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歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

「月刊ヴィアン」ランキング!!

2014-04-20 21:08:15 | 神剣の守護者
群馬の月刊誌「Vien(ヴィアン)」の書籍ランキングにて、
『神剣の守護者』がランクインしたのでご紹介します!!




「『群馬びと』の“ココロくすぐる”」をコンセプトに、前橋市・高崎市を中心に毎月22万部発行!




羽生選手と名前が並ぶ!この奇跡!!
なお、ランキングは数度紹介の煥子堂ですが、
統計期間が違っています。


みなさま、ヴィアン誌をお手に取られる際はぜひ!!


月刊ヴィアン http://www.vien.co.jp/



智本光隆

桜の花に癒されて2014-小松姫 真田を照らす昴ー

2014-04-20 08:52:56 | 日記
さて、、、それでは次にいよいよ?正覚寺へ。
この寺、近年は歴史系バラエティーの舞台、
(今夜はヒストリー面白かったんだけどなぁ)
で登場したりして、けっこう有名かも知れません。



正覚寺


本堂前のは・・・八重紅枝垂?
今が盛りでとても綺麗でした。




本堂です。
「立ち葵」の紋が入っていますが、
これは小松姫の実家・本多家の家紋ですね。


関ヶ原の合戦の際、信之と袂を分かった昌幸、信繁(幸村)親子が沼田城に立ちより、、、
「久しぶりに孫の顔が見たい」と門前に、
この際だから城を乗っ取ろうとした昌幸に対して、
「義父様といえども夫の不在時、城の門を開ける訳に参りません」
といい、入城を拒みます。


その後、仕方なくこの正覚寺で休息を取っていた昌幸の下に、
子供たちを連れて訪れた・・・
父・本多忠勝に似た勝気な性格で、容姿端麗な美女だと伝えられていますが、
「武将の妻」たる小松姫の凛とした気質を、今に伝える逸話です。


そして、その小松姫の墓所もこの正覚寺に。



位牌廟。



小松姫(大蓮院殿)墓所。


関ヶ原の合戦後、配流先の昌幸、信繁へと援助を続けたのは、
この小松姫だといいます。
大阪の陣の終結を見届けたあと、
元和6年(1620)、病を得て江戸真田屋敷から草津に療養に向かう途中、
鴻巣で没した小松姫。
遺骨は上田と・・・そして小松姫が愛したという、沼田に分けて葬られました。


それを聞いた信之は「我が家の燈火が消えた」と嘆き、
死ぬまで後室をおくことはなかったそうです。


ところで、ちょっと気が付いたのですが、
石塔の後ろの塔婆に「本多〇〇」さんという名前が見えましたが、
小松姫の実家・本多家末裔のどなたか・・・なのでしょうか?



そして、沼田の桜をもう一枚。



智本光隆