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わたし、教育ママ in Sapporo

自称○○ほど怪しいものはない。札幌在住、自称教育ママが綴る教育の真髄とは!

倫理の時間

2015-02-26 | 学校
高校の倫理といえば、大学受験に殆ど関係ない科目ということで、倫理の時間にはほかの勉強をしている人が多数いました。

ある時、あまりにも目に余る状態だったのでしょう。
「どうせ倫理なんて、受験に関係ないもんね。あんたたち、授業聞く気ないんでしょ」
と倫理の担当であるよしこちゃん(55歳位の女性)が静かに怒ったのです。

その時、わたしはというと、別の勉強をしようと思ってはいたのですが、よしこちゃんの倫理の授業って、けっこう面白くて、思わず、聞いてしまっていて…。

他の人もじつは授業を聞いていたのか、あるいは、内職をしていた生徒たちに罪悪感があったのか、わかりませんが、みんな倫理をしっかり理解してテストに臨んだのです。

その結果はというと…。
「このクラスの平均点は他のクラスよりかなり高かったわ。あんたたち、倫理をちゃんと勉強してくれたのね。テスト前にあんなこと言って悪かったわ」
と答案用紙を返し終わったよしこちゃんがぼそっと言ったのでした。

倫理の授業は受験には全く役立ちませんでしたが、人生では時々顔を出します。カント、ヘーゲル、ベンサム、ミルのあたりが特に印象に残っています。

「倫理をちゃんと勉強してくれたのね」というよしこちゃんの声が時折、聞こえてきます。


ところで、ミルといえば、父親から猛烈な英才教育を施され、青年期に精神の危機に陥った人として、早期英才教育は危険であるというような話の際によく登場します。

他方、カール・ヴィッテというドイツ人は、天才で人格も優れているということで、早期教育の分野で日本でちょっとした有名人。カール・ヴィッテ方式とかありませんでしたっけ?

ミルは知っているけれど、誰よ、カール・ヴィッテって?とじつは前から思っていたのですが、これを機にウィキペディアで調べてみました。が、ない…。

Karl Witteを英語で見てみたら、ありました!9歳でドイツ語(←母国語だから当たり前だけど)、フランス語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語を話し、13歳でギーセン大学で博士号を取得したと書かれています。

ヴィッテの父親が、息子の教育についての著書を書いたものの、ドイツでは批判にさらされ、すぐに忘れられたそうです。しかし、中国では21世紀の初めにベストセラーになったといった内容が…。日本語からの翻訳の際、Carl Weterと名前が変わってしまったらしいです…。

ミルにしてもヴィッテにしても、お父ちゃんが教育熱心だったのですね。

さて、ミルはある女性と出会い、精神の危機を乗り越えたとのこと。人妻であったその女性の身辺整理を待っての結婚。そして、その女性の早すぎる死によって、その結婚生活は7年ほどと短いものだったそうです。ミルは死後、その女性の隣の墓に眠っているそうです。そして、なんと、ミルは東インド会社で働いており、職業学者であった時代はないのだとか。

ミルのお父さん、相当、毒親だったのかもしれませんが、ミルはそんな境遇から立ち直って、静かな幸せを得たようです。人妻との恋愛だったので、十分、劇的だったのかもしれませんが。そんな苦悩の人生がミルを哲学者として育てたのかもしれません。ソクラテスには悪妻が、そして見るには強烈な父さんが…。哲学者には苦悩がつきものなんでしょうね。

学校教育自由競争時代

2015-02-24 | 学校
小学校の運動会ー手をつないで一緒にゴールなんてイメージが一時ありましたよね。

しかし、小学校に入ってみてびっくり!そこは実力主義が支配する世界でした~(大げさな表現でした。そういう面もありますくらいですね)。

うちの子どもたちの小学校では、完全実力主義のリレー戦が繰り広げられています。リレーは男女混合。まず、タイムの速い順にリレーの選手が選ばれ、その中で4チームに組み分けされ、各チーム内で遅い順に走ります。ということで、各学年の最終組は、瞬足ぞろいなのです。そして、男女混合なので、最終組に女子が入ることもあります。

私たちの頃は、学習発表会の配役をじゃんけんで決めたような気がします。あまりやる気もなく、仕上がりもよくなかったような…。

しかし、子どもたちの学校では、学習発表会の配役やピアノ伴奏は、オーディションで決めます。じゃんけんなどという生ぬるいものではなく、実際に演技をして、評価されます。

意外でした…。



先生の評価

2015-02-20 | 学校
先生の評価は人それぞれです。

ぴしっとまとめるベテラン先生をすごくよかったという人もいれば、軍隊みたいだわ~という評価もありです。学習発表会などでも「しっかり声を出しなさい!」とおっしゃいます。でも、本当に見事にクラスがまとまっていて(表面上は)、先生の指導力に納得です。

他方、うちの娘の先生は、ゆる~い先生。学習発表会も「できる範囲で頑張ろう!」という声かけ。昨年度受け持った先生のクラスは学級崩壊ぎみだったといいますが、今年は楽しくやっているようです。

久しぶりに学校へ行き、うちの娘のクラスの子どもたちに接したのですが、2年になりたての頃からずいぶん変わりました。男子はのびのびと自分らしくあり、女子もとてもまろやかになりました。本当によい雰囲気です。そして、それが誰かに強制されてのことではなく、自ら進んでという様子で、ゆる~い担任効果が大きかったみたいです。

ゆるい先生の教育効果については、受け手側の態度が大きいなあと。まず、子どもたちがある程度、落ち着いた集団でないとなりません~。その場合、恐怖や厳しい規律でクラスを抑える必要がないので、ゆるい先生のもとで子どもたちがのびやかに自主性を大いに発揮し、クラスの雰囲気も思いやりに満ちてきます。

次に先生を支えるお母様方たちが肯定的でないと上手くいかないようです。ゆるい先生、特に男子のお母様からの評判は上々。「ゆっくり待って下さるから、うちの子はやっていける~」「男子の気持ちも受け止めてくれて嬉しい~」とのこと。クラス会などでお母様方だけ集まっても、先生の批判などは聞きません。つくづく親の役割は大きいなあと思います。

因みに先生は同じなのに、子どもたちがあまりにも傍若無人、親があまりにもうるさいで、だめだった時もあるんですよ。

さて、ベテラン先生のクラスとゆるい先生クラスが、来年は一緒になってクラスがえです。ベテラン先生のクラスのお母さん方は、「押さえつけられていた分、反動がでなければいいけど。3年生になってはじけたりして…」と。ゆるい先生クラスのお母さんたちは、「超厳しい先生が担任になったら、うちの子たちはやっていけるんだろうか…」悩みが全く逆方向です。

でも、そんなことを笑いながら話せるので、うちの学校は平和なんでしょうね。スキー道具を置きに学校へ向かったら、途中で、「○○ちゃん(娘の名前)のお母さん!助けてえ」と。学校で使うそりを途中で運べなくなってしまった娘のクラスの男子に頼られました。普段中学生男子しか見ていないもんだから、久しぶりに見た小2の男子がかわいくって、「宅急便、引き受けました。学校までですね」と即、笑顔で引き受けてしまいました。

中学生になっても、こんだけかわいいといいんだけど。果たして、みんなどんな中学生になるんでしょう…。

ストレス

2015-02-18 | 学校
「あ~ストレスがたまる~。ボクシングとかしたい」
娘がそんな凶暴なことをお風呂の中で言いだしました。

私、子どもの頃にそんなこと、考えたこともなかったので、いっきに頭の中は妄想。だいたい、ストレスなんて感じたこともなく、理不尽なピアノの先生に対しては、我慢してストレスをためたりでず、レッスン中に泣くという行為で立ち向かっていました。

やっぱり、運動が原因かしら。テストステロンがでちゃうのかなあ。中学生くらいになって、不良になって、暴走族の仲間になんて入ってしまったらどうしよう…。そういえば、札幌は冬の雪道をバイクで走れないので、徒歩族っていうんだっけ。

と思ったら、学校でストレスの話を聞いたのだそうです。外国人に肩こりを教えたら、翌日から肩がこるようになったという話がありますが、子どももストレスという言葉を聞いて、ストレスを知ったふしが…。

翌日はストレスのことはすっかり忘れ、会話の中にストレスのスの字も出てきませんでした。

注文していたジュエルポットのアプリが届いて、今日はご機嫌でした。物の誘惑に弱い娘です。


運動会について考える

2015-02-18 | 学校
札幌では、5月末から6月初旬にかけて運動会があります。本州の人たちには考えられないでしょうが、この時期になっても、年によっては超寒かったりして、見学の幼児がスノーウェアを着ていても、おかしくないくらい、寒かった時もありました~。近くのスーパーに走って、ホット缶コーヒーを買ったっけ。

運動会といえば、徒競走、リレー、玉入れ、よさこいなどの集団演技、騎馬戦、組体操…。息子も小6の時に組体操をやりました。組体操に関する以下のような記事を見つけました。

体育で何を鍛えるか

うちの息子の小学校の組体操は、しょぼいものだったので、怪我をしそうにありませんでしたが、熱狂的組体操人間のような教師がいたとしたら、児童はかなり完成度の高いものを求められ、やはり怪我の危険性がいっきにあがるのでしょう…。

さて、運動会が親のためのものという記事の視点も納得ですが、教師のためのものにも見えます。完成度が高ければ高いほど、教師のものに感じてしまいます。ああ、先生たち、満足しただろうなあと。少なくとも、自分が小学生の頃、私は運動会は先生方のためのものと感じていました。当時は行進がそろうまで練習させられたので、ああ、私たちって軍人なの?それとも、高校球児?とも思いました。

でも、先生たちも親の期待で動いているのかもしれません~。結局、大人のための運動会なのか。それなら、親と教師でやったらいいのかも。組体操…。見てるだけじゃなくて、やってみたらいいのかも。

やってみたら、「一体感を感じるわ~。これ、絶対教育的効果があります」なんて、盛り上がっちゃって、益々組体操が激化したりして…。書いていてちょっと心配になってきたぞ。

ドイツの現地校にいた女の子に運動会のことを聞いてみたら、
「そんなのないよ。スポーツ大会みたいのはあって、当日、スポーツ競技場に行って、走ったり、球技をしたり、体を動かして楽しむ催しはあったけど。そのための練習なんてもちろんないし」
とのこと。運動会があって、そのショーのために練習をするのは当たり前という概念は、世界的には通用しないのですね。

運動会に痛烈な批判を繰り返してしまいましたが、小学校高学年になると、競技に参加するだけではなく、片づけや準備なども児童が担うことになります。下級生のために働く児童の姿に、毎年感動してしまいます。ああ、すごいなあ。さすがもうすぐ中学生だなあと。

徒競走で走るということは、去年の自分より大きくなっていることを実感できることだと思います。走るのが速い子も遅い子も、走るのが好きな子も嫌いな子も、とりあえず、大人の私からしたら、高学年が100メートルを全力疾走すること自体、素晴らしい!のです。

今のわたし、全力疾走は信号までの20メートルが限界です。