きょうは調子悪いけど、低気圧かな。
また変な時間に目がさめて、二度寝したらぎりぎり。
あんまり食欲もないし。
ゆうべは録画してた落語を見て、わりと早く寝たのに。
文枝さんの「ロンググッドバイ-言葉は虹の彼方に-」
こないだ見たのは、お葬式に流す音楽のネタで、
こんど見たのは、認知症の話。
しかも、どっちもちょっと悲しい終わり方で、
文枝さんだいじょうぶかなあってちょっと心配になるし、
寝るまえに見るにはさびしい噺だった。
いま、読んでる本は、
読みづらいけどおもしろい本と、
さくさく読めるけどちょっとノリきれない本。
さくさく読めたのは簡単に読み終えた、
「女のいない男たち」
短編集なんだけど、長編小説のあらすじだったり、
序盤を読んでるようなのが多かった感じ。
前に書かれた長編の変奏曲みたいなのもあれば、
この中からいずれ形を変えて長編になるものがあるのかなっていうような。
この方の短編集ってこんな感じよね。
クレームがついたとかいう話があったけど、
あえて町名を出す必要がある部分とも思えないので、
「卵」の側に立つ人とすれば、ちょっとふしぎな気はする。
批判されることを覚悟の上ならば、
表現の自由はどこまでも認められるべきだと思うけれど、
この場合だと、別にそれほど意味があるわけでもなかったんだろうし。
あんまり関係ないけれど、
最近「寛容」って言葉をよく聞く気がする。
たいてい「寛容」な人たちが「不寛容」だとされる人たちに求めている感じ。
でも「寛容」って価値観が近くないと通じないように思える。
理不尽な要求をされてもがまんしてニコニコ聞いてくれる人にたいして、
これは自分の立場が正しいからとか、
自分のほうが力が強いからとか勝手に解釈して、
相手は自分におそれいって言うことを聞くんだなと、
考えてしまう人もいるわけだし。
一歩引けば二歩押してくるような人に、
「お互いさま」っていう言葉は通じないし、
いちど無理を聞いてしまえば、
次からは無理を聞くのが当たり前になったりする。
自分たちはおさえてがまんしているのに、
相手は好き放題というのでは、我慢の限度はいつかやってくる。
アメリカで移民について対立が続いているみたいだけれど、
そもそも移民と不法移民では話は違うんだろうし、
受け入れる側の都市部の人と地方の人とでさえ価値観も違う。
同じ「移民」でも、アーティスティックな場所にいる人や、
大学に留学に来ているようないわゆる「知識人」と呼ばれるような人と、
ただ労働目的でお金を稼ぐ目的のためだけに来ている人との間で、
異文化に触れる覚悟が同じだとも思えない。
「郷に入れば郷に従う」つもりがなければ軋轢が生まれるのは当然のことで、
都市部のリベラルな多文化共生は、
地方ではリアルな多文化強制になっているのかもしれない。
いま新聞でアメリカの地方メディアの現実みたいな連載をやってるけど、
そういうズレがきちんと把握できてなくて、
アメリカの人たちが同じものを見ているつもりで、
実は地方ごとにまったく違うものを見ているのだとしたら、
話がかみ合わないのもあたりまえだし、
対立はこれからもずっと続いてしまうのかなと思う。