歌詞を味わうブログ

1980年代から1990年代の日本のポップスの歌詞を味わうブログ

『初恋』 作詞:村下 孝蔵

2021-11-27 17:13:00 | 歌詞を味わう
今回も当ブログを訪問いただきありがとうございます。
先日、何となく近くにある学校の校庭をぼんやりと眺めていましたら、この曲が浮かんできたので、今回は村下孝蔵さんの『初恋』を取り上げたいと思います。
この曲にかかわるエピソードについては色々ありますが、そこはウィキペディアに譲って、歌詞を純粋に味わって見たいと思います。
まず1番の歌詞から見ていきましょう。

「五月雨は緑色
悲しくさせたよ一人の午後は
恋をして 淋しくて
届かぬ思いを暖めていた
好きだよと言えずに初恋は
ふりこ細工の心
放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから 胸をはなれない」

五月雨という季語が登場しますので、何となく季節はずれかとは思いますが、五月雨が緑色に感じるというのは初々しさを表しているようにも感じますよね。
ただ、五月雨の意味には少しずつのものを断続的に、という意味もあります。
ですから、好きだよと言えないモヤモヤとした気持ちが断続的に続いている心の様が見てとれます。
加えて、ふりこ細工というのは繊細な心揺れ続ける様が表現されているのではないでしょうか。
放課後の校庭という設定もまた、校舎の中ではない距離感があると感じますよね。
遠くから君を探すという距離感でないと伝わらない心のひだが、浅い夢という言葉にも込められているのだと私は確信します。
近すぎると夢から覚めてしまうし、遠すぎても起きたと同時に夢が胸をはなれていってしまう。
そのように私は自分の経験から思いました。
続いて2番の歌詞を見てみましょう。


「夕映えはあんず色
帰り道一人口笛吹いて
名前さえ呼べなくて
とらわれた心見つめていたよ
好きだよと言えずに初恋は
ふりこ細工の心
風に舞った花びらが水面を乱すように
愛という字書いてみては
震えてたあの頃
浅い夢だから 胸を離れない」

2番では情景が夕映えのする一人の帰り道に変わります。
愛という字を書いてみては震えてた心を、風に舞った花びらが水面を乱すようだと表現されています。

愛しているなら、なぜ震えたり、恐れが生じたりするのか、それは大人になった今でも私の永遠のテーマではあるのですが、悪く言えばそこにインタラクティブ、いわゆる相互理解がないからだと思うんですよ。
それを情緒的に捉えるなら、浅い夢を見続けることに、ある種の美学を感じているからなんだと思います。
恋が成就して付き合うことになったら、相手の悪い面に対してノーと言わなければならないし、それを言えるインタラクティブな関係を築くことが健全な関係と思うのよ。
相手からノーと言われるのは嫌だし、いつまでも傷つかない場所にとどまり続けたい。それは人間の本性の一側面かもしれないけど、責任ある大人がそれをやってはダメよね。

今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
全国的に冷え込む季節となりましたので、風邪などにはくれぐれも気をつけてお過ごしください。





『11月の海』 作詞:佐々木好

2021-11-18 05:30:00 | 歌詞を味わう
リリース:1987年
今回も当ブログを訪問いただきありがとうございます。
今回は2回目になりますが佐々木好さんの『11月の海』を取り上げます。

先週末に久々に海を見たくなって防寒対策をして出かけていったのですが、海はとても穏やかで、SUP(スタンド アップ パドル ボート)という海のスポーツを楽しむ人がいるくらい波も静かで、私なんか近くのカフェから美味しいコーヒーをすすりながらそれを眺める優雅がひとときを過ごさせてもらいました。それで脳裏にこの曲がわいてきたというわけなんです。

この曲は佐々木好さんの最後のアルバム『りらっくす』に収録されていて、メロディも歌詞も習熟感があるような気がします。

それでは、さっそく歌詞を見てみましょう。

「財閥なら老人とだって結婚するって
この世はお金が全てなのか
海の波は
いつも静かに聴いてくれるの
”そんな人のことは流しなさい”
雲が私のために開いた
”今すぐ来い”って迎えに来ている
階段をつけて迎えに来ている

「”おまえ優しいな”って言ってくれた
初めて言われた
手のひらのアリと遊ぶ私
見つめて ひとこと
鉛色した11月の海は
少しだけど温かく
空き缶やゴミ、木の枝だらけ
海を使うとき
人は喜んで
汚した時には
人は知らぬふり

「”静寂しきったおまえはきれい”
もう少し見せたい
私を見せたい
心を洗って
帰りましょ うちへ」

佐々木さんは、2つの不条理、財閥なら老人とだって結婚する事態や海が空き缶やゴミで汚されている事態に目を止めるのですが、なんとなく自然が醸し出す人間を包み込む雰囲気に昇華されていくような感覚を覚えますね。
財閥なら老人とだって結婚する事態は、性別を問わず起こりうることですが、この場合は女性が老人男性の財閥とというシチュエーションなのでしょう。
でも、こういった分断というのは別に財閥でなくても起こりうると思います。例えば、正規社員と非正規社員の間でも容易に。
5万円だの10万円だの100万円だの、億単位でなくとも、心が世知がなくなるようなことは本当に起きています。それをどうでもいいこと、とは思わないけれども、やはり心が疲れちゃいますよね。
そんな時に、穏やかな海を眺めて心を洗って帰ってくるのもありかもね。

今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
不定期ですがまた書きたいと思います。

『夢の途中』 作詞:来生 えつこ

2021-11-06 12:40:00 | 歌詞を味わう
リリース:1981年

当ブログを訪問いただきありがとうございます。
今回は、来生たかおさんが歌う『夢の途中』を取り上げたいと思います。
作曲は来生たかおさんですが、作詞は姉の来生えつこさんです。
そして、歌詞は一部異なりますが、薬師丸ひろ子さんが歌った映画『セーラー服と機関銃』の同名主題歌と同じ来生たかおさんの作曲によるものでもあります。
このあたりのいきさつについては、あまり深く立ち入ることはしませんが、主題歌の歌い手を替えられただけでなく、曲名まで替えさせられることになった来生たかおさんにしてみれば、『夢の途中』がヒットしていなかったら、さぞかし悔しい思いをしただろうな、ということは想像できます。
それではまず1番の歌詞から見ていきましょう。

「さよならは別れの言葉じゃなくて
再び逢うまでの遠い約束
現在(いま)を嘆いても
胸を痛めても
ほんの夢の途中
このまま何時間でも
抱いていたいけど
ただこのまま冷たい頬を
暖めたいけど」

いきなり「何々ではなくて何々」という連語から始まりますが、ここに主題が集中しているような気もします。
ただ、その連語の後段の部分だけを強調したいだけでもなく、前段のものではないということも強調しているようにも私には思えます。
そこで前段の「さよなら」について考えてみたいと思うのですが、「さよなら」は同じような言葉として、「さようなら」「さらば」「それでは」「そうしたら」「したら」「したっけ」(そんな言葉ある?)などと同じ接続詞です。
それが別れの言葉を意味するようになったのは、古くは『竹取物語』や『源氏物語』の別れの場面に「さらば」が登場するので、由来は決して新しくないのです。
このあたりのことは「さようなら」の意味を解説しているウェブサイトがたくさんありますので詳しくは踏み込みませんが、接続詞「さようなら」に続く言葉を言わずとも、相手の心を思いやって忖度する文化が日本語にはあるということです。
歌詞に目を戻して見ますと、「このまま何時間でも抱いていたいけど」「このまま冷たい頬を暖めたいけど」どうしたいのか書いていませんね。これも歌詞を味わう側に忖度して解釈する余地があるということでもあるのです。
この歌詞の主人公の男性は女性と別れなければならない事情があり、女性のことをあきらめる理由としてこの恋は「夢の途中」だからという、すっぱい葡萄とでもいいましょうか、合理化のような言い訳あるいは防衛機制といったものが働いているのだと私は思います。
続いて2番の歌詞を見てみましょう。

「都会は秒刻みのあわただしさ
恋もコンクリートの籠の中
君がめぐり逢う
恋に疲れたら
きっともどっておいで
愛した男たちを想い出に替えて
いつの日にか僕のことを
想い出すがいい
ただ心の片隅にでも
小さくメモして」

ここでは男性の密かな期待「きっともどってくる」しかも愛した男たちを想い出に替えて、という願望が語られます。
その時まで自分を忘れてほしくなくて心の片隅に小さくメモしておいてほしい。
恋に疲れるかどうかなんて女性の側の都合とは別に、男性の夢は続くのです。
夢の途中だから。
引き続き3番の歌詞を見てみましょう。

「スーツケース
いっぱいにつめこんだ
希望という名の重い荷物を
君は軽々と
きっと持ち上げて
笑顔見せるだろう
愛した男たちをかがやきに替えて
いつの日にか僕のことを
想い出すがいい
ただ心の片隅にでも
小さくメモして」

確かにスーツケースいっぱいにつめこんだら見た目で重たく感じるかもしれませんが、希望という名の荷物が女性にとって本当に重いかどうかなんていうこととは別に、ここでも「想い出すがいい」と男性の願望が語られます。

翻って見れば「再び逢うまでの遠い約束」というのも願望でしかありません。
誰だって別れはつらいから、その現実から目を背けたくなるし、「これはまだ夢の途中だから」と理由をつけて否認したくもなります。防衛機制を備えた人間ですから。
ですから、別れの情景を文学的な美として語り継いできた歴史もあり、この『夢の途中』もそういった意味ではすぐれた作品と言えるでしょう。

「さようなら」は接続詞、その言葉に続く相手に対する思いやりの心を私は大切にしたいと思います。

今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
次回はいつ投稿できるか体調との相談になりますが、読者の皆様にも健康にはご留意くださいね。したっけ(本当にこんな言葉あるの?)。