先日、不意に買った詩集。
「谷川俊太郎選」添えられていただけで、買いたくなってしまったのだ。
そして実際に読んでみると、私の知らなかった詩がたくさん。
どこか重くて、気持ちが乗っていかないし、ぐっと入り込めない。
今の私の気分と、「それ」とが合っていないということなのかな。
茨木のり子さんは
少女から大人の女性に成長するもっとも初々しくまぶしいはずの頃を
戦争という時代の中で生き
陽にあたることもなく
過ぎていくしかなかったという悔しさを詩に滲ませている。
美しく着飾りたかったし、恋もしたいはずの
乙女たちの無念さが我がことのように迫ってくるのだ。
六月
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
・・・・・
六月ではないけれど
そういえばこんな詩があったとページをめくって思い出した。
~わたしが一番きれいだったとき~
その詩を途中まで打ち込んで消し
~六月~にした。
人と人が共感するもの
それはいつだって平和を願うこと
そこには怒りもある。
平和であろうとする
その均衡を保とうとすることは
きれいなことばかりを囁きあうだけではいられない
厳しさがあるのが本当のこと。