以前書いた記事( http://sea.ap.teacup.com/yayayanoya/40.html )で述べていた、「家族の物語としてのヤマト」ですが、ボチボチとりかかってみたいと思います。
まずは過去ツイートを転載。
改めてヤマト第一作の10話見てみると、構成の素晴らしさに驚く。古代と沖田艦長が酒を酌み交わさなければならなかったのと同じように、雪は徳川さんの居るところで家族と会話せねばならなかったのだ。この脚本は本当にすごい。
posted at 20:21:19
もしかして脚本の前にアイデア出した人がいるかもしれないけど、その人もすごい。昔の人マジすごい。
posted at 20:22:20
宇宙戦艦ヤマト第一作10話、「歳を重ねてから徳川さんと雪の通信に大きな感銘を受けるようになった」というのはこれまで何度か書いてきたけど、その内容について少し整理が出来たので、述べてみようと思う。
posted at 20:36:08
徳川さんはまず花瓶や写真の調度について煩く小言を言う。そして孫娘アイ子への慈しみをモニターへの頬擦りで表現し、息子夫婦に「アイ子を育てろ、決して希望を失うな」と強く語りかける。このシーンの意味は、「日常の些細な行為の中にこそ生の意味がある」ということでは。
posted at 20:43:00
裏を返せば、「絶望に抗う術は、日々の些細な行為や一日一日を積み重ねる営みの中にしかない」ということではなかろうか。それを象徴的に体現しているのが「子供」なのだろう。徳川さんは、それを必死で息子達に伝えようとする。齢を重ねた者の責務として、心の底から。
posted at 20:48:29
「まだ伝えなくてはならんことが…」と言いつつ、モニターの前で項垂れる徳川さん……もうね、今はこのシーン、涙なくしては観られないんですよ(´;ω;`)ブワッ
posted at 20:51:41
徳川さんの身内愛を大切に描く演出には、新子とお祖父ちゃんの交流に共通するものを感じる。「祖父ちゃんから孫への思い」だから当たり前っちゃ当たり前なんですけど、こういう健全で自然な身内への愛情って、意外と描かれていない気がします。
posted at 20:59:26
雪の通信では、いきなり「お見合い写真」とか「まさか、そのお年寄りの方が…」とか笑いをとる方向に進むのだけど、雪ママの切なる願いも実は徳川さんと同じ「希望の象徴としての子供」なのだと気づいてハッとする。ここすごい、マジすごいオニすごい。
posted at 21:10:29
さらに言えば、雪こそが雪ママにとっての「希望」そのものなんだよね。その最愛の娘が宇宙の彼方にいて、先の見えない不安に直面してるんだよね。「嘘よ!」と泣き崩れる雪ママ。人類が置かれているギリギリの状況を、これほど痛切に表現しているシーンは他に無いです。
posted at 21:16:24
ヤマトが帰ってこなければ、人類の希望は潰える。雪が帰ってこなければ、雪ママの「希望」は潰えてしまう。ヤマトと地球は、遙かな距離を隔ててなお、同じ未来に向かって進んでいる。その切実さも、徳川さんの通信が先にあるからこそ、観る者に強く印象づけられる仕組みになっている。
posted at 21:22:52
そして通信終了間際の雪の台詞、「楽しみにしてるわ。どれだけお見合いの写真が増えてるか…ママ…」……遠く離れていても、ママと同じ希望を抱き、同じ未来を見つめて生きているわ、って言ってるんだよね雪ちゃん……(´;ω;`)ブワッ
posted at 21:28:04
というわけで、まずは徳川さんと雪ちゃんという「地球に家族がいる二人」の交流。
「子供という希望」をキーワードに、地球に残された人々が置かれた厳しい境遇とヤマトの背負う使命の重さを余すところなく描いています。
ヤマトとその乗組員は「地球に残してきた家族のため」に旅をし、「地球の家族と同じ未来を守るため」に、戦いに身を投じる。
「顔の見える存在」として家族を描くことで、彼らを動かしているものが「自己実現」などという矮小な意識ではなく「過去から未来へと繋がり、広がっていく、大きな命の流れ」であることを示す。
その鍵になっているのが、「希望としての子供」なのだということ。
第一作10話が視聴者に印象づけたのは、そうした「地球との精神的紐帯の存在」であり、だからこそ、遠く宇宙を旅するヤマトであっても、常に地球の人々との同時性が途切れることはないんです。
また、このエピソードでは、徳川さんや雪ママの「愛すべき愚かしさ」とでも言うべき「深み」に唸らされます。
特に、熟練の職業人でありヤマトにおいては沖田艦長に次ぐ重鎮である徳川さんが、舅根性丸出しで調度の乱れに小言を言い、孫娘に相好を崩す姿は、「キャラが立つ」などという浅く一面的な人間理解に終始しがちな私たちの世代には表現し得ないものではないかとすら思うのです。
長くなりました。
この物語の中で「家族を持たない二人」、沖田艦長と古代進については、項を改めてお話ししたいと思います。
まずは過去ツイートを転載。
改めてヤマト第一作の10話見てみると、構成の素晴らしさに驚く。古代と沖田艦長が酒を酌み交わさなければならなかったのと同じように、雪は徳川さんの居るところで家族と会話せねばならなかったのだ。この脚本は本当にすごい。
posted at 20:21:19
もしかして脚本の前にアイデア出した人がいるかもしれないけど、その人もすごい。昔の人マジすごい。
posted at 20:22:20
宇宙戦艦ヤマト第一作10話、「歳を重ねてから徳川さんと雪の通信に大きな感銘を受けるようになった」というのはこれまで何度か書いてきたけど、その内容について少し整理が出来たので、述べてみようと思う。
posted at 20:36:08
徳川さんはまず花瓶や写真の調度について煩く小言を言う。そして孫娘アイ子への慈しみをモニターへの頬擦りで表現し、息子夫婦に「アイ子を育てろ、決して希望を失うな」と強く語りかける。このシーンの意味は、「日常の些細な行為の中にこそ生の意味がある」ということでは。
posted at 20:43:00
裏を返せば、「絶望に抗う術は、日々の些細な行為や一日一日を積み重ねる営みの中にしかない」ということではなかろうか。それを象徴的に体現しているのが「子供」なのだろう。徳川さんは、それを必死で息子達に伝えようとする。齢を重ねた者の責務として、心の底から。
posted at 20:48:29
「まだ伝えなくてはならんことが…」と言いつつ、モニターの前で項垂れる徳川さん……もうね、今はこのシーン、涙なくしては観られないんですよ(´;ω;`)ブワッ
posted at 20:51:41
徳川さんの身内愛を大切に描く演出には、新子とお祖父ちゃんの交流に共通するものを感じる。「祖父ちゃんから孫への思い」だから当たり前っちゃ当たり前なんですけど、こういう健全で自然な身内への愛情って、意外と描かれていない気がします。
posted at 20:59:26
雪の通信では、いきなり「お見合い写真」とか「まさか、そのお年寄りの方が…」とか笑いをとる方向に進むのだけど、雪ママの切なる願いも実は徳川さんと同じ「希望の象徴としての子供」なのだと気づいてハッとする。ここすごい、マジすごいオニすごい。
posted at 21:10:29
さらに言えば、雪こそが雪ママにとっての「希望」そのものなんだよね。その最愛の娘が宇宙の彼方にいて、先の見えない不安に直面してるんだよね。「嘘よ!」と泣き崩れる雪ママ。人類が置かれているギリギリの状況を、これほど痛切に表現しているシーンは他に無いです。
posted at 21:16:24
ヤマトが帰ってこなければ、人類の希望は潰える。雪が帰ってこなければ、雪ママの「希望」は潰えてしまう。ヤマトと地球は、遙かな距離を隔ててなお、同じ未来に向かって進んでいる。その切実さも、徳川さんの通信が先にあるからこそ、観る者に強く印象づけられる仕組みになっている。
posted at 21:22:52
そして通信終了間際の雪の台詞、「楽しみにしてるわ。どれだけお見合いの写真が増えてるか…ママ…」……遠く離れていても、ママと同じ希望を抱き、同じ未来を見つめて生きているわ、って言ってるんだよね雪ちゃん……(´;ω;`)ブワッ
posted at 21:28:04
というわけで、まずは徳川さんと雪ちゃんという「地球に家族がいる二人」の交流。
「子供という希望」をキーワードに、地球に残された人々が置かれた厳しい境遇とヤマトの背負う使命の重さを余すところなく描いています。
ヤマトとその乗組員は「地球に残してきた家族のため」に旅をし、「地球の家族と同じ未来を守るため」に、戦いに身を投じる。
「顔の見える存在」として家族を描くことで、彼らを動かしているものが「自己実現」などという矮小な意識ではなく「過去から未来へと繋がり、広がっていく、大きな命の流れ」であることを示す。
その鍵になっているのが、「希望としての子供」なのだということ。
第一作10話が視聴者に印象づけたのは、そうした「地球との精神的紐帯の存在」であり、だからこそ、遠く宇宙を旅するヤマトであっても、常に地球の人々との同時性が途切れることはないんです。
また、このエピソードでは、徳川さんや雪ママの「愛すべき愚かしさ」とでも言うべき「深み」に唸らされます。
特に、熟練の職業人でありヤマトにおいては沖田艦長に次ぐ重鎮である徳川さんが、舅根性丸出しで調度の乱れに小言を言い、孫娘に相好を崩す姿は、「キャラが立つ」などという浅く一面的な人間理解に終始しがちな私たちの世代には表現し得ないものではないかとすら思うのです。
長くなりました。
この物語の中で「家族を持たない二人」、沖田艦長と古代進については、項を改めてお話ししたいと思います。