歌詞を味わうブログ

1980年代から1990年代の日本のポップスの歌詞を味わうブログ

『tomorrow すべては時の中に』 作詞:あんべ光俊

2021-04-03 07:17:00 | 歌詞を味わう
リリース:1983年

今週も、当ブログを訪問していただき、ありがとうございます。

今回の作詞者は岩手県釜石市出身で、東日本大震災に際してチャリティーCDを制作されるなど、その復興にも尽力されているあんべ光俊さんです。歌、作曲ともこの曲はあんべ光俊さん名義になっています。

「ちがう人をもう 愛し始めてる
ちがう道をもう 歩き始めてる」

という歌詞で始まるこの曲は、おそらく別れを切り出す側の視点で書かれています。
それでサビの部分は…

「あなたを忘れるよ かなしみはしない
すべては時の中に埋もれていく」

とまとめられています。

ところが2番の歌詞では…

「風が冷たいね 送らなくていいの?
少しそばに来て あなたを見たから
好きだから
あなたが好きだから」

と、後ろ髪引かれるような思いが入り混じった言葉が綴られています。

メロディーも含めた音楽作品を聞くと、静かにフェードアウトしていくような美的感覚を覚えますが、歌詞だけ味わおうとすると、矛盾した気持ちが混在していることが見てとれます。ブルースハーモニカの部分なんて切なさを醸し出して聞き応えあるんだけどね。

別れる相手に対して「あなたが好きだから」という気持ちは、二股かあ、というものではなく、「ちがう人」に対しては「愛し始めてる」という似て非なる表現になっているので単純に二股とは言えませんよね。
「好き」と「愛する」という言葉の違いは人それぞれ定義するところが違うとは思いますが、私の主観では、関心のベクトルが自分に向かっているのか、あるいは相手に向かっているのか、という違いでしょうか。
そう考えると、別れる相手に対してが「愛する」で、ちがう人に対してが「好き」だと言えなくもないけど、ここは作詞者がそう感じた言葉を尊重しましょう。

「愛」という言葉が、あまりにも広く浅く使われているような気がして、もう少し言葉の重みを大切にしてほしいなと思いつつ、私がいう「愛」も、アガペーとか究極の客観から見れば、相対的な考えに過ぎませんが。

そして、すべては時の中に埋もれていった、別れる相手とのすべての思いでですが、当然ながらすべてを忘れられる訳はなく、実際には、
ああ あなたと出会った頃の
きらめきだけが残ってる」
と歌詞にあるように、自分にとって都合のよい想い出だけが美化され、都合の悪いことはフタをしてなかったことにしたいんです、私も。

見落としてならないのは、別れを切り出す方も別れを切り出される方も痛みを伴う、ということ。
本気で人を好きになって、その痛みを覚えているから、その後の人生に共感力のある深みのある対人関係が作れるんじゃないかしら。

自我=エゴを糾弾したいんじゃないんです。自我は誰にもあるものだし、自分の中にある自我の存在に気づき、今その関心のベクトルがどちらを向いているのか顧みることはすごく大事なことだと、私は思うんです。

そのような意味でこの歌詞は、決して、きれいに別れたんじゃなくて、後ろ髪引かれる思いを引きずりつつ別れたということを言葉にしているから、長い年月が経って、この世の甘いも酸いもわかった気になっている自分の自我の存在に気づく上で有益なのかもしれません。


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