遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

祈りの朝にその1

2011-04-18 12:49:12 | 遊月作ファンタジー物語
これは、短編小説になっています。

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【ご挨拶】
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311に関しては、ひとりひとりがその心と向き合い、これからどうやって生きていくのか。それを改めて問うような、大きな出来事だったと思います。
どこかでニンゲンは、自分がこの世界を支配できるのではないか?と思ってきたのかもしれません。

ですが、自然はやはり偉大だった。わたしたちのはるか上を、驚異の力を持って動かしている。
わたしたちはただ、その自然と調和し、その中で与えられた命を大切に生きていく。おおいなるすべての中で生かされていることを意識して、すべての存在と共存しながら生きていくのです。
そういうことが改めて、スローガンではなく真実味を持ってわたしたちに強く届いてきたような気がします。

2011年3月11日に起きたことは、そんな大きな出来事でした。

この物語は、ある日見た不思議なビジョンをもとに書いたもので、真実ではありません。あくまでひとつの物語です。

もしかしたらこんな風になってしまうかもしれない、というひとつのパラレルワールドを表現したものであり、たとえこうなったとしても、それでも人は強く、そして、きっとまた豊かに暮らせる日が来る。
そんな希望に向かって再生していける存在であることを伝えたくて書きました。
よかったら読んでみてください。

『祈りに変えて』
から読んでくださいね。


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祈りの朝にその1
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人は何度も生まれ変わると言う。
それがほんとうなら、人はなぜ何度も生まれ変わるのか。その問いに答えるように心に響く声がする。

やり直すため。成長するため。宇宙のかわりに体験するため。そして何より、世界に触れて感動したいから、体験したいから、また生まれたくなるから。

『また、生まれたくなる、から』
どんなに辛い体験をしたって、それでもなお、また生まれたくなる。だとしたら、生きるということは、ほんとうに素晴らしいことなのだとわたしは思った。

「もう聞いてみたいことはないですか?」
セラピストさんが静かに尋ねる。

わたしは、前世療法というものを受けていて、薄暗い部屋の安楽椅子にゆったり身体を預け、半分眠っているような、ふしぎなだるさのまま、その声でかろうじて意識をこの世界に保っていた。
「もうひとつだけ…」
全身がだるくて、そう声に出すことが億劫でたまらなかったが、黙っていると終了とみなされるので、なんとかそう答えた。
「わたしがこの世界に生まれてきた目的を実行しはじめるのは、いつですか?」
わたしには、小さい頃から不思議な感覚があった。それはもう、いつからあったのか定かではないのだけれど、幼稚園とか小学校低学年の頃にはすでにあった感覚だった。

わたしは、たまたまここにいるのではない。あることをするためにここに来たのだ。言葉にするとそんな感じ。
けれど、あることは、とても曖昧で、明確に表現することができなかった。
もし無理やり言葉にすると、こうなっただろう。
伝えたい!
大事なことを伝えたい!
ただ、その思いだけが最初からあったのだ。
もうひとつ付け加えるならば、今度こそ。である。

だからわたしは、小さい時から、人は何度でも生まれ変わると、漠然と知っていたのかもしれない。それがもし真実だとするならば。

前世療法は、前世を知るためだけが目的ではなく、かつてどんな人生を歩き、そのとき何をして、何をしそびれたのか、なにを後悔して、次の人生に何を持ちこしたのかを、自分の中から発掘する、そんな作業だと思った。

わたしには小さいときから、自分が経験したこともない不思議な映像が、まるで自分の思い出であるかのように強く出てくることがあった。
それは、映画のワンシーンのようであるが、そんな映画は見たことがなく、徴として、自分をどこからか見ているのではなく、自分がその中から見ている映像として頭によみがえってくる。

それだけではなく、身体が勝手に動きたくなったり、強く何かを感じてしまったりするのだ。

たとえば、突然頭の中に、赤い岩山が浮かんでくる。そのときわたしの頭の中には山のむこうに飛んで行く大きな鳥が見えて、しかもその鳥を見ながら、その自由さがうらやましくて悔しくて胸が締め付けられてしまう。

かと思えば、とある日曜日の昼下がり、ふと台所のスリガラスからさす光を見た時に、つい、サンタマリアという謎の言葉を唱えながら、ひざから落ちてそのまま祈りたくなってしまったり。近所の山にのぼり、海に沈む夕日を見ていると涙が浮かんできて、今度こそ、今度こそきっとやり遂げたいって思いながら眺めていたくなる。
どちらも私の記憶ではない。なのに本心でそう思ってしまう。それが不思議だった。

特にあの今度こそ、という感覚。
何をやり遂げたいのか自分でもよくわからないけど、今度こそって強くそう思ってしまうのだ。
はじめて前世療法というものがあるのを知ったのは、阪神大震災が起き、その直後に忘れられないあの地下鉄でのテロ事件が起きた。
人々は、この安定した世界が、実はちょっとしたことで簡単に終わるかもしれない。何が起きるのかわからないということに気づき始めた。そして心の安らぎを求めるかのように、精神世界と呼ばれる分野の本が巷にあふれ始めた。それはそれまでのひっそりアヤシイ雰囲気で、大きな書店の奥にこっそり作られた特殊なコーナーとしてではなくて、まるで今はじめてできましたよという顔をしてひとつの新しいジャンルとして登場し始めた。
そんな徐々にスピリチュアルブームがはじまりかけていたときだった。

ある時私はたまたまテレビで前世療法という言葉を知った。それは偶然発見されたトラウマを解消する療法だった。とある有名なアメリカの精神科医が、幼児体験により発生したと思われる水に関する恐怖のトラウマを解消するためにクライアントさんに暗示をかけていた時のことだ。クライアントさんにトラウマの原因になった過去に戻るよう暗示をかけていたが、いつまでたっても原因になった出来事が出てこなかった。そこで、その出来事があった過去に戻るよう暗示をかけたところ、その人生を通り越して、過去生としか思えない体験のところまで戻ってしまったのだ。
その時はにわかには信じられなかったが、他にもそのような人たちがどんどん出てきたことと、その方が語った、遠い昔に消滅してしまった古代の言葉の信ぴょう性などから、どうやら本当に前世に戻っているのかもしれないとされている。そんな内容だった。

その後、前世があるという前提のもと、「前世療法」というひとつの治療法が確立され、それが遠い日本まで伝わってきていると言う。わたしはそれを受けてみたいと思った。

その後偶然にもこの札幌で、イギリスでそういう勉強をして資格を取ったというセラピストさんがいるのを知った。東京に行かなければ無理だと思っていた私は、この偶然に賭けてみることにした。
予約を取り、実際に前世療法を受けてみたのだ。

はじめて受けたとき、前世の記憶の断片は確かに見えた。けれどそのときは、記憶を拾い集める作業を自分でコントロールすることができなかった。目の前に散らばったアルバムの写真から、見たいものを拾い上げたいと思うのに、風が私の手に運んできた一枚しか手に取ることができない。そんなもどかしさを感じた。
ぼんやりと遠くにある写真に映し出された自分の輪郭は見えるのに、年齢や服装やそもそも性別など、その詳細は手に取ってみないとわからないのだ。
前世にあったと思える映像が一瞬目の前をすいっと流れているのをたんたんとみている感じだった。けれど初めてだったので、いくつか前世があるのだと感じられただけでとりあえずわたしには満足した。

それにコントロールできないながらも、ひとつの前世はしっかりと見ることができたから。
私の幼い頃からぼんやりと頭に浮かんできていたインディアンの女の子らしき自分の姿。その少女かつて生きていた映像を私は見た。その子の姿を外から見たのではなく、その子の目を通してその時その子が毎日じっと眺めていた景色を見たのだ。
セラピストの誘導のもと、はじめから終わりまで簡単にその時の人生を眺めることができた。しかも、わたしが前世療法で見たその少女が履いていた靴は、私の知識では、そんな時代に存在しないはずだった。ところが前世療法のあと本で調べて、まさにそのインディアンの部族はそのタイプの靴を履いていたと、白黒の写真やイラスト入りで見ることができた。
私の見えた映像は、私の知識より正確だったのだ。
あれは妄想ではなく、実際にあったことかもしれないと、前世の存在を信じられるようになっただけで、わたしはとても満足した。


その2へ続く








2011年4月18日
満月の朝にて

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