やや矢野屋の棚上げ棚卸し

アニメの感想と二次創作小説・イラスト掲載のブログ
「宇宙戦艦ヤマト」がメイン 他に「マイマイ新子と千年の魔法」など

「宇宙戦艦ヤマト」第一作の沖田十三について

2012年04月22日 17時46分00秒 | 宇宙戦艦ヤマト
こないだから考え続けている「第一作ヤマトの沖田艦長」の描かれ方。
今日、なんか閃いた勢いでTwitterに連続投下いたしました。
こちらにも記録として残しておきます。




今はっきり分かった!!最初っから提示されてたのに何て鈍いんだ私は!!!第一作ヤマトの沖田艦長は一話と最終話で決定的に変わってしまってるじゃないか!!!全然一貫してないよでもだからこそ素晴らしいんだよ!!!!!
posted at 09:06:47


と、風呂から飛び出したアルキメデスの如き勢いでツイート。
posted at 09:07:36


第一作一話「たとえ最後の一人になっても、ワシは絶望しない!」……この言葉の持つ絶対的な孤独。つまり沖田はこの時点で、「同胞がすべて死に絶えて沖田ただ独りになっても、或いは他の地球人がすべてガミラスへの帰順を誓った奴隷となっても、ガミラスとの戦いを止めない」って言ってるんだよね…
posted at 09:12:50


「不屈の闘志」といえば聞こえはいいけど、もしかしたらそれって他の地球人にとっては迷惑千万な妄執かもしれない。地球にとってもはや彼しか頼る者のない名将・名艦長の心中に、同胞すべての死すら想定に入れた激しい怨念が渦巻いているのですよ。
posted at 09:22:58


こう書くと「それってただの文学的レトリックだからー沖田艦長最初から立派な人だからー」との指摘を受けることでしょうが、あの台詞は字義的にそのまま受け取った方が第一作ヤマトを面白く観られるので、私はそう思っておきますよー。
posted at 09:26:46


物語の中で二度描写される「沖田艦長の地球への帰還」、「赤い地球を眼前に臨む沖田の後ろ姿」という構図もほぼ同じ画面において、しかし、沖田自身の心情はまったく違うものになっている。これ凄いよホント震えがくるよ!!
posted at 09:32:05


「同胞すべての命よりも、己の非服従を優先させる妄執の人」…私はそうした存在を否定するつもりはない。あくまでも「内心の自由」という範疇において、だが。ただ、それほどの孤独はどんなに辛いものかと思う。だから、第一作ヤマトはそうした沖田の心を救う為の旅であったと思いたい。
posted at 09:40:28



妄執の人・沖田を一番「痛々しい」と思ってたのは、たぶん沖田艦長の息子さん。だからね、最終話で沖田艦長が涙を流しながら遺影を撫でた時、息子さんは「よかったな、親父」って言いながら沖田さんを迎えたと思うのよ……
posted at 09:45:14


第一作ヤマト一話の沖田には、他の誰にも肩代わりできない使命と、それを果たさずにはおられない強い動機がある。そして沖田は、それを誰かに分かってもらえるとも、分かってもらいたいとも思っていない。怪我を押して司令部内を歩く沖田。周囲と隔絶したその描写の凄惨さを見よ!
posted at 10:02:50


注意深く見ていくと、第一作ヤマトでは沖田艦長はそれほど「立派な人物」として描かれていない。彼なりに目論見の甘いところとか、先を読み切れない神ならぬ身の哀れとか、教え導くことや親しく打ち解けることを不得手とする不器用さとか。
posted at 10:12:55


おそろしく不完全な「異物」として、沖田は古代進や当時の視聴者であった子供たちの前に立ち塞がる。もしかして、今だったら「排除の対象」としか見られないかもしれない。だが、第一作では古代と沖田の両方が変化していく様子を物語の軸として描ききってみせた。
posted at 10:20:24


そこにあるのは、「精神の成長を信じる心」なのではないかと、私は思う。スターシァが与えてくれたチャンスは、「単に種としての生命を存続する」ということではなく、「人類は成長という課題を成し遂げられる種であるのか」という問いかけになっていたのではないだろうか。
posted at 10:27:02


あーそうか、だからイスカンダルでの反乱首謀者は「裏の古代」である藪でなければならなかったんだ!!徳川さんの薫陶を受けていながら、「オヤジさん」の精神に背いてしまった「不肖の息子」として。徳川さんがスターシァに詫びたのは、そういう意味があったんだ……
posted at 11:11:02


第一作の裏古代は藪、「さらば」「ヤマト2」の裏古代は斉藤。
posted at 11:12:29


わざわざ神話を引いてこなくても、ヤマトの物語自体が神話の構造を有していますね。凄いぜヤマト。
posted at 11:16:16


「宇宙戦艦ヤマト2l99」感想の続き

2012年04月17日 18時17分00秒 | ヤマト2l99
さて、これは大勢の人が既に指摘していると思うのですが、2l99は「旧作の穴を塞ぐ」と言いつつまたゴーカイな穴を空けてくれてます(;^ω^)
「結局重力制御してるのしてないのどっちなの!ボーシ脱げるの気にする割に急速転舵しても艦橋回っても平気なのそうなの!」とか、「ちょーっと待って今土方さんが良いこと言ったから静かにして!『ワシの命を奪うかもしれん』なんて言うけどさ、そんなこと言ったら前人未踏の旅に出る乗組員に対して無責任じゃないかなぁ?結局ヤマトが戻ってこれなくなるだけなんじゃないかなぁ?僕の言ってること違うかな?沖田さん!」とか、「今この人コネ人事だって言ったよハッキリ言った!そこんとこどうなの沖田さん!」とか、「なんで大事な幹部候補をあんなヤワいシェルターに集めてんの!どう見てもヤマト本体が一番頑丈でしょナンでそこに入れてやんないの!あそこで迎撃させりゃいいじゃないの人材の無駄遣いだよ!血税を預かる身としてそこんとこどう思ってんの!」とかその他イロイロ、意地悪かもしれませんが田原総一朗氏に免じて許してくださいー>ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

まあ、上のようなことは「愉快なギャグ」として見て見ぬフリできなくも無いですが、私が「ちょっとコレはヤバイんじゃないの(;・∀・)」と思ってしまったのは、何を隠そうコードネームと作戦名。

えーっとね、イスカンダル船が「アマテラス」なら「ウズメ」は回収班じゃなくて囮艦隊でしょ?
「囮艦隊はガミラスをおびき出す役割なのだから、それは違う!」と仰る向きがあるかもしれませんが、「神」と「敵」が同一視されるのは神話構造ではよくあることですから無問題。
踊って踊ってわっはっはーーってやってるトコに大御神が顔を出すんですよ。
そこで大御神をキャッチするのは天手力男神、だから古代と島のコードネームは「タヂカラオ」でないとオカシイ。
神話を引っ張ってきてるにも関わらず、この無神経さはヤバイ。
何がヤバイのかは諸星大二郎の「闇の客人」あたり読んでいただけるといいんじゃないかとかそういうネタは脇に置くとしてですね(汗)、神話に対してそこまで無理解無神経な割に、その神話をなぞろうとしている節があるのが超ヤバイ(脂汗)

まあですね、コードネームの間違いくらいなら土方さんか藤堂さんあたりに「ボクあんまり神話に詳しくないんだーてへぺろ☆」とでも言ってもらえば「お茶目なギャグ」として目を瞑れないことも無い。

しかしですよ、「イズモ計画」と「ヤマト計画」これはヤバイ。
言い訳効かないレベルでヤバイ。

「イズモ計画」―――
計画の内容から、これは「出雲の国譲り神話」を想定しての命名と察します。
ガミラスという天孫が「地球譲れや(゚Д゚)ゴルァ!!」とやって来たから、地球人=大国主命が「チッしゃーねえなあ俺ら別のトコ行かねーと生きてけねーよなあ」って移住するワケです。
公式サイトには何故か最初「ヤヨイ計画」という名称が記されていましたが、今は削除されていますし、公式に本編に採用されたこの命名から読み取れる情報は、どうしても先ほど述べた事情を含んでいると考えざるを得ません。

では、なんでコレがヤバイのか。

キバヤシ< 「ヤマト計画のヤマトは『戦艦大和』ではなく、『カムヤマトイワレビコノミコト』或いは『ヤマトタケルノミコト』を指しているのだよ!」
Ω ΩΩ< 「な、なんだってー!!」

おいおいおい「東征」だよイスカンダルへの航海の意味が変わっちまったよヤバイよどうすんの!!!

……………はい、「考えすぎ」と仰るのはもっともです。
たぶんそこまで深く考えて命名してはいないと思います。
というか、そう信じたいですよ私も。
でも、「神話」というのはそれくらいハンパない深みと広がりを持った存在であり、生半可な擬えで間違った「祭り」を行うのは、マトモな神経を持った人間なら避けて当然だと思うんですよ。
ここに切り込んでいくには、それこそ諸星大二郎か星野之宣クラスの構築が出来てからでないと、大火傷負うんじゃないかと。

実は、これを「杞憂」と思えない理由が、もう一つあるんです。
それは、ヤマト発進の折に「第二次大戦で沈んだ戦艦大和の魂を受け継ぐもの」として描かなかったこと、なんです。
ヤマトを大和と結びつけるのを避けた一方、イズモとヤマトを深い関わりのある事柄として作中に取り上げた。
そうである以上、宇宙戦艦ヤマトは旧海軍の命名慣例に基づいた「旧国名としての大和国」ではなく、天孫降臨や国譲り神話、神武天皇や日本武尊の東征神話との繋がりを濃く反映したものとなってしまった。
私はこっちの方が余程危うい話ではないかと思ってしまいます。

それこそ、諸星星野レベルの構築が出来れば問題ないのですよ。
そういう野心作を作っちゃいけないって法もありませんよ。
ただね、それを「リメイク作品」でやるのは、どうなんでしょうか……
もし本当にそういう物語を紡ぎたいのなら、まったくのオリジナルで挑むべきでしょうし、そうではなくて「なんかそれっぽい名前を神話から借りてきました」っていうんなら、もう少し元ネタの扱いに慎重であるべきではないかと思います。

無粋極まりないツッコミでゴメンナサイね。
でも、どうしても気になって仕方なかったので、ここに書かせていただきました。

「宇宙戦艦ヤマト2l99」の感想めいたもの

2012年04月17日 15時58分00秒 | ヤマト2l99
そろそろ公開終了も近づいてきたようですので、個人的な感想なんぞ書かせていただきましょうか。
まずはTwitterに書き込みました幾つかの発言を再録しておきます。




yayayanoyaやや矢野屋 12:48
ヤマト2l99の感想を簡潔に述べるよ!上手に塞いだつもりでも別のところにボコボコ穴が空いて最終的に床が抜けたよ!ってことはやっぱりこれもまた「紛う事なきヤマト」なのかな?タグは外しておくよ!

yayayanoyaやや矢野屋 12:53
絵とか色調とかメカとか声とか音楽とか凄く頑張ってるのに、勿体ない……あとやっぱり復活篇に似てる。(違う部分も勿論あるけど)鑑賞しながら復活篇の古代とか大村さんが何度も頭をよぎった。ジーベックだからだろうなー。

yayayanoyaやや矢野屋 13:00
ホント、良いとこはいっぱいあるのですよ、ヤマト2l99。もう少し丁寧かつ慎重に感情の流れやタイミングを組み上げるだけで、見る人のココロを動かせるのに。脚本と演出を何とかしたら、今からでも軌道修正できるのではないでしょうか。

yayayanoyaやや矢野屋 13:04
ヤマト2l99。なんかすごく臆病な作品になっちゃってるなあと思いました。他者とぶつかり合わないし、本気で他者を信じていない。あの重要なシーンを削ってしまったのは、つまりそういうことなんだろうな。ネタバレ回避のため重要なシーンについてはブログで ノシ

それではマイクを戻しますーー。
ブログのやや矢野屋さんーーー?




はいっブログのやや矢野屋です!
えーネタバレ該当箇所ですが、ズバリ申し上げると「ヤマト乗組員の行進シーン」なんですねー。

旧作では、ヤマト乗組員達は整列して沖田艦長の訓辞を聞いた後、地下都市の大通りをパレードしてエアカー乗車場所に向かい、乗り組みを希望しないものはパレードの間に抜けなければならないという、ある意味度胸を試される儀式を経てヤマトに向かうのですが、2l99は「乗り組み希望者は現地集合ね」という親切仕様。
当然、旧作にあった一般人からの野次や祈りの言葉は全てオミットされております。
一方で、旧作では10話のサヨナラ通信や19話の相原脱走話の背景として描かれた「地下都市での暴動」が、第一章の時点で電光掲示板等のニュースとして取り上げられています。
要するに、2l99の地球社会には旧作よりも更に深刻な人心の荒廃がありながら、ヤマト乗組員は彼ら一般人からの言葉を直接浴びることなく旅立っていくのです。

誤解無きように願いたいのですが、私は「旧作からの変更は一切まかりならん」と言いたいわけではありません。
ただ、変更によって見えてくるリメイク制作者の意図には、首を傾げざるを得ないのです。

第一作ヤマトの出発パレードでは、「お前らだけ逃げ出すんじゃないだろうな!」という野次馬に対し、傍に居た別の一般人が「危険な旅に出ようってのに、何てこと言うんだ!励ましてやったらどうなんだい!」って言いますよね。
2l99のスタッフは、ああいう人の存在を信じられないんじゃないかと、そう思ってしまったんです。

市井の賢者、庶民の良心。
昔、小津安二郎監督の「東京暮色」を観た時に、本筋とはまるで関係の無い中華そば屋の主人の台詞に心を揺さぶられて涙したことがあったのですが、旧作のこの場面にはそれと共通した重さが感じられます。
本筋には絡まない、名前すら無い人物にも、人生に学んだ知恵と己を律する倫理観があり、カメラフレームの奥や外側から主要人物を見つめているのです。
主要人物達は、それら「物語の社会」とも呼ぶべき集団と共に彼らの人生を生きている。
最終話で沖田艦長が「古代、お前、独りぼっちだと思っているのか」と問いながら語りかけた「地球で待つ人々との連帯感」は、まさにこのパレードで名も無き庶民が発した言葉によって保障されているのです。

2l99でこの言葉が削られてしまったのは、そうした「庶民の良心」に信を置いていないからではないか。
そして、その暴徒とヤマト乗組員や国連上層部は正面から向き合おうとしない。
「端末の向こうに無知蒙昧で無理解な人々が居る」という「情報」だけを提示する。
そこには、「無理解な人間から理解を得ることなど端から諦めている」昨今の思潮が反映されているのかもしれない。
その意味では、ヤマト2l99は極めて「現代的」な作品となるのかもしれません。

一方で、ヤマトの旅に理解を示し送り出すのは、各国各エリアの首脳達です。
いかにも知性があり洗練された風体のエスタブリッシュメントが、なけなしの電力を送ってくる。
そこに、市井の切実な愛情や、庶民が自らの生活を犠牲にして望みを託したことは語られていないのです。
少なくとも、映像という形では。
「出発パレードをカットする」というのは、つまり、そういう結果を作品にもたらしているわけです。

貴重な電力を奪われ、一方的に生活を圧迫されたヤマト2l99の庶民達を、制作者はどのように思い描いているのでしょう。
ひょっとして、彼らはヤマトの旅立ちを呪いの言葉で見送ってはいないでしょうか。
彼ら地球人の呪詛がヤマトに向かい、やがては地球人自身に向かうとしたら……
旧作終盤の「反乱」エピソードは、今回は別の趣旨で作中に組み込まれることが人物設定からも窺えますが、旧作の沖田艦長が得た「待つ人々との一体感」を切り刻む結果になりはしないかと危惧しております。

おそらくは無邪気な「リアル志向」の産物であり、そうした意図は無いものと思いたいのですが、地球人をエリートと庶民とに分断する2l99の作劇に、私は不安を抱かずにはおれません。

なんか長くなってしまいましたので、他の感想については項を改めます。


「SPACE BATTLESHIP ヤマト」

2012年04月12日 01時56分00秒 | 宇宙戦艦ヤマト
私は心から実写版ヤマト好きです。
「アホ」と言われようと「目が腐ってる」と言われようと、大きな声で言えます。
あの映画をきちんと「家族の物語」として描いた脚本家に限りない尊敬の念を抱いています。

実写版ヤマトの凄いところは、ヤマトが内包する「家族の物語」から決して逃げ出さなかったことだと思うのですよ。
そこから逃げた方が絶対楽だし、今はその方が評価してもらえると思うし。
でも、傷を負うことを覚悟でやり遂げた脚本家の心意気は、本当に賞賛に値すると思います。

ここからちょっと余談。
実写版は生身の人間が演じていることもあって、ツッコむことにあまり意義を見いだせません。
アニメは「最初から絵空事」というのもあり、「ちょっと引いた位置から観る」のも愛情の形だと思えるのですが。
生身の人間のやっていることを「引いて観」ても、自分が辛いばっかりなんですよね。
この感覚って、チームを作る系のサッカーや野球のゲームに対する拒否感に似てる。
あくまで個人的なものですが。
なんか、「選手を取り替え可能なパーツとして見てる感覚」が苦手。
最近では実在するチームのファンが選手に対して「こいつ(゚⊿゚)イラネ」とか言っちゃうらしいですが、それと似た感じ。
ガッチャマンやマジンガーZにはツッコめるのに、ウルトラマンや仮面ライダーにツッコむのは辛い。
そんな感じ。わかってもらえますだか。
まあ、それはともかく。
私がアニメのファンだからかもしれないけど、元々はアニメキャラだった人物を真面目に精魂込めて演じてもらっていることに、まずは「有り難い」という気持ちが湧き上がってくるのですよ。
橋爪功さんとか、マジ泣きするレベルで感動する。

さて、ここから本題です。

アニメの第一作ヤマトは、沖田と古代を「子を失った父と、父を失った子が新しい絆を得る物語」とすることによって、人が個を超えた存在となる姿を描いてみせました。
雪を失った古代に沖田が掛ける言葉に、その真髄が表現されています。

物語の冒頭で古代が失ったのは兄の守だったけど、十歳も年上だと実質「小さいお父さん」みたいなものですよ。
まして、思春期に父母を失っているのだから、以後守さんはずっと父親的な存在だっただろうと思うし。
それと、ストレートに「父を失った」としなかったところが物語上の素晴らしい工夫になってましたね。
父⇔子の関係がまったく同じだったら展開がアッサリ読めてしまって興が冷めますが、少しベクトルをずらしたことで、感情の行き来が複雑かつ豊かになりました。

沖田が自分の経験(航海中の古代との交流)から得た「血の繋がりや恋愛感情による結びつきの外にも、人間同士の絆というものは求めることが出来る」という真理を語った後、死を迎える時にたった一人で見ていたのが「血を分けた息子の遺影」…。゚(゚´Д`゚)゚。
これは矛盾じゃない!人間の真実だ!
何ていうかね、沖田艦長もまたイスカンダルへの航海で人間的に成長を遂げたのよ!
あの歳で精神的に成長したのよ!
沖田艦長の一番凄いところはそこなのよ!
最初から立派な人じゃないのよ!
いや立派な人だったんだけどもっと凄い人になったのよ!
わかってもらえますだか旦那様!!
「血の繋がりを超えた家族愛」という境地に達することが出来たが故に、その恩寵として沖田艦長は最後に息子との思い出の中に還ってゆくことが出来たのですよ……
ダメだ、もう泣いてるわ私バカじゃないんか……

一方、実写版ヤマトです。
沖田と古代の年齢がアニメとは違うため、全く同じ構図をとることはせず、しかし二人の物語の軸にきちんと「家族愛」を持ってきています。
アニメの古代は沖田をという父を得ましたが、実写版の沖田は古代に対し「父の模範」となってみせました。
私は、実写版の最終決戦はアニメに於けるガミラス本星での戦いに相当するのだと考えます。
艦長に指示を仰ぎに行った古代は、アニメでは全責任を負った長から起死回生の策を授けられ、実写版では「死」という形ではあるが突き放される。
実写古代は自立を求められ、決断を下す。
古代に、真に「父となる資格」が備わっていたからこそ、そこで彼はその責務を負うことか出来た。
そして、その資質は沖田の後ろ姿を見つめることによって育まれた。
雪との別れの場面で、古代が語るのは「家族」のこと。
そして、雪という家族を得たからこそ、その家族の存在する未来を失いたくない。
家族のいるところを守れれば、それが自分の居場所となる。
特攻がどうとかさらばエンドがこうとか、そういうことじゃないんだと思いますよ。
「父とはそういうものなんだ」と、批判を恐れずに言い切ったのが、あの物語なんだと思います。
ちゃんとそういう話になってます。

元ネタ、元のストーリーがある以上、それをなぞらざるを得ない部分はあると思いますが、それでもきちんと筋の通った話として再構築してみせた佐藤嗣麻子さんの脚本は、本当に素晴らしい。
そして、その脚本を具現化したキャスト・スタッフの努力と熱意に、私は限りない賞賛を送りたいと思っています。
本当に、ありがとうございます。


青野武さんの訃報に接し

2012年04月10日 19時45分00秒 | 宇宙戦艦ヤマト
いつかは来る日だと分かってはいても、悲しみと寂しさに胸が張り裂けそうです。
青野武さん、素晴らしい演技の数々を有難うございました。
ご冥福をお祈りいたします。



青野武さんの演技で一番衝撃を受けたのは、「ER」のゲストキャラだった。
アメリカ南部のトレーラーハウスで暮らす、無知無教養で暴力的なプアホワイト。
その卑劣さと獣性が彼の生きる社会と不可分である遣り切れなさ、「業」と表現するしかない人間の有り様を、あまりにも見事に表現なさっていた。

青野武さんの「声優としての真骨頂」は、誰もが嫌い蔑む「最低の存在」に、「この声以外は考えられない」ほどの血肉を与える演技であったと思う。
私はしばしば、一度きりしかテレビで放映されないような二流三流映画の悪役キャストとして青野さんの演技に触れ、その度に激しく心を揺さぶられてきた。
役者としての青野武さんの素晴らしさ、それは「映画史に残ることなど決してない、名も無き最低ゲス野郎達」に心血を注ぎ続けた『役者魂』ではないだろうか。

本当に、本当に素晴らしい俳優さんだった。
唯一無二の役者さんだった。
泣けて泣けて仕方が無い。



青野さんが生前お書きになった、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」アフレコのエピソード。
http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/yakusha19kara.html
初読の折りには、本当にファン冥利に尽きることだと感激した。
今はただ、涙が溢れてくるのを堪えることができない……