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OSAMUの写真記録

花を中心に、時に旅先で写真を撮っています

旅の記憶('18年)台湾③

2021-02-09 19:07:58 | 旅行
撮影日:2018年1月6日~9日

2018年1月6日から3泊4日の日程で台湾を旅行しました。
三回目(最後)は台中です。
台中は台湾第三の都市で、台湾でいちばん住みやすい都市と言われているそうです。
台湾名物のパイナップルケーキ(鳳梨酥)や少し前から日本でもブームになっているタピオカミルクティーは台中発祥だそうです。
もちろんパイナップルケーキは土産に買ってきました。

1)彩虹眷村
住んでいた黄永阜氏(香港出身中華民国国軍退役軍人)による壁画アートが施された住居群


2)再開発のため取り壊される予定だったが、これが認められて文化遺産として保存されるようになる


3)黄氏は2008年に突然描き始めた


4)2010年に大学教授や学生たちがあどけなさに満ちて、可愛さや溌溂とした子供の表情が描かれた壁画アートに価値を見出したことで、蔡克斯という学生が台中市政府に眷村を文化資産として保存するよう申請


5)同年所有者の同意の元で「彩虹芸術公園」として保存されることになった


6)今も黄老人はここに住み、記念撮影にも応じられています


7)何となく自分の子供の頃を思い出され、懐かしい気持ちになりました


8)どこか剽軽で明るい表情が心和ませてくれます


9)


10)


11)


12)


13)


14)


15)中友百貨店内にある誠品書店
最近日本でも話題の書店があちこちに出来つつありますね。
昨年の紅白歌合戦でyoasobiが歌っていた「角川武蔵野ミュージアム」も雰囲気がありましたね。


16)宮原眼科


17)日本統治時代に実際に眼科として使われていた場所をリノベーションした、お洒落なスイーツショップ


18)台中に本社を置く菓子メーカー「日出」がプロデュース


19)日本統治時代の建物を残してくれてるのはありがたいです
台湾国内に沢山そのような建物があるようなので、機会があれば巡ってみたいです。


20)パイナップルケーキはここで買いました


追伸(台湾の記憶③):
三度目はその半年後、二度目と同じメーカーへの訪問するためやはり2泊3日の日程でした。
残ながら半年の間にテニス仲間は帰国してしまっていました。
この時は先方が使用している機械の運転にも役立つ資料を持っていきつつ、現状をより詳しく聞くことが目的でした。
そのおかげかどうかわかりませんが、社長自らホテルまで送って下さり、途中海岸沿いのレストランで海鮮をご馳走してくれました。
いくつもの水槽を泳ぐ魚介の中から好きなものを選んで、好みの調理法で提供してもらうお店です。
何を選んでよいのかわからないので、勧められるままいただくことにしました。
3日目は台湾メーカーの方がゴルフ場に連れて行ってくれて一緒にプレーしました。
なんでもタイガーウッズを招待したゴルフ場だとか。
ツアーに招待するに際し事前にタイガーが下見にプライベートジェットでやってきて、バンカーの砂が気に入らないと言って入替させられたと聞きました。
相手はいくつもの会社や有名ゴルフ場を保有するすごい人だったのです。
でもせっかく誘っていただいたのになんですが、あまり上手くない者にとってはコースを楽しむこともできず、気を使いながらのプレーするのは決して楽しいものではありませんでした。
気の知れた仲間とプレーする方が楽しいですよね。

こうして記憶を手繰ってみると、仕事以外にフリーな時間が結構あり、その時間を楽しんでいたんだなと思います。
今Covid-19の感染拡大に伴う緊急事態宣言は発出されている状況で3月7日まで延長されることが決まりました。
緊急事態宣言発出前は中国、ベトナムなど11ヵ国からビジネス目的での渡航は受け入れていました。
自分自身の経験も鑑みるとたとえ仕事で来ようとそれだけで帰る人ばかりではないと思います。
感染拡大を防ぐためには海外からの渡航を禁止することは必須であると思います。
早く終息して海外とも自由に行き来できる日が再びやってくることを願ってやみません。

旅の記憶('18年)台湾②

2021-02-05 20:49:25 | 旅行
撮影日:2018年1月6日~9日

2018年1月6日から3泊4日の日程で台湾を旅行しました。
二回目は台北を離れ高雄、台南を巡った記録です。
新幹線で高雄まで1時間ちょっとで到着します。
完成は2007年1月。
台湾の新幹線は車両などハードを日本が、運行システムなどソフトを欧州が担って完成したものです。
そんな中途半端なシステム故、開通当初は誰も信用せずなかなか利用が進まなかったようですが、現在では皆安心して利用しているとのことです。
最近追加の車両発注で日本は価格が高すぎるということで受注できなかったというニュースがありましたね。
そうなると新車両はまったく違ったものになってしまうのですね。
残念です。

1)蓮池潭・龍虎塔
ここでは龍から入って虎から出ます。
台湾では十二支の中で 龍は最も善良な動物、 虎は最も凶暴な動物とされており、 龍の口から入り、虎の口から出ることにより、 自分のこれまでの悪戯が清められ、 さらには災いも消えて無くなると考えられているためです。


2)慈済宮
龍虎塔の前にあります。
1719(康熙58)年に医学の神様である保生大帝を祀って建てられた300年の歴史を誇る廟。


3)龍の彫刻が見事です


4)びっしりと細かな彫刻が施されています


5)内部も素晴らしいです
まさに豪華絢爛


6)忠烈祠


7)中華民国建国及び国共内戦・抗日戦争等で戦没した烈士(英霊)を祀る宗教施設


8)天井にたくさんの龍がいました


9)こちらの天井も見事です


10)情人観景台
高雄市内及び港湾施設が一望できる


11)土産店で見たサンゴの彫刻
特に欲しい物はありませんでした。


台南市に移動しました。
12)赤嵌樓(せきかんろう)
オランダ人による台湾統治時代に不満を持つ漢人が起こした暴動「郭懷一事件」が発生、鎮圧後に事件の再発を防止するために建築したもの。


13)写真では大きさが伝わりませんが、虫眼鏡で見ないとわからないくらい細かな字がびっしり書き込まれています


この後台中に移動、翌日に日月潭を訪れました。
14)文武廟


15)儒教の創始者孔子と、三国志で知られる関羽など「文武」両方の神様が一緒に祀られている


16)


17)


18)


19)


20)


21)

日月譚は台湾の三大観光地のひとつと言われているらしく、できれば静かな湖を感じてみたかったです。

追伸(台湾の記憶②):
二度目の台湾は初めてから約20年後、2007年3月でした。
この時も台湾メーカーを訪問し機械設備を見せてもらうのが目的でした。
日程的には1泊2日で十分だったのですが、それだと航空券が高くなるということで、2泊3日になりました。
格安航空券は基本的にはビジネス目的には設定されていないようなのです。
逆にそれだけ近くて気軽に行けるところだということもできます。
なので最終日はフライトまで自由時間でした。
この時はテニス仲間がたまたま台湾に赴任していたので付き合ってもらいました。
午前は現地で一緒にテニスを楽しみ昼食後、高層ビル101に案内してもらいました。
台北101は2004年に世界一の超高層建築物として竣工し、その高さ509m。
訪問時は世界一を維持していたのですが、2007年7月にブルジュ・ハリファに抜かれてしまいました。
竣工後わずか3年の世界一でしたが、その間に行くことができたのはより価値あることのように感じます。

22)台北101(2007年4月1日撮影)
マスコットは目玉おやじに似たダンパーベイビー。
101の1が目、0が口になっています。
0だけだったら目玉おやじそのものですね。
これは大型台風が頻繁に直撃するため暴風対策が重要で、87階 - 92階の中央部の吹き抜け空間に風による振動を緩和する目的のみで巨大なTMD(チューンドマスダンパー)が設置されており、それをモチーフにしたもの。
マスダンパー全体の重量は660トンもあり、このマスダンパーの効果で、理論上は風力による振動を最大40%抑制できるとか。






旅の記憶('18年)台湾①

2021-02-02 19:21:33 | 旅行
撮影日:2018年1月6日~9日

2018年1月6日から3泊4日の日程で台湾を旅行しました。
自分にとっては4度目の台湾ですが、観光は今回が初めてでした。
ツアーに参加するか、個人旅行にするか迷いましたが、家族も一緒で私以外は初めてだということで効率的に回れるツアーに参加することにしました。
食事もすべてついていたので楽ではあったのですが、もちろん決められたスケジュールで動かないといけないこと、望まない土産物店にも立ち寄らなければならないのは、やはり満足度を下げる要因になりますね。
でも台湾の西海岸にある主要都市を含め、観光地を効率的に巡れるのはメリットですね。
これを踏まえ、2度、3度と行けたらいいと思っていたのですが、次の機会はいつになったらやってくるのでしょうか。
コロナ禍の終息にはこの先どのくらいの時間がかかるのか、一日も早く収まることを望むばかりです。
3年前を思い出しながら、3回に分けて投稿します。
1回目は台北と九份です。

1)中正記念堂
台北に着くとかなりの雨が降っていました。
中正紀念堂は中華民国の初代総統である蔣介石の顕彰施設。中正とは蒋介石の本名。1980年3月31日に完成。


2)蒋介石像
背後の壁には「倫理、民主、科学」という三民主義の本質が、像の土台には蔣介石の言葉がそれぞれ記されている。


3)国章である「青天白日」の徽章が示された天井


4)天井パネルの1枚1枚の中央に中正記念堂と記されています


5)


6)これは9日に故宮博物院から市内に戻って昼食に向かう途中で撮影

この後、十份に移動して四方に願い事を書いたランタンを上げ、そして九份に移動しました。

7)九份
タイトル画像が見えるレストランで夕食を済ませた後、30分位散策する時間がありました。
でも大雨でした。どの写真にも雨筋がくっきり写っています。


8)九份
九份は一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。
街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめており、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。


9)九份
1989年二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市』のロケ地となったことにより、再び脚光を浴びるようになる。


10)九份
宮崎駿のアニメ映画『千と千尋の神隠し』のモデルになったという噂もあり、日本の観光客への知名度が高まったほかに台湾でも知られるようになり、今では台湾を代表する観光地に。


11)九份
ここで集合してバスまで移動しました。


12)九份
移動する途中で。

雨がひどく、びしょ濡れになってしまいましたが、一度は行く価値のある所と思います。

次は故宮博物院です。
2時間程の自由時間がありましたが、とても回り切れるものではありません。
故宮博物院は4000年に亘る歴代皇帝の至宝を展示しており、何度来てもその凄さに圧倒されます。
台湾にあるのは北京の「紫禁城」に保管されていた宝物を日本軍から守るために分散して隠していたものが第二次世界大戦終結後に南京に戻されるが、その後の内戦で蒋介石率いる国民党政府が敗北して台湾へ逃亡することとなり、その際に南京にあった宝物も一緒に台湾に移動させたため。
と言うわけで、特に価値の高いものが台湾にあることになります。
中国共産党はさぞかし悔しがっていることでしょう。
13)精妙な彫刻が施された象牙の球体


14)内部は24層に分かれており、彫刻が施されたそれぞれの層が回る仕組みになっているそうです。
いったいどうやったらこうなるのでしょうか?


15)玉の逸品たち
特に左上の「翠玉白菜」は二大名宝の一つと言われ、必見のものです。
白菜の緑の葉の部分には、子孫繁栄の象徴であるキリギリスとイナゴが彫られている。
もう一つは「肉形石」で、豚の角煮を再現したものですが、上手く撮れていませんでした。


16)説明パネル


17)漢字のルーツ
これらが記された青銅器の鼎は2800年前に作成されたとか。


18)唐三彩


19)陶磁器もすごい物が沢山あります


20)


21)サンゴと玉の彫刻

ミュージアムショップで眼鏡拭きを記念に買いました。
今も使っています。

追伸(台湾の記憶①):
こうして3年前の旅行について思い出しながら書いていると、さらに昔のことも思い出してきました。
実は台湾は今回も入れて4回行ってます。
最初に行ったのは正確には忘れてしまいましたが、30年以上前の1990年より少し前(1988、89年)だったと思います。
ヨーロッパで開発された新しい機械が台湾メーカーに納入されていることを聞き、機械メーカーの台湾支社に視察をお願いして実現したものでした。
4日ほどの滞在の間、現地支社の人が日中は対応してくれたのですが、夕方になると彼はホテルまで送ってくれて帰ってしまっていたので、一人で街をぶらぶらして夕食を探すしかありませんでした。
予備知識を全く持っていなかったのでどこで食事をしていいのかわからず、結局はマクドナルドか屋台でとなってしまいました。
実は行きの飛行機の中で隣の席の女性から屋台で飲食をしたらダメと言われていたのですが、火が通ったものなら大丈夫だろうとトライしたり、蛇料理の店頭で蛇を解体して血や胆汁(緑色)を酒で割ったものを出す店などを覗いてたり帰国する日に彼のガールフレンドと昼食を共にし、中正紀念堂(中に入った記憶はありません)と故宮博物院に連れて行ってくれました。
なんでもそうだと思いますが、最初に体験したことは鮮明に覚えているものですね。
初心忘るべからずです。

GO TO 京都⑤(建仁寺)

2020-12-25 19:43:04 | 旅行
撮影日:2020年11月25日

11月25から26日の1泊2日でGO TOキャンペーンを利用して京都に行ってきました。
最後は建仁寺です。
今回の旅で紅葉以外にぜひとも訪れたかったのが建仁寺です。
なぜならタイトル画像にした俵屋宗達が描いた風神雷神図屏風が見たかったからです。
と言うのも、少し前に原田マハ著「風神雷神 Juppiter(ユピテル)、Aeolus(アイオロス)」を読んでいて折角京都に行くなら見てみようと思っていたのです。
俵屋宗達は戦国から江戸時代に活躍した絵師ですが、生没年不詳な他生涯には不明な点が多く、それが小説の中の設定に繋がったものと思います。
小説で描かれた少年時代の宗達の冒険はとても魅力的で、海外と閉ざされてしまったコロナの時代に読むことに運命的なものを感じてしまいました。
残念ながら風神雷神図屏風は現在建仁寺にはレプリカしかなく、本物は京都国立博物館に寄託されており、京都国立博物館に行ってもいつも見られるわけではなさそうでしたので、レプリカでも見たいと思っていました。
この絵は、画面の両端ぎりぎりに配された風神・雷神が特徴であり、これが画面全体の緊張感をもたらしているが、その扇形の構図は扇絵を元にしていると言われる。
小説では扇屋の息子として描かれており、ヨーロッパに渡る際にも風神・雷神が描かれた父親から渡された扇子を持参しており、悪天候などの苦難の際に安全に導いてくれたと考えるよう、心の拠り所として描かれています。
人生を見守る存在として見ると、どこか優しさを感じさせる目をしているように感じられます。

建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立され、京都で最古の禅寺(臨済宗建仁寺派の大本山)。
豊臣秀吉を祀る高台寺や「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺だそう。
そんな建仁寺にはその他にも見るものがたくさんありました。

1)法堂(はっとう、と読むのですね)の天井に描かれた双龍図(小泉淳作筆)
2002年、創建800年を記念して2年をかけ描かれたもの。
龍は仏教を守護する八部衆で「龍神」ともいわれ、禅寺の本山の多くで法堂の天井に描かれている。
法堂は仏法を大衆に説く場所であり、龍が法の雨(仏法の教え)を降らすといわれ、また龍神は水をつかさどることから「火災から守る」という意味も込められている。
仏教を守り、かつ教えを伝える重要な存在なのですね。


2)方丈から枯山水様式の庭「大雄苑(だいおうえん)」と法堂を眺める
波状に引かれた線が心を落ち着かせてくれるような気がします。


3)方丈から法堂に繋がる回廊から大雄苑を横から眺める


4)方丈障壁画「雲竜図」海北友松筆(安土桃山時代から江戸時代に活躍)
これは複製で、オリジナルは襖から掛け軸に変え、京都国立博物館に保管されている。


5)方丈障壁画「雲竜図」海北友松筆
複製であってもガラスも何も隔てるものがない状態で見られる方がいいです。


6)「竹林七賢図」海北友松筆
同様にオリジナルは京都国立博物館に保管。


7)唐子遊戯図
写真を2枚繋いでいます。


8)潮音庭
向かいに風神雷神図屏風が見られます。


9)潮音庭を反対側から眺める


10)「船出」染色画家である鳥羽美花氏(京都市立芸術大学大学院修了)がベトナムの水辺の風景を描いたもの


11)襖の反対側には同氏による「凪」
型染めと呼ばれる伝統技法で絹織物の白山紬に染め上げたものを表具師が襖に仕立てたのだそうです。


12)「伝説の湖」
もう一つ同氏による掛け軸がありました。


13)


14)〇△□の庭
宇宙の根源的な形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を地(□)、水(〇)、火(△)で象徴したものと言われている。
木が〇を、井戸が□を、庭の隅の形状で△を表しているとか。


15)反対側から〇△□の庭
庭の隅の形状が△?


16)


17)「花鳥図」海北友松筆


18)「花鳥図」海北友松筆


19)


20)


21)

今回ばかりは写真として自分が感じたものを切り取るということではなく、記録に徹する写真になってしまいました。
でも400年前から現代までの圧倒的な芸術の前には如何ともしがたいとも思います。
最近、SNSでここ建仁寺の潮音庭の紅葉の写真を目にしました。
なかなかタイミングよく訪れることはできないものですね。

一泊二日で京都を巡ってきましたが、改めて日本の良さを再発見したように思います。
京都は何度でも行きたい魅力的な場所です。

GO TO 京都④(南禅寺他)

2020-12-22 19:30:38 | 旅行
撮影日:2020年11月25日

11月25から26日の1泊2日でGO TOキャンペーンを利用して京都に行ってきました。
慈照寺銀閣から哲学の道を歩いて南禅寺に向かいました。

1)銀閣寺参道から銀閣寺橋を渡ったところにある豆せんべいの店、京・月待庵にて
何種類か買って帰りました。美味しかったですよ。


2)かわいい小物入れでしょうか。
これには豆せんべいは入りません。


3)哲学の道はもともと、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水が完成した際に、管理用道路として設置された道。
明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。


4)その後、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたことから「哲学の小径」といわれたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。
1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まる。


5)途中、こんなベンチ?がありました


6)南禅寺に着きました
南禅寺は今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創。


7)臨済宗南禅寺派大本山


8)日本最初の勅願禅寺であり、日本の禅寺の中では最も格式が高く、京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)より格上で、別格扱いを受けている。


9)


10)法堂の天井に描かれている今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡龍。
その下には本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側に象に騎る普賢菩薩の三尊像を安置。


11)


12)


13)三門
仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称。


14)少々歩き疲れて、「水路閣」や狩野派の障壁画や庭園を見学できる「方丈」はパスしました。

ここからタクシーで再び四条に移動し、昼食です。

15)これは前日に立ち寄った錦市場です


16)綺麗なガラスのアクセサリー


次は、今回の京都旅行の最後、建仁寺です。