写真が残ってるので、
してもらってるんだろうけど、
まったく記憶がない。
もうしわけないなあと思う。
住吉大社に行ったような気がする。
千歳飴を食べたような気もする。
でも、それはいとこの七五三なのかもしれないし。
むかしからとにかく、
非・日常がすごくにがてだったから、
記憶を消去してしまってるのかとも思うけど、
いやなことほど覚えてそうなもんだし。
親孝行しないとなあ。
読書の秋、だけど、
思ったほど本を読めていない。
古本屋さんでもコンスタントに買ってるけど、
図書館で借りた本を優先して読まないといけないから、
家に増えていく本と、
読めた本の量がまったくつりあわなくなっている。
それでも、時間が空いたら、
古本屋さんに行きたくなるし、
行ったら手ぶらでは出てこない。
で、自分でも困ったなあと思うけれど、
ブックガイドみたいなものがけっこう好きで、
そういうのを買ってぱらぱらとめくるだけで、
読みたい本がまた増えて、
読めない本がまた家に増える。
いま読んでいるのは、
「村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事」
あんまりいないんじゃないかと思うけど、
村上春樹さんの本を初めて読んだのは、
「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」
「ノルウェイの森」というタイトルだけをなんとなく知ってたくらい。
いまでもそうだけど、ベストセラーはとりあえず読まないほうなので、
ぜんぜん知らなかった。
で、その本を手に取って読んでみて、
それからちょっと興味が出て、
古本屋さんで「風の歌を聴け」買って読み始めたんだった。
そういえば新品を買ったのは「フィッツ~」だけかも。
そこからは、エッセイでも対談でも、
村上さんのものならなんでも読みたかったから、
翻訳のものも、もちろん読んだ。
レイモンド・カーヴァーも手にはいるかぎり読んだし、
アーヴィングも何冊かは買ってみた。
でも、ある時期からついていけなくなって、
村上さん自体と離れていった感じ。
初期のころのものは、
現実とうまく距離を取って独自の世界に入って行く感じがして、
そういうところが好きだったんだけど、
最近のものは、現実との距離がなんか近くなりすぎて、
逆にリアリティが薄まっている感じ。
ほかの創作者の方たちが村上さんに近づいたってこともあるのかもしれないけど、
そういうもののほうが、主人公に対する障壁の作り方に、
リアリティがあったりするし。
でも、この本を読んだら、
またいろいろ読みたくなってしまった。
まあ、本の内容が変わるわけではないから、
ちょっとおなかいっぱいだったサリンジャーはいいとして、
チャンドラーは村上さんの訳でもう一回読んでみたいな。
あと、セロニアス・モンクの話が出てきて、
原尞さんのことを思い出した。