読むクスリ

読んでいてクスリと笑ってしまうような、心の処方箋に。
道徳大好き小学校教諭です。
現在、双子の育児に奮闘中。

子育てハッピーアドバイス@地域懇談会

2018-09-16 11:42:53 | 保護者対応
低学年の保護者を対象に地域懇談会が開かれた。

子育てはやった事がないけれど、お母さんたちは子育ての基本を再確認できたと言っていたので、4月の懇談会なんかでも使えそうな情報だった。

こんな内容です。

1 子どもの心は甘えと反抗を繰り返して成長する。

2 子どもの褒め方叱り方

3 先生との関わり方



ほんじゃ、内容いってみますか。


1 子どもの心は甘えと反抗を繰り返して成長する。


現代の子どもたちは、自己肯定感が低いと言われている。

自分には生きている価値がある、自分は大切な人間だと感じることが、自己肯定感である。

大人でも同じ。
自分はこういう人間だ。
ダメなこともあるけれど、こんないいところがあるから私なのだと自分を捉えること。

でも、特に低学年の子どもは、まだまだ自分のことを自分ではわからないもの。

だから、自分とはどういう人間なのか、何が好き、何が得意、どんな経験をしてきたかなど、様々な体験や人との関わりから自分について知っていく時なんだ。

もちろん、たくさん失敗をする。

失敗したときに、どう関わるかで、その子の自己肯定感は変わってくるんじゃないかな。





生まれてから、小学校入学までを見てみると、

子どもは、甘えと反抗を繰り返している。

甘え

お母さん、これをやるのが心配だよ〜

よしよし

お母さんが、いつも見守ってくれている。安心できる。

自己肯定感が高まる。


自立

自分ででやる!

やってごらん。

すごい!うまくできたね。

自信、自己肯定感が高まる。


失敗例

自分でやる!

お母さんがやるから、触らないでね。
勝手なことしちゃだめよ。

自分にはできないんだ。自己肯定感がダウン。


そんなわけで、
10歳までは、徹底的に甘えさせる。そうすることで、子どもはいい子に育とうとする。

ただし、甘やかす と甘えさせる は別!

甘やかす とは、過干渉、過保護。大人の都合で支配すること。

甘えさせる とは、子どものペースを尊重すること。


反抗

手のかかる子は、とってもいい子です。
自分の感情を外に出す、思いを表現することができている証拠。

手がかからない子ほど、思春期に内に篭ったり、ものすごい爆発になる場合がある。

困った子ほど、失敗も多いけれど、周りが一生懸命関わり、愛情を感じやすい分、人から愛される子に育つ。そして、周りの人に感謝できる子に育つと思いますよ。



子どもが反抗的になったと感じたら、心が満たされていないサインかも。

そんな時は

◯情緒的な要求(スキンシップ、赤ちゃん返り)を受け入れてあげましょう。

✖️物質的な要求(金、物)をそのまま受け入れてはいけません。


◯子どもがどうしてもできないことを、さりげなく手伝って、褒めてあげましょう。

✖️できることをさせないで、大人がやってしまうのはいけません。

✖️がまんできることをがまんさせないのも、甘やかしです。

10歳以下の子どもが甘えてこない時は、接する時間らスキンシップを増やしましょう。








2と3は、後で追記します。
はぁ、はぁ、スマホで書くって案外疲れるものです。


2 子どもの褒め方叱り方




3 先生との関わり方




道徳✖️体験活動 岡田芳廣先生

2018-09-16 09:28:24 | 道徳

岡田先生の話って、いつも教育心理学の何に基づいているか根拠がはっきりしてるから、深いよね。

道徳✖️生徒指導

道徳✖️体験活動

道徳✖️特別活動

それぞれの棲み分けをはっきりさせて、道徳ってこういう視点だ!と、明確にねらいをもって教壇に立てたらいいな〜

まだまだ浅いなー、私。
よし、読んでいこう。

https://www.nichibun-g.co.jp/column/manabito/doutoku2/doutoku2_003/

学校における道徳教育②
2017.12.25
学び!と道徳2
学校における道徳教育②
岡田 芳廣(おかだ・よしひろ)

1 生徒指導と道徳教育

私「今回は、道徳教育と他の教育活動との関係を考えてみましょう。まず生徒指導との関係です。皆さん、生徒指導とはどのような教育活動ですか?」

真理「生徒たちが学校や社会の中でよりよく生きていけるように意図的に指導したり、支援したりする教育活動です。」

道子「生徒が自主的・自律的・主体的に行動する資質や能力を育成することもあります。」

私「生徒指導提要では生徒指導の意義を『生徒指導とは、一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動のことです。すなわち、生徒指導は、すべての児童生徒のそれぞれの人格のよりよき発達を目指すとともに、学校生活がすべての児童生徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを目指しています。……(一部省略)……各学校においては、生徒指導が、教育課程の内外において一人一人の児童生徒の健全な成長を促し、児童生徒自ら現在及び将来における自己実現を図っていくための自己指導能力の育成を目指すという生徒指導の積極的な意義を踏まえ、学校の教育活動全体を通じ、その一層の充実を図っていくことが必要です。(下線は筆者による)』とあります。」

響「人格のよりよき発達を目指すことや、学校の教育活動全体を通じて行うことなど、道徳教育とよく似ている。道徳教育と何が違うのかな?」
真理「生徒指導には授業がないが、道徳教育には要となる授業が週1時間あることでは……。」

私「なかなか良い視点に気付きましたね。教育学のヘルバルトは、教育の方法を『教授』『訓育』『管理』の3つに分けました。

『教授』は、教材を用いて行う教育、つまり教科や知育のことです。

『訓育』は、特に教材を必要とせず、先生と生徒の関係による教育、つまり教科外教育(領域)や徳育などです。

道徳の授業には、教材を用いて学ぶ『教授』と、先生と生徒がともに考え、ともに語り合う『訓育』の両面があります。また、道徳教育は学校の教育活動全体を通して行われる『訓育』でもあります。

これに対して、生徒指導は、ヘルバルト派のラインが考えた、訓育と管理と新たに養護を加えた『指導』に属します。その内容は、よりよい人格や自己指導能力などを育成する『訓育』とともに、学校生活などの管理や支援・援助するガイダンス機能なども含まれています。このように道徳教育と生徒指導には性格の違いがありますが、相互補完する関係もあります。」




道子「道徳教育と生徒指導は連携していくことが効果的ですね。」


2 体験活動と道徳教育

私「次は体験活動と道徳教育について考えてみよう。平成20年3月に公示された中学校学習指導要領の解説「総則編」では『道徳教育を進めるに当たっては,教師と生徒及び生徒相互の人間関係を深めるとともに,生徒が道徳的価値に基づいた人間としての生き方についての自覚を深め,家庭や地域社会との連携を図りながら,職場体験活動やボランティア活動,自然体験活動などの豊かな体験を通して生徒の内面に根ざした道徳性の育成が図られるよう配慮しなければならない。』とありますが、なぜ体験活動は道徳性の育成に関係があるのだろうか?」

響「道徳的な行為を体験することができるからだと思います。」

真理「情報化が進み、人と直接話す機会が少ない子どもに会話の場を提供する。」

道子「体験活動は考えるきっかけを与えてくれるからだと思います。」

私「体験活動には、3つの種類があります。

 ①直接体験:自分自身が対象になる実物に実際にかかわる

 ②間接体験:インターネットやテレビなどを介して感覚的に学び取る

 ③模擬体験:シミュレーションや模型などを通して模擬的に学ぶ

 この中で、近年、間接体験と模擬体験は増加しているが、直接体験が減少していると言われています。直接体験には、間接体験や模擬体験に比べ、得るものがたくさんあります。例えば、テレビを通して富士山のご来光を見た時と実際に苦労して登って見た時は臨場感や感動が違います。さらに、そこまで行く間に出会う多くの人々とのコミュニケーションがあります。富士の自然・文化・歴史などに触れ、学ぶことができます。このような体験を通して、子どもは感動したり驚いたりしながら『なぜ』『どうして』と考えを深め、実際の生活や社会・自然の在り方について学びます。」

真理「直接的な体験活動は、道徳的判断力や道徳的心情の育成に効果があるということですね?」

道子「道徳的実践意欲と態度も育つと思う。」

私「最近、旅行で体験活動をすることが流行しているが、何か行ったことはありますか?」

道子「修学旅行で京都に行き、清水焼の茶碗の絵付けをしたことがあります。」

響「僕は、お寺で写経をした。」

道子「どうして写経をしようと思ったの?」

響「ご利益があると聞いたので……。」

真理「写経した後で何か良いことはあったの?」

響「見ての通り、変化なしです。しかし今思い返すと、使い慣れない筆で一字一字集中して書いていると無心になり、書き終わった時、とても清々しい気分になれたよ。」

私「響君はとても貴重な体験をしたようですね。『体験』はただの経験だけでは何も意味がありません。響君のように体験を振り返り、価値づけをすることにより意義ある『経験(経験知)』になります。

 右の図は、このことを表した『経験学習サイクル』です。


この中で、体験の内省的観察(振り返り)をすることで、体験は意味あるものとなります。そして新たに直面する体験に前の体験で学んだ経験知を活かすことが重要です。

 このことは、道徳教育がめざす道徳的行為の実践への具体的な指導展開です。さらに、振り返りによって概念化された道徳的価値は、具体的な行為を伴う道徳性を育成します。

 中学校学習指導要領解説「特別の教科 道徳編」(平成29年7月)には、『豊かな体験は,生徒の内面に根ざした道徳性を養うことに資するものである。これらの体験活動を通して生徒が気付く様々な道徳的価値は,それらがもつ意味や大切さなどについて深く考える道徳科の指導を通して,内面的資質・能力である道徳性としてより確かに定着する。道徳科の指導においては,職場体験活動やボランティア活動,自然体験活動などの体験活動を生かし,体験を通して感じたことや考えたことを基に対話を深めるなど,心に響く多様な指導の工夫に努めることが大切である。』とあります。

 学校における体験活動は、道徳的実践・道徳的行為につながります。そのような体験活動を道徳の授業で振り返り、道徳的価値への理解や自覚を深め、道徳性を育成することが大切です。

一方、特別活動では、学校や社会における実際の体験活動による学習、すなわち『なすことによって学ぶ』ことを通して、全人的な人間形成を図るという意義を有しています。特別活動の学びを質的にも量的にも充実するためには、ただ体験活動をするのではなく、体験活動に道徳的価値をもたせ何を学ぶのかを明らかにし、活動後に振り返りをすることにより、体験に基づいた新たな実践が生まれるように指導していくことが大切です。」

 第3回目はいかがでしたでしょうか? 次回は道徳教育の内容について考えていきたいと思います。ご期待ください。


道徳と特別活動の棲み分けをはっきりさせて、両輪の輪で、子どもたちの体験活動と道徳心を結びつけたら、すんごい心が豊かな子が育ちそう!


他律から自律へ 岡田芳廣先生

2018-09-16 02:29:57 | 道徳
教育心理学のピアジェは、道徳教育にぴったりハマるね。

ほんで、価値項目の発達段階をよく理解して、段階的に道徳も教えていく必要がありそうだ。



https://www.nichibun-g.co.jp/column/manabito/doutoku2/doutoku2_002/

2017.12.01
学び!と道徳2
学校における道徳教育①
岡田 芳廣(おかだ・よしひろ)

 「学び!と道徳2」第2号を掲載させていただきます。

1 学校ではどのようにして道徳教育が行われているのか

真理「実習校で、部活指導の中で道徳教育をしているという先生がいます。」

響「生徒指導をしっかり行えば、道徳教育はいらないという先生もいるよ。」

道子「道徳教育はしつけと同じだから、家庭で行えばよいという意見もあるわね。」

真理「私が卒業した学校は『文武両道』を教育目標にしていて、勉学とスポーツに力を入れていたので、運動が苦手な私は大変だった。」

私「人格の完成を教育の目的としている教育基本法では、第2条の教育の目標の一で『幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い【知育】、豊かな情操と道徳心を培う【徳育】とともに、健やかな身体を養う【体育】こと』と定めています。これは、知育・徳育・体育をバランスよく行うことにより、生きる力を育成することです。図のように、知育・徳育・体育のどれ一つでも不十分だと、生きる力が十分に育たないということになります。道徳心を培うとあるように道徳教育は、徳育です。教育基本法はすべての教育に対して定められた法律ですから、学校教育はもとより家庭教育でも徳育をすることが求められています。しかし、近年家庭の教育力の低下は課題になっています。そのような状況に対して、学校・家庭・地域社会全体が協働して子どもへの徳育を行うことの重要性がますます高まっています。話は変わりますが、響君の専門である音楽科や美術科などは、表現活動や鑑賞を通して豊かな情操を培うので大切な徳育の一つであるとも考えられます。」

響「体育が苦手な真理は、生きる力が弱いということか。」

真理「失礼ね!」

私「響君、そんなに簡単に考えてよいかな。本日のアクティビティーは、道徳教育は学校でどのように行われているか、を考えてみましょう。」

響「道徳の時間と言いたいが、今の先生の話では、僕の音楽科も関係しそうだな。」

私「冴えているね! 平成29年3月31日告示の学習指導要領には『学校における道徳教育は、特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり、道徳科はもとより、各教科、総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて、生徒の発達の段階を考慮して、適切な指導を行うこと。』とあります。つまり、道徳教育は、週1回の道徳の時間に行われる授業と学校の教育活動全体で行うことになっています。真理さんの実習校の先生が言うように部活動でも当然道徳教育は行われます。しかし、部活動ですべての内容を指導できるかは疑問です。指導するべき内容が指導されなかったり、指導しても不十分だったり、さらには内容間のつながりや発展に触れられないことがあります。そこで、道徳の時間(授業)で指導の足りないところを補ったり、深めたり、内容を統合したりすることが求められています。このことが扇の『要(かなめ)』のように、道徳の時間を中心として学校の教育活動全体で道徳教育が行われているという意味です。」

真理「私の数学科でも道徳教育をしなければならないということですね。難しいな……。」

私「その通りです。学習指導要領では『道徳教育の目標に基づき、道徳科などとの関連を考慮しながら、第3章特別の教科道徳の第2に示す内容について、数学科※の特性に応じて適切な指導をすること(※各教科が入る)』とあります。皆が教科指導をするとき、道徳教育の指導内容が自分の教科の指導内容とどのような関わりがあるか常に考え指導していくことが求められています。」
道子「数学は公式や定理を使って問題を解くから、公式や定理はきまりと考えられるのでは……。」

真理「そうか! きまりを守ることの大切さを教えることができるね。」

響「音楽では合唱や合奏で互いに協力することの大切さを指導できる。」


2 道徳教育の目標

響「音楽科との関係は理解できたけれど、道徳教育の目標って何だろう?」

道子「道徳性の育成でしょ。響、勉強不足よ。」
私「確かに新しい学習指導要領には『道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とすること。』とあります。自分はどう生きるべきか考えるとき、どのように行動すればよいかを自ら考え判断するとき、さらには社会の中で自立した人間として多様な人々と協働しながら生きるにはどのようにすればよいか考えるときの基盤となるものが道徳性であり、その道徳性を養うことが道徳教育の目標であるということです。」

響「判断や行動の基準のことかな?」

私「判断や行動の基準は、道徳教育の指導内容、つまり、道徳的諸価値です。道徳性とは、『よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を広い視野から多面的・多角的に考え、人間としての生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。(特別の教科 道徳の目標)』と学習指導要領にあるように、よりよく生きるための基盤である、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度のことです。」

響「前回勉強した見えない心の中にある、善悪を判断する理性、善悪を感じる感性、そして善いことを行おうとする心構えのようなものかな。」

真理「だから道徳教育は心の教育と言われるのか。」


3 他律から自律へ

道子「先生、道徳教育は『生徒の発達の段階を考慮して、適切な指導を行うこと。』とは、どういうことですか?」

響「まだ小学生のような中学1年生と大人っぽい中学3年生では、同じ内容でも指導の在り方が違うということかな。」

真理「教育と指導の違いかな?」

私「すごいところに気付いたね。教育という言葉は、『教え』『育てる』という意味ですね。道徳教育では、行動や言葉遣いについてはどうすればよいか教えるとともに、よりよい言動を自ら考え実践しようとする心情も育てます。例えば、何も知らない幼い子どもや小学1、2年生には『高齢者が電車に乗ってきたときには席を譲りましょう。』と教えることは大切です。しかし、中学生にもなればいつも親や先生から言われて行動するのではなく、自ら考え判断して高齢者に席を譲ろうと思う心の力を育てることが大切です。

 発達心理学者のピアジェは、道徳性の発達は他律から自律へと変化していくと述べています。子どもは自己と他者との区別がつかない『自己中心性』の無秩序な時期から社会とのかかわりの中で、親や大人との『強制関係』から子ども同士の『協同関係』という2つの段階へと発達すると考えています。

 強制関係は大人の言うことを聞くことが基本的な義務であり、規則が外部から子どもに押し付けられている。これは他律的な道徳です。これに対して、『協同関係』は子ども同士が自分たちで規則を作りだし、自ら作った規範に従う。つまり、自律的な道徳です。

 哲学者のカントの道徳哲学も他律から自律へ転化させるプロセスを述べています。命令や義務といった外的な強制にいやいや従う他律的な行為から、自分のうちにある良心に照らした道徳的な規準『格率・格律』と全ての人間の道徳的な行為を制約する普遍的な規準『道徳法則』を一致させることにより行われる自律的な行為へと転化することが大切であると述べています。

 皆さんが教える中学生は思春期の第2次反抗期でもあります。親や先生などの大人の言葉に素直に従うことができない生徒が多いと思います。先生から価値を押し付けるのではなく、生徒自身に考えさせ自覚させることが大切です。」

響「なるほど、勉強をしなさいと言われてもやる気にならないわけだ!」

真理「響は勉強が嫌いなだけでしょ。」

道子「私たちも自律的に学びましょう。」

 第2回目はいかがでしたでしょうか? 第3回も引き続き学校における道徳教育について考えていきたいと思います。ご期待ください。

道徳とは 岡田芳廣先生

2018-09-16 01:34:36 | 道徳

岡田先生の考え方に、とっても共感できる部分が多いので、検索してみた。

https://www.nichibun-g.co.jp/column/manabito/doutoku2/doutoku2_001/

2017.10.31
学び!と道徳2
【新連載スタート】道徳について考える
岡田 芳廣(おかだ・よしひろ)


2 モラルとマナー


時事通信社
私「みんなこの写真を見たことがあるかな?」


響「見たことないな……。」

真理「多くの人が品物を買うために並んでいるコンビニエンスストアの写真かな。」

私「さすがに真理は理論的だな! この写真は、イギリスのBBCが作成した東日本大震災レポート「Pray for Japan」の中の1枚です。このレポートは世界中に報道され、人々に驚愕と賞賛を引き起こしました。そこで本日のアクティビティーです。世界の人々はこのような写真を見て、日本人のどういった面を賞賛したのだろうか?」

響「割り込みをしないで順番を守っている。」

真理「震災などが起きると、食料などを求めて略奪が起きることが多いのに、お金を出して買っている。」

道子「みんなが協力して、災難を乗り越えようとしている日本人の道徳性。」

響「そうかな? みんなと同じことをしないと非難されたり、仲間はずれにされたりするからだと思う。」

私「そのことを同調性、同調圧力といいます。」

道子「人間って、自分だけよければというような弱さや醜さがある反面、溺れている人を我も顧みず助けるような道徳心もある。」

真理「道徳ってどのようなものですか?」

響「広辞苑には、『人のふみ行うべき道』と出ている。」

私「道徳の『道』は、『判断や行為をするときの筋道のある考え』という意味です。また、『徳』の旧字は『悳』で、『真』と『心』という二つの字が結合して出来ていて、『真っすぐな心』という意味です。道と徳の二つをつなぐと『判断や行為をするときに規範となる真っすぐな心』というような意味になります。

 欧米では道徳をモラル(moral)といいますが、これはラテン語のモース(mos)が原語となっています。モースの意味は、習慣、風習、行儀などですが、きまりや道の意味もあります。つまり、『古くから多くの人々に行われているもの』という意味だと思います。

 モラルとともにマナー(manner)という言葉が使われますが、マナーという言葉は、ラテン語のマヌス(manus)『手』という言葉から発生したと言われています。手動を意味するマニュアルや爪につけるマニュキアもマヌスから発生した言葉です。つまり、体の中の一部である手を語源としているマナーは、『一部の場所や時代で行われているものである』という意味があります。これに対して、モラルは『時代を越えて世界中の多くの人々が行うことが当然であるものと思っているもの』だと考えてよいでしょう。」

響「なるほど、レディーファーストは欧米のマナーだから、日本ではやらなくてもいいということだ。」

真理「何を言っているの、時代が変わったのよ!」

道子「グローバル化の時代、多様な価値観を尊重することが求められているけれど、マナーは多様な価値観であり、モラルが普遍的な価値ということかな……。」


私 ということは、モラルが指導要領の価値項目になる訳だ。


3 人格とは

私「本日二つ目のアクティビティーは、『人格』についてです。教育基本法の第1条には『教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない』と、人格の完成が教育の目的とされています。皆さんは、人格とはどのようなものと考えていますか?」

響「そんなこと今まで考えたこともない。たぶん、人間性と同じだと思う。」

道子「人格が素晴らしい人を人格者というから、道徳性と同じでは?」

真理「言動が素晴らしいからといって、道徳性が優れていると判断していいのかな。心の中では何を考えているかわからない。」

私「東日本大震災の時、『心は見えないが心遣いは見える。思いは見えないが思いやりは見える。』というコマーシャルがテレビで盛んに流れていたことを覚えていますか。私たちが研究している道徳教育は心の教育といわれるように、道徳的な行為を実践することができる心の力を育てることに取り組んでいます。


 右の図は、人間を、『周りからは見えない心(理性や感性)』と『見える行動や判断できる言葉』の関係から表したものです。私たちの言動には、親や先生からこのような時はこのようにするのだと教えられた通りに行う他律的なものと、自分でどうすればよいか道徳的な価値に基づいて考え判断して行う自律的なものがあります。何も知らない子供には他律的な指導性が必要ですが、自らの力で生きていかなければならない大人には自律性が求められます。

 ここで本題である人格について話を戻しましょう。人格は、英語ではperson、personalityといいますが、personの原語はラテン語のペルソナ(persona)で、顔の前にあるもの、仮面という意味です。真理さんが考えるように仮面の下にどんな心が隠れているかとても心配ですね。哲学や倫理学では、心の中で道徳的な価値に基づいて考えたり思ったりしたことが言葉や行動となって現れると考え、人格に道徳的な価値を含めて考えます。

 しかし、心理学では、刺激に対する反応を心(性格)と考えるので、道徳的な価値を含めません。また、私たちが取り組んでいる教育学や道徳教育では、教育基本法にあるように、人格は人間の成長の過程の中で形成されていくものと考えられています。」

真理「人間は人格という仮面をかぶっているということですか。相手に自分の顔を見せないからSNSやネット上で平気で悪口を書くことができるわけだ……。」

道子「だから私たちは、仮面の下にある心を育てるために道徳教育を研究しているのです!」




校内研修で、一から説明するのに役立ちそうな具体的な話が盛りだくさん。

しかも、モラルとマナーは、私が考えていた不易流行になんだか重ねて捉えられたし。

岡田先生のお話を理解できたら、
道徳の礎ができるんじゃないかな。