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文化大国

2014-07-12 05:30:27 | 平和

文化や経済の土台が上部構造たる政治の明天を決めるのが歴史の常です。日中韓も経済や文化の交流がやがて政治の矛盾を打ち破るのではないでしょうか?.

日本学生支援機構の報告書によると、大学等の高等教育で中国人留学生総数は2012年減少しましたが、語学学校で学ぶ中国人学生はむしろ912人も増加したのだそうです。円安の影響があるのでしょうが、日本文化や日本経済の人気は、依然として若者には高い状況のようです。(6月のAKB48の「選抜総選挙」では、渡辺麻友さんの得票した15万9854票のうち3万5千票余りは、中国の若者が投票したことも有名です。上海では、中国版の「SNH48」も結成されています。日本のアキバ文化にすっかり中国青年も染まっていくようです。)

また、中国への日本留学生は、日中間での観光客の大幅な減少にも係わらず、日本からの海外留学先で第4位の人気を維持しているだけでなく、2013年は、2万1000人を超えて、前年比3000人増の人気ともなったそうです。(日本企業進出の影響なのでしょうか?。14億人の巨大市場の将来性を見据える若者が増えているのでしょうか?。留学費が安いためでしょうか?.)

 

   人民網7月10日版では「安倍氏は口を開けば、対話のドアは常にオープンであり、中日両国は切り離せないと言う。だが口先だけで実行を伴わない、しばしば前後の言動が食い違うそのやり方は、中国の信頼と友情を得られないばかりか、逆にその腹黒い魂胆を一層はっきりと浮き彫りにしてしまう。」とありましたが、相変わらず日中の政治の対立は依然として深刻です。

 しかし、言葉だけで、実行を伴わない日本外交を批判する中国側の報道に「非诚勿扰(非誠勿擾)」に「誠に非ずんば煩わすこと勿れ」とした揶揄がありましたが、日本外交をまるで滑稽な冷やかしだと言うような主張です。「非诚勿扰」とは、結婚相手募集時などでにも使われる「冷やかしはお断り」の意味で、邦題:「狙った恋の落とし方」の映画タイトルでもあります。(その映画は、近年中国では最も成功した正月映画で、成功を収めた海外帰りの中国中年男性の「婚活」コメディです。求婚広告に応募してきた女性たちと「お見合い」する中で、日本の北海道への旅行が描かれ、舞台となった北海道の自然が映画で美しく紹介され、中国人の北海道旅行ブームを沸き起こすきっかけを作った映画でした。)

 滑稽と言えば、7月10日付の環球時報は、原爆きのこ雲のイラスト入りの日本地図を重慶市の週刊紙が掲載したことに対して、日本政府が抗議したことについて、ストレートに「滑稽すぎる」との見出しを付けた社説を掲載しました。

 中国外務省の洪局長は7月9日の定例記者会見で、重慶市の週刊紙が広島と長崎の位置に原爆のきのこ雲とみられるイラストを描き込んだ問題に関する質問に対して直接のコメントを避けた上で「日本の軍国主義が発動した侵略戦争により中国とアジアの人民が深刻な災難を受けた」などと日本批判を繰り広げ、「日本はこのところ、歴史問題で騒動を起こし、軍事安全政策では空前の調整を行い、中国とアジアの人々の強い関心を招いている」とも述べました。きのこ雲のイラスト自体の是非を問うた、記者の追加質問には「この問題についてこれ以上付け加えることはない」と言いました。

 確かに日本は広島と長崎への原爆投下については、ある種の被害感情をとても大事にしています。被爆国日本にとっては、原爆投下は戦争下であっても絶対的な被害者でもあり、ホロコーストの感情的な問題があります。アメリカがかつて広島の原爆キノコ雲を描いた郵便切手を発行しようとした際には、日本政府は、勇気をもって、軍事従属さえするアメリカにさえ抗議した歴史さえもあるのです。しかし、日本地図のキノコ雲は、アメリカのウエキペディア百科でも使用されていますし、原爆投下が戦争終結を早めたと評価するのが今日までのアメリカ政府の公式見解です。

(1994年11月「第二次大戦50周年」のアメリカの記念切手は、原爆が描かれ、その下に「原爆投下が戦争終結を早めた "Atomic bombs hasten the end of war, August 1945"」という文言も入れられた発行計画でしたが、切手化は何とか当時の村山首相と河野洋平外相が抗議して撤回させました。)

 

しかし、日本政府の抗議の矛先が中国地方誌の「重慶青年報」に向いたのは、福島を描いた「おいしんぼ」を攻撃した日本政治と、同根のなにかの意図的なものを感じます?。第二次世界大戦についての原爆感情に敏感な日本が、安倍首相の靖国神社参拝やNHK委員や政治関係者が南京大虐殺否認や慰安婦問題否定についての強弁を繰り返し、若者が中国や韓国などのアジアの国々の国民感情を傷つけるヘイトスピーチを繰り返している日本ですから、確かに、日本の政治も世相も滑稽なのかもしれません。

 しかも、キノコ雲を描いた日本地図は、中国外交部や中国政府のものでもありません。「重慶青年報」とは共産党系とはいえ、単に一地方組織が発行する週刊紙です。しかも、そこに表明されているのは、安倍政権の集団的自衛権容認に対する批判です。むしろ、平和を願う主旨のための論評につけたイラストでした。それを日本政府が、検討を要請するとか、遺憾であるとかいった形で、外交ルートで意思疎通を図ることさえもなく、いきなり、いわゆる日本政府名での「大抗議」を実施したのです。まるで、このイチャモンのもいえるような攻撃に日本政府が出たのは、福島を描いた「おいしんぼ」攻撃と同様に、日本政府が隠蔽したい内容が何か裏にあるからでしょうか?. もしかして、重慶爆撃の戦争被害の集団訴訟を、日本政府は意識しているのでしょうか。

   日本と重慶とは戦前から関わりが深く、国民党が南京から重慶に遷都した1938年末から1943年8月23日にかけて、日本軍は、重慶と周辺都市に対して無差別空爆を218回も行ないました。日本軍の無差別空爆により、重慶市民の生活は、すべてが焼き尽くされ、破壊され、死傷者総数は6万とも10万人を超えたとも言われ当時の被害者達が裁判を起こしています。(被害者らは中国国内でも最近訴訟を起こしましたが、2006年3月30日から2009年10月5日にかけて、東京地方裁判所に4度も提訴を行なっています。188人が原告となる国際訴訟です。国際法では、戦争犯罪の責任追及は時効の制限を受けないといわれます。)

しかし、今日では、スズキ自動車の現地合弁企業である重慶長安鈴木汽車をはじめとした自動車関連企業や環境関連企業が日本から重慶に進出しています。失脚した薄熙来が親日家であったことの影響もあり、従来、重慶の地は日本人に大変友好的な気風がありました。

 産経新聞が、重慶青年報のウェブ版の7月3日号の「公益広告」のページに広島と長崎の位置にきのこ雲とみられるイラストを書き込んだ日本地図を掲載したことに関して「集団的自衛権の行使容認などを主導する安倍晋三政権への批判を意図したものだが、被爆者の感情への配慮を欠いており、日本や国際社会の反発を招きそうだ。」とまず報道しました。

 

 これに対して岸田文雄外相は7月8日の記者会見で、「唯一の戦争被爆国の外相として、被爆地である広島出身の政治家として、容認はできない。被爆者の感情を逆なでするものだ」と突然語ったのです。(昨年、香港のフェニックステレビの取材で「中国を地域の脅威だと認識しているか。その理由は」と質問され、「『脅威』ではなく『懸念』と述べようとした」のだと答えた平和志向の岸田文雄外相でしたが、産経報道のキノコ雲に何故かぶち切れてしまったようです。)

 菅義偉官房長官は7月9日の記者会見で、日本政府として在重慶日本総領事館を通じて8日に厳重抗議したことも明らかにしました。

 政府筋によると、中国総領事館員が重慶青年報を訪れ、編集責任者に「被爆者感情を逆なでする」ことを伝え、重慶青年報側は単に「記事は自分たちの判断で掲載した」と答えたといいます。早速、ウェブ版の日本地図については、重慶青年報側で削除が実施されました。

 しかし、「日本がまた戦争をしたがっている」との重慶青年報の記事についた日本地図は東京と広島、長崎の地名とアメリカウェキベキアにもあるキノコ雲が載せられただけのもので、記事の内容も「日本に友好的すぎたのではないか(我们过去对日本是不是太友好了?)」と題する論評ですが「過去40年間の(中国の)対日政策は、感情や行動の上で寛容過ぎた」「警戒を高めなければならない」などと、ある種の皮肉はあったものの、概ね理性的な主張に過ぎないものでした。

 「戦争が始まれば、東京を空爆することを考えなければならない」と語った、中国の軍事科学学会副秘書長の羅援少将の挑発的な主張などとは違い、重慶青年報の内容は全く冷静なものでした。(以前は「沖縄は、日本の侵略を受ける1879年まで、清・明王朝の元に置かれた独立王国だった」とも主張して中国軍内を挑発し、台湾情勢に米国が軍事介入すれば中国は米国に対して核攻撃する用意があると発言した朱成虎少将のような滑稽な見解さえも中国軍にはありましたが・・。)また、重慶青年報の記事は、正月用花火の「東京大爆発」のように滑稽なものでも、冷やかしたものでもありませんでした。

 (しかし、安倍首相のプライドを取り戻すと主張する日本政治は、日本国内では、立憲主義も否定した危険な軍事化への道との主張もあるようですが、中韓では完全に日本軍国主義の挑発行為と採られているようです。しかし、韓国は別にして、中国軍を孤立化させ、北朝鮮化させることは、日本に取って何の利益にもなりません。現実問題として中国軍は約250とも言われる核弾頭を所有しており、北京の統制も利かない地方軍がこれを管理しています。中国軍の暴走は周辺国にとって、もう大変な脅威であり、実は中国政府自身にとっても軍の暴走は脅威なのです。 

 アメリカのシンクタンクの2010年頃の報道では、中国軍は、岩盤で防御された、強固な地下の核ミサイル施設を中国各地の軍が6カ所で管理しており、瀋陽軍にも51基地があります。昆明53基地、洛陽54基地、西寧56基地など各地の軍で分散して管理しているそうです。しかも、核弾頭は、敵国から決して攻撃されないよう、各軍のミサイル基地に固定して置かず、6つの基地の間を鉄道や道路で絶えず移動させているそうです。戦争でなくても、国内テロの発生や核弾頭の事故の起こるリスクさえ極めて高いと言われています。ましてやミサイルを日本海に頻繁に撃つ北朝鮮のような国に、中国を孤立化させ、追いやってしまうことは周辺諸国のリスクそのものです。

 多民族国家ですから、かつてのソ連崩壊時のようなことになれば、ユーゴ内戦のような悲劇も発生しかねません。しかし、最大の経済関係国である日本の経済ダメージが大きいというだけでなく、海を隔てた隣国でもあるのですから、内戦難民リスクも大きいと言われます。現実問題として内戦などで政府の統制が失われれば無秩序に移民が周辺国に発生します。想定される数千万から億単位で発生する可能性もある難民漂流は、日本を初め周辺民族の存亡にさえも繋がりかねません。

しかも、政治対立から観光客は大幅に減ったとはいえ、実は今でも日本文化は自由であり憧れであり大人気なのです。日本に長期に暮らす外国人のトップは、依然として中国籍であると言う現実もあります。2012年度統計で、日本の在留外国人数の国籍別では、中国籍が65万人と最大であり、日本に居住する外国人全体の32%を占めました。しかも近年急速に増え続けています(平成14年からの10年間で25万人近く増加)。そして韓国・朝鮮籍26%と台湾籍1.1%を加えると在留外国人の6割近くに達します。しかも、この数字は、在留カード及び特別永住者数であり、短期滞在者を含みません。この事実は、政治やマスコミがいかに中韓を嫌っても、日本の文化や生活に中韓の人々が大きく憧れているという現実を物語っています。将来的に人口が激減すると予測されている日本ですが、その不足する人口を埋めてくれそうな国は、中国ぐらいしかないとも言われています。(日本の国立社会保障・人口問題研究所の推算によると、現在の1.43人の出生率を基礎にした2060年の日本の労働力人口予測は、2010年の8173万人から4418万人に半減すると予測されています。)

一方、短期滞在の外国人では、2012年統計では、短期滞在(再入国を含む)の外国人入国者は、韓国・朝鮮が231万人、中国が162万人、台湾が150万人で、中国からの観光者が大幅に減り台湾が増えましたが、長期居住と同様に、やはり観光を含む短期滞在でも3国の合計が、6割近くを占めました。しかも、この数字は規制を無視して居住する不法入国者を含みません。P

また、不法入国者とは少し違いますが、中国の黒孩子のような規模ではありませんが、日本にも無国籍での住人も意外と存在しているようです。

 

無国籍といえば・・・戦前の日本傀儡の「満州国」では、国籍というものがそもそも存在しませんでした・・。


しかし、被爆国日本にとっては、平和主義こそが最大の防衛策であったことを、先の朝鮮戦争でも日本はよく学んでいるはずなのですが・・・。ベトナム戦争でもアフガン、イラクでもアメリカの戦争は平和をもたらしませんでした。アメリカを集団的自衛権で守った国々の兵の多くは、その後の傷に苦しみ今だにテロにも苦しみ続けています。どのような軍事抑止力を持っても自爆テロやゲリラ戦が防げないことは、イラクやアフガンやベトナムでも中国のウイグルへの対応でも分りますが、戦前の特攻自爆の経験からも日本民族は本来よく知っているはずです。欧米のODA拠出額が1991年から10年余りで激増し、かつて世界一のODA予算を誇った日本が相対的に5位にまで落ち込んだのは、軍事一辺倒だった欧米先進国がかつての日本の平和外交に学んだとも言われています。ベトナム戦争では韓国軍はともに虐殺に加わりました。そのアメリカ軍を韓国に代わって支えるのが日本の将来の使命だとでも安倍首相は考えているのでしょうか? P)

 

 重慶青年報の6月23日の記事:「 日本人民在想什么?」の記事では、「人々が心理的に軍事力に集団への依存を生成するために、最も重要なことは、集団的社会不安の誕生」とした日本の学者の大群集心理の分析なども紹介して、日本政府の世論の宣伝工作についての極めて社会科学的な批判をしていました。

日本のバブル崩壊の以来、経済は停滞し、失業率と所得統計の悪化をそらすための、国家安全保障への議論や中国、韓国、北朝鮮、ロシアに係る国家への脅威や、日本の領土の問題への関心を引き起こす、政府キャンペーンの実施であり、それが確かに優れた結果を生み出したと言うような主張でした。(日本人以上に、日本のことをよく分析しているのには、正直驚かされました。P)

 

また、安倍首相がよく宣伝する、中国の軍事的脅威についても、資料は少し古いですが国民1人あたりの軍事費負担での反論も理にかなっていました。

 7月7日は、日本では平和な七夕ですが、中国では屈辱日です。七夕は中国では、新暦の7月7日でなく、旧暦の7月7日になるため、8月の行事です。

 日中戦争の本格化は、1937年の七七事変がきっかけと言われていますが(1937年7月7日に北京郊外盧溝橋で、数発の銃声が響いて、日本軍はたまたま点呼で兵士が1名足りない状況だったことを、大騒ぎして日本政府が対外表明していた中国戦線不拡大方針を無視して、戦線を拡大し、次々と兵力を増強していったと言われています。盧溝橋の発砲音は、国民党軍だったのか、共産党軍だったのかも定かではありませんが、何れにせよ、戦闘開始の行為は、その状況から日本軍の謀略だったと理解するのがもっとも説得力がある主張と言われます。

 発砲音については、かつての劉少奇主席は盧溝橋で日本軍と戦った一人でしたが、盧溝橋事件は日本側に責任はなく、発砲は全て自分が仕組んだものだとの主旨を主張したことがありました。これはプロパガンタのための嘘であったことも判明しています。しかし、当時、東京裁判でこの嘘が、日本戦犯者の多くの命を救ったと言う史実があったことも事実です。 

(実際に、既に1931年、瀋陽の柳条湖で、南満州鉄道の線路が爆破され、日本政府はこれを中国側の仕業であると公表して、満州事変を起こし中国戦線を開始していたのでした。満鉄線爆破は全て日本軍によるものだったことが戦後になって、証明も告白もされており、明確な日本軍の謀略です。)

 満州を制した日本関東軍は北京近郊に義和団事件後の外国軍「駐兵権」を盾に、北京近郊の豊台に駐屯しました。中国軍と300メートルの目の前に駐留し、中国の強い抗議を無視して、1936年に日本軍の駐留部隊は3倍以上に増強され、1937年7月には、挑発的な軍事演習を北京近郊の盧溝橋で開始していました。日本陸軍参謀本部第一部長の石原莞爾は日本軍が「豊台に兵を置くことになりましたが、之が遂に本事変(「支那事変」)の直接動機になつたと思ひます」(「石原莞爾中将回想応答録」参謀本部作成)と証言を残しています。石原莞爾中将らは満州事変では自作自演の謀略を自身も行ったことが判明しています。)

盧溝橋事件は、発砲音を日本軍が聞いただけで、実は日本兵に一人の犠牲者も被害も出ていませんでした。実は、1名足りなかった兵は用便を済ませた志村二等兵で約20分後に発見もされていました。それにも関らず、結果として、日本軍は発砲音聞いたという理由と兵が1名足らなかったという理由だけで攻撃を受けたと推定して、一方的に戦闘をしかけたのでした。

 イチャモンのような理由で、一方的に武力攻撃をしかけ、エスカレートさせたのは明らかに日本側でした。日本政府が対外的に表明した中国戦線不拡大の言葉とは真逆に全面戦争に持ち込む口実としたのです。しかも、7月11日には、中国側の譲歩で、日中間の戦闘の停戦協定さえも押し付けられたのです。停戦協定は「中国の責任者の処分」「中国軍の盧溝橋城郭・竜王廟からの撤退」中国側で「抗日団体の取締」をすることを骨子とした、日本側の勝手な主張を押し付けた内容でした。

しかし、この屈辱を契機に、中国各地に、抗日・排日・反日活動が発生してしまいます。7月29日には日本軍が中国人組織に作らせた日本の傀儡政権「冀東防共自治政府」の保安隊が日本軍による現地での誤爆を契機に日本側に叛乱をおこします。特務機関長細木繁中佐以下の日本人居留民260名が犠牲となる通州事件が発生します。そして日本側の覇権内の反乱にも関らず、これを中国の非道と日本国内では曲解報道して、中国戦線拡大の世論が日本国内で大きく煽られます。

抗日の高まりで、上海で8月9日、日本の大山中尉ら2名の暗殺事件がついに発生します。そして、上海では盧溝橋事件に反発した国民党軍約3万人が、ついに国際共同租界の日本人区域を包囲しました。これに対し8月12日に上海の日本海軍は、日本陸軍省に30万の兵力派兵を要請します。

そして、8月13日に日本軍が国際共同租界地を出て中国保安隊を射撃したことを契機として国民党軍が日本軍陣地に対し発砲を開始するにいたり、第二次上海事変が起こります。上海では4ヶ月間の市街戦が行われ日本軍にも多くの犠牲者がでますが、増強派兵された日本軍は国民党軍を撤退させ11月には上海を完全に軍事制圧しました。時同じく11月にはヒトラーと日本との協定にイタリアも加入して日独伊三国の防共協定が成立し第二次世界大戦への道筋も描かれて行きました。

 
 当時、近衛内閣は「支那軍の暴戻(乱暴)を膺懲(こらしめる)し…」と声明を発表し、8月15日には南京への無差別空爆開始され、8月17日に日本は、中国軍事制覇の不拡大方針を放棄するにいたり、シナ事変と称した全面戦争を進めたのです。7月7日の「盧溝橋事件」は日中の全面戦争の契機となった不幸な記念日です。

 


 先般、日に、北京の抗日記念館を訪れた、習近平主席は、七七事変の77年の節目において「侵略の歴史を否定、歪曲、美化しようとする者を決して許さない。」と語ったそうです。集団的自衛権でルビコン川を渡った安倍首相の暴挙に対抗した主張のようでもあります。来年は、抗日勝利の0年の節目にもなります。数字に拘る中華圏の文化なのでしょうか、7の数字ばかりが並ぶこの年に、日本との歴史問題について、本気の勝負にでる決意のようでもあります。

 

( もう、安倍首相への抗議は、中国や韓国に留まらなくなったようです。7月7日、台北の交流協会台北事務所前では、集団的自衛権の行使容認に反対するデモがありました。台湾の馬英九総統は7月7日、「抗日戦争勝利70周年」となる2015年には、「抗日戦争記念館」と「慰安婦歴史展示館」を開設する考えも示しました。)

 (確かに、安倍首相は自己流の感情論で都合よく史実をアベコベに主張します。これは、ある種、北朝鮮の手法にも似ています。それを真実のように追随する政治家も日本マスコミも誠に許しがたい共犯者ともいえないでしょうか?。しかし、その狙いは何なのでしょうか?。慰安婦強制も南京虐殺も原爆のホロコーストも無かったことにしたいのでしょうか。

世論工作と言えば、原爆の秘密も集団的自衛権容認の閣議決定に、チベット僧のような焼身自殺事件が新宿で発生した事件も隠蔽されてしまっているかのようです。

 積極的平和主義とは、よく言ったもので、平和と言う言葉さえもアベコベにして戦争を唱え、偏狭なナショナリズムを自己流の正義として主張して、国民に強要しても日本の平和外交には何の特にもなっていません。本来、アメリカ軍に依存する自衛隊は自律も自立も出来ようもなく、集団的自衛権で守るべき対象は、アメリカ人であっても日本人では、決してないはずです。P)

 

 夜来香は、日本の歌?

いいえ、中国歌謡ですが、日本人がこれを、戦前にプロディースして、日本人が歌って、中国全土に広めたのです。(日本では、日本語版で歌われ、戦後も中国的歌謡として大ヒットしました。)実質的には、戦前に中国・日本に共通して普及した「日本の歌」とも言えるのでしょう。戦後に台湾の歌として邓丽君のヒットで復活するまでは、実際、中国では、これは「日本の歌」であるとされて禁止もされていました。

 

 

 夜来香・イエライシャンを日本では月見草や紫バラや月下香(オランダ水仙・チューベローズ)や夜香木(夜香花)と思っている人が多いそうですが、実際の歌われた夜来香は、中国の広東・福建地方に生息するつる草の花でベトナムインドにも生息する夜に香る(東京葛)トンキンカズラです。香水にもなる花だそうで、眼病や肝臓をきれいにする民間薬としても使われています。

 (日本の辞書では月下香(チューベローズ)を日本では俗に夜来香と呼ぶと載っていますが?P。百度百科でも英語名はTuberoseと載っています・・?.)

混乱があるようです。日本語版の夜来香が「白き花」と歌われ、月下香(チューベローズ)を日本では、当時、夜来香とも呼んだため、広く誤解されているようです。しかし、本来の夜来香は植物学名をTelosma cordataと言い、キョウチクトウ科(ガガイモ科?)のつる性植物で黄色い花です。英語ではTonkin flower(東京花)です。一方、月下香(チューべローズ)は、リュウゼツラン亜で水仙のような葉です。夜香木は灌木の白い花です。)

 (しかし、実際のところ、月下香(チューベローズ)、夜香木も、バラ品種も、すべて香りよく、通称「夜来香」の名で呼ばれているそうです。(>・<) )

 

  

月見草[夜来香]

バラの品種名の「夜来香」

夜香木(夜香花)[夜来香]

月下香 (チューベローズ)[夜来香]

                          

 歌われた夜来香(夜香花,夜兰香)

 

 

 文化は常に政治を乗り越えていきます。戦前は、上海から全中国中に大ヒットした夜来香ですが、終戦間際の1945年5月上海の大光明大戯院の夜来香ラプソディーの最後のコンサートで李香蘭(山口淑子)が(1944年には「中国を侮辱するような映画に出たのですか。中国人としての誇りを持っているのですか?」との新聞記者の会見での質問に謝罪して満映に辞表を提出していました。)「夜来香の香りもやがて消える。今の内に楽しみましょう、その香りを・・」と語った通り、戦後は、日本侵略にかかわった歌?ともみなされたされたようで、「蘇州夜曲(服部良一作曲)」等と同様に、戦後の中国では、夜来香も「日本の歌」として禁止歌とされました。(原曲は台湾の陳達儒が1935年に作したもので、それを上海の黎錦光が金玉谷を筆名として「夜来香」としてリニューアルして作詞・作曲をしました。1943年に李香蘭の歌唱により上海の百代唱片公司から発売された中国の歌謡曲で、全中国中に広まり、日本や外国でも大ヒットしたそうです。夜に香る夜来香を愛する女性に悲しく歌う鶯を男性に譬えて歌った歌です。因みに黎錦光は毛沢東がまだ歴史教師時代に学生として直接教わった経験があると言われていますから、湖南省の出身なのでしょう。)

(遼寧省瀋陽郊外(撫順)に生れ中国で育った山口淑子さんは、中国人養女としても育ち、日本・満州の国策映画会社・満映の女優「中国人」・李香蘭として、として、また中国人歌手・李香蘭として戦前の中国と日本で大人気となりました。


満州育ちの日本人でしたが、戦前、満映の女優「中国人」・李香蘭として来日した際(自伝の一節)には「日本人の差別意識をはじめて、しかもいやというほと強烈に味あわされ、うちひしがれて乗り込んだ東京行きの特急列車で私はまたまた気分が悪くなってしまった。」こともあったようです。戦後の日本では、テレビのワイドショー司会者を経て自民党国会議員として活躍しました。日中の国交開始の1972年に田中角栄首相の訪中を北京からレポートしています。2005年には、「中国人を深く傷つける」として、小泉首相の靖国神社参拝を批判した文章を公表しました。)

 

 テレサテン(邓丽君)が台湾で歌うようになった頃、中国でも、かつての「日本の歌」は自然と復活しました。現代中国語の多くが日本起源であるように、かつての侵略国の歌・夜来香もすでに中国の文化として定着し愛され続けていたのです。現在は、日本を始め台湾や中国や韓国(韓国版)だけでなく、世界中で歌われる人気の中国歌謡になっています。

 

那南风 吹来 清凉 ナナフォ チュィイ チンリァ-ン 
 
那夜莺 啼声 凄怆 ナイェイン ティショ チィツァ-ン
 
月下的 花儿 都入梦 ユシァデ  ファル ドルモン
 
只有那 夜来香 ツ゛ヨ-ウナ イェライシァン
 
吐露着 芬芳 ツルーツ゛ フエン(ェン)ファン

 

 

我爱这 夜色 茫茫 ウォアイ イェソ マンマ-ン

也爱这 夜莺 歌唱 イェアイ イェイン グーチャン

更爱那 花 一般的梦 グアイナ ファ イベデモン

拥抱着 夜来香 ヨンバオ-ツ゛ヨ イェライシャン

吻着 夜来香 ウェンツ゛ イェライシャン

 

(我爱这 夜色 茫茫 ウォアイ イェソ マンマン

也爱这 夜莺 歌唱 イェアイヅ イェイン グーチャン

回憶 フェイイー

像夢一場 シャモンイーチャ

吻著 夜来香 ファンジャ イェライシャン )

 

夜来香  イェライシャ-ン

我為イ尓 歌唱 ウォウェイニ グーチャン


夜来香  イェライシャ-ン
 
我為イ 思量 ウォウエイニ スーリャン

・・・・・ 

我為イ 歌唱 
 
我為イ 思量 

 

夜来香 夜来香 夜来香

 

 

 

 


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