今日は秋晴れ。
気持ちが良くて、散歩とジョギングで体を動かして過ごしました。
さて、道徳の授業、この前も価値の押し付けのようになってしまい、反省していたところ。
どのように道徳を進めたらよいか、参考になるので見ていきます。
https://www.nichibun-g.co.jp/column/manabito/doutoku2/doutoku2_006/
道徳科の指導法①
2018.03.28
学び!と道徳2
道徳科の指導法①
岡田 芳廣(おかだ・よしひろ)
1 指導体制
響「岡田先生、道徳科の授業をどのように行っていけばよいのでしょうか? 道徳科の授業は担任が行わなくてもよいでしょうか?」
私「学習指導要領には指導に当たっての配慮事項として、『学級担任の教師が行うことを原則とするが、校長や教頭などの参加、他の教師との協力的な指導などについて工夫し、道徳教育推進教師を中心とした指導体制を充実すること』とあります。学級担任が授業を行う理由は、生徒のことを一番理解していることやコミュニケーションがとりやすいことが理由です。しかし、副担任や学年の先生でも、生徒との人間関係や信頼感があれば授業をすることも可能でしょう。私は校長の時、毎年授業を行っていました。時には担任の先生とTTで行ったこともありましたが、生徒はとても喜んでいました。また、先生自身にも教材に対しての得手不得手があります。その教材を得意とする先生が、全ての学級を指導するようなローテイション授業も有効だと思います。」
2 ねらいと教材分析
真理「今回の教科化では、登場人物の心情のみを聞いていくような画一的な授業はよくないといわれていますが、どのように授業を展開していけばよいでしょうか?」
私「確かに登場人物の心情を読みとるだけでは国語科の授業と変わりません。道徳科の授業では、登場人物の思いや考えの基となる道徳的価値について学ぶことが大切です。そのためには、先生がまず教材をしっかり読んでおくことは重要です。
小林秀雄の『考えるヒント』の中にある『人形』という作品を読んだことがありますか? 急行列車の食堂車で遅い晩飯を一人食べていた小林さんが老夫婦と相席することになりました。静かにビールを飲んでいる老紳士の横で、奥さんは背広、ネクタイ、帽子を身につけた薄汚い人形を取り出し、食事を与え始めました。小林さんは、人形は亡くなった息子に違いないと思いました。夫は死んだ息子による妻の乱心を鎮めるために人形をあてがい、二度と正気に戻らぬ妻を、こうして連れ立っている、と思いました。奥さんは運ばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口に持っていき、それから自分の口に持ってきます。そこに女子大生と思われる娘さんが小林さんの隣に座りました。彼女はすぐに事を悟ったようでした。この不思議な会食に素直に順応し、四人はごく当たり前のように、無言で、穏やかに食事を終えたのです。もしも、あの時、誰かが人形について余計な発言でもしたらどうなっていただろかと、小林さんが回想する随筆です。
さて、この作品を道徳科の教材として授業をしようと思いますが、この作品の中にはどのような道徳的価値が含まれていますか?」
真理「老夫婦への思いやりでは……。」
響「妻をいたわる夫の家族愛も考えられる。」
道子「老夫婦の立場を尊重する寛容や広い心、さらに人間そのものへの人間愛もあります。」
真理「命について考えさせられると思います。」
私「普通、道徳科で使用する教材の中には複数の道徳的価値が存在しています。どの価値についても授業ができそうですが一つに決めることが大切です。これが授業のねらいとなります。」
響「思いやりでもよいと思うけれど、相手の立場を尊重する寛容が良いと思います。」
私「そうですね。人にはそれぞれ誰にも言えない知られたくない悩みや苦しみを抱えているものです。そのような相手の立場を尊重する寛容な心が大切です。ねらいが決まったら次にその道徳的価値がどのように教材の中に含まれているか分析します。次の図は、『人形』の中に登場する小林秀雄さんの言動とその心情を基に整理したものです。この時、教材の話が大きく変わり、ねらいとする道徳的価値に迫る『ヤマ場』をしっかりと押さえることが大切です。」
道子「つまり起承転結の転にあたるところ。『人形』では、若い娘さんの出現ですね。」
響「なぜ『ヤマ場』が大切なのですか?」
私「相席する娘さんに対して小林さんは心の中でどのようなことを思っていたと思いますか?」
響「『余計なことを言わないで黙っていて欲しい』と思っていたと思います。」
私「『小林さんはなぜ黙っていて欲しいと思っていたのかな』と生徒に聞いたらどうなりますか?」
響「『老夫婦のことを考えて欲しいから』と答えると思います。」
私「そうですね! 娘さんの出現の場面からねらいとする道徳的価値『寛容』に気づき、深く考えることができます。つまり、教材の『ヤマ場』を押さえることにより、ねらいに迫る中心発問を設定することができます。このように教材を分析し、それぞれの場面で発問を次のように設定することにより、目指すねらいに迫っていくことができます。
起:補助発問① 老夫婦と相席することになった時、作者はどのようなことを思っただろうか
承:補助発問② 人形に食べさせる夫人を見て、どんな思いが込み上げてきただろうか
転:補助発問③ 作者の心持ちとはどのようなものだろうか
結:中心発問④ 食事が穏やかに終わった時、作者はどのようなことを考えていただろうか
これらの発問をすべてする必要はありません。また、生徒の発達の段階を配慮して中心発問を補助発問③にすることも考えられます。
なお、生徒がそれぞれの発問に対して、どのように答えるかを事前に想定しておくことは忘れないでください。」
3 導入と終末
真理「授業の展開の方法はわかりましたが、導入と終末はどのようにすればよいでしょうか?」
私「道徳科の導入は、『つかみ』で良いと思います。『つかみ』とは吉本総合芸能学院で教える言葉で、舞台に立った時に、しゃべっていたりお菓子などを食べていたりするお客さんの視線を短時間に舞台へ向けるために行う芸のことです。今日は何をするのかと全生徒の興味関心を授業に引き付けることが導入です。多くの場合は、ねらいや教材に関することを取り上げることが多いようです。」
響「僕なら『人形』の導入では、食堂車や相席のことを知っているか聞いてみたいと思います。」
私「今の中学生は食堂車や相席を知らないので、食堂車の写真を見せてもいいでしょう。」
真理「導入の方法は大体わかりました。しかし、私は終末がいつも、『今日はこのようなことを学びましたので今後の生活に生かしていきましょう』というような価値の押し付けをして、生徒指導のようになってしまいます。」
私「それは皆さんが自分の教科指導の終わりに本時のまとめをしているからです。道徳科の学習指導案では、まとめではなく終末となっています。それはまとめをしたら授業で味わった心地良い良心の余韻が消えてしまうからです。終末は、授業で学んだ道徳的価値への理解をさらに深めたり、道徳的価値を実践しようとする意欲や態度へとつなげたり、さらには自己を見つめたりする大切な場面です。」
真理「具体的にどのような方法がありますか?」
私「板書で授業を振り返る、感想を書かせる、『私たちの道徳』を使う、先人や偉人の言葉を紹介する、説話や先生自身の経験談を話すなどがあります。」
響「担任の先生の経験談は生徒に受けそうだ!」
道子「響は生徒に話せるような道徳的な行為を実践したことがあるの?」
響「……。」
第6回目はいかがでしたでしょうか? 次回は、新しい学習指導要領が目指す「考える道徳・議論する道徳」、「主体的・対話的で深い学び」について考えていきたいと思います。ご期待ください。
発問を考える前に、道徳的価値を絞り、教材のヤマを見つけて、そこでねらいに迫るために発問が決まる。
国語の言語活動と重なる部分を見つけた!