昭和は遠くなりにけり

プログはいくつも作ってるのです。だけど本音愚痴を書くプログが欲しかった。

アブラハム小辻教授、秦氏、下賀茂神社

2018-06-24 20:27:45 | ユダヤ民族
アブラハム小辻教授は京都の下鴨神社の宮司

秦氏と天皇家との深い関わりについてはアブラハム小辻教授が興味深いことを述べている。

小辻教授は出身が京都であり、彼の家柄は代々、京都の下鴨神社の宮司であった。下鴨神社は8世紀に、秦氏の一族を記念して建てられたものである。小辻教授は、自分の先祖はおそらく秦氏に属していたと考えている。

日本人なのにユダヤ教に改宗した人に神道の神官が多いという。
秦氏と皇室の関係

皇居は昔、京都にあった。そして京都の下鴨神社は、皇室と最も深い関わりのある神社であった。そこでは年間に71もの、皇室ゆかりの儀式が執り行われていた。これを見ても、秦氏と皇室は、非常に深い関わりの中にあったことがわかる。



小辻教授は旧約聖書の学者で、セム語に関する学者であった。彼は、秦氏はユダヤ人であったと考えていた。小辻教授はのちにユダヤ教に改宗した。

小辻は、1939年に松岡洋右の要請で満鉄のブレーンとして就任していたが、そののち第二次世界大戦が始まった頃、日本に戻った。彼は、杉原千畝のビザ発行のおかげでヨーロッパから神戸に逃げてきたユダヤ人たちを助けた、中心人物の一人となった。

ゾラフ・バルハフテイク氏が「日本に来たユダヤ難民」で書いてます。杉原ビザで沢山ポーランド、リトワニアから日本にユダヤ難民が逃げてきた時。日本でユダヤ教探究してる日本人はユダヤ教知るチャンスなんで大歓迎した。
日本人なのにユダヤ教に改宗したアブラハム小辻氏。
小辻節三氏は京都の下賀茂神社の神官の家の人です。方丈記書いた鴨長明も下鴨神社神官の家の人だった。

小辻氏は家に宗教書はいっぱいあるのだけどユダヤ教への関心がおさまらず何とか知りたいと願った。そこへ杉原ビザのユダヤ人が到着した。
ユダヤ教を学ぶチャンスと大喜びだった。氏はラビと神学生に特に心打たれた。
ゾラフ氏は日本のインテリが精神的・知的危機に直面してることを感じた。二人は日本史ユダヤ史について語り合った。

ゾラフ・バルハフティク氏と小辻氏がユダヤ教研究グループを作ってたがそこへ三笠宮殿下も討議に参加に来られた。

小辻氏はイスラエルに渡りユダヤ教に改宗した。ゾラフ氏は改宗に助力した。
アブラハム小辻氏はユダヤ難民の日本滞在期間を延長するよう助力してくれた。



1970年、イザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」が出版されたが

日本人に愛読されてるこの本についてサイモン・ウイゼンタールが書いてました。
この本は偶然生まれたものではない。もうずっと以前から日本の研究者たちはイスラエルの失われた10支族とのつながりを探し求めていた。
その研究者たちは日本の神官層出身者たちで彼らのうちの幾人かはユダヤ教に改宗している。
日本とイスラエルの類似性は中世には今日よりはるかによく話題にされた。


米軍兵士の中にラビがいて三笠宮と親交をむすび
古代パレスチナの第一神殿時代のものだといわれる古代ヘブライ語の銘文が背面に刻まれた「聖なる鏡」を見るという許可を得たという。
米軍ラビが第一神殿時代のヘブライ語の銘文刻んだ鏡を見れたとは!
失われたと思われてた兄弟たちとコンタクトをとれたとは!第一神殿時代とはソロモン神殿時代です。



こんな記事見つけた。なるほどねーと思います。



ではユダヤ人とは?

杉原がたすけたユダヤ人の多くはポーランドやリトアニア人でした

そして杉原はスパイマスターでもありました

なのであくまで一説なんですが、ポーランド政府から「独ソの情報の見返りに(ユダヤ系)ポーランド人を助けてくれ」という取引があったとされます



ぶっちゃけた話

天皇が独ソを「不信の国」と呼んだように、また独ソ戦を内緒にしていたように、日本は独ソをそこまで信用していませんでした

信用できないなら独自で情報を集める必要があります

その能力がないならなんらかの対価を払って情報を友好国から買う形になります

その対価が、ユダヤ系ポーランド人の保護、ってわけです