遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

なぜ神様の名前を変えちゃうのかな?

2023-08-06 10:24:00 | ファンタジーの種(不思議なお話)
多くの人たちが、遥か昔から脈々と続いていると信じている神道(神社)ですが。
脈々と続いていること。それは全くその通りです。




でも全てが今見ているものと全く同じに継承されているとは限りません。
例えばその神社の名前や祀られている神様すら、最近変わったものも珍しくないのです。

江戸時代まで、人々から「出雲大社」と呼ばれていたのは、京都にある出雲大神宮でした。
もし江戸時代にタイムスリップして、
「出雲大社に連れて行って」と言えば、京都の亀山に連れて行かれるでしょう。
島根では?と聞くと、はあ?あんたバカなの?無知なの?島根にそんな名前の神社はねえよ、と言われるでしょう。

ついでに、言葉を変えて神様を隠すこともよくあるので、亀山は神山と呼ばれていた可能性が高くなるわけですが。
(出雲大神宮の磐座群のある御蔭山のことと思われる)

神様の名前や神社名を変えたりするのは全国でありました。
また、神社とお寺は常に協力しあって存在していたのを、全部バラバラにせよと命令を出し、神社側にある仏教的要素を壊し、その逆で、仏教側にある神社的要素を壊しました。

この時、長い間大切にされてきたたくさんの重要文化財と思われるものが壊されました。
守ってきた住職さんや神官さんたちは、どんな気持ちで仏像や建物やお経を焼いたのでしょう。
胸が痛みます。
だから、高尾山のように、お寺だけど神域!鳥居!のように、命令に従わないで今に至る場所があってよかったと思います。
ちなみにそれができたのは、少林寺のように、戦うお坊さん(昔はお坊さんは兵士でもあった)がいたからだと思っています。
(たぶん実際そうです笑)

たくさんの文献が焼かれ、なかったことにされ、神様の名前がすげ替えられた。
かつて地元に愛された大国主の娘ミホススミを、大和側の姫、三穂津姫に変えたように、自分たちの神様にこっそりと、しかも名前を混同するようなものを用いて、たくさん変えられました。

これは大昔の話ではなくて、「明治政府」がやったことです。
つまり、脈々と続いていた文化や名前が、わずか150年前に変えられている。
1500年前からある神社が、そのわずか10%に満たない時間で、あっさり塗り替えられるなんて。
歴女の私には耐えられない(苦笑)

そんなつい最近の話にもかかわらず、島根にある出雲大社は、神代の時代からずっと出雲大社と呼ばれていたと言うことを特に疑いもせず、たくさんの今見えている事実だけを認知しています。

なぜ、明治政府がそのようなことをしたのでしょうか。
その真意は分かりません。
諸説あります。
尤もらしい理由もあります。

だけど、私が思うのは、ちょっとうがった考えです。

色々と調べていくと、大和朝廷、いわゆる今につながるあのやんごとなき人々の祖先は、ちょっとヤンチャがすぎると言いますか。
調べれば調べるほど言葉にならないやり方で、縄文時代から築かれていたたくさんの王国を滅亡させてきました。

王族は無惨な殺され方をしています。
国に住んでいた一般の人も、男たちもほとんどは殺され、女たちを人質にとられて兵士にされたり、労働者としての奴隷にされたり。
その民族の血を引く子供は殺され、女たちは新しく侵略者どもの血族の子孫を生まされたり、性の搾取をされたり。

特に王族の姫たちは、言葉にするのも憚れるような悲惨な末路を辿りました。
そうやって滅ぼした国の王族たちを、神様として祀ったのです。
その発端は、祟りを恐れたからで、お詫びとか、敬意からではないのです。

と書くと、かなりやばい話になるので、なーんちゃって的な要素を醸し出しておきますが。

ちなみに私はやんごとなき人々のことは好きだし、大切に思っています。
国の象徴ですから、それを敬うことは、自分の国を敬わないことになりますし。

あくまでも、戦国時代と言える縄文対弥生の黎明期に起きたことですから。
今キングダムが上映中ですが、あんな感じに小国に分かれて戦っていた時代に、卑怯な手であり、戦略を用いてこの国を統一した、それだけのこと。

そうやって救ってきた新しい国。
それはある意味仕方ないことかな、と思います。
ただし、歴史を正しく伝えることは重要だと思います。
勝った側はいつたって、正義は自分だと言い張りますからね。
正義はあったかもしれないけど、相手も正義だったんじゃない?
運とか強さとか、それが違っただけのことじゃない?
と私は思うのです。

しかし彼らは都合のいい歴史書を書いて正義であると宣言してしまった。
過ちの上に立ち、これから良い国をつくればよかったのに(アラバスタ国王はそうした←ワンピースより)

けれど、自分たちが支配者だった時代は問題がなかったのに、ある時を境にその支配権を奪われました。

彼らは下々の者たちを争わせたり、必以上搾取して、考える力を奪ってきたのに。
まあ、この手法は今も変わっていませんが。

でも、色々あって権力を奪われました。
ところがこともあろうに、支配権を奪っていったその新しい権力者は、この国に平和な国を作ってしまったのです!
なんてこと!
これでは庶民が力を持ってしまいます!
うむ(何が悪いんじゃって話ですよね笑)

300年も続く平和が人々を賢くし、文化を掘り起こさせてしまったのです。
(江戸時代のことですよ)

たくさんの学者たちが、様々な真実を掘り出しました。
そうやって、庶民に知られたくない情報が世間に伝わりかけていた。

そこに再び、自分たちが権力を取り戻す機会がやってきました。
ビバ明治維新!

権力を取り戻したら最初に、都合の悪いものをぶっ潰したとして不思議ではありません。

というのが私のうがった考え(笑)

これはあくまでも私が勝手に妄想したことです。
真実かどうかなんてわかりません。

妄想ついでに、私は様々な神社仏閣に行くと、それぞれの場所に、残された思念のようなものを感じ取ってしまうのです。

例えば、出雲では、虐殺された側の人たちの思いと何度もシンクロして、悔しくて泣きたくなり切なくて腹が立ちました。

山のようにそういう感覚が押し寄せてどうにかなりそうな場所もありました。

かつて出雲で、豊かな国を作って志半ばで殺されてしまった前世があったり、江戸時代に陰陽師として仕事をしていた役人の時に、そういったことを調べていて、真実をつかんだのに、それを公表する前に志半ばでなくなってしまったことがあったりしたのかな、と。

前世の話は立証しようもありませんが。

証明しようもないものなのに、心の奥底から湧き上がってきて、奥歯がしびれてしまうようなほどの悔しさと、どうしようもない悔しい感情が、私の中で渦巻いてしまうのです。

だからこそ、真実かどうかなんてわからない。
でもそこで見たもの、人々に伝えやすく、多少ファンタジーの様子を入れたとしても伝えたい。

そう思ってしまうのです^_^


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