
日本の君が代は、とても厳かですよね。心が洗われるような、静かなメロディで落ち着きますね。
中国のお葬式の曲にも似ていて、なぜか?涙ぐむ人さえいるようですが、戦争時代を連想する人はもう少ないでしょう。J
小学校唱歌の元祖君が代の曲の方が賛美歌風で軍事色がなくていいですよ。
5月28日のテレビの「世界仰天ニュース」放送で、中国・長春の貧乏な家に育ち、7歳で脳腫瘍となった少女の話がありました。
余命も無い少女は腫瘍で目も見えなくなりましたが、地元新聞社は家族の必死さに心を打たれ特別に記事を載せました。その記事は、大変大きな反響となり北京までの交通費などの支援金があつまりましたが、医師は命に関わると北京行きに反対しました。
結局、瀋陽軍と地元学校に集結した数千人の善意による、うその天安門の国旗掲揚式が、少女のために実施されたのです。中国国歌の演奏がニュースの最後に流れ、テレビを見ていても非常に感動して、自然と涙がでしまいました。この事件の背景にはなにか愛国運動のようなものでもあったのでしょうか?。P
全く違うと思います。宣伝なら、党や政府の善意が全面的にアピールされたはずです。愛国運動などもなく、理由はともあれ、学校での集会については当局の規制・抑制がされたはずです。民間ベースの善意と報道と民衆が加熱してしまった結果の話で、民衆が熱しやすい中国では、こういった話は、意外とよくあります。
昨年2010年9月6日、安徽省安慶市で1000人以上の高校生が参加したデモが香港のニュースで報道されています。デモの発端となったのは安慶市第11中高校生2名が帰宅中、交通事故にあいました(1名は死亡)。車を運転したのは官僚で、別人に罪を着せ、罪を逃れようと画策していたことが発覚しました。怒った第11中高の学生たちは、1000人もの生徒が横断幕を手にとり市政府までデモを行いました。警察が出動し騒ぎとなりますが、生徒たちは翌日の未明までデモを続け、ついには肖起英市長が登場し生徒たちと対話して生徒達の正義のデモは解散したそうです。このような話はよくあります。
中国の愛国心教育が青年や幼い世代にまで浸透したことが背景にあると思います。また、北京に対抗できる瀋陽軍を巻き込んだからこそ実現できた話だとも思います。本来ですと偽の掲揚式など威信にかかわります。また、2005年の反日デモが若者中心に起こったことを想起してください。(実父が日本の特務機関協力者で漢奸疑惑がある一方で、父親は日本軍に殺されたとも言われ、自身も南京中央大学で日本語を専攻し、今上天皇・皇后を訪中に招待する等、日本通の江沢民が超まじめに、日本の戦後の徹底した左翼の平和教育から学んだオタク的知識で中国の若者の行き過ぎた愛国教育を推進した結果が、今日の若者の反日感情に繋がる結果となったとも言われるのは歴史の皮肉でしょうか・・)。J
日本でも、平和教育の行きすぎはありました。2000年3月の東京都・国立市立小学校の卒業式では国旗を降ろすよう校長に要求して混乱、生徒や保護者までもが校長に向かって抗議、2001年に北海道の中学の卒業式では、国歌斉唱・国旗掲揚の強制に先生達が反発した影響もあり、卒業式終了後、生徒たちが国旗を雪に埋めて踏みつけた事件等が報道されました。P
中国の北京天安門広場では毎朝、日の出の時間に合わせて国旗の掲揚が国歌の演奏と同時に行われています。一糸乱れぬ隊列と国旗の掲揚式を見るため毎日多くの観光客が中国各地から見学にやってきます。特別な行事がない限り、外国人観光客も、皆一緒に見ることができますよ。J
日本のテレビでは、この番組は、2006年に都の君が代起立強制の裁判に違憲判決がでる数ヶ月前に、民間2局で2回も放映されたのです。今回も、大阪府の橋下徹知事の条例案が話題になっている、時期になぜか再放映です。これは、偶然なのでしょうか?。日本では、中国の愛国を見せつけ、結果として日本人の国旗掲揚意識をあおる、とても計算された、嫌味な日本愛国洗脳にテレビ報道を利用しているようだという人もいます。P
日本では、君が代に批判があるようですが、実は、中国国歌についても、あまりに日本的だとの批判があります。『義勇軍』や『進行曲』という単語自身は、本来日本語です。(『社会』『主義』『愛国』なども本来中国にはなかった近代に日本から大量に入った外来日本語の一部で(実は中国の愛国主義概念や革命思想や社会的概念さえも、その多くは日本から学んだものです。『共産主義』』『左翼』『闘争』『開放』も『軍国主義』『侵略』等も本来は日本から持ち込まれた外来中国語でかつて中国には無かった言葉や概念でした)J
中国国歌の作詞者、田漢は湖南省出身で中国戯劇家の父とも言われます。1917年に日本に留学し、東京高等師範学校(現筑波大学)に学び郭沫若と親交を結び帰国した後、1921年、郭沫若らと新文学団体「創造社」を結成しています。上海で劇作家として活動し映画『風雲児女』の脚本も書いています。
1932年に共産党に入党し国民党当局に逮捕された田漢が獄中から密かに送った歌詞に合わせて、作曲は、上海聯華映画会社の音楽主任で共産党員の聶耳が日本亡命中の1935年に製作された映画『風雲児女』の主題歌「義勇軍行進曲」として日本国内で書き上げたと言われています。義勇軍行進曲は今日では抗日の歌とも言われますが、田漢が作詞した1934年当時は前年に満州事変は日本軍と中国軍との間で停戦協定が結ばれ、まだ日中戦争が本格化していない時期でした。映画は東北での日本軍の占領を逃れ芸術家を目指し上海に来た学生が一人は勇敢に、一人は躊躇し最後は抗日遊撃隊に志願し万里の長城での前線に向かうもので抗日・救国がテーマですが、その主題歌は当時、抗日というよりむしろ、国民党との革命・開放闘争で歌われたものでした。
作曲者の聶耳は神奈川県藤沢市で亡くなって、藤沢市には、聶耳の記念碑もありますが、中国ではそんな中国・国歌の経過はあまり知られていません。
「義勇軍行進曲」は、多くの民衆に歌われたこともあり、1949年に中華人民共和国建国の際、正式に国歌とされました。
しかし、作詞者である田漢が、その後、文化大革命で批判され失脚したため、一時は「義勇軍行進曲」は国歌の扱いを失ない、歌詞が一部書き換えられたりしました。
文化大革命の総括・名誉回復後、1982年の人民代表大会で、本来の歌詞による「義勇軍進行曲」が再び国歌として復活したのです。民衆にとても勇気と元気をもたらす歌です。
起来(チー ライ)!
起ち上がれ(立ち上がれ)
不(ブー)愿做(ユェン ズオ) 奴隶的(ヌーリー ディ)人们(レンメン)!
望まぬ 奴隷的(状態を) 人びとよ
把(バー)我们的(ウォーメンディ)血肉(シュエ ロウ)
もって 私達の 血肉を
筑成(ヂューチョン)我们(ウォーメン)
築こう 私達の
新的(シンディ)长城(チャンチョン)
新たな 長城を
中华(ヂョンホア)民族(ミンズー)到了(ダオリャオ)
中華 民族に 到る(迫る)
最危险的(ズイ ウェイ シエン ディ)时候(シーホウ)
最大の危機的 時期に
毎(メイ)个人(グォレン)
どの 個人も
被迫(ベイ ポー )着发出(ヂョファ チュ)
迫られる(余儀なく)発出す(発する)
最后的(ズイ ホウ ディ)吼声(ホウ ション)
最後の 咆哮(雄叫び)を
起来!
起ち上がれ
起来!
起ち上がれ
起来!
起ち上がれ
我们(ウォーメン)万衆(ワン ヂョン)一心(イー シン)
我ら 皆 一心に
冒着(マオ ヂョー)敌人的(ディ レン ディ)炮火(パオ フオ)
突いて 敵の 砲火を
前进(チエン ジン)!
前進
冒着敌人的炮火
敵の砲火を突いて
前进!
前進
前进!
前進
前进!
前進
进!
進
日本では今、大阪府の橋下徹知事が代表の地域政党「大阪維新の会」府議団が提案した府立学校と府内の市町村立学校の教職員に国歌斉唱時の起立を義務付ける条例案を提案して話題になっていますね。
東京都では石原都知事の下都教委が2003年、入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱のやり方を細かく示す通達を出して、従わない教職員を、延べ400人近く戒告や減給、停職の懲戒処分にし、退職後の再雇用についても拒否するなど、問題を起こして訴訟になっています。2006年の第一審判決では都側の都教委通達や指導は憲法違反と判断されたそうです。
君が代は、歌詞は『古今和歌集』からアレンジしたといわれますが、「君が代」の歌詞について、天皇を中心とした体制を賛えたものとも解釈できることから、アジアや日本国内でも戦争の象徴だとして反対する人がいまだに多いのは事実ですね。
君が代の曲については、英語の賛美歌の曲で英国のS.ウェーバーという人の作曲で、明治の小学校唱歌で歌われていた曲もあります。また、英国国歌"God Save the King"を手本に英国のジョン・ウィリアム・フェントンが作曲したものもあるそうですが、今の曲は、宮内省式部職雅樂課の伶人奥好義がつけた旋律を一等伶人の林廣守が曲に起こし、それを前年に来日したドイツ人の音楽家であり海軍軍楽教師フランツ・エッケルトが西洋風和声を明治13年頃付けたといわれています。明治36年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、「君が代」は一等を受賞したほどの名曲なのです。P
日本でも君が代が禁止されたことがあったと聞きましたがJ。
パンクロックの君が代の放送禁止のことでしょう?国歌とは少し違います。P
放送禁止ではないのですが、原曲はドイツ民謡(樅の木)の旋律にイギリスのコンネルが1889年作詞したThe Red Flagが原曲(日本訳詩 赤松克麿)の赤旗の歌は中国経由で日本に戦前伝わったとも言われますが中国でも日本でも(北朝鮮は別にして)今日はあまり歌われないようです。
民衆の旗赤旗は
戦士の屍を包む
しかばね固く冷えぬ間に
血潮は旗を染めぬ
高く立て赤旗を
その影に死を誓う
卑怯者去らば去れ
我らは赤旗守る
フランス人は愛す旗の光
ドイツ人はその歌うたう
モスコー伽藍に歌響き
シカゴに歌声高し
力なく道暗けれど
赤旗頭上になびく
功と誓いの旗を見よ
我らは旗色変えじ
富者に媚びて神聖の
旗を汚すは誰ぞ
金と地位とに惑いたる
卑怯下劣の奴ぞ
我らは死すとも赤旗を
掲げて進むを誓う
来たれ牢獄絞首台
これ告別の歌ぞ
(日本版は共産党第八路軍、岡野進が日本で広めたとも言われています。)
今年は文革から45周年だそうです。
国际歌
起来 全世界受苦的人
满腔的热血已经沸腾 要为真理而斗争
旧世界打个落花流水 奴隶们起来 起来
不要说我们一无所有 我们要做天下的主人
这是最后的斗争 团结起来到明天
英特纳雄耐尔就一定要实现
这是最后的斗争 团结起来到明天
英特纳雄耐尔就一定要实现
从来就没有什么救世主 也不靠神仙皇帝
要创造人类的幸福 全靠我们自己
我们要夺回劳动果实 让思想冲破牢笼
快把那炉火烧得通红 趁热打铁才能成功
这是最后的斗争 团结起来到明天
英特纳雄耐尔就一定要实现
这是最后的斗争 团结起来到明天
英特纳雄耐尔就一定要实现
是谁创造了人类世界 是我们劳动群众
一切归劳动者所有 哪能容得寄生虫
最可恨那些毒蛇猛兽 吃尽了我们的血肉
一旦把他们消灭干净 鲜红的太阳照遍全球
这是最后的斗争 团结起来到明天
英特纳雄耐尔就一定要实现
这是最后的斗争 团结起来到明天
英特纳雄耐尔就一定要实现