こないだから考え続けている「第一作ヤマトの沖田艦長」の描かれ方。
今日、なんか閃いた勢いでTwitterに連続投下いたしました。
こちらにも記録として残しておきます。
今はっきり分かった!!最初っから提示されてたのに何て鈍いんだ私は!!!第一作ヤマトの沖田艦長は一話と最終話で決定的に変わってしまってるじゃないか!!!全然一貫してないよでもだからこそ素晴らしいんだよ!!!!!
posted at 09:06:47
と、風呂から飛び出したアルキメデスの如き勢いでツイート。
posted at 09:07:36
第一作一話「たとえ最後の一人になっても、ワシは絶望しない!」……この言葉の持つ絶対的な孤独。つまり沖田はこの時点で、「同胞がすべて死に絶えて沖田ただ独りになっても、或いは他の地球人がすべてガミラスへの帰順を誓った奴隷となっても、ガミラスとの戦いを止めない」って言ってるんだよね…
posted at 09:12:50
「不屈の闘志」といえば聞こえはいいけど、もしかしたらそれって他の地球人にとっては迷惑千万な妄執かもしれない。地球にとってもはや彼しか頼る者のない名将・名艦長の心中に、同胞すべての死すら想定に入れた激しい怨念が渦巻いているのですよ。
posted at 09:22:58
こう書くと「それってただの文学的レトリックだからー沖田艦長最初から立派な人だからー」との指摘を受けることでしょうが、あの台詞は字義的にそのまま受け取った方が第一作ヤマトを面白く観られるので、私はそう思っておきますよー。
posted at 09:26:46
物語の中で二度描写される「沖田艦長の地球への帰還」、「赤い地球を眼前に臨む沖田の後ろ姿」という構図もほぼ同じ画面において、しかし、沖田自身の心情はまったく違うものになっている。これ凄いよホント震えがくるよ!!
posted at 09:32:05
「同胞すべての命よりも、己の非服従を優先させる妄執の人」…私はそうした存在を否定するつもりはない。あくまでも「内心の自由」という範疇において、だが。ただ、それほどの孤独はどんなに辛いものかと思う。だから、第一作ヤマトはそうした沖田の心を救う為の旅であったと思いたい。
posted at 09:40:28
妄執の人・沖田を一番「痛々しい」と思ってたのは、たぶん沖田艦長の息子さん。だからね、最終話で沖田艦長が涙を流しながら遺影を撫でた時、息子さんは「よかったな、親父」って言いながら沖田さんを迎えたと思うのよ……
posted at 09:45:14
第一作ヤマト一話の沖田には、他の誰にも肩代わりできない使命と、それを果たさずにはおられない強い動機がある。そして沖田は、それを誰かに分かってもらえるとも、分かってもらいたいとも思っていない。怪我を押して司令部内を歩く沖田。周囲と隔絶したその描写の凄惨さを見よ!
posted at 10:02:50
注意深く見ていくと、第一作ヤマトでは沖田艦長はそれほど「立派な人物」として描かれていない。彼なりに目論見の甘いところとか、先を読み切れない神ならぬ身の哀れとか、教え導くことや親しく打ち解けることを不得手とする不器用さとか。
posted at 10:12:55
おそろしく不完全な「異物」として、沖田は古代進や当時の視聴者であった子供たちの前に立ち塞がる。もしかして、今だったら「排除の対象」としか見られないかもしれない。だが、第一作では古代と沖田の両方が変化していく様子を物語の軸として描ききってみせた。
posted at 10:20:24
そこにあるのは、「精神の成長を信じる心」なのではないかと、私は思う。スターシァが与えてくれたチャンスは、「単に種としての生命を存続する」ということではなく、「人類は成長という課題を成し遂げられる種であるのか」という問いかけになっていたのではないだろうか。
posted at 10:27:02
あーそうか、だからイスカンダルでの反乱首謀者は「裏の古代」である藪でなければならなかったんだ!!徳川さんの薫陶を受けていながら、「オヤジさん」の精神に背いてしまった「不肖の息子」として。徳川さんがスターシァに詫びたのは、そういう意味があったんだ……
posted at 11:11:02
第一作の裏古代は藪、「さらば」「ヤマト2」の裏古代は斉藤。
posted at 11:12:29
わざわざ神話を引いてこなくても、ヤマトの物語自体が神話の構造を有していますね。凄いぜヤマト。
posted at 11:16:16
今日、なんか閃いた勢いでTwitterに連続投下いたしました。
こちらにも記録として残しておきます。
今はっきり分かった!!最初っから提示されてたのに何て鈍いんだ私は!!!第一作ヤマトの沖田艦長は一話と最終話で決定的に変わってしまってるじゃないか!!!全然一貫してないよでもだからこそ素晴らしいんだよ!!!!!
posted at 09:06:47
と、風呂から飛び出したアルキメデスの如き勢いでツイート。
posted at 09:07:36
第一作一話「たとえ最後の一人になっても、ワシは絶望しない!」……この言葉の持つ絶対的な孤独。つまり沖田はこの時点で、「同胞がすべて死に絶えて沖田ただ独りになっても、或いは他の地球人がすべてガミラスへの帰順を誓った奴隷となっても、ガミラスとの戦いを止めない」って言ってるんだよね…
posted at 09:12:50
「不屈の闘志」といえば聞こえはいいけど、もしかしたらそれって他の地球人にとっては迷惑千万な妄執かもしれない。地球にとってもはや彼しか頼る者のない名将・名艦長の心中に、同胞すべての死すら想定に入れた激しい怨念が渦巻いているのですよ。
posted at 09:22:58
こう書くと「それってただの文学的レトリックだからー沖田艦長最初から立派な人だからー」との指摘を受けることでしょうが、あの台詞は字義的にそのまま受け取った方が第一作ヤマトを面白く観られるので、私はそう思っておきますよー。
posted at 09:26:46
物語の中で二度描写される「沖田艦長の地球への帰還」、「赤い地球を眼前に臨む沖田の後ろ姿」という構図もほぼ同じ画面において、しかし、沖田自身の心情はまったく違うものになっている。これ凄いよホント震えがくるよ!!
posted at 09:32:05
「同胞すべての命よりも、己の非服従を優先させる妄執の人」…私はそうした存在を否定するつもりはない。あくまでも「内心の自由」という範疇において、だが。ただ、それほどの孤独はどんなに辛いものかと思う。だから、第一作ヤマトはそうした沖田の心を救う為の旅であったと思いたい。
posted at 09:40:28
妄執の人・沖田を一番「痛々しい」と思ってたのは、たぶん沖田艦長の息子さん。だからね、最終話で沖田艦長が涙を流しながら遺影を撫でた時、息子さんは「よかったな、親父」って言いながら沖田さんを迎えたと思うのよ……
posted at 09:45:14
第一作ヤマト一話の沖田には、他の誰にも肩代わりできない使命と、それを果たさずにはおられない強い動機がある。そして沖田は、それを誰かに分かってもらえるとも、分かってもらいたいとも思っていない。怪我を押して司令部内を歩く沖田。周囲と隔絶したその描写の凄惨さを見よ!
posted at 10:02:50
注意深く見ていくと、第一作ヤマトでは沖田艦長はそれほど「立派な人物」として描かれていない。彼なりに目論見の甘いところとか、先を読み切れない神ならぬ身の哀れとか、教え導くことや親しく打ち解けることを不得手とする不器用さとか。
posted at 10:12:55
おそろしく不完全な「異物」として、沖田は古代進や当時の視聴者であった子供たちの前に立ち塞がる。もしかして、今だったら「排除の対象」としか見られないかもしれない。だが、第一作では古代と沖田の両方が変化していく様子を物語の軸として描ききってみせた。
posted at 10:20:24
そこにあるのは、「精神の成長を信じる心」なのではないかと、私は思う。スターシァが与えてくれたチャンスは、「単に種としての生命を存続する」ということではなく、「人類は成長という課題を成し遂げられる種であるのか」という問いかけになっていたのではないだろうか。
posted at 10:27:02
あーそうか、だからイスカンダルでの反乱首謀者は「裏の古代」である藪でなければならなかったんだ!!徳川さんの薫陶を受けていながら、「オヤジさん」の精神に背いてしまった「不肖の息子」として。徳川さんがスターシァに詫びたのは、そういう意味があったんだ……
posted at 11:11:02
第一作の裏古代は藪、「さらば」「ヤマト2」の裏古代は斉藤。
posted at 11:12:29
わざわざ神話を引いてこなくても、ヤマトの物語自体が神話の構造を有していますね。凄いぜヤマト。
posted at 11:16:16