橋下徹大阪市長が言っている「脱原発」に期待しても良いんじゃないか。そんな声を聞くことがあります。橋下氏は「脱原発」を大阪府知事時代から発言していますが、その「脱原発」の中身を見てみると本当に「脱原発」を目指しているのか疑問に思います。
橋下氏は原発立地点の厳しさや住民の思いなどを無視して、原発問題を自らの国政進出と民主党政権批判のために利用しているだけです。橋下氏は8提言なるものを4月24日突然政府に提出しました。彼はそこで「国も関電も無視すればいい。次の総選挙で(国民に)判断してもらいたい」と発言しています。つまり“大飯原発を動かすのは政府の勝手、僕の関心は次の総選挙で争点にすること”でしかないのです。
また、“原発止めろというのなら厳しい節電と増税に耐えろ”と市民を恫喝するようなことを平気で言っています。汚染ガレキ受け入れで市民を被曝の危険にさらそうとしています。本当に市民の命と健康を守り、福島原発のような事故をおこさないためには、大飯原発の再稼働をなんとしても阻止し「原発全停止」の状態を維持するために全力をあげなければならないはずです。ところが橋下氏にとっては、原発問題は将来を見越した単なる選挙対策の一課題、パフォーマンスでしかありません。全く許し難いことです。
以下、橋下氏が原発問題に対して府知事時代からとってきたデタラメで、府民・市民を愚弄した、その場限りの対応を見てみたいと思います。
3.11福島原発事故の直後には、菅首相(当時)は浜岡原発の停止要請をしましたが、橋下氏は敦賀3・4号機の増設はなし、美浜1号機の後継機はなしと言うくらいで、運転している原発を危険だからまず止めろとは言いませんでした。
関西電力は、昨年4月26日の市民との交渉で「津波がきて設備がこわれることは我々は覚悟している」と述べました。実際に、福井県にある関西電力の原発は、津波の想定がわずか2メートルです。このような想定で、関西電力の原発は設計・設置されています。これでどうやって巨大地震・津波に耐えられるといえるのでしょうか。
関西電力の原発は、巨大地震や大津波に耐えることはできません。昨年5月18日、大阪府に対して市民は、現在定期検査で止まっている原発の運転再開を認めず、また現在稼働している原発の運転停止を関西電力に求めてください、と要望しましたが、そのとき対応した政策企画部危機管理室の職員は頼りないものでした。関電の原発の津波想定が2メートル以下だということについては、「府としては判断基準がないため、それでいいかどうかは言えない」と繰り返すばかり。当時の橋下大阪府知事は「脱原発」を言っています、そのための具体的な指示はないのですか?と聞くと、そう言った指示は受けていない、というもので、橋下氏は本気で「脱原発」をやる気はない、橋下の発言は受けねらいだと思ったものです。
今もって、橋下氏の「脱原発」発言はパフォーマンスの域を出ません。現在は日本の原発がすべて止まっています。原発の再稼働を許さなければ、「脱原発」が実現するのです。ところが、橋下氏は原発再稼働阻止に向けた実効ある政策をしていないのです。
橋下大阪市長や松井大阪府知事は、大飯原発再稼働に慎重な判断を求める意見書を議会でとりまとめるようなことをしようとしません。すでに滋賀県や京都府、向日市などで議会採択されているのに、自治体として意見表明することを拒んでいるのです。
また、滋賀県知事のように原発立地点並の安全協定を関電に要求するようなこともやっていません。安全協定を結べば、関電の原発が再稼働することをストップできる権限を得るのにもかかわらずです。また、原発再稼働に反対した維新八策は、選挙向けとして当面の要求から外しました。
橋下氏は、大飯原発の再稼働に「反対」と口では言います。しかし、最近では夏の電力不足を持ち出して、再稼働の是非を市民の判断にゆだねる、と言うような逃げの発言に変わっています。
大飯原発で福島原発のような事故が起これば、放射性ヨウ素が大阪にまで飛んでくることは、大阪府が公表している滋賀県のシュミレーションで明らかになっています。ならば、再稼働前に各市にヨウ素剤の配布が必要なはずですが、大阪ではそのような計画もありませんし、計画しようともしていません。
また、橋下氏は放射性ガレキの受け入れを表明していますが、大阪の住民を今後長期にわたって、放射能の脅威にさらすものです。放射性セシウムはどれだけ放射能レベルが低くともガンなどの悪影響が出るとされています。放射性セシウムは燃やすと数百度でガス化しますし、水にも溶けます。大阪のどの清掃工場やゴミ処分場でも放射能への対応はできないのです。大阪の大気や水が放射能で汚染されようとしているのです。
「脱原発」の目的は、放射能の脅威から市民を守ることだと思います。ところが、橋下氏にそのような姿勢は見ることができません。どれほど橋下氏が「脱原発」の発言を繰り返してみても、市民を放射能から守る政策をしていないばかりか、その反対をしているとしか見えないのです。
(M)