遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

可哀想な人生ってなんだろう

2023-10-24 09:41:00 | 母親という仕事
昨日クライアントさんとお話をしていて思い出したことがあります。


誕生日に洞爺の海に完全に日が沈むまでみんなで眺めていました

私はシングルマザーとしての悩みをたくさん経験しました。
その中の1つで、時々ひどく、心をえぐられることがありました。
自分がシングルマザーになっていなければその言葉の槍の攻撃性に気付けなかったなぁと思います。

私は、自分の人生をかわいそうだとは全く思っていません。
なんでこんな目にあうんだろうと何度も思いましたが、自分のホロスコープを見て、「そういう目にあう」とくっきりはっきり書いてあるのを見て、何をしたところでこういう経験をするはずだったと、運命を受け入れていたからです。

早くに結婚して周りのみんなが遊びまくっているときに、苦労しながらたった1人で子育てをしていたことも、元夫からDVを受けていたことも、その他もろもろ。
一つ一つの出来事を見て、誰かと比較したら、確かに辛い経験なんだと思います。
でもあの頃の私からしたら、自分が与えられていた環境の中で、出来る限りのことをしていたのです。
不幸とかかわいそうとか、そんな言葉では語れないもの。

自分で選んだんじゃないのと思う方もいるでしょうが、生まれた時から続く価値観の中で、しかも選択肢が少ない中で、その中で1番ましなものを選んでいたのです。

上映中の「ミステリと言う勿れ」で主人公が言う、
「こどもの心は柔らかいセメントのようなもので、そこに何かを落としたら、そのまま固まってしまう」的な言葉。

私の幼少期は、いびつな形の何かを落とされまくっていて、それらが時間の経過とともに固まり、思春期の頃にはいびつな価値観が出来上がっていました。
大人になって再構築しようにも、あちこちにいびつな形の穴だらけ。
それを、ひとつひとつ丁寧に埋めていく作業をすることで、やっと少しずつ自分を立て直していっている。

だけど穴が開いていたところに何を埋め込もうとも、かつてそこにあった形そのものは残っています。埋まっているだけで、色が違っているため、模様になっているのです。
それを眺めて、好きで刻んだ模様ではなく、誰かに押し付けられた模様であるのだけれど、それが自分の中にある以上、好きになろうと抱きしめて、必死に愛そうとその乾いたセメントの壁のゆがんだ模様を毎日撫でている。

そんな日々を送ってきた自分を、えらいって思います。

でもずっとこの環境から抜け出したいと思っていました。
望んだ人生を生きたい。
この監獄のような場所から抜けて、自由に空を飛びたいって。
あの頃は潜在意識は思っていればそうなってしまうもので、コントロールできるとは知らず。
だけどずっと願っていたので、いくつかの運命が重なって、潜在意識で自分の人生を変えた人たちが、わざわざ横浜から私に会いに来てくれて、マンツーマンで潜在意識のことを教えてくれました。
営業的なお仕事との関わりがあったので、彼女たちは仕事としてやっていた部分はあったでしょうし、私も潜在意識を生かして営業の仕事をしてほしいんだと言うこともわかっていました。

でもそれ以上にお互いに感じ取っていたのは、仕事を通してでも何でもいいから、とにかく自分で自分の人生を幸せに作り上げていくんだと言う思いでした。
あなたにしあわせになってほしいから教えるのという真剣な気持ちが伝わっていたので、私も素直に聞いたのです。
そして私は自分で人生を切り開くツールを手に入れてコツコツと人生を変えていきました。

それは人生が最悪の状態じゃなければ、手に入れようとは思わなかった力です。
だからすべての経験は自分にとって必要なことだったと思っているので、一つ一つの出来事を検証すれば、そりゃ悲惨だよねとなりますが、納得しているのです。

ですが離婚してすぐの頃、まだ納得していなかったため、人の言葉にちょいちょい傷ついていました。
あの頃、私は本当にどん底の状態にあり、とても辛くて悲しくて傷ついていました。
そんな私を慰めてくれる人がいても、その傷をさらに笑いながらえぐってくる人間がいるとは思っていなかったのです。
面白いことにそれは友達でもなく、他人でもない、ちょっとした知り合いの人たちでした。

彼女たちは好奇心丸出しで、なぜ離婚したのかについて聞いてきたし、私も簡単に答えてしまっていました。
あの頃は、母と元夫から、聞かれたことには絶対正直に答えるよう洗脳されていた部分もあり、何でもかんでも聞かれた素直に言ってしまうところがあったのです。

その人達の多くは結婚していました。
不思議とほとんどが専業主婦だったことがちょっと不思議だなぁとその時は思っていました。
いわゆるママ友たちでした。
ママ友と名前がついている通り、子供たちがクラスメートだったため、お茶会などが開かれてしまい、それぞれの母親同士が友達と言うよりは、子供たちのために集まりに行かなくてはいけない場と言うイメージでした。

そこに行き、何かの弾みで誰かが簡単な夫の愚痴を言うのです。
でもそれは本当の愚痴ではなくて、なんていうか社交辞令的な愚痴です。

そんな話の流れから、いつの間にか、
結婚って結局、人を見る目が重要だ。
いい相手を見つけて、結婚にもっていけるかどうかが女の力量だ。
離婚するような人たちは、男を見る目がないし、計算もできない頭の悪い人たちなのだから、自業自得なところはあるのだ。
その上シングルマザーで貧乏になり、子供たちに苦労させるなんて、ぞっとする。
そんな風にならなくて、あーよかった。
私たち、ほんと、よかったわね。

なんだかそういう話題になるのです。

そして誰かがふと気がついたように、
あなたは違うのよ、ほら、あなた、自分で自立してるし、あなたのような人たちは離婚しても大丈夫。
私たちが言っているのはそういう人たちじゃないの。
と笑顔で言ってくるのです。

うん、ありがとうございます。にっこり。ですよね。

最初はそういう言葉に傷つき、家に帰って泣いたりもしました。

でも自分のやってきた事を肯定できるようになり、自分の人生がとても愛しいと思えるようになった頃から、えぐる言葉を言っている人たちの奥にある心理は何だろうかとか、この人たちも何かしら辛い思いがあって、こんな感じで憂さ晴らししてるんだろうかなどと考える余裕ができました。

そして、シングルマザーあるあるで、結構私だけではなくて、こういった心ない言葉に傷つけられているシングルマザーが多いことを知りました。

だから本当によかった。
離婚に至るまで様々な辛い思いをして、それでも離婚を選ぶほうがましと思える環境におかれて選択したけれど、そのために子供たちにまで苦労をかけていることで、ずっと自分を責め続けている女性に対して、あー自分はそんなことにならなくてよかった。なんて言ってのける人間に、一歩間違えればなっていたかもしれない。
だから、人の悲しみや弱さをこうして身をもって知っていること。
それが何より宝だと思っています。

だって、わたしはそんな悲しい思いをしているシングルマザーにはっきり言えるんです。

わかります!
だってわたしも全く同じ気持ちだったから!と。

もちろんすべての専業主婦や女性がそうだとは全く思っていません。
ママ友のお茶会の中で、そういったことを率先して話す人はいつも決まっていましたし、あの話を聞いて一緒に笑っていた人たちが、みんな同意していたとは私も思いません。

自分はシングルマザーではないけれど、シングルマザーがそばにいる環境で、シングルマザーを貶めるようなことを言って、あーやだやだよかったわねなどと言っていることに不快感を抱いている人だっていたのではと思います。

どちらにしても、誰かを平気で傷つける言葉を投げかける人間はごく一部です。
でも自分が傷ついている時、そして自分が自分をそうやって責めているときは、そんな言葉を拾ってしまうものです。

だからそういった人たちを責めたり憎んだりするとか、会わないいようにするのではなく、自分の人生をもっともっといとおしいと思えるように、これから先がもっと輝いていられるように、そこにすべての神経を注ぐべきだなと。
それに、子供たちは子供たちでそれが運命なのです。
私は子供たち全員のホロスコープを出して、それぞれに親が離婚してしまうみたいな星を持っていることを知ったとき、彼らもまたそういう人生を選んできたのだと思いました。

自分が与えられた環境で最善を尽くすこと。
そして自分の手で自分の人生をより良くしていくこと。
私はきっとこれからもそのことに一生懸命頑張ってきたいなーって思っています。

それからシングルマザーで何か辛いことがある人は、私に相談してください。
めっちゃハッピーな気持ちになるような言葉を送り返しますから。(笑)
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