている」と知っているのに、沖田はそれを改める為にどんな行動をとったというのか。数十億の人間が虐殺され、かけがえのない地球環境が破壊され続けている、その間に。
posted at 20:32:43
民間人に対する一方的な殺戮、生命の循環を根底から破壊し回復不可能な状態に変えてしまう行為、それは確かに「悪魔」と呼んで然るべき所業であろう。しかし、その切っ掛けを作ったのが何ものか、沖田は知っている。
posted at 20:38:38
誤った選択を行ったのが自分自身ではないとしても、「知る」者としての責任は逃れようもなく彼にのし掛かっているだろう。軍人である前に、一人の人間として、彼は如何にしてその責任を果たそうとしたのか?
posted at 20:39:56
「最重要機密の保持」、それは、数十億の人命と引き換えにすべきことなのか?数え切れない動植物の命が失われ、惑星の命そのものが尽きていくことをも、「仕方のないこと」と諦観してまで守らねばならないことなのか?
posted at 20:45:37
不服従のその先に、沖田がどんな八年間を過ごしてきたのか。それはいまだ描かれていない。また、「数十億の人間を見殺しにしたも同然の責任」という、途轍もなく重い十字架を負わされた今作の沖田十三に、2199の物語はどのような終結点を与えようというのか。
posted at 21:07:46
「嫌なら見るな」という向きもあるやに聞くが、かほどに想像を絶する重荷を背負わされた人間がどのような道を歩んでいくのか、ここまで見てしまった以上、見届けずにはいられない。おそらく「何もかも皆懐かしい」などという予定調和に辿り着くことはないだろう。
posted at 21:18:53
まあ、ぶっちゃけて言えば、「我が方の責任で始まった同胞へのジェノサイドを止めさせる為に、いったい沖田は何をしたのか?」ということなんですよ。「誤った戦争を止める為」、でもいいですが。彼は「軍人と雖も意志を持たぬ駒に非ず、信念を有する一個人なり」と明言したのですから。
posted at 21:41:40
物語の前提を「真逆」といってもいいところまで引っ繰り返しておいて、沖田の台詞はオリジナルと同じ。
これで「何のフォローもない」とは考えられないので、この件については今後また補足があると思いますが、いったいどういう落としどころを想定しているのか。
劇中のプロパガンダ映画の雰囲気からして、2l99の地球は第二次大戦期の大日本帝国と似通った社会と想定されているようですが、ガミラスへの攻撃は盧溝橋事件との擬えでしょうか。
沖田提督は戦線の拡大を止められなかった帝国軍人なのか。
しかも「我が方に義の無い戦争」と知っている立場。
その沖田がガミラスを「悪魔」と呼ぶのは何故か、同胞がすべて死に絶えても「絶望しない」と繋ぐ希望は何なのか。
シリーズのちょうど真ん中で明らかにされた大ネタですから、当然、後半のストーリーで何らかの解きほぐしが行われるでしょう。
それを見届ける為に、四月以降も映画館に通う羽目になりそうです。
当たり前と言えば当たり前のことなのだけど、それが誰の目にもはっきりわかるようになった第4章でした。
オリジナルヤマトが「鋼鉄で出来た男の船」ならば、2l99ヤマトは「SFガジェットが随所にちりばめられた女神の船」。
オリジナルには超能力やオカルトの要素は無く、物理法則の範囲内で物語が推移するが、2l99はテレパシーによる攻撃やそれを打ち破る特異な力を持つ精神、生き霊の憑依(と呼ぶしかない…)等、オカルティックな要素が物語を動かしている。
(この場合「オリジナル」とはテレビシリーズ第一作26話のことを指し、「永遠のジュラ」は入っていません。発表年の隔たり、アニメと漫画というメディアの違いもありますが、第一作とはあまりにも作風が異なっていますので、喩えて言えば「石津嵐版小説」のような異説として認識しています)
しかし、何よりも大きかったのは、「戦端を開いたのは地球側だった」「しかも沖田十三は提督としてその場に居り、先制攻撃を躊躇したために即時解任されていた」という変更です。
そこで思い起こされるのは、2l99第1章、冥王星会戦(って言わないんだっけ、メ号作戦だっけ)から帰還する沖田の独白、「見ておれ悪魔め、儂は命ある限り戦うぞ!決して 絶望はしない。たとえ最後の一人になっても儂は絶望しない!」 という言葉。
……「悪魔」って、ダレ?
……「最後の一人になっても」って、そもそもそういう事態を引き起こしたのはドナタ?
「いや、奴は大変なものを落としていきましたッ!」という台詞が納谷悟郎さんのお声で響き渡る脳内。
以下、例によってTwitterのまとめです。
どうしても気になっていることを書く。タグは付けずにおく。最後まで読んでもらえたら、けっして一方的な否定でないことは分かっていただけるとは思う。
posted at 20:22:14
遊星爆弾によるガミラスの攻撃は、単に「戦争」で片がつくものではない。ジェノサイドである。そして、沖田十三が開戦時の事実を知る以上、沖田にも責任の一端はある。
posted at 20:24:39
「間違った命令には従わない勇気」、結構。しかし、「間違っている」と知っているのに、沖田はそれを改める為にどんな行動をとったというのか。数十億の人間が虐殺され、かけがえのない地球環境が破壊され続けている、その間に。
posted at 20:32:43
民間人に対する一方的な殺戮、生命の循環を根底から破壊し回復不可能な状態に変えてしまう行為、それは確かに「悪魔」と呼んで然るべき所業であろう。しかし、その切っ掛けを作ったのが何ものか、沖田は知っている。
posted at 20:38:38
誤った選択を行ったのが自分自身ではないとしても、「知る」者としての責任は逃れようもなく彼にのし掛かっているだろう。軍人である前に、一人の人間として、彼は如何にしてその責任を果たそうとしたのか?
posted at 20:39:56
「最重要機密の保持」、それは、数十億の人命と引き換えにすべきことなのか?数え切れない動植物の命が失われ、惑星の命そのものが尽きていくことをも、「仕方のないこと」と諦観してまで守らねばならないことなのか?
posted at 20:45:37
不服従のその先に、沖田がどんな八年間を過ごしてきたのか。それはいまだ描かれていない。また、「数十億の人間を見殺しにしたも同然の責任」という、途轍もなく重い十字架を負わされた今作の沖田十三に、2199の物語はどのような終結点を与えようというのか。
posted at 21:07:46
「嫌なら見るな」という向きもあるやに聞くが、かほどに想像を絶する重荷を背負わされた人間がどのような道を歩んでいくのか、ここまで見てしまった以上、見届けずにはいられない。おそらく「何もかも皆懐かしい」などという予定調和に辿り着くことはないだろう。
posted at 21:18:53
まあ、ぶっちゃけて言えば、「我が方の責任で始まった同胞へのジェノサイドを止めさせる為に、いったい沖田は何をしたのか?」ということなんですよ。「誤った戦争を止める為」、でもいいですが。彼は「軍人と雖も意志を持たぬ駒に非ず、信念を有する一個人なり」と明言したのですから。
posted at 21:41:40
物語の前提を「真逆」といってもいいところまで引っ繰り返しておいて、沖田の台詞はオリジナルと同じ。
これで「何のフォローもない」とは考えられないので、この件については今後また補足があると思いますが、いったいどういう落としどころを想定しているのか。
劇中のプロパガンダ映画の雰囲気からして、2l99の地球は第二次大戦期の大日本帝国と似通った社会と想定されているようですが、ガミラスへの攻撃は盧溝橋事件との擬えでしょうか。
沖田提督は戦線の拡大を止められなかった帝国軍人なのか。
しかも「我が方に義の無い戦争」と知っている立場。
その沖田がガミラスを「悪魔」と呼ぶのは何故か、同胞がすべて死に絶えても「絶望しない」と繋ぐ希望は何なのか。
シリーズのちょうど真ん中で明らかにされた大ネタですから、当然、後半のストーリーで何らかの解きほぐしが行われるでしょう。
それを見届ける為に、四月以降も映画館に通う羽目になりそうです。