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本来の「私」に目覚めるために・・・

愛とは ひとつであること
一なるもの 愛という源へと帰還するために私は分離という錯覚にとらわれた心を癒す旅に出た・・・

“さーど あい”さん と “おいら” との対話

2017-11-28 18:03:36 | 未分類

“サード アイ”さん と “さーど あい”さん と “さぁど 愛”さん とは?

おいら と “さーど あい”さん との対話  [ 妄想者の戯言 ]


おいら:「 ねぇ、ねぇ、さーどあい さん。 気になることがあるんだけど。」

さーどあい:「 なに?」

おいら:「以前に見た夢が、今になって、とっても気になるの。」

さーどあい:「どういう夢?」

おいら:「えーとね。イメージなんだけど、三角形状の光るものが、身体の真ん中を上下するの。」

さーどあい:「三角形は、トライアングル状ってことだよね。
それって、チャクラが、身体を上下してるのかもね。
カバラの教えによると、セフィロトの木は、3本の柱からなるらしいよ。何か関係があるのかもしれないね。」

おいら:「かばら? せふぃろーと?(゜▽ ゜)!?」

さーどあい:「カバラっていうのは、ヘブライ語で『口から耳へ受け取るもの』という意味で、『口伝』という風に解釈されてるね。言ってみれば、口伝による秘密の教え だね。
セフィロトの木は、旧約聖書の創世記に出てくる『生命の樹』として捉えられてるね。
『生命の樹』には、10個のセフィラーという『神性の放射』のポイントがあって、セフィロトというのは、その複数形で、『生命の樹』は、宇宙そのものを象徴しているんだって。だから この樹を知ることは、この領域のあらゆる神秘に通じるんだって。でも私は、あんまり詳しくないから、突っこんで聞かないでね。」

おいら:「誰が詳しいこと知ってるの?」

さーどあい:「サードアイさんは詳しく知ってると思うけど。。」

おいら:「サードアイさ~ん♪」

サードアイ:「私は、君の準備が整うまでは、許された時以外、現れるな と命じられている。」

おいら:「誰から? どうして?」

サードアイ:「至高者からだ。これ以上のことは、今は話すことはできない。
その“時”が来るまで、備えながら、指示を待ちなさい!
それまでは、さーどあい の言うことをよく聞くように。」

さーどあい:「・・・と いうことらしいよ。とにかく今は、今に専念しながら備えをせよ と。」

おいら:「・・・努力するけど、、(*・・*)ハゲミガホシイナァ・・・」

さーどあい:「・・・。 そういうことは、さぁど愛さん に言ってね。」

おいら:さぁど 愛 さぁ~ん♪

さぁど愛:「わたしも、あなたの準備が整うまで、あまり出て行かないように言われてるの。ごめんなさいね。」

おいら:「・・・。」

 

これらの 怪しい やり取りを聞いていて、


「この人 大丈夫か、、、」と心配している“” (^_^;)

固まってしまった“おいら” (゚ロ゚;)

遠い目になってしまった“ぼく” (゜▽ ゜)

 

 


以前私が書いたブログ「いろいろな私」(現在は削除)より



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お金さんへの手紙

2017-11-19 08:25:08 | 未分類

以前に、FBで投稿した記事なのですが、ブログにも載せておきます。


地球上のあらゆる苦悩を終わらせ、この星が、愛と光に溢れた平和な星となり、
幸せと喜びと豊かさを分かち合うために、できることから始めましょう。

豊かさを受け取るために、お金さんと和解します。

「私は、お金に対する間違った認識を改め、豊かさを感謝して受け取ります」

と宣言し、お金さんに手紙(メール)を書き、お金さんと和解したら、以前よりも
お金が回るようになりました。

因みに、私がお金さんに送った手紙(メール)です。
-------------------------------------------------------------------------------------------

お金さんへ

私は、お金を蔑んでいました。軽蔑していました。
お金に対して、とても失礼な態度を取っていました。
でも、それは間違っていると気付きました。
お金君、君と折り合いを付けたいと思います。
私の今のお金に対する認識は、蔑んでいるので、「きみ」となってしまいます。
改めます。お金さん、あなたは、良くも悪くもなく、交換のエネルギーです。
しかし、私は、お金を利用して、人を奴隷にする闇の者たちに対する態度を、
間違って、利用されているだけのお金さんに軽蔑する態度を取っていました。
間違っていた態度を改め、お金さん、謝罪します。申し訳ありませんでした。
しかし、その態度をも改めます。
人を奴隷にする闇の者たちも、ゆるして、手放します。
お金さん、私は、あなたのことを、めんどくさい存在だと思っていました。
私は、経済的な問題で悩みを抱え、病気になりました。
お金さんに対して健全な態度で接し、社会に貢献します。
お金さん、誤解していた私を、どうか許して下さい。
お金さんのことで、私はもう悩みたくないのです。
ですから、お金さん、もうあなたのことを拒絶しません。
私は、豊かさに値する存在です。
豊かさの証として、お金さんを感謝して受け取ります。
ありがとうございます。

----------------------------------------------------------------------------------------------

ご自分なりに、自由にアレンジして、是非試してみて下さい。
お金だけでなく、自分を制限するあらゆることと和解しましょう。

自分で選んだ環境設定です。
自分でプログラムしたのですから、自分で解除して、
望む現実を受け取るために、新しくプログラムし直し、
新しく、創造、クリエイトしていくことができます。

私たちは、愛、調和、平和、至福、歓喜、無限の豊かさを受け取るに値する存在です。

感謝して受け取りましょう


twitterはじめました。


さぁど 愛 さんに届きますように...



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新たな旅立ち

2017-11-05 16:44:44 | 未分類

今回の記事は、私の個人的なご報告です。


2007年12月1日に結婚し、今年で10年目を迎えましたが、

話し合いの末、それぞれの考え方や選択を尊重するということで、それぞれの道を歩むという結論に至りました。

今まで支えてくれた妻には、感謝しかありません。



ということで、以前の記事「結婚する理由」でお話しました

ここから先のお話、私の個人的なお話というのは、




それぞれの道を歩むことになりました... というお話でした。。




それぞれの魂は、落ち着くべきところに落ち着きます。

私自身にとって、大きな転機となります。

新しい出発です。

ブログに色々書いてきましたが、自分自身が全然分かっていなかったということが、よく分かりました。

ハイヤーセルフとの繋がりを強化するためのトリートメントボトルを飲んで、出直そうと思います。


こんな私ですが、今後も変わらずに、どうぞよろしくお願い申し上げます。

温かく見守っていただけましたら幸いです。

 




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ありし日を偲んで

2017-02-18 11:40:00 | 未分類

今回の記事は、私の個人的な体験です。

私の恩師について、書かせて頂きます。


高校時代、私はパスカルの「パンセ」を読み、「心情は理性の知らない心情自身の理由を持っている」

という言葉に深く魅了され、パスカリアンとなり、哲学を志すようになりました。

そして、哲学を学びたくて、大学は文学部の哲学科を志望するようになりました。

しかし、受験勉強に身が入らず(聖書の預言書の類を読み漁っていました。。。)、

結局2浪しても、志望の大学には入れませんでした。

センター試験に失敗し、家から通える国公立大学という経済的な理由で、学部学科を妥協して受験した大学が

東京水産大学でした(現在の東京海洋大学です。)

私は失意の思いで、大学に入学しました。
(さかなクン、ごめんなさい。みなさまもご存知の通り、さかなクンは現在、東京海洋大学客員准教授です。)

入学した当時、水産大学でも、一般教養の授業には哲学の講義はあるので、私は哲学の講義を期待していました。
入学してまもなく、真っ先に哲学の講義を選択し、授業に出てみました。
最初の講義が終わったとき、緊張しながら先生のところへ行き、勇気を持って私は、先生に次のように申し出てみました。

「私はこういう大学に来ましたが、本当は哲学を学びたかったのです。」

すると先生は「ほう、君みたいな変わり者もいるんだね」とおっしゃって下さり、先生は「哲学ゼミナールというものがあるから、君も参加するかい?」と誘って下さり、それから在学中ずっと参加させて頂くことになりました。

何がきっかけになるか分からないもので、2,3,4年次には、週に1度90分、マンツーマンで個人的にゼミナールをもって下さりました。

3年次には、先生が「私もギリシャ語の復習になるから」とおっしゃって下さり、ヨハネの福音書を原語のギリシャ語で、先生と一緒に読むことになりました。


えん あるけー  えん ほ ろごす・・・  ぱんたでぃ あうとぅ えげねっと あんとろーぽん



水産大学で、ギリシャ語を学んだのは、おそらく私だけだろうと思います。

そして、私が在籍中に、教授会で、担当の指導教官が居れば、卒業論文のテーマは、必ずしも水産学でなくてもよいということが許可され、東京水産大学という大学に籍を置きながら、実存哲学の論文を書いて、無事大学を卒業することができました。私は、先生がいらっしゃらなかったら、大学を卒業することはできませんでした。

そのようにして書いたのが、

パスカルのパンセにおける人間の不均衡概念について」という卒業論文でした。


私は結果的には、文学部の哲学科に身を置くよりも遥かに恵まれた環境で学ぶことができ、大変充実した意義のある大学生活を送ることができました。これもひとえに先生のお陰であります。

哲学に興味があるとはいえ、かなり片寄った私の思想を、先生は尊重して下さり、ゼミナールを通して、そのゼミでは先生との約束事といいますか、決め事で、

 「言葉にならない想いをなんとか言葉にしてみよう」

という作業を続けさせて頂いて、つたない私を長い目で見て下さり、忍耐強く 指導して下さいました。

本当に心から感謝しております。

先生は、ニーチェハイデッガーなど、ドイツの実存哲学が先生のご専門でした。

「哲学」、「倫理学」、「科学史論」、「現代思想論」などの講義を担当されていた先生は、通常の哲学の講義だけでは飽き足らない学生を集め、哲学ゼミナールを開いておられました。左右の別なく、思想信条で区別せずに議論に引き込んで行き、矛盾・対立する事象、立場を統合統一し、より高次な段階へと導くヘーゲル弁証法のアウフヘーベン(止揚)を、先生御自身が学生に実践されていらっしゃいました。先生のお人柄は、多くの学生に慕われました。お正月には、先生のご自宅に招いて下さり、卒業後も、赤坂の溜池のドイツ風ビヤホールに連れて行って下さったりと、大変良くして下さり、とても可愛がって頂きました。

先生と最後にお会いしたのは、2003年の夏でした。

先生とお会いし、お礼のメールを差し上げて、先生からのお返事のメールの中で、

 『貴兄のことはいつでも気に掛かっているのです。やはりなるべく早く「落ち着いて」欲しいと願っては居ます。貴兄の「しぶとさ」には信頼していますが。』

という先生の有り難い、温かいお言葉を頂き、大変恐縮し、今でも深く感謝しております。


2004年4月2日、先生は、多臓器不全により逝去されました。享年67歳でした。

先生のご葬儀の際、喪主であられた奥様の長谷川三千子先生は、喪主のご挨拶の中で、次のようにおっしゃっておられました。

 「自分(先生)が亡くなった場合は、“断崖絶壁の崖”のような人だったと言って欲しい」

葬儀に出席した私は、この「言葉」が特に印象に残っています。

先生の亡くなった1年後、先生の追悼会が行われ、私も出席させて頂きました。
私が、スピリチュアル・エマージェンシーを起こしたのは、先生の追悼式の数日後でした。

変性意識状態の中で、お姿は見えませんが、私は先生のエネルギーを感じていました。


先生、この拙い教え子を、そちらの世界から見守って頂けましたら幸いです。

私は先生の教え子であることを、誇りに思っています。

先生の教え子として、恥じぬように、精一杯生きていきます。

先生のご功績とお人柄を偲び、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



私の恩師、東京海洋大学名誉教授 故長谷川西涯先生へ、この追悼文を捧げます。 <合掌>



イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
ヨハネによる福音書13章7節







イベント時、先生も合流して下さるとのことです。

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ピアノへの想い

2013-01-19 15:12:54 | 未分類

私がピアノを始めたのは、20歳になってから、大学生の時だった。
大学生の頃、ショパンの繊細さとピアノに魅了され、いずれ弾けるようになりたいと夢見ていた。

その後、ショパンの「雨だれ」のプレリュードや「ノクターンの9-2」などを練習したけれど、
やはり 背伸びしないと、弾けなかった。

大学時代、潰瘍性大腸炎という病気を患い、現代医学では完治が難しい病気のため、進路に悩んだ末、
健康に携わる仕事をしたいと志ざすようになった。

進路に悩んでいた頃、新聞の記事で、右手の故障のため、左手だけで演奏し、指揮者、教育者としても
活躍してきたという米国のレオン・フライシャーというピアニストを知った。
その記事では、ロルフィングというボディーワークによって、約30年ぶりに両手で演奏活動を
再開できるまでになったという内容が書いてあった。

その記事の中で彼は、スポーツのように、楽器を弾く人も普段使わない筋肉を酷使するので、
スポーツトレーナーのように、楽器を弾く人のトレーナーの必要性を訴えていた。

ロルフィングに興味を持ったものの、当時(1997年頃)、日本では、まだ詳しい情報が手に入りにくかった中、
アイダ・ロルフという生化学者が開発したヨガとオステオパシーを統合させた「構造的統合」と呼ばれる
ボディーワークであることを知った。

その頃、治療を続ける中、症状を抑えるために強い薬を使っていた私は、副作用に悩み、自らの身体を実験台にして、
現代医学以外の様々な代替療法、自然療法などを探しては、試みていた。

そんな中、伝説のヒーラー(治癒者)と呼ばれるロバート・C・フルフォード博士の「いのちの輝き」
という本に出会い、感銘を受け、オステオパシーの凄さを知った。その本のあとがきで、

「オステオパシーの源流ともいうべきものは日本の柔術の整復法である」
『人間 : 密儀の神殿』 / マンリー・P.ホール著)に書かれている。)

という事実を知り、柔道整復師になることを決め、そのための学校に行き、柔道整復師になった。
現在私は、手技療法施術者、ボディーワーカーとして、従事している。

ピアノを弾く方のプロには到底なれないかもしれないけれど、ケアをする側でのプロを志し、
アーティスト(とくにやっぱりピアノを弾く人)の繊細なケアができる施術者を目指し、
最終的には、レオンフライシャーが訴えていたような「楽器を弾く人のトレーナー」
「アーティスト ケアトレーナー」になれたらと考えている。


その人の魂が活き活きと輝き、相互に、この領域での役割を果たすためのお手伝いができたらと願っている。

そして、共に完全意識に目覚め、源に帰還する旅を共有できたらという想いがある。

それが、「天上の大会議」で約束したことの一部でもあるのだ。



私の拙いピアノ演奏をよかったら、どうぞ。


 

 

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