道徳の発問
今度、加藤宣行先生のお話を聞く機会があるので、検索してみた。
やはり、発問について書かれていた。
道徳の授業改善は、発問の質なのか?
うーん、なんか発問ありきで授業の良し悪しを判断するのは竹下先生から教わった国語の言語活動なんかと比べてちょっと毛色が違う気がするんだけど、みんな発問発問って言うよね。
でも、言いたいことはわかる。
あるサイトの抜粋
QA解説 「特別の教科 道徳」の授業づくり(7)
「特別の教科 道徳」が変えるべきことNO.1は?
何を変えたら道徳の授業は変わるのか
筑波大学附属小学校教諭加藤 宣行
2015/12/30 掲載
「特別の教科 道徳」の授業づくり道徳
A先生
道徳が特別の教科になるというこのタイミングで、「読む道徳から考え、議論する道徳へ」「問題解決的な学習」「主体的な学習」など、様々なキーワードが出されています。たしかに授業は、「わかりきったことをなぞる」ものから、「今まで考えたこともないようなことを学び、達成感のある」ものへと変わらなくてはならないと思っています。しかし、そのために何を変えればよいのか悩んでいます。ズバリ、何を変えたら道徳の授業は変わるのかを教えてください。
加藤先生からのアドバイス
ズバリ、変えるべきは「発問」です。
【閉じた発問から、開かれた発問へ】
従来の発問は、読み物資料の内容をいかに把握し、共感的理解を図るかに重点が置かれていました。ですから、登場人物の状況や心情を問う発問が多くなります。つまり、「主人公の○○と△△は何をしたか」「その時の△△の気持ちはどんなだったか」というような発問です。そのような発問に対して、子どもたちが使う力は、文脈から読み取る読解力と、「道徳的に考えると正解は…」というようなクイズ的な類推力が中心です。この類いの発問は、はじめからある「答え」を読み解いていくようなスタイルとなり、新しい発見をするというよりは、常識的なことの見直しをするという形になります。当然のことながら、はじめからわかりきった正解を言い当てるゲームのような展開になってしまいがちです。答えははじめからわかっているのですから、そのような発問で授業を進めれば進めるほど、結論はどんどん狭められていきます。それが「閉じた発問」です。それでは子どもたちにとってやりがいのある、面白いものになるはずがありません。
それを、読み物資料を読むだけではわからない、「道徳的ではない」考え方をすることで、「ああ、そう考えればこれにも意味があるなあ。だったら…」とか「そうか!自分たちが、主人公の行動がいいなあと思った理由はこういうことだったのか!」「なるほど!そんなこと考えたこともなかった!!」というように、思考がどんどん広がっていく発問があります。それが「開かれた発問」です。
解説
では、「開かれた発問」とはどういうものなのかを説明しましょう。
低学年の資料に「およげないリスさん」という話があります。カメさんたち3匹が島に遊びに行く時、泳げないリスさんは連れて行ってもらえずに悲しい思いをします。一方、カメさんたちは、リスさん抜きで島に行ったものの、ちっとも楽しくありません。そこで相談の上、カメさんの背中にリスさんを乗せて島に連れて行き、一緒に楽しく遊ぶという内容です。内容項目は、友情・信頼です。
では、発問を考えましょう。あなただったらどのような発問をしますか。次の中から選んでください。
①カメさんの背中に乗せてもらって島へ行った時のリスさんの気持ちはどんなだったでしょう?
②カメさんたち3匹は、リスさん抜きで遊んでいた時、なぜちっとも面白くなかったのでしょう?
③気の合う友達同士で遊ぶことはよくないことでしょうか?リスさんのような、自分たちとは遊び方が違う友達と一緒に遊ぶことのよさは何でしょう?
④カメさんたち3匹で遊ぶ時と、リスさんを入れた4匹で遊ぶ時との違いはなんでしょう?
①は従来の形です。補助発問次第で、そこから広げていくことも可能ですが、このままでは、子どもたちの思考はどんどん閉じていってしまいます。
「うれしかったと思う」「自分も友達にやさしくしようと思ったと思う」「ひとりぼっちの友達がいたら、声をかけてあげたい」…こんな感じではないでしょうか。
②は「なぜ」を問うスタイルです。なぜを聞くことで、その行為行動をとるに至った経緯を認識することができます。
「だってリスさんの悲しそうな顔が目に浮かんだから」「かわいそうだと思ったから」「友達にはもっとやさしくしなければと思ったから」等々。もう一息、突っ込みが必要ですね。だって、「かわいそうだからしてあげる―してもらう」という友達関係はちょっと不公平ですから。
③はズバリ、友達のよさについて、資料を通して考えさせる発問です。このように聞かれれば、この資料で描かれている友達のよさを考えずにはいられませんよね?
④は③の問いを子どもたちレベルに具体的におろした発問です。聞きたいことは③と同じなのですが、こういう風に聞いた方が考えやすいかもしれませんね。
子どもたちは、きっとこのようなことを言い始めます。
「4匹で遊ぶ方が、きっと相手のことを考えていろいろな遊び方を思いつくと思うよ」「きっとこの後、4匹はもっと相手のことがわかってきて、もっともっと仲よしになると思うな」「こういう友達と一緒に遊びたいな」「一緒にいて安心できる」
いかがでしょうか?
みなさんだったら、子どもたちに、①~④のどの発問を投げかけてみたいと思われますか?
同じ資料でも、発問を変えるだけで、その後の展開は大きく変わります。是非お試しあれ。
授業を変えたければ発問を変えましょう。
子どもの嗅覚・センスを信じて、「何がよいのか」「それはなぜか」を聞きましょう。
今度、加藤宣行先生のお話を聞く機会があるので、検索してみた。
やはり、発問について書かれていた。
道徳の授業改善は、発問の質なのか?
うーん、なんか発問ありきで授業の良し悪しを判断するのは竹下先生から教わった国語の言語活動なんかと比べてちょっと毛色が違う気がするんだけど、みんな発問発問って言うよね。
でも、言いたいことはわかる。
あるサイトの抜粋
QA解説 「特別の教科 道徳」の授業づくり(7)
「特別の教科 道徳」が変えるべきことNO.1は?
何を変えたら道徳の授業は変わるのか
筑波大学附属小学校教諭加藤 宣行
2015/12/30 掲載
「特別の教科 道徳」の授業づくり道徳
A先生
道徳が特別の教科になるというこのタイミングで、「読む道徳から考え、議論する道徳へ」「問題解決的な学習」「主体的な学習」など、様々なキーワードが出されています。たしかに授業は、「わかりきったことをなぞる」ものから、「今まで考えたこともないようなことを学び、達成感のある」ものへと変わらなくてはならないと思っています。しかし、そのために何を変えればよいのか悩んでいます。ズバリ、何を変えたら道徳の授業は変わるのかを教えてください。
加藤先生からのアドバイス
ズバリ、変えるべきは「発問」です。
【閉じた発問から、開かれた発問へ】
従来の発問は、読み物資料の内容をいかに把握し、共感的理解を図るかに重点が置かれていました。ですから、登場人物の状況や心情を問う発問が多くなります。つまり、「主人公の○○と△△は何をしたか」「その時の△△の気持ちはどんなだったか」というような発問です。そのような発問に対して、子どもたちが使う力は、文脈から読み取る読解力と、「道徳的に考えると正解は…」というようなクイズ的な類推力が中心です。この類いの発問は、はじめからある「答え」を読み解いていくようなスタイルとなり、新しい発見をするというよりは、常識的なことの見直しをするという形になります。当然のことながら、はじめからわかりきった正解を言い当てるゲームのような展開になってしまいがちです。答えははじめからわかっているのですから、そのような発問で授業を進めれば進めるほど、結論はどんどん狭められていきます。それが「閉じた発問」です。それでは子どもたちにとってやりがいのある、面白いものになるはずがありません。
それを、読み物資料を読むだけではわからない、「道徳的ではない」考え方をすることで、「ああ、そう考えればこれにも意味があるなあ。だったら…」とか「そうか!自分たちが、主人公の行動がいいなあと思った理由はこういうことだったのか!」「なるほど!そんなこと考えたこともなかった!!」というように、思考がどんどん広がっていく発問があります。それが「開かれた発問」です。
解説
では、「開かれた発問」とはどういうものなのかを説明しましょう。
低学年の資料に「およげないリスさん」という話があります。カメさんたち3匹が島に遊びに行く時、泳げないリスさんは連れて行ってもらえずに悲しい思いをします。一方、カメさんたちは、リスさん抜きで島に行ったものの、ちっとも楽しくありません。そこで相談の上、カメさんの背中にリスさんを乗せて島に連れて行き、一緒に楽しく遊ぶという内容です。内容項目は、友情・信頼です。
では、発問を考えましょう。あなただったらどのような発問をしますか。次の中から選んでください。
①カメさんの背中に乗せてもらって島へ行った時のリスさんの気持ちはどんなだったでしょう?
②カメさんたち3匹は、リスさん抜きで遊んでいた時、なぜちっとも面白くなかったのでしょう?
③気の合う友達同士で遊ぶことはよくないことでしょうか?リスさんのような、自分たちとは遊び方が違う友達と一緒に遊ぶことのよさは何でしょう?
④カメさんたち3匹で遊ぶ時と、リスさんを入れた4匹で遊ぶ時との違いはなんでしょう?
①は従来の形です。補助発問次第で、そこから広げていくことも可能ですが、このままでは、子どもたちの思考はどんどん閉じていってしまいます。
「うれしかったと思う」「自分も友達にやさしくしようと思ったと思う」「ひとりぼっちの友達がいたら、声をかけてあげたい」…こんな感じではないでしょうか。
②は「なぜ」を問うスタイルです。なぜを聞くことで、その行為行動をとるに至った経緯を認識することができます。
「だってリスさんの悲しそうな顔が目に浮かんだから」「かわいそうだと思ったから」「友達にはもっとやさしくしなければと思ったから」等々。もう一息、突っ込みが必要ですね。だって、「かわいそうだからしてあげる―してもらう」という友達関係はちょっと不公平ですから。
③はズバリ、友達のよさについて、資料を通して考えさせる発問です。このように聞かれれば、この資料で描かれている友達のよさを考えずにはいられませんよね?
④は③の問いを子どもたちレベルに具体的におろした発問です。聞きたいことは③と同じなのですが、こういう風に聞いた方が考えやすいかもしれませんね。
子どもたちは、きっとこのようなことを言い始めます。
「4匹で遊ぶ方が、きっと相手のことを考えていろいろな遊び方を思いつくと思うよ」「きっとこの後、4匹はもっと相手のことがわかってきて、もっともっと仲よしになると思うな」「こういう友達と一緒に遊びたいな」「一緒にいて安心できる」
いかがでしょうか?
みなさんだったら、子どもたちに、①~④のどの発問を投げかけてみたいと思われますか?
同じ資料でも、発問を変えるだけで、その後の展開は大きく変わります。是非お試しあれ。
授業を変えたければ発問を変えましょう。
子どもの嗅覚・センスを信じて、「何がよいのか」「それはなぜか」を聞きましょう。