その小さな美術館の前は、閑静で、自然が映えて空も高く、雲も木々も絵を描く。
塀のこちら側と、向こう側。馴染み合い自然と作りだされた景色に、もうそこからその世界に入ることができる。
「没後40年 熊谷守一 お前百までわしゃいつまでも」2017年3月11日(土)~5月7日(日)香雪美術館
「熊谷守一展」へ行ってきた。
~明治から昭和にかけて97年の生涯を生きた画家・熊谷守一(明治13年ー昭和52年[1880-1977])。
おおらかで明快な画風はいまなお多くの人々に親しまれていますが、その生涯は決して穏やかなものではありません
でした。
父は実業家で初代岐阜市長などを務め、裕福な家庭ながら、異母兄弟らに囲まれて複雑な幼少期を過ごし
ます。明治33年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。藤島武二や黒田清輝の指導を受け、同級生に
は青木繁らがいました。明治42年、自画像『蝋燭(ろうそく)』文展に入選するも、父の死によって残された
負債を抱え、経済的に厳しい画家生活が始まります。42歳で結婚して5人の子供に恵まれますが、極端に
寡作なため生活は困窮を極め、子供が病に倒れても医者にみせることもままならず、うち3人は亡くなってしまいます。
深く長い悲しみの時間の中で、石ころや草花、猫や虫など、身近な自然の中の小さな命を輪郭線で捉え、線の中を
埋めていく作風に到達します。シンプルな線と明確な色彩面は、素朴で澄んだ眼差しがとらえた命の証ともいえるでしょう。~
(展覧会リーフレットより)
・・・・
「ローソク」1909年
「人物」1920年
~絵にも流行りがあって
その時の群集心理で流行りに合ったものはよく見えるらしいんですね
新しいものが出来るという点では認めるにしてもそのものの価値とは違う
やっぱり自分を出すより手はないのです
何故なら自分は生まれかわれない限り自分の中にいるのだから~ ※(「へたも絵のうち」 熊谷守一著)
「無一物 九十六才」
~人間誰でも、裸で生まれてくるんだから、無一物なんてことばはあたりまえですよね
無尽蔵という言葉は、そんなことあるもんかいと思っているので頼まれても書かないのです~
「人生似幻花」
「お国のために何もしたことが無いから」と理由を言い、文化勲章を辞退したことで話題になったとのこと。
~・~・~・
この絵、どこかで見たことがある。
そうすぐに反応してしまうくらいに親しみを感じる。
無駄を一切削ぎ落としたような究極にあるように、洗練というよりも朴訥として可笑しみがある。
告知で見たチラシで読んですぐに興味を持った。今日、実際に観た感想はというと
肉眼で見た本物は、本当に素晴らしいものだった。
もう本当に素晴らしくて、このチラシで見る、雑誌で見る、まったく追いつけない素晴らしさが本物にはあった。
以前、似たような衝撃を受けたことがあるけれど
数年前とある展覧会でルノワールの画の本物を観るまで、まったく興味が湧かなかったのに
本物を30センチ目前に見た時に、その印象がひっくり返ってしまった。
光輝く絵画を前に、感動したのだった。
いつも本物を目の前にすると、ふしぎな感覚に包まれる。
この絵を描いた人は、今ももう亡くなっていて
ずっとずっと前に描かれたものであるのに、生き生きとして伝わってくる。
その生き生きとしたものが
私自身が与えられたものとも取れるのだ。
~絵はそう難しく考えないで見たら
それで一番よくわかるんじゃないかと思います
絵は言葉と違いますから
言葉なんかになると
例えば青といわれたら青と言う言葉の範囲があるけれど
絵の場合はそのうちのどの青かということがあって
実際の青を描くんですから、そこで決定するんです~ ※(著書より)
「猫」1965年