ユダヤ人の代表と言うとモーゼです。ユダヤ人存亡の危機の時ヤコブの民を率いたリーダーです。
ナチハンター、サイモンウイゼンタールが書いてたのですが。彼は幾度も殺されかけながらもマウトハウゼン収容所から生還しました。彼は燔祭を逃れたイサクだったのです。
ユダヤ人が危機一髪の時どんな時でもモーゼ役するユダヤ人があらわれたと書いています。そのモーゼ役が引っ張っていったのです。
ワルシャワゲットーで。ゲットー蜂起の時ユダヤ人を率いて戦った
モルデハイ・アニエレビッチという青年がいました。 ポーランドのワルシャワゲットーにユダヤ人は押し込められた。そこで何人かが武器を持って立ち上がり絶望的な闘いをした。
ワルシャワ蜂起として今日まで記憶されている。この時の闘士たちは全員殺されてしまった。
今ゲットーの廃墟にワルシャワ蜂起のモニュメントが立っていて蜂起のヒーロー達の雄雄しい姿が刻んである。ワルシャワ蜂起を指揮したのはモルデハイ・アニエレヴィッツという青年だった。
この人の話は繰り返し聞いていた。ラビ・マービン・トケイヤー師が彼のことを語っておられた。ユダヤ人は彼をわすれることができない。
第二次世界大戦中ホロコーストがあって、ポーランドのワルシャワゲットーにユダヤ人は押し込められた。そこで何人かが武器を持って立ち上がり絶望的な闘いをした。
ワルシャワ蜂起として今日まで記憶されている。この時の闘士たちは全員殺されてしまった。
銅像の中心に立つのがこの青年なのである。
戦士の中には女も居てミラという女闘士がアニエレビッチの彼女だった。
一緒に闘って一緒に散ってったんだね。ミラが居たから孤独じゃなかったんだね。
アニエレビッチ享年24歳。ミラ享年23歳。
youtubeを見てたら思いがけずアニエレビッチと巡りあえた。
出会えて嬉しかった。
http://jp.youtube.com/watch?v=8bjY6L_MUkY
img_1mnb.jpghttp://www.youtube.com/watch?v=g7d0GTQ2ovE
1970年12月7日、ヴィリー・ブラント西ドイツ首相はワルシャワを訪れ、ポーランドとの国交正常化基本条約に調印。その足でゲットー英雄記念碑に献花し、ひざまずいて黙祷を捧げた。
銅像の中心に立つのがこの青年なのである。
ソビボール絶滅収容所で。ソビエト赤軍兵のユダヤ人、アレキサンダー・ペチェルスキーが赤軍兵士やユダヤ人を率いて大脱走を企てソビボールから脱出した。
アンネフランクさんの姉マルゴットの仲良しにイエトケっています。イエトケのお兄さんレオはオランダのレジスタンス運動のリーダーでした。死後オランダの通りの名のなりました。
アウシュビッツの化学コマンドーで。プリモレビが書いてたがカルパチアのラビとガリチアの男が毎夜毎夜タルムード問答をヘブライ語とイデッシュ語でするのだそうです。カルパチアのラビはかつて見たこともないような賢人だった。彼は民衆率いるモーゼだった。
日露戦争の時捕虜になってもロシア兵を率いていったユダヤ人兵ヨゼフ・トロンペルドール。彼はイスラエル建国のために戦い死んだ。
亡国の民としてロシアに生まれ、歯科医となったけれども、日露戦争時、国のためにと志願して兵士になった。
戦傷で左腕を失うも、「まだ生きている」、と再び戦地に赴き、拳銃で戦った。
そして、旅順陥落時、捕虜として日本に連行され、ロシア兵として捕虜収容所での生活を送る。
ところがこの収容所での日本の応対に甚く感心し、初めて
「ロシア人としてではなく、ユダヤ人として生きること」
を考えるようになり、ロシアに帰国後、危険地帯のイスラエルに入植。
軍隊経験を活かして、イスラエル軍を組織、自衛に当たっていたが、アラブの攻撃を受けて戦死。
その時、「国のために死ぬのは良いことだ」と言い残した。
私はやっぱりユダヤ人にはモーゼやヨシュアの血が流れてるんだと思いました。民族存亡の危機の時
実力を発揮して闘うんだと思いました。