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つかれた

2009年11月18日 | 日々。
と、思うことが多い。

ただ、うちの職場の仕事量は、
多少ムラがあるとはいえ、
ほかの施設の同じ職種とか、同じ施設の他の職種比べると
結構少ないと思う。

それに私が任されている仕事も
そんな大したことじゃぁないわけで。。。

そう思うと、これっぱかで疲れたとか何とか
言っちゃぁいけないような気がして、
もっと大変な人たちに大層失礼な気がして、
でも、へこたれてきてしまって、
ぐるぐる考え込んでイヤになってしまう。

まぁだからって特別なにかするわけでも
死ぬわけでもないんですけど。

ふ、と、死んだあと、この「私」という意識はどこにいくのかしらんと思う。

生きているときでも、この「私」はどこにいるのかしらんとも思う。

どっかの哲学者でもないのにね、ふと思うのです。

「我思う、ゆえに我あり」とは有名な言葉ですが、
病気やら事故やらで、
「思う」という機能がなくなった(と思われている)人は
どうなるのかしら。
なくなったように見えるのは、あるという証明ができないだけで、
実はしっかりあるってことも有り得るわけで、
そんなときに、勝手にざくざく切られたりしたらイヤだなぁ。
そんなとりとめもないことを ほろほろと思うのです。

ある、の証明はわかりやすいけれど、
ない、の証明はとても難しい。

そこにないから、あるという証明ができないから、
それが即ち ない である、というのは、
短絡的だよなぁ。

なんだかまとまりないですなぁ。まぁいいかw

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3 コメント

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Unknown (たま)
2009-11-18 22:42:00
義父は痴呆が進んできています。生活的な能力はほぼなくなったようです。せつないですが身内にとっては大切な父であり知性や性格といったものが崩壊していくのを坦々と受け入れているようです。僕自身は正直に言えば他人である義父をそこまで思えません。関係ないコメントですが思い浮かびました。
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Unknown ()
2009-11-27 21:38:55
>たまさん
痴呆も「思う」機能がなくなったように思われることなのかもですね。
家族でも他人でも、どうも冷めた見方をしてしまいます、私は。
壊れていくのをちょっと引いてみてしまう。
そういう自分が、ちょっとイヤです。
まぁ今更変わらないでしょうけれどね。
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Unknown (たま)
2009-11-29 20:05:59
いろんなものが壊れていくのですが心はどこかに残っていると思いたいし そうなんですよ。頭で考えていることと感じることは違うようです。
と、まあ深くは考えていませんが。
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