時々起きる眩暈の原因はじつはDVの後遺症なんです。
重度のむち打ちになり、その影響で、ときどき朝起きたら眩暈がひどくて起きられなくなる。
安静に寝ていれば治るから、つきあっていくしかないのですが。
そのむち打ちになった時、医師に言われたことがずっと残っています。
バトミントンをしていて走っていた時に人とぶつかったといった私に(当時配偶者がたまに同僚とバトミントンをしていたので、とっさにそれが思いついた)医師は、
「人とぶつかって倒れたくらいでこんな重症にはならない。誰か大人の男性レベルの力を持った人間に、思い切り床に叩きつけられでもしなければこんな風にはならない」と、まるで、おや見ていたんですか?と思うような的確な指摘をしまして。
「悪いことは言わない。警察に行きなさい」と何度も忠告してきたのです。
そのたびに、いいえ、ぶつかって転んだだけですと答えた私。
なぜそう答えたのか。
医師は正論を言いました。
暴力を振るわれて、頭も首もガンガンする中、バンバンに腫れた顔で出社して、上司に「今日は(保険の)営業に行かなくていいので、今すぐ病院に行きなさい」と言われた状態でしたし。
ちなみに痛い身体をおして無理に会社にいったのは、私に何かあった時、会社の人に何かしらの証言をしてもらえるかもしれないと思っていたからです。
だからあえて痛々しい身体をさらしたのです。
医師の正論に少しだけ腹が立ちました。
もちろん心配してくれているのはありがたかったのですが、こう言い返したくなったのです。
もし警察がその場で逮捕して一生彼を表に出さないでいてくれるなら、私は今すぐにでも警察に行きたい。
だけど警察の人が彼に注意しただけで帰って行こうもんなら、翌朝私はきっと生きていない。
そして彼は私の横で泣きながら、正当防衛を訴えるのだ。
しかも、なんてことをしてしまったんだ、申し訳ないなと、めちゃくちゃ反省しているふりも付け加えて、人がつい同情してしまうくらい完璧に。
彼は信じられないくらい完璧な嘘がつけるのだ。
私には到底理解不能なレベルで、平気な顔して真実を知る私の横で、のうのうと嘘八百を並べて見せては、その人が去ったあと、
「俺は平気でうそが付ける人間なんだぞ。そしてお前みたいな頭のおかしい人間が何を言ったところで人に信じてはもらえないんだ」と笑っていた。
そんな人間に対して恐怖しか感じていなかった。
子どもを人質に取られているような状況で、どうやって逃げればいいのか?
実は長男がまだ数ヶ月くらいの赤ん坊だった時、暴力をふるった後に彼が出て行ったので、長男をつれて急いで実家に帰ったことがある。
しかし公共の交通手段で帰った私が実家に入ると、すでに彼が実家にいて、母親と笑って話していた。
母は私が実家に入るなり言ったのだ。
「つまらない夫婦喧嘩で帰ってくるなんて辛抱足りない。ちゃんと謝って仲直りしなさい」
と。
その横で「いいんです。僕も悪かったんですから」などと笑っていた。
小説だったらいいのにと絶望した。
父ですら、
「そうだね、もうお母さんなんだから、もうちょっと我慢しようか」と言った。
私の言い分は一切聞かず、他人の配偶者の話をまるまる採用していた彼女を見て、ああ、実家に帰るのは無理だと思った。
しかもその帰り道に彼が言ったのだ。
おまえが本当は暴力を振るわれていることをおまえの父親が知ったら、どんなに悲しむか想像できないのか?
父親を悲しませてまで、おまえのわがままを通したいのか?
よく考えればとんでもない話だけれど。
洗脳というやつで、私は何度も、私が誰かに打ち明けると、父親を不幸にすると信じ込まされていった。
私がファザコンであることを知ったうえでそういう策略を巡らせることができる。
私には思いつかないとんでもない嘘を平気でつける。
しかも外に対してとても評判がいい振る舞いをするのだから、厄介で。
そんな人に太刀打ちできないと諦めていた。
絶望の中で、しあわせなふりして楽しそうに微笑み続ける。
そんな人生。
あの時、ネットで知り合ったのちに師匠となる人が横浜からわざわざ来て、
「どうなりたいのかを書き続けなさい。今がどうとか関係ない。なりたい未来をイメージし続けなさい」と教えてくれなければ、今私はここにいない。
ゆるやかに病気になってこの世界から消えることを望んでいたから。
うん。
私の中に、洗脳の手段が残っている。
日記を書き続けているから。
記憶力がいいことは悲しみを反復させることにもなるけど、誰かの抑止力になると信じている。
だからもう少し強くなれたら、そのあたりのことも本にして伝えていきたいなって思っています。
洗脳って、本人は洗脳されていることに気付かないから怖いんだよね。