みなさまこんにちは。
今日はお仕事で、エネルギークリーニングをさせていただいたのですが、
そのときに、
『肉体とは、自分の中に宿る神性といいますか、大いなる魂、宇宙の光り、
自分の中にある神の領域そのものからわけられている輝く神的な魂をしまっている神殿なんです。
スピリチュアルを一生懸命勉強する方に、たまに、魂は一生懸命磨くけど、肉体のメンテナンスは二の次とか、おろそかにする方がいるけれど、それは、神様は好きだけど、神社の地面にゴミを平気で捨てて行くっていう方だと思うんですよ。
なので、自分の肉体を大切にすること、メンテナンスすることはすごい大切なのです』
というお話をさせていただきました。
昨日の神社巡りで思ったことは、そこにおわします神様のエネルギーは強烈ですばらしかったのですが、すがすがしくどこもかしこも掃除されていて何一つゴミなどない神社と、ダンボールに詰まれたどんど焼きのためのしめ縄が横にズラーーっと並んでいる神社とでは、同じ神様を祀っていても、そこで人が受取るものが違うということでした。
(昨日巡った3つのうち、ひとつが、あまり掃除をしていないのが見て取れたものですから)
その神様が与えられるものは一緒だとしても。
神社や物質を通してそのパワーが与えられるとしたら、そのパワーが人間に届くとき、ワンクッション置いちゃうので、そこ(神社、お社)が汚れていてはせっかくのエネルギーが減っちゃう、みたいな感じです。
つまり、肉体をメンテナンスする意味はそこにある。
せっかく神様(自分のなかに存在する魂とか、スピリチュアル性など)を磨き、それを自分の中からどんどん世の中、人々に伝えようとしても、
そのメッセージやエネルギーを与えるときにワンクッションになってしまう肉体がさびていれば…
おおもとが一緒でも、外に出ていく時は中身が変わって行っちゃうのだろうなって。
私も頭ではわかっているけど、なかなか忙しくてメンテナンス行き届いていない気がするので、改めて今年は肉体のメンテナンスも目標のひとつにしようと決めました。