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かんころもちライダー ブログ

日本の西の端、五島列島から地元ネタを提供します。

野崎島二日目(最終日)

2014年05月28日 04時19分15秒 | 旅・観光
25日の夜明け。

薄曇で太陽の姿がはっきり見えません。
朝を迎えた旧野首天主堂。






朝食を食べ、この日は神島神社・王位石を目指す組と野崎集落付近を散策する組とに分かれての行動。
今日は島の北側をトレッキング。



神島神社・王位石組は、この日の日帰りメンバーと9時に野崎港で合流し、5名で出発。

廃墟となった野崎集落を抜け、道は山中へ。





ひたすら登り続け二半岳との分岐に到着。



この後は尾根沿いのなだらかなアップダウンが続く。

しばらく歩いた所にある看板。
マジックで小さく『ウソ』と書かれているように、ここから神島神社までは1Km近くあります。
騙されないように。



途中休憩を取りながら歩き、2時間ほどかけてついに神島神社に到着。



九州自然歩道の看板があるので、説明はこちらにおまかせ。






狛犬が迎えてくれます。



神島神社の正面の扉を開け参拝。



社のすぐ裏に王位石がそびえています。



社の裏に回り、社越しに小値賀を望みます。



王位石の大きさに関しては、この日合流したM氏が資料を持ってきてくれた。



そして王位石の裏手に回り、博識な同行者達は『人工物か、もしくは自然に出来たものか?』を議論。
結果、人工のものではなく自然が造ったものだが、どのようにしてこの形になったかは要検討となったようだ。



王位石の間から小値賀を見る。



また、この王位石のそばでは、磁石が異常な動きをするという事なので、試してみた動画がこちら。



社前で昼食をとり、帰路につく。 
帰りは1時間半で野崎港の見る場所まで歩き、軍艦瀬とゴジラの尻尾を見て野崎集落へ。







島に最後まで残った神主さんの自宅庭には、巨大なソテツがあった。




野崎港で散策メンバーと合流し、津和崎丸に乗船し野崎島を出航。
今回お世話になった自然学塾村の管理人さんも同乗し、小値賀に帰ると言う事で、当初津和崎経由小値賀だったのが、
せっかくなので島の北側を回り、軍艦瀬付近の火山口跡や王位石を海から見せてもらえるようになった。

海から見た火山口跡。



8合目?付近に王位石、海岸には鳥居も見える。







津和崎到着後、現地にて解散となった。

今回の野崎島ツアー?は、泊まりが7名、24日・25日の日帰りがそれぞれ1名の計9名で行われたが、みんな楽しんでもらえただろうか?

幹事の自分が一番楽しんだようで、申し訳なかったが、また何か一緒にやれたらいいですね。
また、今回参加できなかった人も、次回は一緒に楽しみましょう。



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野崎島で一泊二日(初日編)

2014年05月26日 21時48分04秒 | 旅・観光
5月24日と25日の二日間で、野崎島へ行ってきました。

話の元は、ブログのフォロワーさんである「大雪男」さんとの話が発端。
日程を決めた後、Facebook仲間にも声をかけたところ、泊まりで5名、日帰り2名が集まった。

5月24日、10:30に津和崎港に集合したのは、泊まりの7名とこの日の日帰り1名。

津和崎丸に乗船して野崎島へ。
野首港で上陸後、宿泊先となる野崎島自然学塾村へ。



ファンキーなお迎えが待っていました。





昼食後、参加者全員で「舟森トレッキング」のスタート。
舟森の場所は以下の地図を参照。



道中の画像です。

さぁ、始まります!


九州自然歩道でもあったんですね。


巨石が多かったです。


ちょっときつくなってきたかなと思った所にあった標識。気合を入れ直します!


村の境だったんでしょうか? 石に彫られていました。


もうすぐです。


そして約1時間半歩いて、ついに舟森に到着。


目の前に舟森集落跡が広がります。


案内看板。


小学校跡。


段々畑の跡が山頂付近から海岸線まで広がります。


そして、舟森まできたら是非行ってみたいと思っていた、海岸付近の十字架と看板の場所へ。


看板には舟森郷縁起が記載されていた。


この看板のすぐ横に、瀬戸脇教会があったそうだ。
教会側から撮影してみる。


十字架越しに、米山教会と赤波江教会が見えていたが、霞が濃く写真では確認できない。


小学校の所に残っているメンバーと合流するために戻っている時に見つけた木。 
根なのか幹なのか分からない。



急坂を登り、小学校の石垣が見えてきた。


なにやら変な動きをしている二人の姿が。


皆と合流し、野首へ戻ってからは旧野首天主堂で撮影。
夕日が教会内を照らしていた。





外では鹿がジッとこちらを見ている。


中には尻をこちらに向けて草を食うのに夢中な鹿もいた。尻が何かの顔に見える。


夕食は、食材を少々持ち込み簡単に。


船長が多量のサザエやミナを持ってきてくれていた。


食後は部屋でお酒を飲みながら語らい、途中、星空をバックに旧野首天主堂を撮影に行くが、雲っていて星は見えなかった。


22時消灯となり、昼間のトレッキングの疲れもあり、一瞬で爆睡。

明日は王位石です。
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小値賀町野崎島

2012年03月18日 21時04分40秒 | 旅・観光
3月18日(日)、小値賀町野崎島に行ってきました。

目的は4つ。
①、野首教会で行われる「おぢか国際音楽祭」を聞きに。
②、カトリック長崎大司教区認定の巡礼手帳のスタンプ捺印(野首教会だけ未捺印)。
③、廃村となった野崎集落の散策(野崎島は3度渡っているが、野崎集落は未到達)。
④、コンサート後の美味いもんを食べに。

3/18にコンサートがあると知ったのは3月12日。急いで小値賀のFB友達に詳細を訊ね、小値賀
アイランドツーリズム協会で対応との情報を聞き、早速電話して詳細を聞く。
津和崎から野崎島までの船もチャーターし、周りの知り合いに声を掛けたが、誰も同行してくれず、
一人での出発となった。

津和崎港からは予約していた津和崎丸に乗船したが、いきなり「かんころもちライダーさん?」と
聞かれてびっくり。 自分のFB友達と船長のFB友達に9人も同じ人がいた。



野崎島上陸地点にスタッフの方がいて、チケットを購入。(コンサートと食事会)



野首の港から歩いて、野崎島自然学塾村へ。
ここに巡礼スタンプがあるので、早速スタッフの方にお願いしてスタンプを出してもらい捺印。



これで、五島列島内53のスタンプをゲット! 明日、ながさき巡礼センターに送ります。
しばらくするとコンサートが始まる時間になったので、教会へ向かう。



コンサート中は撮影NGなので画像はありません。 教会内部はそれほど大きくないので
マイクやアンプ、スピーカーを使用しない楽器の生音だけでしたが、大変すばらしかった。

野首教会内部を見たい方はこちら

コンサートが終わると食事会。 小雨交じりだったので、自然学塾村建物内での食事となった。
外ではサザエのつぼ焼きや、ウチワエビの味噌汁が準備されていた。



沢山の料理、特にウニ飯を腹いっぱい食べた後は、野崎の廃村散策へ。



野崎の港から見ると左側に鳥居が見えたので行ってみた。



お社は無残にも崩れていた。潜伏時代に移住してきた潜伏キリシタンは、この神社を
奉っていたのだろうか?それとも野崎集落は地下の者の集落だったのか?





廃村となった家の間を歩きながら、軍艦瀬を見に展望台へ。 



一通り見て周って学塾村へもどり、教会の撮影。







中央の玄関の上部もリヴボールドだったんですね。



鐘の横には「大東亜戦争記念」碑があった。
そろそろ帰りの船を頼んでいた時間が近くなったので、港へ向かう。
港のそばには、キリシタン墓地が残っている。



帰りも津和崎丸に乗って津和崎まで戻ってきて、船長ともFB友達になりました。
今後とも宜しくお願いします。
今回、野崎の廃村散策ができたが、次回は舟森の散策に挑戦したいので、誰か一緒に
行きましょう。 王位石は、体力を付けてから。




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福江島一周 (後半)

2012年03月13日 22時53分29秒 | 旅・観光
11:20を若干過ぎて貝津港に船が入港してきた。 乗船券は乗船して船内で購入するようで、往復のチケット購入。



貝津港の待合所には自分とおばあさんの二人しかいなかったが、駐車場に停車していた車からぞろぞろと人が出てきて、船内は多くの乗客がいた。 11:30になると出港し嵯峨島へ向かう。
船がそれほど大きくなく、この日は風が強かったため波が高く、かなり揺れながらも嵯峨島に到着した。



桟橋に着いた嵯峨島丸。 帰りもこの船に乗って帰ります。
嵯峨島での滞在時間は約1時間。 目的の嵯峨島教会は桟橋から見える山腹にあった。
道に迷うことなく、5分で到着。



拝観とスタンプを押して、港へ戻る前に、船の着いた場所とは島の反対側にある千畳敷を見学。



波が激しく岩に打ち付けられていたが、岩場には多くの釣師がいた。 いったい何が釣れるのだろう?
しばし眺めながら昼食のパンを食べる。
出港の時間が近づいたので港に戻り、まだ誰も乗り込んでいない船内へ。



帰りの船も港を出ると揺れながら貝津港へ向かった。
貝津港に到着後は東に向かって走り出す。 目的地は、間伏。
国道384をスッとばし、岐宿河務からは、ドンドン淵へ向かう県道162を通り、戸岐ノ首から半泊方面へ。
ここから道が狭くなることは、半年前に来たから分かっているので、運転は慎重に、対向車は来ないように。
と、思っていたら半泊の入口手前の下りで対向車が。 バックで後進しながら離合できる所まで移動。
半泊を過ぎた所ではトラックとも離合し、ついに間伏に到着。



人が去った集落と聞いていたが、残っている民家は結構きれいに見える。崩壊していた民家があった奈留島の小田集落をイメージしていたが、よく見ると上の方の家の玄関横には人影が見えた。 訪れる人がいるから崩壊した家は無いのかもしれない。
自分を入れて記念撮影をしようとセッティングをしていたら、不法投棄見回りの車が来たので挨拶。
撮影後は、きびなご網代へ。 ここも人が住まなくなったようだが、港の防波堤には釣師がいたので、寂しい雰囲気はない。



その次に行った福見も海岸近くに民家はあったが人は住んでいるのか不明。



ただ、首輪はしているがリードの付いていない犬がいて、こちらを見つけたら走って寄ってきた。
この家の飼い犬だろうか? 人懐っこく、車が出発すると後ろを走って着いて来た。 ある程度離れると止まるが、車が止まるのを見るとまた追いかけてきた。TVで見る犬との別れのシーンのような光景だと思った。



犬と別れ、半泊へ。
半年前に来たし、そろそろ帰りの船の時間も気になりだしたので、教会だけ拝観した。



濱口さん、次回行ったときはゆっくり寄りたいと思いますので、その時は宜しくお願いします。



狭い道を抜け、福江港へ向かう途中、宮原教会へ寄る。



入口を開けると、ひとりのおばあさんがいた。 お祈りの邪魔になったと思い、誤って早々に立ち去ろうとしたら、「気にせんでよか。どこから来たとね?」と話しかけてくれたので、チョットおしゃべりを。
この方は、現在は宮原教会のそばに住んでいるが、以前は奈留島の水の浦(現在の南越)教会のそばに住んでいたそうだ。
上五島の教会も一度は行ってみたいけど、もう歳だからと言っていたが、ぜひ一度来てくださいと言って教会を後にした。
堂崎や浦頭教会は寄らず、福江の町へ。 港近くでガソリンを満タンにしたが、思ったより減っていなかった。
奈良尾行きのジェットフォイルの出発前に、港で五島市立体地図と鬼鯖ずしを購入して乗船した。
立体地図は、新上五島町、小値賀町、宇久島と五島列島全て製作されており、全て集めるのも良いかも。
鬼鯖ずしは半分は親戚へのお土産に、半分を夕飯として食べた。



以上で、2泊3日で五島市めぐりは終了。
次回は別の楽しみを見つけて行きたいと思いますので、その時は五島市の皆さん、宜しくお願いします。


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福江島一周(前半)

2012年03月11日 21時38分06秒 | 旅・観光
2月27日、月曜日。この日は休みをもらって福江島+嵯峨島教会巡りを行う。

まずは宿泊した五島バスターミナルホテルの6階食堂で朝食を食べ、部屋に戻ろうとしたら
朝焼けが見えたので窓越しに撮影。



朝、8時ホテルをチェックアウトして、前日に借りていたレンタカーで、まずは玉之浦を目指す。
時間を有効に使うためには、昼食時間も少なくするため途中のコンビニで、昼食用のパンと飲み物を購入。
最初は繁敷教会に行く予定であったが、同行予定者が来れなかったため、前回行った繁敷教会はパス。
半年前にバイクで周った時、富江には行かなかったので、今回は富江経由で玉之浦へ行くことにした。

井持浦教会は前回来たときに巡礼スタンプが何処にあるか分からずに捺印ができなかった場所。
今回は場所も確認しており、無事捺印できた。 大瀬崎には向かわず、次に向かったのは三井楽教会。
途中、高浜の前を通るが寄りもせず三井楽へ教会へ。 ここも前回来た時にスタンプが無かった教会。
10時過ぎの到着で、教会の扉を開けようとすると扉の鍵が閉まっている。
隣の司祭館?のインターホンを押すが応答なし。 困った。
嵯峨島に渡る船の出発時間は11:30。
時間があったので、先に楠原、打折、水の浦の教会へ向かう。 楠原では前回気づかずに通り過ぎた再現された牢屋を訪問。



教会だけでなくこの牢屋も訪れてほしい。中に入って何を感じるか。



牢屋を後に水ノ浦教会へ。
ここも何度か来ているので、あまり時間はかけずに拝観。



水ノ浦を後にして打折に寄って、再度三井楽教会へ。
駐車場に車を停め、教会入口の扉のノブを回すと、開いた。
前回無かったスタンプもあり、捺印できた。

三井楽教会の横には墓地があり、ここには姫島に住んでいた信者の苦労を記した碑がある。



画像を縮小しているので見難いですが。




この後、貝津教会に寄って、貝津港へ。
待合所に行くと、おばあさんが一人いて、嵯峨島へ戻ると言っていた。 船は無事出るようだ。

後半は次回に。




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Facebookの知り合いと初対面

2012年03月08日 21時05分44秒 | 旅・観光
奈留島・久賀島巡礼ウォークが福江港で解散し、ターミナル2階で昼食をとって
14時からの離島再生シンポジウムに参加するため文化会館へ。

Facebookで知り合いになった加藤さんが進行役であった。
「限界集落」は何の対策もとらないと確実に「消滅集落」=「廃村」になる。
半泊での取り組みについてのディスカッション前に別件があったので
加藤さんに挨拶をして退席。



19:30から五島列島地産地唱バンド「ベベンコビッチオーケストラ」のライブが
あるので、その前に武家屋敷通りで行われている「しまのかがり火」を見に行く。
ライトアップされた石田城の堀沿いを歩いていく。



武家屋敷通りは、ほんのりとした灯りが通りを照らしていた。



その中で、五島市のゆるキャラに会うことができた。



「バラモンちゃん」は手を引かれながら歩いていた。



「ごとりん」は子供達に囲まれていた。
そして一番会いたかった「つばきねこ」様。



「写真撮らせてください」とお願いしたところ、手を振ってくれた。
が、こうして見ると威嚇しているように見える。

時間になったので、ライブ会場へ。
ここでもFacebookで知り合いになった、山田さんと初対面。
ライブも楽しく、山田さんともいろいろ話ができて楽しい夜となった。



「ぜひ、上五島でもライブをやってください」と、これまたFacebookで知り合いに
なっているベベンコビッチさんにお願いして宿に戻った。

加藤さん、山田さん、ベベンコビッチさん、これからも宜しくお願いします。



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巡礼ウォーク 久賀島編

2012年03月05日 21時32分20秒 | 旅・観光
2月26日、巡礼ウォーク2日目。
朝食ではご飯のお代わりをもらって、今日の歩きのために力を蓄える。

奈留港から久賀島まではチャーター船を利用して、五輪教会そばに上陸。
久賀島の地図。 



まずは、国の重要文化財旧五輪教会に入る。
すでにこちらはミサなどでは使われていないが、世界遺産暫定リストに登録されている。
ここ五輪は、「恋人よ」で有名な、五輪まゆみさんの先祖が暮らした地である。



教会見学後は、この五輪地区の墓地へ。
山中にあるため、場所を知らないと見つけることができないが、山道を登って墓地へ向かう。



 

蒲鉾型の墓石、それより古いものになると丸い小石を積んだだけの名前も書かれていない墓、五輪家の墓もある。
また、この一番下の段の更に下の山中に墓石があった。 自殺した人、もしくは何らかの原因で他の人と同じ場所には葬むることが許されなかった人のものでは?と言っていた。

五輪を後にして、牢屋の窄殉教記念聖堂へは車で向かう。
ここは、五島崩れ発端の地である。

詳しくはここを。

牢屋の窄殉教記念聖堂の中に入ると、赤いラインで四角に囲まれた場所がある。 この四角に囲まれた部分に、200人もの人が押し込められた。
訪問する機会があれば、ぜひ意識してみて欲しい。
聖堂の裏には亡くなった人たちの名前が彫られた碑と信仰の碑がある。



いろいろ考えることはあるが、手を合わして牢屋の窄を後にした。 ここから浜脇教会を経由して、田ノ浦港までは歩き。
島ではメインの通りであるが、走っている車は少なく、のんびりと歩きながら、なだらかな峠を越すと浜脇教会に到着。
この教会は五輪や牢屋の窄と比べてはるかに大きく、海の見える高台に建っているので、航行中の船からも良く見える。



最後の訪問地、浜脇教会を後に船着場へ向かい、チャーター船に乗って福江港に上陸。
1日半に渡った巡礼ウォークはここで解散となった。

同じ五島列島に住んでいていても、なかなか訪れることの無い奈留島、久賀島。
次回来るなら、ゆっくり周ってみたい。





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帰ってきました

2012年02月27日 20時21分40秒 | 旅・観光
2泊3日、五島市で遊んできました。 ウォーキング、コンサート、椿祭り、教会巡り、消滅集落巡りなど、中身の濃い3日間でした。
個々の詳細は別途まとめますが、今日は鬼鯖寿司を食べて、ゆっくり寝ます。



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GWツーリング 前半動画

2011年05月08日 07時18分10秒 | 旅・観光
GW中のツーリング動画をアップしようとしているのですが、
wmvデータがでかいので、mp4など他のデータに変換して
youtubeにアップロードするとエラーをくらってしまう。
原因は調査中なので、分割した動画データを暫定として
アップします。
埋め込みコードをとっていなかったの貼り付けられません
でした。

http://www.youtube.com/watch?v=2z69ZyRK7iM
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2011年早春、九州ツーリング その2

2011年04月19日 21時18分39秒 | 旅・観光
博多駅近くのホテルを7時にチェックアウト。 この日は大分市内に宿泊予定。
天気は良いが寒い。 これから阿蘇へ向かうのだが、3号線をそのまま南下しても
車が多いし、街中を走るので楽しくない。
地図を眺め、須恵→桂川→嘉穂→小石原→宝珠山と福岡県のローカルな町を繋ぎ
大分県の日田を目指すことにした。

福岡空港脇を通り、宇目町に入ると、国指定重要文化財に指定されている「志免鉱
業所竪坑櫓」がある。この竪坑櫓は1943年(昭和18年)に建設されたもので、九
州の炭鉱遺産としては、軍艦島に次ぐ(?)ものではないだろうか。
ちなみに高さは47.6m、竪坑が地下430メートルまで延びている。

 


宇美町を過ぎ、須恵町に入りショウケ越を通り桂川町へ入る。峠越えは寒く
嘉穂町でコンビニに寄り、ホットコーヒーと肉まんを食べ、冷えた体を暖める。
小石原、宝珠山は標高も高く、寒さを我慢しながら、やっと日田に到着。

大分市へ向かうなら、210号線をそのまま走ればよいのだが、時計は10時半。
予定通り阿蘇に向かうため、212号線を南下する。杖立温泉では、沢山の鯉のぼりが
泳いでいた。 この辺りになると、ツーリング中のライダーを見かけるようになってきた。
「道の駅 小国」で休憩。 以前はここまで豊肥線恵良駅から国鉄宮原線が走っていた
が、昭和59年に廃止されレールと駅名を書いた表示板が残っていた。

 

小国を過ぎるとやがて左手に「くじゅう」の山並みが見えて来た。
大観峰は後で寄ることにして、まず阿蘇へ。 草千里は風も強く物凄く寒かった。

 

草千里の駐車場で、ソロツーリングのライダーと軽く会話した後、大観峰を目指し出発。
途中、野焼きの跡で饅頭のような色をした米塚の横を走り、外輪山の内側斜面を登り、
大観峰に到着。 ここから見る阿蘇五岳は、釈迦が寝ているように見えるか?

 



大観峰を後にして、「やまなみハイウェイ」を湯布院方面へ向かい爆走する。
途中、三愛高原の交差点を左折して、「黒川温泉」へ。 入浴しようかと思っていたの
だが、この日はあまりに寒かったので入浴後バイクに乗ると、湯冷めするのは明らか。
泣く泣く温泉街散策のみ。

 

「やまなみハイウェイ」に戻り、牧の戸峠を越して大分県に入る。
硫黄山の白煙を見ながら北へ向かうが、湯布院に行く前に「湯平温泉」へ。
ここは石畳の坂道の両側に、温泉宿が並ぶ。

 

湯布院は街中は通らず、町外れの道を通り由布岳の麓へ。



この後、別府を通過し、大分市内に入ったのは17時を回っていた。
夜は以前勤めていた会社の同僚と食事をし、日付が変わったころホテルへ戻った。

翌日は、祖母山を越え宮崎県に入り、「天岩戸」や「高千穂」を通り、福岡に戻り
23時30分博多港発五島行きフェリーに乗船して帰ろうと思っていたが、この3日間の
長時間の運転で、腰、尻が我慢するのも辛いくらい痛い。
宮崎入りは辞め、福岡へ向かう。 21時30分に乗船手続きを済ませ、無事乗船。

4日間の走行距離は、約700Km。ほんと疲れました。 
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