しびれる
2016-01-23 | 日記
家族が見てたTVから、
ヒカルゲンジとイナガキ、がどうこうって聞こえてきて、
なにいまの、って聞いたら相撲の取り組みだった。
今の今だから、なんか新たな展開でもあったのかと思った。
ヒカルゲンジってすごいしこ名。
光源治という方らしい。
そういえば、ビーズアクセサリーで有名だった、
北桜さんの式秀部屋にも宇瑠虎さんとかさんとかいたっけ。
フルネームは桃智桜五郎丸さんらしい。
琴奨菊さん、ニュースになったとたんに負けちゃって、
あーあって思ってたら、きょうは勝ってまた単独トップらしい。
稀勢の里さんも今まで悔しかっただろうけど、勝ってよかった。
今日の昼は冷凍うどんでカレーうどん。
あと、おそうざいのミンチカツとごはんをちょっと。
冷凍うどんってなんかもたれる気がするんだけど、気のせいかな。
よくおなべに入れる鍋亭っていう鍋用うどんだと、
いっぱい食べてもなんともないのに。
小学校の給食で出てたようなちょっと太くてかたい麺。
イラン戦は見ないって決めてたんだけど、
やっぱり気になるのでときどき見てた。
何回見ても、0-0のまま。
延長になってやっと1-0。
1-0はそれはそれでこわいなあと思って、
また違うのを見てたら、次は3-0。
なにがなんだかよくわからなかったけど、
そこからは最後までやっと落ちついて見られた。
内容について苦言もあるみたいだけど、
もうとにかく勝たないと意味ないんだから、
そこは目をつぶってあげればいいと思う。
勝つことがむずかしいのは当然だけど、
負けないことも同じくらい難しいんだし。
手倉森監督「しびれる」って流行らそうとしてたりして。
わりとひんぱんに使っておられる感じ。
100分de名著、やっと見た。
真の人間としての可能性を思い出させる教育、と。
セキセイインコを飼ってたときのことを思い出した。
最初、なつかなくても、
ヒナのうちに手乗りとして育てられたインコは飼っているうちに、
人間のことを思い出しはじめるような気がした。
でも、手乗りとして育てられてないインコは、
いつまでたっても鳥のままで最後まで鳥だった。
いま、フランスが「自由」をめぐって揺れているって話をよく聞く。
でも、もともとのフランス人の人たちが大事にしてきた「自由」は、
文化も歴史も共有していない移民の人たちと共有されているものなのかな。
彼らには彼らの思う「自由」があるのではないのかな。
「真の人間」という価値観がすべての人に共有されてるかどうか、
自分にはよくわからない。
明治以前の生まれながらに備わっているものがあったとしたら、
それは小さいときからしつけられた倫理観であったりそういうものな気がする。
伊集院さん、帯のラジオをやるみたいだけど、
政治的にとか倫理的にとかそういう意味で
「正しい」コメントを言うような人にはならないでほしいなと思う。
さびしがり屋の人がギターを弾いているーみたいな歌がむかしあったけど、
深夜のラジオってそういうさびしがり屋の人たちが、
同じラジオを聞いているってことでつながってるっていうイメージ。
朝とか昼のワイド番組を聞いている人たちとは、
またちょっと違う気がするんだけどな。
「おじゃる丸」は公ちゃんの話。
あと、ヒマワリの種をあげると空が飛べる花にして返してくれるとか、
先回りして帰りは送ってくれるとかいう、ツッキーのふしぎな力。
この話だけ見てついていける人がいたらすごいと思ったし、
なんかこの再放送のシリーズ自体、
きびしいコースをついてきてるなあと思ったけど、
思い返せば、そもそもおじゃる丸ってだいたいそんな感じよね。
自分も最初見たときぜんぜん意味わからなくて、
おもしろいなあと思えるまでけっこうかかったし。
エンディングの声優さんがおじゃる丸だけで、
おじゃるしゃべってないのに、と思ったらタイトル読んでたのか。
じゃあ、公ちゃんのポキュポキュってなんなんだろう。