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犬達のSOS☆Merry☆Christmasインドのカルカッタで故マザーテレサが亡くなられる二年前、ミーママの左頬を孤児にするよう撫でて伝えて下さった言葉2012年12月25日10:00
【純情であれ、しかし、愛の心のない卑怯な策士(自分が有利なよう策略して立ち回る人)と戦う時は、賢くなれ!(ミーママ談)】
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モーばあちゃん&姫ちゃんサンタより☆Merry☆Christmas
。☆°。☆。°どんな時も泣いてはいけない(*^_^*)°。泣く人を見て誰もハッピーにならない
いつも笑顔でいなさい。°そうスマイル(*^_^*)笑顔の人を見るとみんながハッピーになるから°☆☆。°
私が、少女から大人に変わる頃、インドの不思議な音楽や古典舞踊に魅せられ、度々当時のインドに通っていました。
特に顔が綺麗な子供たちが、腕や足を順番に乞食の親方に切られ、車輪の付いた板に両足が無いまま乗ったり、腕が無いまま歩いてきて「パイサマネー」とか「ギブミーマネーギブミー」と後を付いてきていました。
食べ物やお金をあげると「モールマネー」とまた付いてくるのです。
今はインドの裏通りにもゴミの収集車が来ますが、当時、一般の人々が住む裏通りにはゴミの山があちこちあり、手足を切る親方に捕まってなく、ちゃんと手足があり破れかぶれの服を着た子供たちが、ゴミの山をあさり、ゴミの山の中で髪が真っ白になりながら寝ていました。
「(^O^)アニタ〜、スニタ〜」と乞食の子供たちのボスと二番手の女の子の名前を呼ぶと、「(^O^)(^O^)(^O^)ディディ〜!ミーお姉ちゃん」と汚れだらけの身体で走ってきていました。
その子達が、12才くらいになると娼婦にさせられる事を知り、気になり会いに行くようにもなっていました。
ギブミーマネーだけは何ヵ国語で喋れるその子供を連れて、ある日、外国人がたくさん通る道に行きました。
通りのお店から大音響で流れるインド映画音楽をバックに私はしばらく踊りました。
イギリス人らしい男性達や人々が立ち止まり、拍手してコインやお金を次々に私にくれました。
子供たちは大喜びをして「ディディすご〜い(^O^)」と集まってきて私と一緒に踊りました。
わかる限りの言葉と、身ぶり手振りで「何もしないで働かないで、お金をちょうだいと言ったらダメよ(*^_^*)歌って踊ってお金をもらいなさい。そうすれば、あなたたちは乞食ではないから」
しかし、何度もホテルの人やインドの友人たちには、乞食の子供と手をつないだり、身分のあまりに低い人と話すと、ミーが危険。ミーまで身分が低いと見られ差別されます。
と注意をされました。
ある高級ホテルに泊まっていた時、普段はタクシーで帰っていたのに、ボロボロの自転車に乗ったヨロヨロした骨と皮のリクシャーマンを見つけ、せっかくお金を払うのなら、この人にと思い(^O^)乗りました。
その人がヨロヨロ倒れそうに自転車を必死にこぎながら「これ以上は、自分は身分が低いからここからは行けない」風に言われたのを「私はジャパニだからOk!Go(^O^)」と長い塀で囲まれたホテルの門の前でリクシャーを降りました。
兵隊さんの格好をしたような門番にいつものように「ナマステ〜」と声をかけると門番のおじさんの顔がひきつり、いつものように「お帰りなさい(^_^)v」とドアを開けてくれず、ホテルの正面ドアまで荷物を持ってくれません。
「なるほど…高級ホテルの客はそれらしくタクシーで帰りなさいってことなのね…
身分の低い人に笑いかけたり、接すると身分が低く思われるっていう意味なのね…。
バラナシヒンドゥー大学の態度がデカくて、身分の低い人をバカにする外車三台教授も「(-_-;)ミー止めてくれ、君と歩くと町中の人力車マンや物売りが(^o^)/ミー、ナマステ〜と声をかけてくる〜!身分の低い者に手を振ったり喋りかけないでくれ!この私までバカにされる」と言われ
「あなたは、きどって威張るだけで最低教授よ!」
と喧嘩をしたことがあったけど…ひどいボロボロの自転車に破れかぶれの荷台に、破れかぶれの服を着た人力車のおじちゃんに乗せてもらって、ホテルまで帰ったから態度が豹変したのね。
いいわ。明日の朝チェックアウトして、小さな中級ホテルを探して移ろう♪荷物を整理しなくっちゃ(^O^)いろんな所に泊まらなくっちゃ」
更に当時のインドには裏通りでもなく、女性が入り込むにはあまりにも危険なエリアがあり、低カースト(身分がいくつかに別れ身分により職業が決まり、生まれながらに乞食しかできない身分もあり、さらには物乞すら許されない、人間扱いをされない身分がありました)の人達が牛の糞で塗り固めて作ったような悪臭の小屋が並び、無教養でほとんど裸で暮らす地区があり、昼間にエリアに入り込んだ私はほぼ裸の男性たちに追いかけられ「(>_身体を鍛えて足も早くて良かった〜(^-^ゞさて、走りすぎてお腹が空いたかも(^O^)
ムンバイ(ボンベイ)にはネパール等から、住み込みで仕事がある、と騙され連れてこられた少女達が娼婦にさせられ、エイズ等で死んでいた娼婦街があり、警察が保護依頼で踏み込んだ時にはすでに、別の娼婦宿に売られていたり、小型カメラを持った地元の有力者に付いて夜潜入したこともありました。
あの頃は私も無鉄砲でよく無事でいられたな。と思います。
冬もハイビスカスのつぼみができ続けるミーママ家の屋上
世界がグローバル化してインドも、目覚ましく経済成長して(相変わらずゴミだらけ、ほこりだらけですが(笑))乞食の子供たちの数は30分の1くらいに減り、今は自分自身のおでこを叩きながら泣きながら付いてきたり、必死で車輪の付いた板に両足が切られた身体で乗り、付いてくる子供はいなくなりました。
ある時、首都デリーの町から手足が切られた乞食の子供たちが一斉に消えました。
インド各地で起こったことです。
私は手足を切られた子供たちの行方を聞いて回りました。
普段おしゃべりなインド人達が消えた子供たちに関しては、とても口が固くなりました。
そしてこれからインドは変わるんだ。としか言いません。
当時、世界各国から融資や援助を受けていたインドには、度々各国から大使や大臣たちの訪問があり町を見て回っていました。
インド政府としては、手足を切られて物乞いをさせられている子供たちの存在を、外国の大臣や大使達に見られたくなかったようです…。
やっと聞き出せたのは政府のトラックが来て、子供たちを荷台に乗せどこかへ連れていった。事だけ…。
更に無理矢理聞くと、施設に預けられたと言うインド人もいたし、砂漠に捨てられた、もう死んでいるだろう…。というインド人もいました。
寒空の中咲き続ける熱帯地方の赤いブーゲンビリア
そんな時、マザーテレサが何度も入退院を繰り返していると知りました。
入院をしないといけないのに「私に使う治療費や入院代があるのなら、子供たちのミルク代に使ってください。私の生き死には神様が決める」と言われ入院先を出てカルカッタのマザーハウスに戻られた。と知りました。
私は、クリスチャンでも何でもありませんが、それなら私がマザーの入院代の一部を持っていこう(^O^)
それに手足が切られた子供たちを探さないといけない。
と、またカルカッタに飛びました。
朝の礼拝は誰でも入れ、後でパンやチャーイを頂けますが、部外者禁止の午後の礼拝時に行ってしまった私はその時、初めてマザーテレサにお会いしました。
礼拝入り口の廊下で座って見るなら(^_^)vと許可を頂きました。
礼拝が終わり、たくさんのシスター達が出てこられ最後に、車椅子を押すシスターと車椅子に座られた、身体の小さなマザーテレサが出てこられました。
マザーは廊下に座る私を見て、手招きされ呼んでくださいました。
私は何故しら、涙が出て止まらなくなりました。
その時、マザーは孤児に祝福される時のように、私の左ほほをシワだらけの大きな手で撫でて下さりDont Cry泣いてはダメと優しく言われました。
記事冒頭の言葉は故マザーテレサから頂いた言葉です。
マザーテレサの孤児院にも、手足を切られた子供たちは収容されていませんでしたが、あれから私はずっとマザーテレサとの約束を守っています。
どんな悲しい時も泣かないで笑顔で(*^_^*) いつも笑顔に愛を。°☆。☆°☆。それが私からみんなへ伝わるように☆。☆°。☆ ミーママより
キラキラクリスマスツリーの前でMerry Christmas猫ちゃんママ家のマルル