『・・・さて、みずから選んだ新しい存在であるにもかかわらず、その在り方を可能な限り長く拒み続ける人もいます。
それでも誕生の瞬間には、ある程度その場にいなければならないのですが、その場に及んで新生児との完全な一体化を免れることも可能なのです。
そうした人は、なかばしぶしぶ新しい形態に入ったかと思うと、またそこから出て周囲に浮かんでいたりします。
かような態度にも多くの理由が考えられます。人格存在のなかには、単に中間生という在り方をことのほか気にいっていたり、
理論による問題解決の方に関心が高くて、必ずしも実地に応用してみる必要を感じていないという人もいます。
また、物質的な存在というものが思っていたほど必要に応えてくれないとか、別の現実の分野あるいは別の存在においての方が
効率的に進化できることに気づいてしまう場合もあります。』
「セスは語る」―魂が永遠であるということ ジェーン・ロバーツ (著) P367より
これを読んだ時、私は思い当たる節があり、まるで自分のことが書かれているように感じた。
出生時、肺が充分に開かず、チアノーゼを起こして危険な状態だった私は、
医師に、助かるのは、五分五分だと言われたらしく、保育器の中で12日間程を過ごした。
一度は、この領域に入ることに同意した私であったが、いざ、その場に及んで、インカーネートしようというとき、保育器の中にいる間も尚、
激しく躊躇し、覚悟を決められずにいた。
しかし、「天上の大会議」で約束したことを果たすため、中間生でのスピリットガイドや、霊的な家族から、励ましを受け続け、
また、産まれてくることを待っていてくれた、家族や教会の人たちの祈りにより、私は、ようやく、覚悟を決めたのだった。
「インカーネーションは、生涯かかって進行する。誕生時に起こり、それで終了するという類のものではない。」
「光の手―自己変革への旅〈上〉」 バーバラ・アン・ブレナン(著) P129 より
現在も、インカーネーションのプロセスを進行中である。
私の拙い演奏をよかったら、どうぞ。