Lotustyle trust yourself

〜内にあるエネルギーを解放して自分の道を進んでいこう〜

なにも考えない 2

2009年04月01日 | Weblog
ボク自身、はっきりと確認できてはないのですが、
その頃のボクが一人目のインナーチャイルドとして存在してます。

膝を抱えて(うつむき加減だったかな)座っていて、
何度か声をかけてあげるとケタケタと嬉しそうに笑っていたそうです。

インナーチャイルドのことを聞かせてもらった日に、
ちょうどその歳頃のほっそい男のコの夢を見たのははっきり覚えています。

花火大会のドォーンという音が聞こえてきたのでベランダに出るけど、
何かが邪魔して肝心の花火が見れない。
すごく見たいのに、
とても楽しみにしてたのに、
音だけしか聴こえない。

ボクにおぶさった男のコから大きな落胆が伝わってきました。
いつか、絶対見に行こうね!
必ず行こうね!って、
後ろからまわってくる腕に頬ずりをしたのです。

その日から、インナーチャイルドの癒しがスタートします。
その話はまた別の機会に。


さて。

そうですねぇ、
どうも“考える”ようになった原因は学校のそれだけとは限らないようです。

両親にはとても感謝してます。
今となっては、かなり本当の気持ちを伝える事が出来るようになりました。

母は、自分の子供と言えど愛情をかけることが出来なかった、
イヤだったと言います。

父は、プロボ-ラーという職業上、
大会を転々とするのでほぼ家にはいませんでした。
知識として父親と理解してはいても、
たまに帰ってくるその人を「おじさんが来た」という感覚です。

そのうえ二人とも、優しくありません。

小ちゃい頃、たまに家にいる父にキャッチボールを無理強いされます。

ところが、
“ほぅら○○、投げるぞぉ、しっかり受け取るんだぞ♪”
なんてもんじゃなく、
柔道とボーリングで鍛えた太い腕からの全力投球です。

もやしのような貧弱な子供が怯えるのは言うまでもありません。

突き指しようが手の平が痛かろうが必死で受けました。
“負けてたまるか”と
“このボールを受けてあげなきゃいけないんだ”の思いで。

また父の友人は取り締まる方と取り締まられる方の方が多く、
そのどちらからも一番質の悪い人物とされていました。
どれだけ厳つく言葉も荒々しいか想像してください。
はい、そんな感じです。


我が家にはアットホーム的なやさしさはありません。
みんな大好きで仲がいい家族愛もほとんどなかったでしょう。

それでも人として大事な多くの事を学ぶことができました。
あのキャッチボールがなかったら、
いつまで経ってもボクは芯のない人間だったでしょう。
“仁義”が近くになかったら、
礼を尽くすこともなかったかもしれません。

なによりも、
自分が死ぬかもしれないというのに、
命をかけて生んでくれた母には最大級の感謝を贈っても足りません。
(結果的には死産でボクが死んだんですけどね)

でも、広く一般的な親の愛には乏しく、
愛が欲しかったゆえ、先回りしたり、顔を伺うようになってたのです。

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