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家族同意の子どもからの脳死・臓器移植はやっぱり許されない

2012-06-15 | 脳死臓器移植問題

 ついに家族同意による6歳未満の子どもの脳死判定と臓器移植がされてしまいました。国内ではじめてのことです。

  この男児は、低酸素脳症で入院し、富山大病院で13日から14日にかけて脳死判定がなされ、15日に臓器の摘出が行われると言います。それは心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓、腎臓、小腸、眼球に及びます。

 男児は当然書面などで提供の意思表示をしてませんでしたが、日本臓器移植ネットワークが、「男児が生前に臓器提供を拒否していなかったことを、家族の証言や健康保険証の記載などで確認」したと報じられています。

  両親は「息子が誰かの身体の一部になって長く生きてくれるのではないか。このようなことを成し遂げる息子を誇りに思う」とのコメントを出しています。

 詳しい経緯なども報道されておらず、ご両親の決断や気持ちについても言うべきではありませんが、やはり「男児の生前の意思表示」についてや、「誇りに思う」などの報道に違和感を感じざるを得ません。

 男児について、十分に治療は尽くされたのか、人工呼吸器をつけて生きていくという選択はなかったのか、そうして回復する可能性はなかったのか、子どもは本当に意識がなかったのか、反応や意思表示ができないだけで心の中で「僕はまだ生きているよ、臓器をとらないで」と叫んでいたのではないか等々と考えざるをえません。

 そして「長期脳死」でありながら人工呼吸器を付けたまま成長している子どもを育てる親たちに対して、「子どもの臓器を提供して役に立て」「誇れるようにしろ」と言われているようで穏やかではありません。「長期脳死」の子どもたちは、意思表示ができないだけで、心も身体も知能もちゃんと育っているのです。

※人間の脳が求めている脳低温療法の新たな進化(林成之)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjaam/21/5/21_5_207/_pdf

 いかなる形で生きていようと、家族にとってかけがえのない命であり、それは理屈ではありません。ひとりひとりの生きる尊厳を奪うことにつながります。

 今回の報道を観て、こんなことがあってはならない、家族同意の脳死・臓器移植はやってはならない、特に6歳未満の子どもに強いてはならないと強く思います。

※6歳未満 臓器提供へ 家族承諾、初の脳死判定 富山大病院(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012061502000115.html
※脳死判定:6歳未満で初 家族同意で臓器提供へ(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20120615k0000m040001000c.html
※6歳未満初の脳死判定…15日に臓器摘出手術へ(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120614-OYT1T00926.htm?from=navr
※15日摘出手術、移植へ 「息子誇りに思う」(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120614/tym12061420450002-n1.htm

(ハンマー)


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8 コメント

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まさに私もそう言いたかった (枯山水)
2012-06-15 23:35:37
子を持つ親として、両親コメントと発表されている内容には、違和感をおぼえます。
脳死判定された男児は「何も成し遂げていない」んです。

生前に意思を聞かれたこともあったのか疑問です。幼児に「脳死」「移植」の説明をする親がいるでしょうか?

移植に成功して、自分の子の体の一部が、どこかで生きていると夢想できたら気が楽になれるかもしれません。
しかし、報道されているように、移植を受けた側の子の成長ぶりを伝えて、ご両親の励みにするという案には疑問です。
ご遺族の心は晴れるでしょうか?

自分の子はこの世にいないのに、移植を受けた子はどんどん元気になっていると聞いて、黒い気持ちに襲われないでしょうか?

移植を受けないと助からない命もあると聞きますが「それもその子の運命」と思えないでしょうか?
脳死判定された子とご家族に「残された可能性をもぎとってまで」優先的に助けられるべき命か、本当に疑問です。
この両者は平等で、どちらも最善の治療を受ける権利があると、私には思えます。
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Unknown (ハンマー)
2012-06-16 11:27:11
枯山水さん

コメントありがとうございます。

「何も成し遂げていない」、本当にそう思います。
 亡くなった子どもは、小さい身体で一生懸命生きた、それ以上でもそれ以下でもないです。死ぬのは避けられなかったとしても、最後の瞬間まで大切な思い出を作ってほしかったと思います。

 私も6歳の子どもがいますが、親が「おまえ、脳死になったら切り刻んで心臓とか眼とか誰かにやってもええか?」なんて聞くはずがないし、子どもが生前に意思表示することなんかあり得ないです。

 ご両親は追い込まれての苦渋の選択だったかとも思いますが、美談にされてしまわないようにと思います。
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Unknown (よし)
2012-06-16 12:14:58
はじめまして。
突然のコメントで失礼いたします。
お二人のご意見を読ませていただきました。
私は、賛否両論、どの意見も個人の自由であり尊重すべきものと思ってます。

そのうえで純粋な質問です。
ご自身や家族が臓器移植を必要とする体になってもその考えは変わりませんか。
家族を残し、先に逝くかもしれないが、[それも運命]と受け入れられますか。
本当に純粋な質問です。
自分自身にも問いかけてます。
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人工臓器開発に力を注ぐべき (ヒデ)
2012-06-16 14:41:14
よしさんのコメント、真剣に考えていらっしゃることがよくわかります。
私は、他者の命に関わるかどうかというところで境界線があると考えています。自分、および自分の家族や、身近にいて大切に思っている人が、他者の命を左右するような形で生き延びる・延命するということは、許容できそうもありません。その場合は延命をあきらめて「それも運命」と受け入れるしかないと考える、今のところそういう考えです。
臓器移植については、私は人工臓器開発に力を注ぐべきだと思っています。それを促進するような政治と制度が必要だと思います。
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そう思うでしょう (老居子)
2012-06-16 16:17:50
実際にそのような境遇に身を置いてみないと、誰しも「そう思う」と断言できないでしょう。従って、「よし」さんの問い掛けは、そもそも回答困難な問い掛けと言えるかも知れません。だからと言って、「脳死問題について発言できない」とも言えません。重篤な患者を身近に持つ人の立場にも立つ努力を忘れずに、その上で、やはり「脳死移植」には賛成できないこと、未成年の「脳死移植」には絶対賛成できないと言いたいのです。「脳死移植でしか助からないから」という理由で、生きている人間を死に至らしめることが許されるのでしょうか。脳死者が増えることを待ち望む移植医療というのは、正常な医療なのでしょうか。「脳死」と言われる状態を生み出さないよう努力すること(例えば交通事故防止)、「脳死」といわれる状態から脱出するすべを追及し続けること(例えば低温療法その他の研究)こそ、人間の成すべきことではないでしょうか。{老居子}
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Unknown (ハンマー)
2012-06-21 16:19:34
 みなさんコメントありがとうございます。

 以前こんな話を聞きました。

 移植を受ける人も症状や適合性などで臓器が回ってくる順番があります。
 移植を望み「早くドナーが現れないか」と待ちわびるだけでなく、自分よりも優先順位の高い人がいなくなれば自分の順番が早くなるのに、と考えてしまうようになり、結局あらゆる意味で他人の死を願いながら生きているという自分自身の現実に愕然とし、移植を待つことをやめ、運命を受け入れるようにしたというような話でした。とてもつらいことだと思います。

 自分の子が移植でしか助からないとなったらどうするかという問題は、自分の子どもが殺されてもその犯人の死刑反対を言えるのかというのと同じくらい難しく、その時の思いというのは、その時になってからでないとわからないとしか言いようがありません。

 しかし現時点では、他人の死を前提としその臓器を奪って生きながらえるという移植医療は本当の医療ではないと思うし、そもそも「移植でしか助からない」という自分の子どもについては、生きられるだけ精一杯生きてほしいとその現実を受け入れると思います。
 低体温療法やバチスタ手術なども含め、以前は「脳死状態で助からない」「移植以外には無理」と言われていた患者を回復させる治療法が開発されています。
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虐待について思うこと (さやか)
2012-06-21 18:23:52
今回の件にかかわりなく、子どもの脳死臓器移植全般の問題と思って聞いてください。
子どもの症状が虐待の結果起こった症状でなかった上で脳死判定に持ち込まれるものです。しかし、短期間で虐待かどうか分かるものでしょうか?確かに疑いがあるかどうかは分かるケースもあると思います。しかし、今まで児童相談所などが虐待を見逃し、死亡に至ったケースはいくつもあります。
そういう虐待を見抜けない社会体制では虐待のせいで意識がない状況になったかどうかは判断できないのではないでしょうか。そういう意味でも私は脳死判定をすることに反対です。
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自発意思なら誇りに思う (濱田大輔)
2012-08-02 15:09:53
6月14日の深夜、つけっぱなしにしていたテレビからこのニュースが聞こえてきたとき、「誇りに思う」という通常の日本語にはない表現に朦朧としていた頭が一瞬緊張したものの、眠気が勝り、脳死移植を志願した子どもがいたのか・・と勝手に解釈して眠ってしまいました。ところが翌朝になって、この子どもが事前に脳死移植を承諾していたのではなかったことを知り、この親は、親が承諾した移植脳死を子どもの自発意思として神棚に祭り上げようとする奇妙な人か、同じような立場にある人に同調圧力をかていることに気がつかない日本語知らずだと思いました。「そっと見守ってほしい」のなら、このようなコメントなどすべきでもないと思います。実施といえども親のものではない。
 しかし、あえてこの親を庇うとすれば、脳死は臓器移植を前提とした死であり、自殺でも自然死でもない死、限りなく臓器移植法がなければ他殺だということです。その脳死を人の死とするのであれば、そもそも家族の承諾など不要とすべきでしょう。より大きな問題は、家族の承諾があれば死とできる人権を軽視した臓器移植法自体だとおもいます。死体からの臓器移植の承諾とは次元が違うものだと思います。
 わたしは、たとえ子どもであれその子の承諾があるのなら、臓器移植をおこなってもよいと思います。しかし人の死の決定は、人知による判断を超えたものだと思っています。
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