やや矢野屋の棚上げ棚卸し

アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログ
「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

「家族の物語」としてのヤマト

2012年09月17日 00時04分00秒 | 宇宙戦艦ヤマト
以前書いた記事( http://sea.ap.teacup.com/yayayanoya/40.html )で述べていた、「家族の物語としてのヤマト」ですが、ボチボチとりかかってみたいと思います。
まずは過去ツイートを転載。




改めてヤマト第一作の10話見てみると、構成の素晴らしさに驚く。古代と沖田艦長が酒を酌み交わさなければならなかったのと同じように、雪は徳川さんの居るところで家族と会話せねばならなかったのだ。この脚本は本当にすごい。
posted at 20:21:19

もしかして脚本の前にアイデア出した人がいるかもしれないけど、その人もすごい。昔の人マジすごい。
posted at 20:22:20

宇宙戦艦ヤマト第一作10話、「歳を重ねてから徳川さんと雪の通信に大きな感銘を受けるようになった」というのはこれまで何度か書いてきたけど、その内容について少し整理が出来たので、述べてみようと思う。
posted at 20:36:08

徳川さんはまず花瓶や写真の調度について煩く小言を言う。そして孫娘アイ子への慈しみをモニターへの頬擦りで表現し、息子夫婦に「アイ子を育てろ、決して希望を失うな」と強く語りかける。このシーンの意味は、「日常の些細な行為の中にこそ生の意味がある」ということでは。
posted at 20:43:00

裏を返せば、「絶望に抗う術は、日々の些細な行為や一日一日を積み重ねる営みの中にしかない」ということではなかろうか。それを象徴的に体現しているのが「子供」なのだろう。徳川さんは、それを必死で息子達に伝えようとする。齢を重ねた者の責務として、心の底から。
posted at 20:48:29

「まだ伝えなくてはならんことが…」と言いつつ、モニターの前で項垂れる徳川さん……もうね、今はこのシーン、涙なくしては観られないんですよ(´;ω;`)ブワッ
posted at 20:51:41

徳川さんの身内愛を大切に描く演出には、新子とお祖父ちゃんの交流に共通するものを感じる。「祖父ちゃんから孫への思い」だから当たり前っちゃ当たり前なんですけど、こういう健全で自然な身内への愛情って、意外と描かれていない気がします。
posted at 20:59:26

雪の通信では、いきなり「お見合い写真」とか「まさか、そのお年寄りの方が…」とか笑いをとる方向に進むのだけど、雪ママの切なる願いも実は徳川さんと同じ「希望の象徴としての子供」なのだと気づいてハッとする。ここすごい、マジすごいオニすごい。
posted at 21:10:29

さらに言えば、雪こそが雪ママにとっての「希望」そのものなんだよね。その最愛の娘が宇宙の彼方にいて、先の見えない不安に直面してるんだよね。「嘘よ!」と泣き崩れる雪ママ。人類が置かれているギリギリの状況を、これほど痛切に表現しているシーンは他に無いです。
posted at 21:16:24

ヤマトが帰ってこなければ、人類の希望は潰える。雪が帰ってこなければ、雪ママの「希望」は潰えてしまう。ヤマトと地球は、遙かな距離を隔ててなお、同じ未来に向かって進んでいる。その切実さも、徳川さんの通信が先にあるからこそ、観る者に強く印象づけられる仕組みになっている。
posted at 21:22:52

そして通信終了間際の雪の台詞、「楽しみにしてるわ。どれだけお見合いの写真が増えてるか…ママ…」……遠く離れていても、ママと同じ希望を抱き、同じ未来を見つめて生きているわ、って言ってるんだよね雪ちゃん……(´;ω;`)ブワッ
posted at 21:28:04




というわけで、まずは徳川さんと雪ちゃんという「地球に家族がいる二人」の交流。
「子供という希望」をキーワードに、地球に残された人々が置かれた厳しい境遇とヤマトの背負う使命の重さを余すところなく描いています。
ヤマトとその乗組員は「地球に残してきた家族のため」に旅をし、「地球の家族と同じ未来を守るため」に、戦いに身を投じる。
「顔の見える存在」として家族を描くことで、彼らを動かしているものが「自己実現」などという矮小な意識ではなく「過去から未来へと繋がり、広がっていく、大きな命の流れ」であることを示す。
その鍵になっているのが、「希望としての子供」なのだということ。
第一作10話が視聴者に印象づけたのは、そうした「地球との精神的紐帯の存在」であり、だからこそ、遠く宇宙を旅するヤマトであっても、常に地球の人々との同時性が途切れることはないんです。

また、このエピソードでは、徳川さんや雪ママの「愛すべき愚かしさ」とでも言うべき「深み」に唸らされます。
特に、熟練の職業人でありヤマトにおいては沖田艦長に次ぐ重鎮である徳川さんが、舅根性丸出しで調度の乱れに小言を言い、孫娘に相好を崩す姿は、「キャラが立つ」などという浅く一面的な人間理解に終始しがちな私たちの世代には表現し得ないものではないかとすら思うのです。

長くなりました。
この物語の中で「家族を持たない二人」、沖田艦長と古代進については、項を改めてお話ししたいと思います。

拍手コメントへのレス

2012年09月16日 22時30分00秒 | 拍手コメントへのお返事
2012/7/28 10:21に拍手コメントを下さった紗月さん

ありがとうございます。
阿久悠さんは「西崎プロデューサーが目に涙を浮かべて力説した姿に動かされ、熱に浮かされたように詞を書いた」とおっしゃっていました。
優れた詩人は何とも玄妙な力を持っていらっしゃるものだと、感銘を受けました。

私自身は「ヤマトとは『やがて大人になる存在としての子供』と真剣に向き合った、大人が作ったアニメ」という印象を持っています。
自分のためではなく、誰かのために…あの頃の大人達のように行動できているか。
自分自身を省みると、忸怩たるものがあります。


もう何度目かの「さらば」考 from Twitter

2012年09月09日 23時44分00秒 | 宇宙戦艦ヤマト
本日夕方のツイートをこちらにも記録。
たぶんTwitter上では何度か述べてると思うのですが、「第一作沖田艦長と『さらば』の齟齬って別に無いんじゃね?」という話。
異論は当然お有りでしょうが、私の解釈ってコトで。
最後はいつもの斉藤始礼賛で終わっとります(汗)




実写版へのかなりキツイ批判が書いてあると聞き、読んでみたいなと思っていた「ロトさんの本Vol.26」、通販で買いました。まあ「なるほどねえ」というか、同じヤマト第一作を見てたのに、着目点はホントそれぞれ違うもんですねえ。
posted at 15:26:43

あと、あの世代の方々ってどうして「我々はヤマトに対する責任が-」っておっしゃるのか、純粋に不思議。「どんな歳の人がどんなヤマトを観ようと作ろうとイイじゃん別に~」とか思っちゃう私は不真面目なんですかねーー。
posted at 15:29:40

「さらば」安彦絵になってからは激しく違和感というのは同意ですが、沖田さんがああ言った古代がこうしたというより、それまで映画的だった時間の経過と敵の行動が突然舞台劇調になっちゃったことがキツイです、私は。あそこからイキナリ歌舞伎。まあ「だから安彦絵でないとダメ」なんだろうけど。
posted at 15:32:57

前も言ったと思うんですが、沖田さんは別に「古代お前死んでこい」とは言ってないんですよね。「命ある限り戦え」って言ってんの。「生きていること、それ自体が大きな力なんだ」って。第一作の沖田さんと矛盾しない。その命をどう使うか、それはあくまで第三代ヤマト艦長古代進の判断に任されてる。
posted at 15:36:16

そしてたぶん、「艦長・古代進」の判断を、沖田さんは否定しない。それは古代が既に「艦長」として一人前になっているから。というか、あの時点でヤマトの艦長を務められる唯一の人間であるから。ガミラスで「海に潜れ」と助言した時とは全然違う。
posted at 15:39:48

そういう「沖田と古代の物語」として見ると、第一作と「さらば」はちゃんと一貫してると思うのですよ。そして、実写版も。「さらば」や実写版への批判には、意外と「沖田と古代の関係性」、特に「沖田の導きから脱した古代」という視点が欠けているような気がします。
posted at 15:43:42

古代が「さらば」で体当たり攻撃を選択してしまうのは、別に特攻精神というわけではなく、「それ以外に道が開けない」という状況が一番の要因だとも思うのです。物語がそこまで彼を追い込んでしまった。物語というか、「敵の強大さ」を妥協無く描いた作劇の結果が。
posted at 15:47:01

超巨大戦艦と互角に戦える戦力が残っていたら、というか、あんな反則戦艦が出現したりしなければ、古代だってまだ他の手を考えたでしょう。突然他の乗組員無視して脳内沖田さんに縋ることもなかったでしょう。ああいう展開で他にどうしろと。私ゃ同情しますよ古代進に。
posted at 15:50:59

たぶん、現実的な解決としては「もうちょっと頑張れば勝てそうな程度のラスボスを出す」のが一番良いのでしょう。あんなデッカイのが出てきて「ばばーん!無傷!!」とかせずに。けど、「さらば」スタッフは「ばばーん!!」のインパクトを捨てることは肯んじなかった。
posted at 15:56:14

そしたら他にどんな方法があったのか。「テレサ一人で特攻すりゃイイじゃん」というのは頷けません。地球を守る戦いは、やはり地球人が主体とならねば。テレサはあくまで助太刀。というか、地球人がそこまで戦う気持ちを見せたからこそ、テレサだって身を擲つ決心がついたのでしょう。
posted at 16:00:11

テレサは「たったひとり」で祈っていたのですよ。彗星帝国の侵略行為を止める力が自分にあることは勿論理解していたでしょうが、もし自分が失敗したら、その後の宇宙がどうなるか。後に残る者に対する信頼が無いのに、いわば最後の切り札ともいうべき我が身をそう簡単に滅ぼせるわけがない。
posted at 16:04:10

とはいっても、私は「テレサが冷酷だ」と言いたいわけではありません。誰よりもテレサ自身がそのことを辛く思っていたのではないでしょうか。そして、古代だけでなく地球人類全体に対して信頼の気持ちを持つことが出来たから、彼女もまた笑顔で自らを滅し去る道行きに同道したのではないかと思うのです
posted at 16:08:36

まああれだ、つまり「さらば」は空前絶後のインパクトを最後まで手放すことなくストーリーを終わらせた映画で、その為にはあれ以外の終わり方が遺憾ながら選べなかったという、そういう特殊なジャンルのお話だったと思うのです。そしてそれは「映画の作り方として間違っていない」、とも。
posted at 16:13:03

そして、かなりギリギリの線ではありますが、「ヤマトとしても大きく道を外れない映画」になっていると思います。ラストの時間経過は歌舞伎だけど。まあ人工太陽とか七色星団決戦とか一隻でガミラス本星壊滅とか空間磁力メッキとかも、歌舞伎っちゃ歌舞伎だし。
posted at 16:16:46

まあしかし「さらば」の一番スゴイところは何と言っても斉藤始の描写ですよ!!私以外に騒ぐ人見たことないのが不思議なんですけど、モノスゴイですよ!!二時間ちょいの映画のゲストキャラ、しかも前作には居なかった人物が、あの少ない台詞であそこまで見事に描かれてるって驚きますよマジで!!
posted at 16:26:33

私ら戦後民主主義の申し子は「倫理的政治的に正しい行いをするのが正しいアニメキャラ」と思いがちですが(2199の古代進がああいうヒトになっちゃってるのも多分にその所為ではないかと思っておるのですが)、そういう小賢しさを吹っ飛ばす「丸ごと人間の魅力」がありますよ「さらば」の斉藤始!
posted at 16:29:59

なんで斉藤ってあんなスゴい描写されてたんだろうって、ずっと不思議に思ってたんですが、後に舛田利雄監督が最も思い入れを持っていたキャラだと知って大納得。実写的なんですよね。
posted at 16:35:55

好きなシーンはいっぱいあるんだけど、特に好きなのは湖川作画炸裂の動力炉被弾シーンと(ここコマ送りで見てくださいホントスゴいから!)「慌てず急いで正確にな!」の直前の激痛に耐えてる横顔と、あと都市帝国侵入を申し出て「わかってるよ、新艦長」って古代の肩を叩く場面!!!
posted at 16:39:10

湖川さんの人間臭さ全開の神作画で、心に楔を打ち込まれたみたいになります。「ああ、この人は今生きてるんだ!」って強烈に感じる。あとそれと負傷した土方艦長を抱え起こす場面!真っ先に駆け寄る咄嗟の判断力と運動能力、艦長の傷を見て眉を顰める表情!「人間がそこに居る」って手応え有りまくり!
posted at 16:44:46

あと初登場時の不敵でカッコイイ顔や、名乗り上げた後ちょっとゲスい顔して楊枝投げ捨てるとこ(掃除してろって言われたコトへの意趣返しなのよね)や、ゆうなぎ艦内で被害者を目の当たりにしてたじろいだり爆風に吹き飛ばされながらもすぐに体制整えて走り出したり、あともちろんテレザートも!
posted at 16:53:02

すいません全部好きです全部スゴいです。
posted at 16:54:50




以上。
いやマジで「さらば」斉藤始の表現は神憑ってますわ。
一切説明されていない彼の来歴や内心が、動作や表情見てるだけで手に取るように分かるんですから。
「ヤマト2」でガトランティスの攻撃により壊滅状態となった11番惑星からヤマトに拾われた空間騎兵も好きなんですけど、「ヤマト2の方が描写が丁寧で納得がいく」というのはちょっと違うと思うんですよ。
「さらば」の空間騎兵にも、彼らなりの自負と屈託があったことはきちんと描かれています。
しかも、あの短い登場シーンで。
前半で述べた沖田艦長にしても、とかく「さらば」は「第一作との乖離が-」とか「人間が描けていなくて-」とか言われがちなんですけど、「いやいや十分に人間模様を味わえる映画になってますよう」ということを申し述べておきたいんですよ。
ま、ファンの欲目があることは否定しませんけどね(・∀・)
けどねー、できるだけ咀嚼して深読みして「供された映像を味わい尽くす」方が、お得な映画の楽しみ方なんじゃないの?とは思うのです。


ところで、「ロトさんの本」のテーマに沿えば本筋の対象は実写版ヤマトですが、できれば後日感想も含めて私の意見を述べたいと思います。
ざっくり言ってしまえば、氷川竜介さんが「ヤマトのテーマ」「ヤマトの本質」と述べていらっしゃることは、ヤマトという作品の一面に過ぎないのではないかということです。
実写版ヤマト脚本の佐藤嗣麻子さんは、氷川さんが着目したのとは別の「ヤマトの本質」に目を向け、物語を再構築したのだと考えています。
以前述べた「家族の物語」がそれに当たるのですが、第一作ヤマトの再鑑賞を通して見えてきたものも加え、次回詳しく振り返ってみたいと思います。
………いつになるかはわかりませんがー(汗)