昭和は遠くなりにけり

プログはいくつも作ってるのです。だけど本音愚痴を書くプログが欲しかった。

サイクスピコ協定。

2018-08-19 06:04:35 | 歴史
サイクスピコ協定。



第一次大戦でドイツ側についたオスマン帝国は英仏露など連合国と戦う。連合国側はオスマン帝国を混乱に陥れようと考えアラブ人の民族独立運動をあおりオスマン帝国を崩壊させた。この戦争のさなか英仏の間で密約が交わされた。オスマン帝国倒した後アラブ人が住む地域を山分けしよう。エジプトはすでに英が抑えていたのでその他のアラブ人の住む地域を英仏が勝手に線を引き分割した。シリアとレバノンは仏がとりヨルダンとイラクは英がとる。パレスチナはあとでヨーロッパからユダヤ人を送り込む。これをアラブ人に内緒で決めてしまった。これがサイクスピコ協定。

英の目的は当時の英のもっとも重要な植民地であったインドへのルートを確保することにあった。英からインドへ輸出したり反乱がおきたとき鎮圧するためのインドに通ずる道が必要だった。英仏が定規で引いた線がシリアとイラクの国境線になる。

適当に線を引かれて誕生したイラクにはシーア派スンナ派クルド人といった異なる民族や宗派が混在することになった。英仏によって分割された国々にはそれぞれアラブ人の国王が擁立された。



イラクにはメッカ出身のハーシム家のファイサル王子が。ヨルダンにはファイサル王子の兄であるアブドラ王子が英によって指名された。イラク王もヨルダン王も当然英にべったり、



石油が見つかったら英に採掘権を与えろと言われれば素直に従うしかないため石油利権を外国資本に売り渡した利益を分けてもらい私腹を肥やした。イラクのハーシム家の失敗は利益の分配をほとんどしなかったからである。民衆の間で不平不満がうずまき政権を打倒しろ、声があがる。

1958年軍のクーデターが起きイラク国王は処刑された。イラクの革命政権は共和制を敷いて石油を国有化した。

イスラム教徒は民族を超えて信頼し友達になれる。もともと国がないところに

20世紀になって無理やり国を作ってしまった。

いきなり「今日からシリア人」「今日からイラク人」と言われてもピンとこない。国という概念があるのはずっと同じ民族で国をもってたトルコやイランくらいです。アラブ人には国という意識が薄い。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿