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アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログ
「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

降りそそぐ光のように 〔古代守・真田志郎 2202年〕

2012年10月06日 18時45分00秒 | 二次創作小説
宇宙戦艦ヤマトの二次創作小説です。
二次創作を苦手となさる方はお読みにならないようにお願いいたします。

「新たなる旅立ち」と「ヤマトよ永遠に」との間に位置する話。
真田さんの少年時代も含め、捏造設定がヤマのようにあります……



 古代守が娘のサーシャとともに地球に帰還して、三週間になった。二人は官舎の一室から政府の用意した郊外の一軒家に移り住み、軍務復帰した守は防衛軍本部参謀を拝命して多忙な日々を送っている。
 医科学研究所に在籍する真田の旧知の医師が中心となって、サーシャの成長をサポートするためのチームが結成された。研究所内の一室が保育観察室となり、守が勤務している日中、サーシャはそこで過ごしている。医科学研究所は科学局から近いこともあり、サーシャの送迎はいつしか真田の役目となっていた。
 送迎のついでに朝晩の食事を共にし、守の帰宅が遅い日にはサーシャの面倒をみる。いずれはイカロスで親代わりに生育するのだから、早くサーシャに馴染んでもらう為にも、その方が良かろうというわけだ。
 今日も、コーヒーを含みながら真田は仲睦まじい父子の様子に目を細めていた。守は千切ったパンをサーシャの手に渡し、「あーん」をしてみせながら囓る真似をしている。


 睡眠の深さと長さが増すにつれ、サーシャは目に見えて成長していた。もしもあの時ヤマトに乗り組んでいた者が今のサーシャを見たとしても、ようやく喃語を発し始めていたあの子供だとは気付かないだろう。
「お前が来てくれるのは有り難いよ。サーシャと二人じゃ、この家は広くって。」
 ぱくりとパンに齧り付き、上下に生えた前歯で引きちぎる娘の様子を微笑んで見守りながら、ぽつりと守が洩らした。やがては、そのサーシャもいなくなるのだ。この男にもたらされる寂寥は、いかばかりだろうか。


 「今日は?」
「午前中は観測部と本部施設課、昼からは医科学研究所だ。例の装置のテストに立ち会うことになる。そろそろ医療ユニットへの組み込みに入らないといけないしな。」
「すまんな、手間を掛けさせて。」
「手間じゃないさ。久しぶりに楽しい思いをさせてもらっているよ。やっぱり俺は管理職面して座っているより、メカと格闘する方が性に合ってる。」
「そりゃ、たしかにその通りだな。」
 コーヒーカップを手に、よくわかる、といった笑顔で守は頷いた。
(お前も、本当は艦艇で宇宙に出るのが本望だろうに)
 笑みの返せない苦さを、熱い液体とともに飲み下す。守がそのポジションにいてくれることで、予想される脅威への備えがスムースに進んでいるところもあるのだ。もちろん守はその意義を十分に理解し、ために連日の深夜帰宅となっているのだが。


 口に出して確かめたことはないが―――おそらく守は、自分がイスカンダルに残ったことでヤマトがあの未知の勢力との戦いに巻き込まれ、地球に災いの種を蒔いたのだと思っている。防衛会議ではっきりとその旨を発言した者もいたという。
(古代を守ったというよりは、「スターシャに恩義を受けた地球人としてイスカンダルの危機を見過ごせない」というのが長官命令の趣旨だったんだが……)
 だが、こうして守とサーシャだけが残されてしまった今となっては、やがてもたらされるかもしれぬ災厄の原因を彼ら父子と見倣す者も出てくるだろう。
(せめて、サーシャにはそのような負い目を与えたくない)
 それが、守と真田の切なる願いだった。


 守が、ふと真田の方を見て言った。
「そういえば、訓練学校跡地の方はどうだ?」
 桜の苗木を植えようとの計画だ。旧所在地の管理をしている訓練学校に打診したところ、快く許可を出してくれた。土壌改良や苗木購入の費用はこちら持ちになるが、出せない額ではない。
「土壌改良はひととおり終わったと連絡があった。今週末には行ける。お前の都合次第だが……」
 守は少し考え込んでから答えた。
「……たぶん、日曜なら。」
(前日の夜までに仕事を一段落させておく、ってとこか)
 その表情から推し量ったことは胸に留めて、了解の意だけを伝える。
「じゃあ、重機の手配をしておくぞ。」
「ああ、頼む。」
「早めに出ればお墓参りにも行けるな。あちこち寄るからサーシャが喜ぶぞ。」
「…連れて行けるのか?」
「置いていく訳にはいかんだろ。」
 驚いた顔に苦笑で返す。届け出と警護の依頼を出さなければならないが、イカルスに向かう前に、一度くらいは思うさま戸外の空気に触れさせてやりたい。地球は彼女の父親を生み育んだ「うぶすな」なのだから。


  ――――――――――――――――――――――――――――――


 「一緒に寝てていいぞ。着いたら起こすから。」
「すまん、助かる。」
 早朝の迎えに応じて出てきた二人に声を掛けると、真田はエンジンを始動させた。軽い作動音を立てながら、エアカーがガレージを出ていく。
 夜明け前、まだ東の空に僅かな暁光すらない暗さの中だが、ヘッドライトは付けず赤外線レーダのモニタを見ながら自動操縦で丘を下っていく。
(もし監視者がいるのなら、この程度ではとても誤魔化されないだろうが……まあ、気休めに過ぎないな)
 だが、仮に監視があるとしても、おそらくネタ漁りのゴシップライターくらいだろう。守の家の周囲は24時間態勢の警備システムに守られ、立ち入る者があればすぐに警報が鳴るようになっている。サーシャは今の地球にとって非常にデリケートな存在なのだ。
 丘を下りきり、幹線道路に向かう道に合流するところで、ようやくライトを点灯させた。後方で同じようにライトを付けた車があるのを確認して頷くと、真田は三浦半島へ向かうルートをナビに打ち込んだ。


 早朝の、他に誰も墓参客のいない墓地でサーシャを伴って手を合わせる。冬のこと故、あまり長く車の外にはいられなかったが、守親子の会話と表情を見ると、二人が一緒にいられる間に来られてよかったと思う。
「ほら、サーシャ、ここにお前のお祖父ちゃんとお祖母ちゃん、それにご先祖様がいるんだ。」
 遊星爆弾で破壊され尽くしたこの地に、遺骨や遺品があるわけでもない。それでも、手を合わせ語りかける対象があるのは幸いなことだと、二人を見ているとそう思えてならなかった。
「たーたん。おじーぱ。おばーぱ。」
「ん?そうだ、お祖父ちゃんと、お祖母ちゃん。」
 守の袖を引き、目を丸くして何やらさかんに語りかけている娘に、目を細めて答える父。
 手を合わせる二人の後ろで真田もそっと黙祷し、入れ替わりに跪いて香をあげた。


 「重機って、これか?」
 整地され、保護用のドームに包まれた内部に入ると、そこには小型の掘削機が一台と二十数本の苗木がまとめて置かれていた。
「すごいな、本格的な土木工事みたいだ。」
 呑気な守の言葉に苦笑する。
「実際、ちょっとした土木工事なんだぞ。土壌改良はドーム外まで広範囲にやってもらってる。後で種子ボールも蒔いておこう。じゃ、サーシャをしっかり見ててくれよ。」
 そう言うと掘削機の運転席に座り、スターターを押した。訓練学校の並木道よりはスケールダウンせざるを得なかったが、できるだけ過去の姿を再現できるよう杭を打ってもらった箇所に、パワーショベルで穴を掘っていく。守はサーシャとともに、その穴の傍に一本一本苗木を運んでくる。


 ひととおり穴を掘り終えると、真田は守達のところへ行き、一緒に苗木の根元に土を被せていった。
「水はどうするんだ?」
「このドームは、苗木が定着するまではここに設置しておくんだが……あそこの管理システムの奥に、雨水を溜められるタンクが付いてる。そこからスプリンクラーを引いて、定期的に撒くようプログラミングしてから帰る。電源用には太陽光パネルを設置してある。ここまで電線を引っ張ってくるよりは手間が掛からなかったからな。」
「……一大事業だな。」
「そうだぞ。地球緑化ってのは一大事業なんだ。それに、しょっちゅう手を入れにこられる訳じゃないからな。」
 額や首筋に浮かんできた汗をタオルで拭いながら笑いかける。サーシャは小さなじょうろを抱え、二人が土を被せた根元にちょろちょろと注いでいく。
「桜の木さんが喜んでるぞ。お水を飲ませてくれてありがとう、って。」
 守の言葉に、サーシャは嬉しそうににっこりと笑った。


 とはいえ、サーシャのじょうろだけではとても足りないので、バケツに水を汲むと二人で手分けして撒いて回った。そこまでやったところで正午をだいぶ過ぎてしまったので、スプリンクラーの設置は昼食後ということにして、軍手を脱いで車に積んでいた弁当を出してくる。
「ピクニックだな。」
 靴を脱がされて敷物の上に座らされると、サーシャは歓声を上げた。日差しが降り注ぐドーム内は、冬を忘れるかのようにぽかぽかと暖かい。出来合いの弁当と水筒のお茶というささやかな食事ではあっても、たしかにこれはピクニックだった。
 他愛のない会話を交わし、和やかに弁当をつつく。だが、腹がくちくなったサーシャは守の膝の上に座ったままこくり、こくりとなりはじめ、やがて父の腕に頭を預けてスヤスヤと寝入ってしまった。
「参ったな……」
「起こしたら可哀想だぞ。お前はそのまま座っていろよ。スプリンクラーは俺が設置してくる。」
「すまん。」
「構わんさ。俺の専門分野だしな。」
 申し訳なさそうな守に笑みを返しながら手を振って、真田は立ち上がった。


  ――――――――――――――――――――――――――――――


 三人の乗った車がメガロポリスに戻ってきたのは、日没の少し前だった。
「疲れたろ。」
「ほとんどお前がやってくれたのに、そんなこと言ったら罰が当たるよ。」
 食後しばらくしてサーシャは目を覚ましたが、その頃には真田が出際良く設置を完了させていた。
 後部座席で苦笑する守の胸元から、コールの音が鳴り響く。
「……呼び出しか?」
 端末の表示を確認する守が、眉を顰めている。
「ああ、あまり長くは掛からないと思うが……すまん、サーシャを頼めるか?」
「わかった。晩飯の準備をしておく。本部で降ろしたらいいか?」
「頼む。」
 言葉少なに考え込む守を防衛本部に送り届ける。サーシャは降車する守を見てむずがったが、食料品店へ連れて行くと、色とりどりの食材や鮮やかなパッケージにすっかり目を奪われ、はしゃいだ。



 「ん?持ってくれるのか?」
 サーシャを抱きかかえてシートから下ろし、そのまま家の中に連れて行こうとしたが、サーシャは車内の荷物を指さして頻りに訴える。
「あとで取りに来ようと思ったんだが……じゃあ、サーシャ、これを持っていってくれるかい?」
 買い物袋の中から葱を抜き出して小さな手に持たせると、サーシャは嬉しそうに笑いながら胸に抱えた。
「ギュってしちゃダメだ、やさしく持てるかい?そう。」
 折れそうな葱を見て苦笑しながら、胸に押し当てた手を取ってそっと浮かせると、サーシャも神妙な顔つきになる。
「たったん。あーて。」
「こっちは重たいから、たったんが持つよ。サーシャはこれを。」
 真田は買い物袋のポケットから小さな手提げビニールを取り出し、うどん玉を一つだけ入れて渡した。それで満足したらしく、サーシャはガレージ脇のドアに向かって真田の前をトコトコと歩いていった。


 上着を脱ぎエプロンを付けて手早く野菜を洗い、材料の下拵えをする。サーシャには白菜を剥く等の作業をさせ、刃物を扱う段になると子供用の椅子に座らせて玩具の包丁を与えた。
「そうそう、上手だな。」
 真田が包丁を下ろすのに合わせ、サーシャもタン、タンと大根を切っていく。とはいえ、そちらは布製の縫いぐるみをマジックテープで接着した、ままごと用の野菜だが。
 電熱スキレットに入れた出し汁が煮立ち、そろそろ野菜を入れようかと考えた時、玄関の方から声がした。


 「たーたん!」
「ただいま。お利口さんにしてたか?」
 歓声を上げて玄関に駆けていったサーシャを抱きかかえて、守がキッチンへ入ってきた。
「終わったのか?」
「ああ、あとは明日以降に何とかするさ。鍋か?いい匂いだな。」
 頬擦りするサーシャの髪を撫で、くつろいだ表情を浮かべた守に、先ほどのような懸案の陰りは見えない。真田も幾分かホッとした気持ちになる。
「何か手伝おうか?」
「じゃあ、サーシャの野菜用に鍋を持ってきてやってくれ。そのままだと縫いぐるみをこっちに入れると言い出すからな。」
 一瞬、守は面食らったように目をパチパチさせたが、すぐに真田の意図を読んで破顔微笑した。
「了解。」
 楽しそうにままごとに興じる父子を、目を細めて端で見ながら、真田は大根と白菜を電熱スキレットに滑り込ませていった。


 「サーシャ、喜んでいたな。」
「また一緒に出掛けられるといいんだけど、な……」
 はしゃいだ分興奮して寝付けないかもしれないと思ったが、疲れが出てしまったらしく、サーシャは風呂から上がったらすぐに寝入ってしまった。守はサーシャの部屋から絵本を手にダイニングへ戻ってきた。
「それ、読んでやったのか。」
 表紙には、写実的だがどこか暖かみのあるタッチで、車椅子の少女に寄り添う大型犬が描かれている。
「うん。介助犬なんて見たことないだろうけど、わんわ、わんわって楽しそうに読んでたよ。」
 その本は、玩具と一緒に保育士が選別して用意した他の絵本とは違い、真田が自分の蔵書の中から持ってきたものだった。
「絵本なんて持ってたんだな、お前。やっぱり絵が気に入ったのか?」
「ん……それもあるが、俺も昔、介助犬の世話になってたんだよ。」
「昔って、義肢装着したての頃か?」
「ああ。」


 介助犬の名はクーリといった。
 クーリの役割は主に床にあるものを拾ってくることだったが、階段の昇降やドアの開閉も手伝ってくれた。
 滑らかな黄金の毛並み。湿った鼻面と規則的な呼吸音。ほとんど吠えることのなかった穏やかなクーリは、真田の元に来た時にはもう老犬といっていい歳だった。
「12歳になる頃には介助の必要がなくなったんだが、離れがたくてな。ずっと一緒に生活していた。」
「今は…もう、いないんだよな。」
「ああ、訓練学校に入る前に亡くなった。最期は親父が看取ってくれたよ。」
 守と出会うよりも、さらに昔の日々。今日は思いがけず過去へと思いを馳せるものだ。クーリの温かく湿った息遣いを思い起こし、真田はそっと目を閉じた。


 真田がリハビリを終え大学に入学した後、しばらくしてクーリは寿命を迎えた。死期の迫ったクーリを家に残し、容態が変化したらすぐに帰ってくるようにしていたが、父から連絡を受けた真田が家に戻ったのは、すでにクーリが息を引き取ったあとだった。
 男二人だったからか、涙を流すこともなく、冷たい葬送のような気がしてひどくクーリに済まない思いがした。ペット霊園から戻ってきた後、一人になってようやく少しだけ泣くことができたが、その涙すらわざとらしい言い訳に思えて、申し訳なさはその後もしばらく真田に付きまとっていた。だが、そうしてクーリのことを思い出すたび、あの温かい背中と湿った鼻面がそれでも自分を許してくれているような気がして、いつしか真田はクーリを思い出の中へ還らせることができたのだ。


 クーリを看取ってくれた父も、とうに亡い。地下都市に移住した頃には病の床に就き、ヤマトがイスカンダルへ旅立った直後に病院で亡くなった。太陽系離脱の際の通信でそれを知らされ、地球に帰還した時には、親戚の手で埋葬もすべて済んだあとだった。
(考えてみれば、俺は、親しい者の臨終にほとんど立ち会っていないんだな……親父、クーリ、俺が幼児の頃に亡くなった母さん……姉さんは、あの時、もう息が無かったんだろうか……)
 本の表紙に目を落として、守が不思議そうに言った。
「お前の親父さん、なんで犬を頼んだんだろうな。人間やロボットの方が行き届くのに。犬が悪いって訳じゃないが、普通、子供の介助は細かい配慮のできる人間がするものだし、ロボットだって今は人間と遜色ない介助が可能だろ。」
 守の与えてくれた疑問に意識を向けて、胸の痛みから気を逸らす。
(……そういえば、なぜだろう?)
「療法士か医者の発案だったのか?」
「いや、犬を頼んだのはたぶん親父だったと思う。病院のスタッフは驚いていたよ、そういえば。」


 もちろん、介助犬や盲導犬などの補助犬受け入れに関しては、設備もスタッフの対応も何ら問題はなかったし、拒否される場面があったわけでもなかったが、それでも11歳の少年の介助に犬を付けるというのが一般的でないことは窺えた。当時は真田自身がリハビリに打ち込むあまり、意識に上せておく余裕がなかったのだろう。
「お父さん、か。」
 守の中に、何か腑に落ちるものがあったらしい。訝しげな表情が消え、思慮深く落ち着いた光がその瞳に湛えられていた。
「……俺の勝手な推測に過ぎないんだが…、何となく、お前のお父さんの気持ちがわかるよ。」
「どういうことだ?」
 今度は真田が訝しがる番だった。肉親の自分にもよくわからないことを、当時の事情を知らない守がどのように推察しているというのか。


 「突然の事故で障害を負った子供が、否応なしにその現実を受け入れさせられるってのは、ひどく残酷なことだ。でも、お前のことだから、親父さんにも当たったり喚いたりせずに黙々とリハビリに励んでいたんだろ?」
 守の分析は、当時の真田の状態を的確に把握していた。見透かされているようで、何となく面白くない。
「なんでわかるんだ?」
「そりゃあ、な。付き合いも長いし、だいだい想像つくさ。それでだ、餌やりとかブラッシングとか散歩とか、お前、そういう世話を自分のできる範囲でやるように親父さんに言われてなかったか?」
「……言われてた……」
 こうなると、腹立たしさすら引っ込んでしまう。守の推察はなぜこうも的を射ているのだろうか。


 「お前は、肉親と手足と……それに、将来の夢を一度に奪われてしまったんだよな。だから、お前のために何ができるか、親父さんは懸命に考えたに違いない。」
「親父が……?そうかな……姉さんの死はショックだったろうが、俺には、そんなに気持ちを向けてもらった実感はなかったな。」
「バカ言うな、自分の子供が苦しんでるのに、なんとかしてやりたいと思わない親なんていないぞ。少しでも傷が癒せるように……自分にできることは何だって、やってやりたかったに違いないんだ。」
 今度は真田がハッとする番だった。子供の傷を癒そうと懸命な父親とは、まさに今の守のことではないか。
「だけどお前は、怒りも甘えもしないで、一人で自分の障害と戦おうとしている。そういう時に、大人やロボットにあれこれ世話を焼かれるのは、逆に子供にとって心理的な負担になると考えたんじゃないかな。自分は一方的にケアを受ける、無力な存在だ、って。一般的な子供が、というよりは、お前がそう考えがちなんじゃないか、ってことなんだが。」


 父は、そこまで自分を理解し、いたわってくれていたのだろうか……真田が覚えているのは、厳めしく取り付くしまもないといった横顔ばかりだ。滅多に笑うこともなく、稀に視線を向けたかと思うと「お前の好きにすればいい」と、意志疎通を諦めたかのような言葉を投げる。
(俺の知ってる親父は、いつもそんな調子だった)
 もちろん、愛情の全てを疑うわけではないが、それほど細やかに子供を思う男だったとは、どうも思い難い。
 だが、守は確信に満ちた調子で続ける。
「不器用で頑固な息子が苦しんでいるんだ…なんとかしてやりたいよな。だからきっと。」
 自分を、クーリに会わせてくれたというのか。
「男親って、そういうもんなんだろうな。自分じゃ届かないところとか、できないこととかをよくわかっていて、それを誰かに託そうとするんだ。それで、一生懸命その条件を整えることで、自分の役目を果たそうとするんじゃないかな。」
「親父が……?」
 記憶の中に残っている父の姿が、今、目の前にいる守と二重写しになった。


  ――――――――――――――――――――――――――――――


 その犬は、まるで金色の光を纏っているかのようだった。ふさふさとした毛並みは綺麗に梳かれ、お座りをしながら細かいフリンジを下げたような尻尾でパタパタと床を打っている。訓練士の合図で、犬は車椅子に座った真田に近付き、ペロリと義手の指先を舐めた。


 「介助犬は人間と違って『してあげる義務がある』なんて思ってはくれないぞ。クーリはお前と遊んでいるつもりで、お前が喜ぶから手伝ってくれるんだ。だから、お前もクーリから信頼され、好かれるように努力しなければな。」
「ゴールデンはもともと優しい気質ですし、クーリはすでに介助犬として仕事をしてきてますから、そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。ただ、言葉はしっかり掛けてやってくださいね。」
 そっけないくらいの父の言葉を引き取り、訓練士は真田に笑顔を向けた。
「それじゃ、お子さんのお部屋にクーリの寝床を運びますね。」
「……一緒の部屋で寝るんですか?」
 思わず戸惑いの声を上げてしまった。入院時を除いて、これまでずっと、誰かと一室で寝ることなどなかったのに。
「そうですよ、でないと介助できないでしょう?」
 それでいいんですよね?といった様子で訓練士は父を見、父もそれに頷く。手足を失ったのだから当然といえば当然なのだが―――自分の生活が根底から変わってしまうことを真田は感じた。


 クーリがやってきてから、真田の生活はたしかに一変した。食事や勉強といった日常生活のすべてがクーリとともに過ごす時間となっていったのだ。
 顔合わせの翌朝から、ベッドの脇には日溜まりのようなクーリの姿があった。しばしの逡巡の後、父や訓練士の言葉を思い出して声を掛ける。
「…おはよう、クーリ。」
 真田に鼻面を寄せて嬉しそうに尻尾を振るその頭を、ぎこちなく撫でてやる。新しい自分の指が充分に優しく動くことができたか不安だったが、クーリはその不安を打ち消すかのように舐め返してくれた。


 事故の後は通信制に籍を移しており、授業のために学校へ通う必要はない。外出するのは、治療とリハビリ、それにクーリの散歩の時だけだ。
「テイクシューズ、クーリ。」
 クーリは玄関へ跳んでいってローファーを一つ、また一つと持ってきた。
「グッドボーイ。ありがとう。」
 今のところはまだ「形があるだけ」の物に過ぎない足にそれを履き、車椅子を操って玄関を出る。


 この頃の真田は手のフィッティングが終了し、車椅子での移動が可能になっていた。歩行訓練を経て自由な行動が可能になれば、介助の手を借りることもなくなる。真田がクーリを必要とする期間はごく短いものだったが、クーリ自身もすでに六歳になっており、ある意味では「余生」を過ごしにやってきたと言えなくもなかった。
(前のパートナーはどうしたのかな)
 何となく尋ねるのが憚られて確認してはいないが、おそらく死別したのだろう。この犬も、永の別れを経て自分と出会ったのだ。


 順調に適合プロセスを消化していく義手とは対照的に、義足の歩行訓練は遅々として進まなかった。
(自分でこの足を選んだのに、なんで怖がってなんかいるんだよ!)
 己の不甲斐なさに腹の底が苦くなる。だが、接合部に体重を掛けてしまうことへの本能的な恐怖は拭いがたい。車椅子からバーへと自分の身を移動させる。錯覚に過ぎないことはわかっていても、骨が、筋肉が、自重でミシリと押し潰されているような気がして一瞬総毛立つ。
(痛くなんか無い!ほら、義足はちゃんと僕を支えてくれている)
 だが、次の一歩では?その次の数歩では?
 どこかで身体を支えきれなくなるのではないかという恐ろしい予感を振り払いつつ、理学療法士に促されてバーに預けた身を起こし、また一歩、二歩と進む。
 バランスをとるのが精いっぱいの訓練は30分と続かないのに、額や背中にはぐっしょりと汗をかいている。そんな日々が続いていた。


 ある時。
 訓練が進んだ時に使えるようにと設置された自宅廊下の手すりを見ているうちに、自分への苛立ちが湧いてきた。
(車椅子だって、この手すりだって、僕がちゃんと義肢を扱えるようになれば必要なくなるんだ。もっと早くに歩けるはずだったのに……)
 だが、そうではないと嗤う自分がいる。
(違う、本当は歩けるんだ。怖がって前に進めないだけなんだ)
 たとえ歩けないままだとしても、その生活を受け入れることも大切だと周囲は言う。車椅子や歩行補助機を使っても、自分なりの人生を歩んでいくことは可能であると。
 だが、真田が密かに思い定めている生き方にその可能性はない。健常者並み、いや、一般よりも高度な身体能力を発揮できなければ、彼の目的は果たされないのだ。
(それなのに、こんな段階で躓いて先に進めないなんて……)


 腹立ちのあまり、手すりを掴んで力任せに車椅子から身を引き剥がした。そのまま右、左と足を進める。
(そら見ろ!立てるじゃないか。歩くことだって……)
 手すりから左手を離し、思い切って右も離す。ふらり、ふらりと上体を揺らしながら、歯を食いしばって足の動作に集中する。
(ほら、歩ける。僕は歩けるんだ)
 高くなった視界に戸惑う神経を宥めすかし、我知らず詰めていた息を吐く。
(でも、歩けるだけじゃダメだ、厳しい訓練に耐えられるように身体を鍛えなきゃいけないんだ、それなのに……)
「あ!」
 意識が逸れてしまったのか、左右の膝の動きにズレが生じた。運びきれなかった上体が傾ぎ、斜め後ろへと流れる。
(倒れる!)
 手すりを掴み損ねた右手が宙を泳ぎ、そのまま床に叩きつけられるかと思ったその時―――


 ―――温かい金色の毛並みをたたえた背中が、脇の下に滑り込んできた。これもリハビリの成果だろうか、呼吸とともに上下するその背中を、右手がしっかりと掴んでいる。
「あ……ありがとう、グッドボーイ、クーリ。」
 置き去りにされた車椅子の脇にいたクーリが、跳ぶように駆けてきて真田と床の間にその身を置いたのだ。黄金の犬は茶色の眼でじっと真田を見つめ、嬉しそうに尻尾を振っている。
 鼻の奥が、ツンとした。
(クーリが……僕を支えてくれた)
 左手で手すりを掴み、右手はクーリの背に回したままで、折った膝を恐る恐る伸ばしていく。立ち上がった真田にピタリと寄り添い、クーリは小さく鼻を鳴らす。「そのまま手を置いていていいですよ」というように。
「一緒に……歩いてくれる?」
 クーリはさかんに尻尾を振って返答した。


 それからは、リハビリの時にも常にクーリが右横に居た。翌日には左手がバーから離れ、右手もいつしかクーリの背を離れてリードを握るだけになり、車椅子を置いて散歩に出掛けるようになってから、クーリとともに駆け出すまでの時間はごく僅かなものだった。
(クーリは、僕を助けてくれるんだ。きっと、何度転んでも、こうやって……)
 あの瞬間に真田の心に芽生え、培われてきた信頼感とともに、ふたりは季節の中を走り抜けた。


 さすがに若い犬ほどの運動量はないが、フリスビーや小枝を投げて遊んでやると、クーリは喜んで拾ってくる。銜えた木の枝を、クーリの顎を痛めないよう細心の注意で力加減をしてこじ開けると、またそれを高く放り投げる。力強く大地を蹴る黄金の四肢、光の結晶をまき散らしながら跳ねとんでいくその姿は、見ている真田の心までも高揚させていく。


 もしも今、自分が絵を描くならば―――クーリのこの姿をこそ、カンバスに写し取りたいと願うだろう。
 世界に祝福され、また自身もあらゆる存在に祝福を与えているかのような、命の讃歌そのものの美しい犬。絵筆を手に取った時から画題として惹かれてきた風景の中に、この犬の美質を全て描き留めてみたい。人を信じ、世界を愛し、真田の視界を輝きで満たすこの犬の美を。
 もしも、自分に、絵を描くことが許されているならば―――


 (だけど、そんな風に考えてしまうのは……今、僕に絵を描くことが許されていないからなんだ)
 失われた夢だからこそ、その美しさがこんなにも胸を打つのだと―――真田はすでに知っている。
 今、自分が生きねばならない場所は、カンバスの前ではない。
(僕は、クーリと走らなきゃいけない。クーリみたいに綺麗な姿ではいられないけど。どんなに無様でも情けなくても、僕は走っていかなきゃいけない。だけど、僕は今こうやって走れるのが嬉しい。クーリが、一緒に走ってくれるんだから)


  ――――――――――――――――――――――――――――――


 「真田?」
 穏やかな呼びかけに、真田はハッとして守の顔へ焦点を戻した。
 ここ何年も、これほど鮮明にクーリのことを思い出すことはなかった。あんなに大切だった情景を、自分は記憶から失いかけていたのだろうか……
(いや、無くしてはいない、俺はあんなにはっきりとクーリの姿を思い描くことが出来たじゃないか)
 いついかなるときも自分に寄り添い、誰よりもあの頃の自分に信頼と友愛を注いでくれたクーリのことを、忘れるはずもない。
(それなのに、俺はクーリを寂しさの中で死なせてしまった。そのクーリを、親父は看取ってくれて……いや、そもそも俺とクーリを会わせてくれたのは親父だったんだ……)


 訝しむでも、促すでもなく、ただじっと自分を見守ってくれている瞳に向かって、真田はぽつりぽつりと言葉を返し始めた。
「俺を助けてくれた介助犬は……クーリという名前だった。」
 この名を口に上せたのは、いったい何年ぶりだろう。信じられないほど長い時間、自分はクーリの存在を誰とも分かち合うことがなかったのだ。申し訳なさに胸が締めつけられる。
「俺は、クーリが……何度転んでも、躓いても、必ず助けてくれると信じていた。そうして、本当にクーリはいつでも俺を助けてくれたんだ。」


 「事故の後、学校は通信制に変わっていた。卒業までには適合が終わっていたので、大学は全日制に行ったが、同級生とは歳が全然違うし、友達を作るような場所じゃなかった。だから、訓練学校に進むまで……俺の友達といえるのは、クーリだけだったんだ。」
 そうだ―――目の前にいる、この男と出会う歳になるまでは。
「クーリは、俺にたくさんのものをくれた。転んだ時に受け止めるだけじゃなくて。階段を上る時に背を貸してくれるだけじゃなくて。……親父は、そのことをわかって……俺を、クーリに会わせてくれたのかな……」
「そりゃ、そうさ。親父さんは、わかっていたんだよ。」
 請け合う言葉は力強く、染み入るように真田の胸を満たしていく。
「……敵わないな。」
 父が。クーリが。与えてくれていた思いの深さに打たれ、真田は組み合わせた指の上に額を載せて瞑目した。


 心からの信頼を置くことのできる相手との出会い。偶然の邂逅だと思っていたそれは、クーリが、そしてクーリに会わせてくれた父が、予め準備してくれていたのかもしれない。
「父親ってのは、そんなに、大きな―――」
 それから先は、とても言葉にならなかった。
 任務のためとはいえ、その父もまた、自分は孤独に死なせてしまったのだ。イスカンダルへ向かう旅の途中、冥王星を過ぎた頃に。
(父さん、俺は―――あなたに与えられたものの大切さにも気付かず、あなたに何ひとつ感謝の言葉も述べずに、あなたの思いから離れていくばかりで―――)
 父は、自分に何を願っていたのだろう。何のために、自分を守り育てようとしたのだろう。


 組んだ指を解いて額をぐっと掴み、そのまま押さえる。そうでもしないと、遣る瀬無い悔恨が溢れ出してしまいそうだ。
「不肖の息子もいいところだ、俺は。今頃親父の思いに気付いたって、何にも返せやしない。」
「……返さなくたって、いいんじゃないかな。親子なんだから。」
「だが、それじゃあ……あんまり、親父が……」
「気の毒だと思うか?」
 あまりに不遜で口に出しかねていた思いを言い当てられ、真田は思わず顔を上げて守を見つめた。


 「お前は、そう思うんだな。」
「……なんで……」
「見てりゃわかるよ。」
 苦笑しながら、守もまた真田を覗き込んできた。
「なあ、親父さんがなぜクーリを連れてきたのか、考えてみろよ。」
「………お前は、わかるのか?」
「わかるさ。俺も、こないだお前に言ってもらったばかりだからな。」
 目を見張る真田に、守の笑みはどんどん大きくなっていく。
「ホントにお前、自分のことはわからないんだなあ。―――親父さんの望みは、お前が自分自身の人生を生きること、だったんじゃないのか?」


 「お前が、自分の手で掴み、自分の足で歩んでいけるように……そのためには、介助者や介助ロボットでなくて、『友達』が必要だってわかってたんだよ。放っておいたら、絶対自分からは友達を作ろうとしなかっただろうからな、お前。」
 背筋をびりっと奔るものがあった。
「お前が自分の人生を生きるために一番必要なのは『友達』だって、親父さんにはわかっていたんだよ。」
 守の真摯な心が、その眼差しから伝わる。
「お前は、親父さんの願いを叶えてる。だから、全然気の毒なんかじゃないさ。」


 震える喉から、ゆっくりと息を吐く。
「本当に、かなわないな……」
 父に。クーリに。
 本当に、彼らの存在はなんと大きいことだろう。自分を包み、支え、それなしで自分はここにいることすらできなかったのだ。


 「すまん、片付けが途中だった。」
 こみ上げてくるものを感じて、慌てて立ち上がった真田の後ろから、守が声をかけてきた。
「洗い終わったら、酒、付き合えよ。サーシャ、本当に喜んでた。お前のお陰だ。ありがとう。」
「車で来たんだぞ?」
「タクシー呼べばいいさ。客用の布団もあるし、泊まっていってもいいぞ。お前も疲れただろうから。」
 冷蔵庫を開けて何やら肴を探しているらしい守の、さり気ない気遣いに感謝しながら、真田は水音に紛れるようにゆっくりと深い息をついた。









巡り来る春へ 〔古代守・真田志郎 2202年〕

2012年03月04日 17時12分00秒 | 二次創作小説
宇宙戦艦ヤマトの二次創作短編小説です。
二次創作を苦手となさる方はお読みにならないようにお願いいたします。

「新たなる旅立ち」と「ヤマトよ永遠に」との間に位置する話。
捏造設定てんこ盛りです(汗)





遙かな旅路を経て帰還した、故郷の星の夜。
微かに耳に届くのは、風の音ばかり。


地球到着後、一時的な住まいとして与えられたこの部屋は、ごく普通の官舎の最上階にある―――もっとも、同じ階に他の居住者が全くいないという状態を、普通と呼んでいいものならば。それに、外出を制限されているので知りようがないのだが、はたして下の階に居住者がいるのかも疑わしい。
(それとも、よほど防音がしっかりしているのか、だ)
ソファに腰掛けた守は、皮肉な思いに唇の端を上げた。
この建物の玄関には、内と外の両方に電子式の個人識別キーが設置してある。試してみたことはないが、おそらくそのリストに自分の眼底の情報は入っていないだろう。努めて考えないようにはしていても、「軟禁のための部屋」という言葉が頭をよぎる。
(仕方のない話なんだろうな。俺は死んだ筈の者だったんだから)


西暦2200年、ヤマトがイスカンダルから帰還した後も、相変わらず自分は「冥王星会戦で戦死した」ということになっていたようだ。正規の手続きなど踏みようがなかったとはいえ、軍務に戻るべきところを勝手に離脱して異星に残った守に対して、それが上層部として精いっぱいの温情であったのだろう。
だが、その配慮が仇となった。今回の事は、守の問題だけではない。降って湧いた「地球の恩人の忘れ形見」をどう遇すればよいのか、軍だけに留まらず、おそらくは大統領府まで巻き込んで愁眉の的となっているだろう。
ふと、奇妙な感慨にとらわれる。運命に弄ばれるだけの無力な自分と、その頼りない父より他に頼るものなき小さなサーシャ。この広大無辺な宇宙の中で、自分たち父子ほど弱くまた寄る辺ない存在はないように思えるのに、一惑星の政府までもがその処遇を巡って苦慮している。


サーシャは隣室で眠っている。地球にやってきてからは、お気に入りとなった絵本の読み聞かせをしてやり、「おやすみ」を言って灯りを消すと、少し傍についているうちにスヤスヤと寝息を立て始める。その「手のかからなさ」が、かえって不憫に思われてならない。
(どんなに泣き叫んでもスターシャは戻ってこないと、悟ってしまったんだろうか。こんなに小さいのに)
進とともに時折訪ねてくる雪のことは、既にスターシャと思いこんではいないようだ。離れる時に駄々をこねることもない。今の心配は、いずれやって来る「急成長期」と、それがサーシャの心身にどんな影響を及ぼすかである。
その調査のため、明日―――サーシャは守の元を離れ、真田が腐心して人選した医師・専門家グループに預けられることになっていた。


消滅したイスカンダルを離れ、地球への帰途についた航海で、守がサーシャの事情を打ち明けることが出来たのは、結局真田ただ一人であった。肉親とはいえ、自分が地球を離れている間に過酷な戦いをくぐり抜けてきた弟に共に負わすことは、どうしても躊躇われた。弟や同胞達に力を貸すどころか、地球の苦境を知ることすらなかったことへの申し訳なさも影響していたのかもしれない。
「けっして、いい加減な気持ちで関わってくるような者は選んでいない。俺を信用してくれ、古代。」
イスカンダルの保育カプセルは情報の宝庫であった。イスカンダル由来の技術については第一人者である真田の的確な分析で、急成長期の時期及び保たねばならない条件については、ほぼ解明が終わっていた。
しかし、いくら優秀な真田とはいえ、医学について専門的な知識を持っているわけではない。それに、サーシャの健康を維持していくためには、豊富な臨床経験と柔軟な対応能力が必要とされるだろう。医療どころか子育てに関わったこともない真田が、異星人の血を受けたサーシャの生育をすべて把握できるはずもない。
(俺はこの子を、他の奴らの好奇の目に晒したくないんだ……頼む、真田)
自分の願いを叶えようと、真田がどれほど心を砕いてくれたことか。守もそれはわかっている。そして、サーシャのためを思えばこそ、真田は自ら上層部や信頼のおける専門家に働きかけ、極秘のプロジェクトとして立ち上げた。
この地球で、サーシャに幸福な人生を全うさせるための、これが第一歩なのだ。


死の淵から甦った、この青い地球で―――


母なる大地を踏みしめ、青い空の下で生きていく。
それは、ガミラスの攻撃に晒されながらの、全人類の悲願であった。後退に次ぐ後退を余儀なくされようとも、どんなに実現が困難に思われても、その願いは人々の心から消えることがなかった。
イスカンダルからもたらされたコスモ・クリーナーによる浄化、さらに、気象・土壌・生物、各分野にかかわる人々の努力により、地球にはふたたび青い海が戻っていた。その姿を、初めてヤマトの船窓から眺めた時―――守は、頬に流れる涙を堪えることができなかった。
イスカンダルの消滅と、スターシャの死。悲痛な運命の末にもたらされた「故郷への帰還」ではあったが、それでも、地球は美しかった。


そして、その美しさこそ、守が愛し、ともに幸福をと願ったその人―――今は亡きスターシャの存在の証であった。
彼女の呼びかけと助力、その妹サーシャの犠牲。それらが無くして、今の地球の繁栄は有り得ない。


一度その姿を思い浮かべてしまえば―――彼女の面影が次々に脳裏をよぎることを、守は止められなかった。
ようやく床から離れられるほどに体力が回復した時。外の景色が見たいといった自分を、スターシャは医療エリアのバルコニーへ伴った。
そこで初めて見た、夕暮れの空に浮かぶガミラス星。大きな裂け目から鈍く光る地下空洞を覗かせていた、禍々しい星。
イスカンダルに残ることを選んだ後、時折墓参に付き添って墓地へ向かった時も、頭上には常にガミラスが浮かんでいた。
(あの惑星が許せませんか?守)
その星を見上げた時、自分の顔に浮かんだ翳りを、彼女は見落とさなかった。


(あの星は……ガミラスの人々は、自ら呼び込んだ運命とはいえ、命脈を断たれてしまいました。もちろん、他星人を劣等民族とみなして虐殺したのですから、当然の報いかもしれません。でも、私は………)
目を伏せるスターシャは、この上もなく美しかった。
(彼らもまた、悲しみを抱えながら生きていたことを理解したいのです。それができるのも、今となってはこの宇宙で私だけでしょう。たとえ、他星にとっては悪魔のような略奪者であったとしても、私には……同じ太陽の恩恵を受ける、兄弟星の人々だったのですから)
寂しげに微笑んだスターシャには、既にわかっていたのかもしれない。異星人である守には、慮ることは出来てもけっして心を一には為し得ないことが。
(私にとっては、イスカンダルの大地と、天空にあるガミラス……二つながらに、懐かしく慕わしい故郷の姿なのです)


(付き添ってくださってありがとう、守。ですが、ここから先は私だけで……)
サーシャの墓までは同行することが出来たが、さらに奥へ向かう時、スターシャはなにものにも侵しがたい神秘的な微笑みを浮かべてやんわりと拒んだ。
あの奥津城で、彼女はイスカンダルの女王としての務めを果たしていたのだろう。滅亡に向かう星と、そこに生きとし生けるもののための祈り。そしておそらくは、破滅を迎えてしまった双子星のためにも―――   


(ガミラスの敵星士官である私をかくまっていては、あなたのお立場が悪くなるのではないですか?)
(……私は、自国の宙域で漂流者を救助しただけです。あなたと一緒に救助したガミラス将兵は、十分な手当てを施した後に帰国させました。ですが、無体な扱いを受けるとわかっている捕虜までも同行させる謂われはありません)
スターシャの住まう宮殿で初めて意識を取り戻した時、彼女の身を案じた自分に、かの女王は凛とした表情できっぱりと言い切った。
(どうぞ、御安心なさってください。ガミラス人が私に危害を加えるなどということは、けっしてありません)
故障して自星宙域を漂流していたとはいえ、大気圏外にあった他星の輸送艦を捕獲したことからして、イスカンダルの科学力がガミラスを上回るものであることは容易に想像できた。だが、そうは言っても所詮ただ一人の女性が守る星なのである。精神的な禁忌でもない限り、あの苛烈な軍事国家ガミラスが、ヤマトを支援するスターシャに対し何一つ有効な手段を講じないでいた理由が考えつかない。
もっとも、個人的な感情としては―――暗黒星団帝国との戦いのさなかに、ガミラスの総統が自らスターシャへの想いを吐露したが、あのように切羽詰まった状況下ならいざ知らず、そうした個人の事情で一星の種族の運命を左右する愚を犯していたとも思えない。
(彼女は、イスカンダルとガミラスの両星をいつき祭る、斎女王だったのだろうか)
なればこそ、スターシャは最後までイスカンダルを離れなかったのかもしれない。兄弟星と太陽サンザーから切り離され、いずれ死が待つのみだったイスカンダル。あの星の上に、なおも生きていた数多の生命―――動植物から微生物に至るまで、それらすべてに同道して、彼女は宇宙の根源へと還ってしまった。
(―――スターシャ!)
最後に見た、柔らかな彼女の微笑みが瞼に浮かぶ。


振り返っていざなった自分の目の前で厚い金属のドアに遮られ、そのまま永久に隔てられてしまったスターシャの微笑み。
慣性制御が働いていてもなお打ち消しきれない上昇加速の衝撃に足元がグラグラと揺れ、終いには保育器の中のサーシャを懸命に抱きしめたまま横たわっていた脱出カプセルの床の感触。
身体に伝わってきた振動までもが、生々しく甦ってくる。
(……だめだ…!)
悔恨の刃が、また膾のように自分を切り刻もうとしている。


いつも一緒にいる、と。ヤマトの第一艦橋で最後に聞いた彼女のメッセージを、しかし、守は肯んぜない。
(俺は、まだ君のことを理解できないでいる。君の選択を認めきれないでいる。そんな俺の傍に、君がいてくれる筈がない……!)







「じゃあ、よろしく頼む。」
朝食を食べたあと、なおもうつらうつらしてているサーシャを、迎えにやってきた真田の腕に渡した。
「ああ、ちゃんとベビーシートも借りてきたからな。安全運転で行くよ。」
真田の硬い腕に抱かれても、サーシャはむずがりもしない。違和感よりは眠気の方が勝っているようだ。真田は眉を顰めた。
「……昨日もこんな様子だったのか?」
「いや、食欲もあったし、よく遊んでいたよ。こんなのは、俺も初めて見る。」
「睡眠期が近づいているのか……対応が後手に回らないためには、ギリギリの時期かもしれんな。」
険しい表情を浮かべて呟いた真田は、守の視線を避けるように目を伏せた。
「大事な時期に、こんな小さな子を、親から離して一人きりにするなんて…付き添ってやりたいよな。すまん、俺の力不足だ。こんな有様で、安心してくれなんて言うのは図々しいが……」
真田のこの言葉を聞くのも、いったい何度目だろうと、思わず守はくすりと笑った。
「しょうがない、お前より偉いヤツがごまんといるんだろ?お前が懲戒免職くらってなかっただけ、めっけもんだったと思ってるさ。」
守たち父子には藤堂長官も配慮を示しているとのことだが、真田は彼の権限以上の便宜を図ってくれているのだ。それでも、幼子の検査入院の時すら守がこの部屋から出られないことを、真田はずっと詫びていた。


「どんな小さなことでも、わかり次第すぐに連絡する。端末を向こうのカメラに繋いでおいたから、サーシャの様子はそれでチェックできる。お前も、気になることがあったら、何でも伝えてくれ。」
「わかってる、遠慮なんかするもんか。うるさく嘴を挟むからな、覚悟しておけよ。」
笑いながらサーシャの髪を撫で、ついでのようにさり気なく告げる。
「……三日後、出頭だ。」
真田が、ハッと顔を上げる。
「それが終われば、少なくとも何をしなきゃいけないのかがハッキリする。こんな宙ぶらりんな状態とはおさらばだ。ようやく楽になれるってわけさ。」
複雑な色を湛えた真田の瞳をしっかりと見返し、力強く頷くと、守は二人を部屋の外へと送り出した。



サーシャと離れてから、三日目の朝。
ネクタイなど締めたのは何時以来だろう。髪を軽く撫で付けると、守は真田に借りたチャコールグレイのスーツの袖に腕を通した。旧日本艦隊の制服を着ていきたかったが、人目に付かぬようにとの達しを受けていた。
「あまり似合わないな、その色は。」
「だが、サイズはピッタリだ。ありがとう。」
苦笑する真田に笑顔を返し、襟を正してボタンを留めた。査問委員会がどのような結論を出そうと、甘んじて受け入れる覚悟はできている。唯一の気がかりであったサーシャのことも、真田の計らいに任せておけば大丈夫だろう。
(すべき事さえはっきりすれば、後は全力で事に当たるだけだ)
それが性分というよりも、自分にはそれしかできないのだ。器以上の運命を受け止めかねて悩むのは、いい加減終わりにしよう。


「もっとすっきりした色の方が似合うが、全体的には悪くないな。惚れ惚れするような男ぶりだぞ。」
「お世辞か?お前も世渡りが上手くなったな。」
真田にしては珍しい軽口に、苦笑で返す。だが、真田は真剣な口調で続けた。
「その男ぶりでお偉方を圧倒してやれ。過ぎたことは、誠実に償えばいい。お前は、これからもずっと事を成せる男なんだ。そろそろ、『自信満々の古代守』に戻ってもいい頃だぞ。」
「なんだ、俺のこと、そんな風に思ってたのか?」
「ああ、初めて会った時からな。」


―――初めて会った時―――
その言葉を聞き、守の目裏にほの明るい木の下影が甦った。訓練学校校門から続く、満開の桜並木。その下に一人で佇む、険しい表情の青年。入学生総代を務めたその人となりを見極めてやろうと、値踏み半分好奇心半分で近づいた。
それから十年余の時間を経て。
真田は守の苦しみを我が事のように思いやり、支えようとしてくれている。得難い友の視線を受け止めかすかに頷くと、守は玄関へ歩を進めた。


少し早めに官舎を出たのは、サーシャのいる医療施設に寄る為だったらしい。防衛軍本部の迎えを断ってわざわざ真田が送り届けることにしたのは、なるほどこういう訳だったのかと、守はその計らいに感謝しながら、嬉しそうに抱きついてくるサーシャの柔らかい頬に自分の頬を擦りよせた。たった三日離れていただけなのに、切なさで身を絞られるようだ。
施設の長は、月で会ったことのあるコー医師だった。
「……どうか、サーシャをよろしくお願いいたします。」
守が頭を下げると、コー医師は手を振って笑った。
「いやいや、サーシャちゃんはいい子にしているよ。お父さんから引き離して、こちらこそ申し訳ない。ここには月面経験者が多いからね、地球外の環境で育つ子供について調べるには、一番の適任だ。その点は安心してくれたまえ。と言っても、私は外科医なんで専門外だがね。」
守に甘えるサーシャの様子を、コー医師は目を細めて見つめている。確かに、真田はベストの人物を選んでくれたのだ。
「先生は、これからもずっと地球に?」
「いや、地球の復興に目処が付いて民間人の月帰還が始まったら、またあっちへ戻るつもりさ。僕はルナシティ建国に立ち会った、根っからの月面人だからね。」
既に初老の年齢にさしかかっているコー医師だったが、バイタリティに溢れる様子の彼ならば、きっと実現させるに違いない。
この地上に生きる人々―――それぞれが、自身の人生と使命を受け止め、二度の大災厄を克服しようと努めている。
自分には何ができるのだろう。守は改めてそのことを思った。


防衛軍本部の地下駐車場に車を停め、奥まった位置にある一般職員は使わないエレベータに乗った。長官執務室のあるフロアーで降り、ひとけのない廊下を進む。守は無言で先導する真田の背を追った。やがて、守衛が立つドアの近くまで来ると、真田は立ち止まり、後ろを振り向いた。
「査問委員会の申し渡しが終わったら、また迎えに来る。」
「お前が?仕事はいいのか?」
「今日はお前の送迎が仕事さ。サーシャのこともあるしな。……じゃあ。」
ふたたび前を向いて歩き出すと、真田は守衛に守の到着を告げ、入室の礼をとった。守もその後に従い、ドアをくぐる。正面に立つ藤堂長官に向き合い、挙手の礼をとる。
「地球防衛軍日本艦隊所属、ミサイル艦十七号艦長、古代守、命令により出頭しました!」


査問委員会の決定通知自体は、短時間で終わった。だが、それに伴う諸般の事情説明や、最終的には守自身の決定に委ねられた処遇の結論をいつまでに出せばいいのか等、細々とした申し渡し事項が続き、真田が迎えに来た時もまだ守は解放されていなかった。
ようやく部屋を出てきた守を、来た時と同じ経路を辿って助手席に乗せ、真田は車を発進させた。
「どこへ行きたい?」
「え?官舎に戻るんじゃないのか?」
訝る守に微笑みを浮かべながら、真田は言葉を続けた。


「俺の任務はお前を部屋へ送り届けることだが、時間の指定はないんだ。夕方にサーシャのところに寄らなきゃならんが、お前も別に異存はないだろ?それまで多少回り道するくらいの時間はある。外部との接触は制限されてるから、昼飯は車中で取ることになるけどな。」
真田の声に愉快そうな響きが混ざる。おそらくは藤堂長官の計らいなのだろう。
「三浦半島はゆっくり回れるぞ。何だったら、そのあと名古屋あたりまで足を延ばしてもいい。あそこもかなり大きな街になってる。お前、まだ復興した地球をゆっくり見たことがないだろう?」
「…墓参りをさせてくれるのか?」
実家のあった辺りは、徐々に住民が戻ってきていると進から聞いていた。また、遊星爆弾の落ちた場所に、合同の慰霊碑が建てられているということも。その慰霊碑の付近に、犠牲者の遺族のうち幸運にもあの戦いを生き延びた人々が墓を建て、進もそこに父母を偲ぶささやかな墓所を設けていたのだ。
「遅すぎて申し訳ないくらいだ。他にも詣でたい墓はあるだろうが、今日はとりあえず地球帰還と孫の報告をしてくるといい。俺も、ご相伴に与った寿司のお礼を言わせていただくよ。」
真田の思いやりに、鼻の奥がツンと痛んだ。目頭に浮かんだ涙を隠そうと、車窓に目をやる。
車はメガロポリスの外れにさしかかっていた。トラフィックチューブのターミナルに入り、西行きの高架道に乗る。街並みの向こうに、薄い緑に覆われた大地が広がっていた。


墓に飾る花や掃除用の水は、真田が既に準備してくれていた。
「春になれば、近くの農家に自家栽培品を分けてもらえるんだが。」
そっちの方が、ずっときれいな花が手に入るのにと、真田は残念そうに言った。
「第一次産業に関わる人たちの努力には、頭が下がるよ。なんだかんだ言って、食料生産をする者がいなければ、誰一人命を繋げられないんだからな。」
相変わらずの真田の持論に、守は頬を緩めた。
「生産は順調なのか?」
「ああ。農業従事者は環境改善事業も担っているが、短期間でここまで植生が回復したのは、彼らの力が大きい。」
横浜ジャンクションからは南へ進路変更する。回復が早いとは言っても、以前のような森林が復活するには、何十年何百年とかかる筈だ。高架道沿いに広がる麦畑が途切れた辺りには、灌木がまばらに生えているだけである。だが、川には水が流れ、枯れ草が覆っている土手も春には緑に覆われるだろう。
一度ならず存亡の危機に際し、いまだ恢復途上にある惑星の生命―――それらとともに、自分は今ここにいる。
「……これからが、本当の戦いなんだな。」
今は記憶の中にしかない故郷の姿を思い浮かべ、守は噛みしめるように呟いた。


父母の墓には、花と酒瓶が供えてあった。おそらく進が持参したのだろう。
(ケンカと同じくらい、宴会嫌いになってしまってたのにな)
大人たちの興が乗ってくると、ふいっと二階に上がってしまった弟の姿を思い出し、守はクスッと笑った。
(お酒なんて飲む人の気が知れないよ)
そういって睨んでいた瓶が、古代家と記された墓石の前にある。酒を酌み交わしながら父と語り合いたい事柄が、進にも出てきたのかもしれない。枯れた花を取り除き、周囲の塵を払い、花瓶に水を足し新しい花を挿してから、真田と一緒に墓石をきれいに拭き上げた。
跪いて手を合わせている間、真田は少し下がったところでじっと待ってくれていた。心中に去来する思いを余さず父母に語りかけていたのだから、かなりな時間になっていただろうが。
立ち上がった守と入れ替わりに、線香に火を付けて真田も手を合わせた。慰霊塔にも香を供えてから、二人は車に戻った。


「それで、どうだ?行きたいところは決まったか?」
言われて、守は目を閉じ、静かに自分に問うてみた。浮かんできた情景に心中で頷く。
「……訓練学校を見てみたいな。俺たちの。」
「訓練学校だって?あの、富士のか?」
真田は驚いて守の顔を見返した。
「立ち入り禁止区域か何かなのか?」
「いや、そうじゃないが………あそこには、まだ何もないんだ……」
再建された訓練学校は、メガロポリス近郊にあるとのことだった。真田が名古屋の名を挙げたことからも、そこまでの地域に見るべき復興がないことが窺える。
「それでもいい。行ってみたいんだ。ダメか?」
「そりゃ、構わないさ。わかった。不整地を通ることになるが。」
「運転を代わろうか。」
「なんだ、楽しそうだな。いや、いい、お前の運転で不整地はゴメンだよ。」
真田は苦笑しながらエンジンをスタートさせた。


放射能除去は完了していても、それがすなわち環境の回復を意味するものではないとわかってはいたが。見覚えのある稜線が見えてきたが、ところどころに建物の残骸がある他は、ただ赤茶けた大地が広がっているばかりだった。
「ここが校門か?」
「座標からいえば、そうだ。」
高度が上がってきているせいもあり、さすがに寒い。コートを手に停止した車から降りると、水分と弾力を失った砂礫が靴底でガサリと鳴った。
「この辺はまだ土壌が安定していない。この状態では、植物の定植は難しいんだ。」
未だ痛々しい傷跡を晒す、乾燥しきった大地を歩く。一歩足を踏み出すごとに砂塵が舞う。
「ここに桜並木があったなんて、今となっては想像もつかないな。」
少し歩くと、建築物の配置が脳裏に浮かんできた。本棟、教室棟、講堂、寮。思い出してみれば、確かに建物のあった場所と瓦礫の山が対応する。
他愛のない思い出話をぽつりぽつり話しながら一通り校内を歩き、二人は校門へと戻ってきた。


「ここに、桜を植えたいな。」
守は空を振り仰いで言った。上空には寒々とした冬の曇天が広がっている。
「もう一度、ここで満開の桜を見たい。苗木が手に入らないかな?」
「……手配すれば、何とかなるとは思う……同時に、この辺一帯の土壌改良が必要だが……そうだな、いずれ、ここも環境回復に着手しなければならないんだ。卒業生として植樹するか?花が咲くにはしばらくかかるだろうが。」
生真面目に考え込むこの男に、もう一度桜の樹下で逢いたい。そうすれば、変化する状況にただ流されていく自分でも、何かを取り戻せるかもしれない。ささやかだが大切な、胸を温かく照らしてくれる何かを―――


「……ずいぶん辛抱強く待っていてくれたんだな、お前。」
車の中から取りだした飲み物の容器に口を付け、喉を湿すと、守はぽつりと呟いた。査問委員会の決定事項について早く知りたかっただろうに、守が言い出すまで、真田はとうとう触れようとしなかった。
「急かしたところで、どうにもならんからな。」
近くにあった岩の埃を払い、その上に腰を下ろした。真田は車のドアに寄りかかりながら見守っている。今の自分の様子を、どんな風に解釈しているのだろう。
「処分としては、思ったほど厳しくはなかったよ。ただ、最終的な結論は、結局俺が下さなきゃならないんだ。」
手元にあった小石を掴み、放り投げる。風を切って飛んだそれが地面に落ち、乾いた音を立てる。
「下駄を預けて楽になれるかと思ったが、甘かったな。」
続けざまに、また二つ、三つと石を投げる。小さく上がった土煙が、風に流される。



整理の付かない自分の感情を脇に置いて、守は口を開いた。
「……長官によれば、こうだ。俺には、二つの選択肢が与えられる。一つは、サーシャとともに新しい名を得て生きていく道だ。サーシャはイスカンダルの末裔であることを隠し、俺とともに新しい戸籍を得る。そうして、古代守の名は親父やお袋と一緒に墓に入る。冥王星会戦での俺の責任も、負う人間がいないんだから、結局うやむやだ。」
典型的な隠蔽策である。要するに、守たち親子の存在によって面倒な事態が引き起こされるのを避ける為だろう。
イスカンダルからの帰路同行したヤマト乗組員に対しては、現在敷かれている箝口令が永続することになる。軍人ということもあり、守秘は思うより容易かもしれない。
「だが……この道を選べば、俺は……サーシャの急成長期の間も、それから先もずっと、あの子と一緒にいられる。どこかの衛星か小惑星に住んで……ひょっとしたら、急成長期後は地球に戻ってこられるかもしれない。」
こんな欺瞞含みの策にも、守にとってメリットが無いわけではないのだ。
「サーシャには、適当な履歴が用意されることになるだろう。それに、書類上隠されるとはいえ、あの子がスターシャの娘であることに変わりはない。地球の恩人の血を引く者として、相応の生活が保障されるということだ。俺は……言ってみれば、その養育者ってことになるんだろうな……まあ、どんな生活になるか、だいたい想像は付くさ。」
守は自嘲を含んだ笑みを浮かべて空を見上げ、やがて視線を落とした。


「……もう一つは?」
真田は促したが、実のところ、答の半分はわかっている筈だ。守が、彼の名を自分の身に引き受けるということだ。だが、それがいったい、どのような事態をもたらすのか―――
息を詰めて見守る真田の視線を感じながら、守はゆっくりと顔を上げた。


「冥王星会戦で艦隊司令の命令に背いた経緯については、ゆきかぜの損傷が甚大であったこと、他に残った艦が旗艦のみだったことを考慮し、司令部としては旗艦撤退の殿を務めたと判断するそうだ。何より、沖田司令自身が既にそう報告済みだったんだからな。お前もそう聞いていたんだろう?」
「ああ、確かに。」
真田は頷いた。
「俺が生き残った経緯は、ほぼ事実通りに公表されるだろう。乗組員の家族へ、報告と謝罪もできる。イスカンダルに残ったことについては、何か美談めいた脚色が加えられるかもしれんな。そうして、古代守は軍務に復帰する。」
「…妥当な結論だな。」
簡潔に意思表明した真田に対し、守はまた皮肉な笑いを口元に浮かべた。
「ところが、だ。とんでもないおまけが付いているんだよ。お前、聞いたら目を剥くぞ。」


「何だ、その『とんでもないおまけ』ってのは。」
二つ目の選択肢を聞いて安心していたのを、茶化されたような気持ちになったのだろう。真田は不機嫌そうな声を出した。
「再編される宇宙艦隊は無人艦になる公算が大きい。人材が激減してるからな。お前もそれは承知してるんだろ?で、肝心なのはここからだ。俺は、参謀職を拝命することになるだろうとさ。しかも、長官の腹づもりとしては、早いうちに俺を先任に据えたいらしい。まだまだ上の者が大勢いるのに、だ。」
「なん…だって……?」
絶句する真田に、守は複雑な笑みを投げかけた。
「長官としては、おそらく実戦経験者を上層部に置きたいんだろう。だが、先の彗星帝国戦で多くの人材を失ってしまった。そこへ、折良く旧艦隊出身の俺が戻ってきたというわけさ。」
若くはあるが、自分の戦績は評価に足るものだ―――守にも、その自負はある。そうはいっても、参謀となって司令部に入るとなると、話は別だ。そのことがわからないほど自惚れてはいない。
まして、追い出しにかかられる現司令部の抵抗は如何ばかりか。


「それに、サーシャのことがある。」
特殊な事情のあるサーシャを育てていくのは、たとえ一士官だったとしても困難を伴うだろう。片時も離れずに自分が傍にいるのが、もちろん一番望ましいのだ。
だが、今後の地球防衛を主体的に考えるならば、藤堂長官の模索する道が大きな意義を持つこともよくわかる。どれほどの抵抗に遭おうとも、持てる力のすべてを注いでその任に当たることが、再建途上の地球に戻ってきた自分の使命ではないだろうか。
「今朝、言ってたよな、お前……俺が、事を成せる男だって。俺は、何を為すべきなんだろうな。」
両親の墓に尋ねてみても、答は出なかった。今の自分の原点となったこの地なら、何かを見いだせるのではないかと思ったのだが―――
―――ここに至ってもなお、啓示は得られず、ただ吹き抜ける風に指をかじかませるばかりである。


しばしの沈黙の後、真田が穏やかに語りかけてきた。
「この際、他人の思惑は措いておけ。サーシャのことも、ひとまずは考えるな。そうすれば、基準は一つだ……そうだろう、古代?」
小石を探る手が止まった。守はまじまじと真田の顔を見つめる。
「……身勝手じゃないのか?それは。」
真田の言う「基準」。自分の中にある、原初的といってもいい欲求―――それを以て選択の根拠と為すには、あまりに他者への影響が大きすぎる。何より、それでは自ら選択することのできないサーシャに対し、父親としての責任を放棄することになりはしないか。


「サーシャのことだったら、俺にも力添えができる。…というよりも、お前の許しさえあれば、養育に関わらせてもらおうと思っているんだ。」
真田は車のドアを開け、中からモバイル端末を取りだした。
「イスカンダルの重力が、地球より幾分小さいことは知っているな?この差異が、急成長期に厄介な問題を引き起こすことがわかった。骨格、循環器系、ホルモンバランス……これがシミュレーション結果だ。見てくれ。」
モニターに表示されるデータに目を通し、表情を強張らせる守に、真田はさらに説明を続けた。
「問題解決には重力のコントロールが必要だ。だが、地球上でそれを行うのはエネルギー効率からいって難しい。最も適切な方法は、イスカンダルと同じ重力にコントロールされた地球外の施設で、あの子を育てることだ。」
「なら、尚のこと最初の選択肢を取るしかないじゃないか。」
「まあ、最後まで聞け。実はな、俺は近々小惑星イカロスの天文台に着任することになった。」
「なんだって?!」


コンピュータを閉じてボンネットに置き、ゆっくりと守に視線を戻しながら真田は言葉を続けた。
「…なぜ、俺がイカロスへ行くのか……もしお前が司令部に入ったら、いずれ知ることになるだろうが、今は言えない。だが、これはどうしても必要なことなんだ。」
(いや、いくらなんでも、ずっとそこにいるわけではないだろう。まさか、真田が)
幾多の戦いを経験し、局面を切り開いてきた真田は、防衛軍にとってもはや欠くべからざる人材であろう。小惑星の宇宙天文台などという閑職に回されるのは、何かの事情あってのことに違いなく、それがいつまでも続くとは思えない。
「イカロスには、訓練学校の最終課程も置かれる。俺も、天文台勤務と平行して訓練に携わることになるが、急成長が一段落したら、そこでサーシャにワープ航法を習得させてはどうだろう。もともとイスカンダル由来の技術だから、彼女が受け継ぐにふさわしい財産だ。追い追い、放射能除去の原理も教えたいと思う。」
イスカンダルの遺産を継承させる―――真田が、そこまでサーシャの将来を考えてくれていることに、守は驚いた。
「…お前が一緒に行ければ、一番良いんだが、どうやらそうもいかなさそうだな。サーシャと引き離すことになってしまうことは、本当に申し訳なく思う。だが、イカロスなら地球で過ごすよりも確実に彼女を守ってやれる。それに、ずっと続くわけじゃない。さっきお前も言ったとおり、急成長期さえ乗り切れば、いつかは地球に戻れる。それまで、任せてはもらえないだろうか。」
真田もまた、サーシャのために自分の出来る精一杯のことを為そうとしてくれているのだ。だが、なればこそ尚更自分は己の意志のみに拘泥するわけにはいかないのではないか。
無言の守の葛藤を察したのだろう、真田は真っ直ぐな瞳を守に注ぎながら言葉を継いだ。


「お前は一人じゃない。俺は、これからもずっとお前と同じ方を向いて生きていく。お前の弟も、その仲間達も、必ずお前とサーシャを支えてくれる。だから、古代……自分の魂に、嘘をつかせるな。」
十年前と少しも変わらない真摯さと、切実ないたわりをもって、真田が問いかけてくる。
「お前は、お前の名から逃れ続ける人生を、受け入れられるのか?」


如何なる運命をも、自らの名の下に受け入れる。真田のその言葉こそ、けっして打ち消し得ない守の望みだ。答は出たも同然だった。
手を払って立ち上がり、ゆっくりと頷く守に、真田もようやくの笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「ここに桜の苗木を植えよう。俺がイカロスに行く前に。そうして、いつかサーシャに満開の桜を見せてやろう。そうやって、生きていくんだ……古代。」
確かめるような真田の声に頷き返すと、砂礫の大地に白い花影が見えたような気がした。その向こうに、光を纏ったかのような人影も、また。 


そんな筈は無い、とわかっている。自分にとって都合の良い夢を見ようとしているだけだ、とも。
(だが、それでいいのかもしれない)
悔恨の刃を撥ねのけて前へ進むために、ささやかな幻想をよすがとするのも、人に与えられた恵みの一つなのかもしれない。
スターシャの眼差しと、その存在の証―――叶わぬと知りつつ、宇宙にもこの地上にも、自分は求めずにいられないだろう。
そうしていつの日か、自分は頭上に桜花を振り仰ぐのだ。悲しみに屈せず、為すべきことを成し遂げた、その恩寵として。


今はまだ生命の気配も感じられない大地から空を見上げた。
曇天の向こうに、いつか見た桜の枝々が差し渡されるように広がっているのを感じた。
(今度は俺たちがその樹々を育てるのか。そして、いつかは君に―――)
その景色を見せたい。
(そのために、地球を守ろう)
いつか巡り来る春、その幾度目かの情景を思い描きながら、守は訓練学校跡地を後にした。

2188 月 〔真田志郎 2188年〕

2012年02月28日 22時33分00秒 | 二次創作小説
宇宙戦艦ヤマトの二次創作短編小説です。
二次創作を苦手となさる方はお読みにならないようにお願いいたします。


ルナシティ総合病院第三分院の救急外来は、事故の報に慌ただしく受け入れ準備を始めた。
「…犠牲者が出たんだって?」
「ああ、ハイティーンの少女は現場で死亡、弟らしい少年は左手を肘から欠損、右手も重度の火傷、両足はカートの残骸に挟まれてめちゃくちゃだ…悪くすれば四肢全部を切断することになるな…」
「患者を診る前から先入観を持つなよ!できるだけの手は尽くすんだ。」
同僚の医師の悲観的な言葉を窘めながら、コー・ウェンは手袋を装着した。



ルナシティは宇宙開発フロンティアラインの地位を外惑星系に譲り、今は研究開発とレジャー施設を主な産業とする都市となっている。中でも高速アトラクショ ンを数多く有した遊園地は子供達の人気が高く、地球からも多くの観光客を集める目玉施設だ。その遊園地でロケットカーの事故が発生し、重傷を負った少年が ここに運び込まれてくる。
「…手術室にOマイナスを二単位!まだ要りそうだ、在庫を出しておけ!」
救急搬入口の扉が開く。焼けたタンパク質の臭いが、コーの鼻孔を突いた。


結局、左手と両足は諦めざるを得なかった。右手の状態も予断を許さない。皮膚移植を行ったが、表面積の少ない子供のこと、充分な量はとれず、人工皮膚で補った。拒絶反応による壊死が始まれば、これも切断せねばならないだろう。
「すごいですね、あの子。11歳でジュニア・ハイの三年生ですって。父親は会社経営者で経済的にも恵まれていますし、こんなことがなければ、誰もが羨むような人生が送れたんでしょうにね。」
看護師のバーバラが、珍しく感傷的な顔をしていた。事故から三日が経過していたが、少年は時折ぼんやりと目を開くことはあっても、まだ意識を取り戻してはいなかった。
「患者を将来性や経済的な事情で見るなんて、君らしくないな。」
「いえ、決してそんなつもりはありません。ただ、彼がこの事態に立ち向かっていけるかどうかが心配なんです。恵まれている人間の精神は得てして脆いものですからね。」
検査データに目を通しながら、バーバラの言葉を思い出していたコーは、数値に現れた最悪の事態に表情を曇らせた。
その時、インターフォンから聞こえたバーバラの声が、少年の意識回復を告げた。


病室には、通訳として残された企業の駐在員とバーバラの姿があった。父親は、少年の治療に手を尽くしてほしいと言ったあと、姉の遺体の傍らで放心しているという。少年自身も姉の死はすでに認識していると、通訳に聞かされた。
コーは通訳に、治療方針を少年に伝えたい旨を伝えたが、その言葉が終わらないうちに、少年が口を開いた。
「英語は、わかります。ゆっくり話してもらえれば…直接僕に話してください。」
コーはベッドへと視線を移し、少年と視線を合わせた。気丈な子だ、とコーは思った。蒼ざめた顔はしているが、自分の運命を懸命に受け入れようとしている。 だが、いくら知能が高いとはいえ、英語を母語としない子供に対し、精神の平静を保たせながらうまく治療方針を伝えられるものだろうか…。
しかし、少年の真摯な瞳に気圧されて、コーは慎重に言葉を選びながら、語り始めた。


「僕たちは、最善を尽くした。しかし、君の左手と両足は、どうすることも出来なかった。それで、切断した…」
心構えができていたのだろう、少年は血の気の引いた顔を頷かせた。
「でも、右手は残してくれたんですね。…ありがとう、ドクター。」
その言葉と表情に、次に告げる事実が彼にとっての最後の希望をうち砕くことになると知って、一瞬コーは声を詰まらせた。
「…それ、なんだが、…右手は、人工皮膚を移植したのだが、火傷の度合いがひどすぎて、細胞がどんどん壊れているんだ。このまま放っておくと、君は死ぬ。そうなる前に、右手も…切断したい…。」
(どうせ切断しなければならないのなら、いっそ、意識を失っているうちに手術できれば良かったのに…!なまじっかな希望を持ったことが、どれほどこの子を苦しめることか…)
懸命に保っていた少年の平静さが崩れていくのを、ただ眺めることしかできない自分の無力さに、コーは唇をかんだ。


「イヤダアアアァッッ!!」
少年は、長く尾を引く悲鳴を上げて、日本語で叫び始めた。
「テヲキッテシマウナラ、イキテタッテショウガナイヨ!シンジャッタホウガマシダ!!」
少年の只ならぬ様子に、コーは通訳の顔を見た。
「…なんだって?」
「…死んだ方が、良かったって、言ってます。」
コーは顔色を変えて、何事かを叫び続けている少年を見つめた。
「ヤダ、イヤダ!!ミギテハ、キラナイデ!ミギテヲノコシテタラ、シヌッテイウンナラ、ソノホウガイインダ!!」
「右手を残して、死にたいって…」
コーは思わず、少年の頬を平手で打っていた。
「先生!何するんですか!」
「しっかりしろ!君のそんな言葉を聞いたら、お姉さんはどう思う?!生きている人間が勝手に命を放り出すことなど許されない、わからないか?!…通訳!ちゃんと伝えろっ!」
唇をわななかせながら通訳の言葉に聞き入っていた少年は、バーバラに腕を押さえられたコーの顔と、自分の右手とに視線を泳がせ、震える声で言った。
「ボクガ…ボクガ、イキテタッテ、ネエサン……ネエサンガ、シンジャッテ…ソレナノニ、ナニモ……デキナイ…ボクニハ、ナニモ…」
通訳を介して、パニックに陥った少年の心情をいくらか理解したコーは、なんとかして少年に伝えようと言葉を探した。
「なにもできないなんて、そんなことはないよ。君はまだ生きている。生きて、何かをやろうという意志を失わずにいれば、なんだってできるんだよ。死んでしまった人には、それができない。だから、今生きていることを、放棄してはだめだ。そんなことをしたら、君はお姉さんを二度も殺すことになってしまうぞ…」

沈黙の時間が流れた。
少年の息づかいが、少しずつおさまっていく。しかし、頬にあった柔らかさが消え、代わりに微かな強張りが皮膚を覆っていた。漆黒の瞳には、先程までの何かを支えにした気丈さではなく、すべてを失った人間だけが持つ冷たい覚悟が宿りはじめていた。
少年は、震えの残る唇から深く息を吐くと、かすれた声でコーに言った。

「…手術を、お願いします、ドクター…」




「やあ、シロウ。気分はどうだい?」
回診にやってきたコーに、志郎はやりかけの問題集のファイルを閉じ、微笑みを返した。
「悪くはないです。音声入力装置をありがとう、ドクター・コー。」
患者を殴るなんてとんでもない医者だとバーバラには言われてしまったが、あれから志郎は不思議なくらいコーに対して打ち解けるようになっていた。
「…やれやれ、そんなに根を詰めるとわかっていたら、贈ったりはしなかったんだがね。それに、今期のハイスクール入学テストはもう終わってしまっただろう?」
「ええ、でも、何かしてた方が気が紛れるんです。それに、一度取りかかったものを放っておくのは落ち着きませんから。」


手術後、少年は一度も取り乱した様子を見せなかった。父親と顔を合わせたときなどは、かえって気落ちした父を慰めるような大人びた態度を示していた。確かに、今回の事故は、志郎に一足飛びの成長を促したらしい。
(…いや、成長を強いた、と言った方がいいな…)
そんなものは成長などではない。心に負ってしまった傷なのだ。自分はその彼に、また一つ選択を迫らなければならない。そして、志郎は確実にそれを乗り越え、さらに傷を深めるに違いないと、予めわかってしまうことが、コーをいっそう憂鬱にした。


「…よし、切断面の状態は良好だ。体調もいいみたいだな。食事もちゃんと摂れているって?」
「はい、前ほどの量は食べられなくなったんですが。」
「それでいい。カロリー消費量が落ちているからな。だいたい地球より重力が小さいんだから、同量食べていたらあっという間に寝返りも打てなくなるほど太ってしまうぞ。」
コーは自分しか口に出せないような軽口を叩くと、さりげない様子で本題を切り出した。
「さて…手足の代替物はどうする?」


「どういう方法があるんですか?」
「まず一つは、生身の手足を移植する方法だ。亡くなった人から提供されたものを使わせてもらうか、少し時間はかかるが、生きた手足を培養することもできる。もともとの手足じゃないので強度に問題はあるが、リハビリは一度で済むし、移植がうまくいけば前と変わらない生活ができるよ。事故のことなんて忘れてしまえるくらいに。」
「事故を忘れたくはないな。それじゃ、まるで姉さんまでいなかったことになってしまいそうだ…」
志郎は視線を落として呟いた。コーの予想通りの反応だった。
「もう一つの選択肢は何ですか?」
「… サイボーグ義肢の装着だよ。合金と人造筋肉でできていて、脳波を受信して動く。強度は申し分ないが、長期間のリハビリが必要だ。それに、君はこれから体が成長していくので、何度も交換していくことになる。その度に体全体のバランスが変わるから、またリハビリを受けることになる。こちらを希望する者はほとんどいないよ…まあ、警官や軍人などに何人かいるくらいだな。彼らは身体の強度を落とすわけにはいかないからね。」
マイナス面を挙げれば挙げるほど、志郎の気持ちが引きつけられていくのがわかった。
(この子は自分をより厳しい状況へと追い込もうとしている。…姉の命を奪ったのは自分だと思っているんだ…)


「だいたい、この義肢は君みたいに四肢のすべてを失った患者には向いていない。コントロールが難しすぎる。下手したら、歩けるようになるまで半年もかかってしまう。」
「そんなに色々と説明してくださるということは、僕がどちらを選ぶのか、ドクターにはもうわかっているんですね。」
少年の笑みに、コーは医師としてそれ以上言うべき言葉を持たなかった。だが、この少年とかかわりを持つことになった一人の人間として、その先を言わずに済ますことはできなかった。
「君が、お姉さんを死なせた訳じゃない。あれはアトラクションの制御装置が故障して起きた事故で、君は被害者なんだ。お姉さんを悼むなとは言わないが、君自身の人生を捨ててしまうことを、彼女が喜ぶかどうか、わかるはずだろう?君はもっと自分の望みを大切にすべきだ。」


「僕の望み……願っていたことは、二つあったんです。でもそれは決して叶いません。右手を切断してしまったし、姉も…いなくなった…」
声が震えている。志郎は微かに笑っているらしかった。このような、年齢にふさわしくない反応も、彼が抱えてしまった傷の深さを表していた。
「しかし、移植した腕でだって、できることじゃないのかい?」
「だめです。移植は他人の死や幹細胞の利用を前提としてるでしょう?誰かの犠牲の上に叶えることはできないんです。」
コーは溜息をついた。この少年は、その身のうちに、決して解けない呪いを抱え込んだようなものだった。彼は他者の犠牲を厭うあまり、愛や献身を受け入れることができなくなるかもしれない。
「君は賢い子だ。だけど、そんなに賢くなければ良かったと思うよ。おまけに頑固だから手に負えない。」
「頑固なのは、家系なんだそうです。…義肢を装着します。」
「…わかった。切断面に接続ユニットを埋め込むことになる。あとしばらくは手術が続くよ。そして、治療が終われば僕は君の友人だ。地球に戻っても、心から君を心配し、幸福を願っている人間が月にいることを、決して忘れるんじゃないぞ。」


志郎がどれくらい自分の気持ちを理解したのか、コーにはわからなかった。いや、11歳の子供に対して、理解しろという方が無理なのかもしれない。しかし、少年はまっすぐにコーの目を見つめ、自分自身にも言い聞かせるように、言葉を紡ぎ出した。


「先生は言ってましたよね…生きて、何かをやろうという意志を失わずにいれば、なんだってできるって。僕は、必ず自分がやらなきゃならないことを見つけます。だって、それは…僕の名前なんだから…」





頬杖、物思いの横顔 〔古代守・真田志郎 2202年〕

2009年11月15日 05時25分00秒 | 二次創作小説
宇宙戦艦ヤマトの二次創作短編小説です。
二次創作を苦手となさる方はお読みにならないようにお願いいたします。
 勤務の合間に防衛軍本部の参謀執務室を訪れたのは、サーシャの生育の件でひとつ確認しておきたい事柄が生じたからだった。内容が内容だけに、直接古代と話がしたかった。
 もちろん、いまは二人ともこうして地球にいるのだから、勤務時間が終わればいくらでも会話の機会はある。だが、それを待つことができずにここへやってきたのは、俺自身、イカルス行きが近づいてきたことで感傷的になっていたのかもしれない。できれば、少しでも機会を捉えて古代の顔を見ていたい―――正直に言うと、そんな気分だった。


 計り知れないほどの苦しみと負い目を抱えて、古代は地球へと帰ってきた。そして―――非難、批判、皮肉の言葉や眼差しを実際にその身に浴びながら、自分が引き寄せた(と、あいつは思っているのだが)禍つ事への備えを、可能な限り行おうとしている。
 あいつの真摯な態度と持って生まれた資質とが印象を和らげてはいたが、就任からまだ間もないというのに防衛軍の戦力再編・配備に関する数々の提言を行い、実行に移すその姿は「苛烈」と言ってもよかった。数ヶ月もしないうちに、あいつは誰の目にも明らかな形で「藤堂長官の懐刀」として認識されることだろう。
 だが―――


 ―――皮肉なことに、自ら望む望まないに関わらず、人目を惹き人に愛される古代の資質は、あいつに認められず、その意を向けられなかった者からの激しい妬みや恨みを買いかねない。古代が真摯であればあるほど、相手の負の感情も強くなる。いっそ、俺のように誰からも近寄りがたく思われている方が、質の悪い敵を作らないでいられるんじゃないか―――そう思ってしまうくらいだ。
 理不尽な話だ。現状は、あいつ自身の望みなどひとっ欠片も反映しちゃいないのに。あいつはただ、イスカンダルを襲った災禍が地球に及ばないように、自分の力の全てを注いでいるだけなのだ。だが、感情というヤツはどこまでも度し難く、かつ、人はいともたやすく感情の奴婢と成り果てる。


 昏い思いに囚われながら訪れた執務室に、しかし、古代はいなかった。今日最後の会議の前に外の空気を吸ってくると言い置き、階下へ降りていったのだという。その場所に心当てがあった俺は、取り次ぎの者に礼を言うと、来た道を引き返し裏庭へと向かった。
 きれいに刈り込まれた植え込みの間を足早に歩いた先には、一応芝を敷いてはいるものの、たいした手入れもなく雑草がちらほら伸びているスペースがある。防衛軍本部全体の敷地を区切る高いフェンスはさらに向こうにあるが、隣接する施設との間を隔てる、やや低い柵がここに設けられている。
 人の胸くらいまでの、その柵に凭れる形で―――俺の求める男の後ろ姿が、そこにあった。


 手前にある植え込みを避けて近づけば、その柵に沿うようにして斜め後ろから古代の顔を捉えることになる。なんとなく声をかけそびれた俺に、あいつはまだ気づいていない。
 右手に白いカップを持ったその唇が、微かに動いている―――そう思ったのと同時に、古代の低い歌声が俺の耳に届いた。


 切なく胸を締め付ける短調の旋律。だが、けっしてか細くもか弱くもない節回し。そして、僅かに聞き取った部分だけでも十二分に俺の心を揺さぶった、その歌の詞は―――
 ―――何と形容したらいいのだろう―――
 人として生まれ、誰のものでもない自分自身の運命を生きる者が、生涯のどこかで必ず辿り着く孤独。底知れぬその寂寥に耐えながら、その身を先へと歩ましむ為の、ささやかないたわりの言葉。
 それを、この男が口ずさんでいる。


 ―――胸を突かれて、俺は動けなくなった。左手で頬杖を付いた古代の横顔を見つめたまま……


 気配に気づいたのか、ふと、古代がこちらを見た。途端にバツの悪そうな顔をして歌いやむ。
「……おい、人が悪いぞ。ずっと聴いてたのか?」
「ああ、いや…そんなに、長い時間じゃない。すまん、声を…かけそびれて……」
 俺は、自分でも訳がわからない動悸を抑えかねていた。おそらく、聴かれた古代よりも動揺しているのではないか。
「今の、歌は…?初めて聴くな。」
「ああ、ずいぶん古い歌らしい。親父がよく歌っていたんだよ。」
 ここに来たそもそもの用件でさえすぐには切り出せず、つまらないことを尋ねてしまった俺に、古代はちょっと苦笑いしながら説明してくれた。
「何となく、一人になった時に出てくるんだ、この歌。誰もいない時にしか歌ってなかったんだけどな……あーあ、聴かれちまったか。笑うなよ。」
 照れ隠しのようにそう言って顔を背け、頭を掻いた男のことを、俺は、笑うどころか―――


 胸が、騒ぐ。締め付けられる。


 古代―――古代。


 何かが、お前を突き動かしている。俺にもお前にもどうすることもできない、まるで熱い大気が塊となっているような掴み所のない流れに呑みこまれて、それでも自分の進むべき途を選び取ろうと、お前は―――
 だが、どうか、急ぐな。急がないでくれ。
 そうやって、ささやかな歌に心を慰める時間を捨てないでくれ。
 俺がお前の奥底にある傷に辿り着くまで。癒せないまでも、せめて、そっと覆えるようになるまで。
 お前が、俺にしてくれたように―――古代、どうか―――


 日差しが―――午後の波長を強めている。
 小さな秘密が晒されたあどけない時間が破れ、日常の時間が流れ出すまでの、永遠の刹那。
 宙に浮かんだ泡のようにきれいに閉じた円環の中で、俺はただそれだけを念じていた。  










【あとがき】

これもタイトルは「パーツフェチへ15題」から。
前2作からずいぶん時が流れ、「新たなる旅立ち」と「ヤマトよ永遠に」の間のエピソードとなります。
作中で守さんが歌っているのは、塚田茂作詞・宮川泰作曲の「銀色の道」です。
  http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/ginirono_michi.htm
宮川先生が亡くなられ、いくつかの追悼番組が放送された中でこの曲を聴き、その時の感動から生まれた話がこれなんです。
古代武夫さんならきっとこの歌を知っているに違いない!(何せ未来の昭和人・笑)
長かった「一人っ子」時代、たとえば家族での山歩きに疲れておんぶされた時などに、守さんはお父さんの背中でこの歌を聴いていたのではないかと想像しています。

箸を持つ指先 〔古代守・真田志郎 訓練学校時代〕

2009年11月03日 15時24分00秒 | 二次創作小説
宇宙戦艦ヤマトの二次創作短編小説です。
二次創作を苦手となさる方はお読みにならないようにお願いいたします。
 「よ、ただいま。」
 古代守のこの挨拶には、もう真田も慣れてきてはいた。だが、「おかえり」と返すのはやはりそぐわない気がして、モニターに向かったまま曖昧に頷き返す。
「愛想が無いなあ、相変わらず。」
「お前が帰ってきたからって、いちいち愛想良くなんぞしていられるか。」
 遠慮のない物言いを受け止めてクスッと笑うと、守は真田の手元を覗き込んだ。
「なんだ、これ。隔壁か?」
 画面に映し出された図面を見て、首を捻る。
「技術科って、こんなの、学生の課題に出すのか?」
「いや、これは自主研究だ…一つ、思いついたアイデアがあったんで、この休みにまとめて提出しようと思ってな。」


 そう答える間にも、キーボードを叩く指は止まらない。新しく開いたウィンドウに表示された数値を見て、守がヒュウと口笛を吹く。
「すごいな、強度が15ポイント向上か。たいしたモンだ。」
「…所詮、小手先の技術に過ぎないんだがな。装甲全体の強度をもっと向上させないことには、連中の兵器には対抗できやしない。」
「天王星軌道の悪夢、か?」
 眉間の溝を深くした真田の横顔に、守は声のトーンを落とす。
「穴の開いた宇宙船じゃ、隔壁を閉じたところで生存率はたかが知れてる。連中はどうやら太陽系内に基地を建設し始めたらしい…本格的な艦隊戦に突入するまでに、なんとか艦体強度の向上を図らないと、いたずらに犠牲を出すばかりだ……」
 額に浮いた汗を見ながら、守もまた眉を曇らせた。が、明るく声を張りながら、真田の肩をポンと叩く。
「安心しろ、そのころには俺も宇宙に出て、奴らに目にもの見せてやるさ。」
 威勢のいい言葉に、真田も視線を向けて口の端を僅かに上げて笑ってみせる。
「でも、どうせならお前の設計した艦に乗りたいよな。早いとこ出世してバンバン艦を作ってくれよ。」
 ふざけた口調の中に、守は切実な望みを潜ませた。
 真田の設計思想が犠牲者を最小限に留めたいとの想いに貫かれていることを、訓練学校での生活を共にしていく中で、守は理解していった。全体の作戦行動を成功させるために、否応なく切り捨てられるものがある―――戦いに身を投じる者ならば、動かしがたい事実として受け入れなければならないと思っていたが、真田はあくまでそれに抗おうとする。こういう男の手になる艦ならば、命を預けるに足るというものだ。


 「そんなに調子よく行きゃあいいんだがな。」
 苦笑いを含んだ真田の声に、痛いほどの緊張がフッと緩んでいるのがわかった。
「ま、根を詰めるのはそれくらいにして、ちょっと休憩しないか?どうせ、何時間もぶっ通しでモニター睨んでたんだろ。」
 守は手に持った包みをテーブルに置いた。
「俺は巻き寿司を提供するから、お前は吸い物作ってくれよ。汁の実は乾物でいいぞ。」
 真田はあきれて守を見やる。
「バカ言うな、お前が提供するったって、作ったのはお袋さんだろうが。図々しいヤツだな。」
 それでも真田は腰を上げて、備え付けの簡易キッチンへ向かい、小さな棚と冷蔵庫を覗き込む。
「わかったわかった、茶も入れるよ。それならいいだろ?」
 わざとらしい溜息をつきながら削り鰹と乾燥ワカメの袋を取り出す真田に、守はもう一つだけ譲歩したと言わんばかりの大げさな身振りで並んでキッチンに立つと、棚から食器を取り出した。


 きちんと出汁をとった澄まし汁の香りを楽しみながら、二人は守の母の心づくしを平らげていく。
「かんぴょうも、ちゃんとお袋が煮含めたんだ。玉子焼きの味も、そんじょそこらのヤツとは全然違うだろ?」
 自分の手柄のように自慢する守に、真田の苦笑も次第に晴れやかなものに変わっていく。
「何度も聞いたぞ、それは。しかし、確かに美味いな。ご相伴に与れるのは有り難いよ。」
「ああ、お前の吸い物もたいしたもんだ。それにしても、なんで料理なんか得意なんだ?」
 守は何の屈託もなく尋ねてくる。相手が守でなかったら、興味本位の好奇心を疑って容易には答えないところだろうが、そんな心理の壁など、この男の前では霧消してしまう。
「……月で、義肢装着手術を受けた後、な。地球でリハビリを受けたんだが、担当の外科医が専門家を紹介してくれたんだ。」
「ああ、あの先生か?」
 共に受けた月面訓練での出来事を思い出したのだろう、守の顔が引き締まる。
「コー先生は、俺のことを心から心配してくれていた。思い詰める質だったのも、よくわかってたんだろうな。そのリハビリ専門家ってのが、生活関連の動作訓練をやってる人だったんだよ。」
「それで、料理を仕込まれたって訳か?」
「まあな。」


 器用に箸を動かす指先は、確かに一見して人工物のようには思えない。
「なるほどな。お前の手先って、ほとんど生身と変わらない動きをしてるもんな。いったい、どんな厳しい訓練を積んできたのかと思っていたよ。」
「厳しかったぞ、あれは。質感の全く違う材料を捌いていくだけでもえらい苦労だったな。」
 真田は僅かに頬を緩めた。ここまで遠慮無く真田に手足のことを聞いてくる者は他にいないが、それをごく自然に受け止めさせるおおらかさを、守は持っている。この男の前でなら、真田は何一つ構える必要がない。 
「五十絡みの女性だったんだが、片づけの手順にまで気を配るように仕込まれた。でもな、そういう段取りを考えるのも、今思うといい経験だった。」


 義肢の性能は、運動性能だけなら生身の身体とほぼ変わらない。人間の手足ができることなら、そのほとんどが可能になっている。問題は、それをコントロールする神経をいかに適応させるかということだ。
 最初のうちは、本当にこんなことで適応訓練になるのか、戸惑いと焦りを覚えたが、実際にやってみると確かに合理的な訓練だった。常に次の動作のプランを立てながら、細心の注意でデリケートな食材や器具を取り扱う。調理をスムーズに行うことができれば、他の動作は苦もなくこなせたのだ。
(なにより、人間にとって最も基本的なことは何なのか、見失わずに済んだのは有り難かったな)
 どんな大事業も、崇高な理想も、ささやかな日々の営みの上に成り立っている。それに、生き物は他の生命をその身のうちに取り込むことでしか命を繋いでいけない。そうしたことを、知らず知らずに学んでいけるように。コー医師の配慮には、きっとそのような意味も込められていたに違いない。目的以外のことを視界から追い出してしまいがちな真田にとって、実はそれが一番大きな教育効果を上げていたのかもしれなかった。


 「おかげで、俺も美味いものが食えるしな。」
 そう言って、守は次の寿司へと箸を伸ばす。
「おい、そんなに食べると夕飯が入らなくなるんじゃないか?」
「大丈夫、食事の前に腹ごなしのランニングしてくる。」
 呆れ顔の真田に、守は片目をつぶって答えると、椀を持ち上げて美味そうに吸い物を飲み干した。 








【あとがき】

タイトルは「パーツフェチへ15題」という配布お題からいただきました。
月での出来事とか、いろいろと説明不足のところもありますが、ふたりの間にある雰囲気を表現してみたかったので、敢えてそのままにしてあります。
いや、表現スキルがないんだということは重々承知しておりますが(汗)
訓練学校の寮に簡易キッチンがあるというのも勝手すぎる設定ですねスミマセン(大汗)
というところで言い訳終了ーーーー。