皆さまおはようございます。
新月と、オーストラリア近郊で見ることができた金環日食も無事終わったようですね。
一年前の5月、日本のレイラインと呼ばれるかいわいで、金環日食が見られました。
あれからまる1年が過ぎて、何かが大きく変わった気がします。
とくに、価値観というものが、まったく違っているのです。
生活環境も、生活そのものもたいして変わっていないのですが、生きることに対する意識が、すっかり変わっています。
たとえば風水などの影響は、3日後、3カ月後、という具合に、当日ではなく、一定の時間がたったあとに突然、現れ始めていたのに気づく、というものです。
最近たてつづけに、なぜか突然やりたくなってやってみたら、一年前(きっかり365日という意味での1年)にそのことをしようと決意していたと、その直後にたまたま手帳を見て気づく。
みたいなパターンで動いています。
今までもそうだったのかもしれませんが、このところ、毎日整理整頓をしているので、やたらに過去のデータが目の前に存在するのです(笑)
ということで、一年前の日記に何が書いてあったのかを読んでみたら、
『どこに流されようとも、どんな突風が吹こうとも。
それでもどこかで信じていた。
この世界に生まれたことこそ祝福。
どうして生きるの?
自分が生まれた価値って何?
あるとき、ある人に聞かれました。
どうして生きるのか、なんて私にはわかりません。
ですが、私が生きるのは、生まれたからです。
生まれた価値は、生まれたことがもう価値です。
その、
イノチ、
こそが価値です。
ですが、あなたの言うことが『誰かに認めてもらう』という意味の価値ならば、ただ生きているだけでそのようなものは出てこないから、
自分で見つけて重ねていくしかないのではないでしょうか?
自分で自分の生き方に価値を見いだせるように、
生きていくうちに価値が生まれるのではないでしょうか?
一生懸命考えてそう答えました。
その問いは、私が私に問いかけたことだったのかもしれないなぁ』
と書いてありました。
もしまたこの問いに対する答えを求められたら、正解を出せるかどうかはわかりません。
ですが、似たようなことをきっと答えると思います。
体調が悪くて寝たり起きたりの日々なのですが、
もしこの立場である人が自分以外の人だったらば、
私は寝込んでいる人に、
あなたは寝てばかりいる病人だから、生きる価値はない。
とは、まったく思わないのです。
自分がその立場になったら、申し訳なくて、まるで生きる価値を失った気がしたのに(笑)
そのことは、私の中にあるものを、大きく大きく変えてくれました。
病気で寝込んでいるから生きる価値がないなんてことはない。
何かができるとか役に立つとか、そんなことじゃない。
生きる価値とは、生きていることそのものなのだ。
そうシンプルに思ったのです。
ほんとうに、病気様様です(笑)
金の和(輪)をくぐりぬけて向こうの世界を旅して、
改めてこの星に戻ってきた気分です(笑)
素敵な新月と、週末をお過ごしくださいね。